Beetle.
レモンやな、とリップのフレーバーを言い当てられて駅のホームに残された俺がどれだけ恥ずかしかったと思う?周囲に見てた人がいなかったか確かめる余裕もなく、俺は脱兎のごとくその場から逃げ去った。東京の人混みに身を投じれば、もう誰も俺のことを認識しないだろう。
すぐにきた白石先輩からのメールには、近いうちにまたということと、リップクリームなにつこてん?だったので教えないって返事をしといた。
あのリップもう使えないじゃんかよ。
別れ際だからこそぽろっと出た、というか。でもだからって、最後の最後にしれっと独り言のように呟いてしまったのは悪いと思ってる。
俺だっていつかは覚悟を決めて返事をするつもりだった……と思う。いや、当分認める気はなかったのが本音だ。自分で自分をごまかしてるところがあった。
なのにあんな風なことになって、白石先輩には大変ご迷惑をかけた気がする。
先輩の告白だって唐突だったわけだが、その後ちゃんと話をしてこうなってるわけだから、俺の曖昧なお返事よりはマシなんだよな。
どうあがいても俺が悪いような気がしたし、さすがにアレだけでまた当分会えないというのもいい気はしないので大阪に行く予定をすぐに立てた。メールで言うよりは直接会って話したいよね。
バイトは依頼が入ってくることもあるが、あらかじめナルにお願いしとけば無理に出勤させることもないはずだ。代えの効かない業務はしてないからな。
───と言いたいところだったが、大阪に行く前日に依頼が入った。当初二泊する予定だったが一泊で帰ってこいと言われてしまい、え〜〜とブーイングした。ちょうど帰って来た日から依頼人宅に行くので帰宅を一日早めろと。
途中から合流するよりは初日のベース開設時にいてくれた方がいいってのはわかる。そもそもそれが俺の一番の役割といっても良い。
んー、まあ白石先輩には会えるし、初日にテニス部のみんなと遊ぶ約束になってるから大丈夫か。行けないよりはましだな。
朝の10時に大阪について、朝からみんなでお迎えに来てくれて、そのまま謙也さんち行ってごろごろワイワイする。昼はみんなでラーメン食べて、テニスコートでテニス……俺は早々にお腹痛くなってベンチで死んだ。
さすが元テニス部員たち……ラリーが上手に続いてる様子を眺めながら、ようやく事態に思い至る。
───あれ?白石先輩と全然話せてないな。
いや、わかってたわかってた。うん、……忘れてたね。
次の日二人で出かける予定だったんだもんな。明日の朝には新幹線乗るんだよな。
「俺はバカなのかもしれない」
「あらくん、どうしたん?」
水分を取りに来た金色先輩が、両方の顔を覆ってひとりごちた俺を見つけた。
「いえ、滞在日程を縮めたことで、思ってたほど遊べないな〜というのを今更気がつきまして」
「明日も遊ぶ予定やったもんね」
誰と、というのはおそらく誰も知らないがたやすく導き出せる予定である。
ベンチに寝転がってた俺は金色先輩も座れるように体を起こす。空いたところに座った金色先輩は、でもバイトならしゃあないか、と苦笑した。
「タイミング悪かったなあ〜」
「明日の予定、大事やったん?」
「んー……まあ、ウン」
「せやったら、今日の予定早く切り上げたり、無しにしてもよかったんやで」
「せっかくみんなと会えるのに、それは勿体無いじゃないですか。こっちも大事ですし」
「おおきに」
ぽんぽん、と頭を撫でた金色先輩はまたコートに戻って行った。
ベンチに膝を抱えて座りながら、白石先輩のフォームを見る。あれが綺麗なフォームというものだそうです。いや、ここにいる人たちで汚いフォームの人いないだろうし、俺には違いがよくわからんけど。
俺もそろそろ復活しようかな。
コートに戻ると謙也さんと白石先輩がちょうど手を止めたところで、俺に気がついた。俺を交えて2対1をやることになったので、どっちかが俺とペアになる。
「なら、オレとペア組もか」
「いやオレがペアやるから謙也が向こうのコートや」
「なんでや、ダブルスならオレやろ」
争ってはいないが両者一歩も引かない。
「どっちと組みたい?」
「えー、じゃあじゃんけんで」
二人して真剣な顔をしてこっちを見て来た。どっちと組んだら有利なのかはわからん。
そしてすごい迫力でじゃんけんが始まり、1回勝負が3回、5回と発展しはじめた。どういうこっちゃ。
負けた方が出さなきゃ負けや!ってじゃんけんを開始するので一向に終わらない。一生やってろと思います。
ほったらかされた俺は金色先輩にエーンと泣きつきに行く。一緒にいた一氏先輩は最初邪険にしたわりに混ぜてやると言ってくれた。最終的に俺は光とペア組んで四人で試合することにした。わあい楽しい。
俺たちが終わった頃となりのコートでは、白石先輩と謙也さんが白熱した戦いをしており、休憩しながらその様子を眺めた。ああもうすぐ暗くなっちゃうなあ、冬は日が短いなあ。
「、勝ったで!オレとペア組もう!」
「おめでとうございま───え?もう帰りましょうよ、暗いとボール見えづらいし」
白石先輩がドヤ顔で駆け寄って来たが、まさかじゃんけんだったのが試合になってるとは知らなかった。ちなみに謙也さんはコートで屍と化しており、光と一氏先輩につんつんされていた。
今回は先生の家ではなくて白石先輩の家に泊まることになっていた。
家にはご両親とお姉さんと妹さんがいて、全員に挨拶した後で部屋に案内された。部屋の隅にはおそらく俺に用意してくれたであろう布団が積んである。
頭の良さそうな本がたくさん並んでる本棚を、ほわーと眺めた。俺の部屋は大学の教科書類とかたまに買う雑誌くらいしかない。あ、でもたまに宗教系の本とかオカルトの本とか借りたりする。主に本職の人々に。
「いま暖房いれとるから」
「どうもー」
しげしげと本棚を見ている背後で、先輩が快適な環境作りに勤しんでくれている。
部屋あったまるまで羽織っときーとなにやら上着をかけられた。ちょっとでかい、そして白石先輩の匂いがする。
家はもちろん、部屋も、この上着も、俺は隅々まで白石先輩に包まれるような充足感を味わう。この匂い好きだな。
部屋があったまる頃、お母さんがコーヒーを入れて持って来てくれたので、それを受け取った後二人でベッドに座る。トレイは端に置かれて、お互いマグカップを持ったままゆっくり体を温めていく。
「なんか、やっと落ち着いた気ぃするわ」
「あー……はは、うん。疲れたわけじゃないんですけどね」
「いや疲れたやろ、特には体力ないやんか」
「う、うるさい、人並みにはあるし!」
左の肘で白石先輩の右半身を攻撃する。左利きのため左手に持ったマグカップは多少揺れても中身が溢れることはない。
部屋の外では白石先輩のお母さんとお姉さんが、今日の夕飯なに?って言ってるのが聞こえた。俺もあとで一緒にいただく予定なので聞き耳を立てる。
基本的に家では一人だし、依頼人の家に行ったりするときは仕事でわいわいしてるので気にしてなかったけど、人の家で聞こえる声ってこんな風なんだなーと実感した。
「案外声聞こえるんですね」
「え?ああ、そうかもな。あんま気にしとらんかった。うるさくて悪いな」
「いや別に……こっちの声も聞こえるのかなあって思って」
それが日常であればそうだろう。俺だって別に、今日たまたまこのことに気づいただけだ。
「どうやろ、聞こえたとしても大して気にしとらんと思うで?それにあっちは結構声張っとったやろ」
「んー……あの、これだけ」
ちょいちょい、と手招きして、その手を内緒話の形にすると白石先輩は体を傾けた。
跳ねた髪に手を立てて耳を閉じ込める。そこに鼻先を埋めて空間を作り、小さな声を吹き込む。
「すき、だよ」
体を傾けたまま、膝の上にコーヒーが入ったマグカップを置いた状態で固まっている。
こぼれないかな、大丈夫かな。反応を待っていると、白石先輩は右手で顔を覆った。そのままマグカップをどこかへ置こうとウロウロさせたのでとっさに受け取り、自分のとふたつをトレイに乗せてむこうへやった。
「」
「ん?」
「オレも好き」
「うん、嬉しい」
「オレのが嬉しい」
「はあ……そうですか」
ゆっくり抱きしめられて、背中に回した腕でぽんぽん叩く。
なんだこの言い合い、と思っていながらも、自分がドキドキしてるのがわかった。
白石先輩が俺の肩ですうっと息を吸って、はあっと吐く。温かな吐息が布越しに伝わってじんわりする。俺も先輩の首筋で呼吸していたのできっと息がかかってるだろう。
「たぶん、今同じこと考えてます」
「はは」
白石先輩が笑ってゆらゆら体が揺れる。
もう少しこのままでいさせて……と頼むでも約束するでもなく、少しの間そうしていた。
end
またしても歌のタイトルお借りしてます。内容は違うけどね!
Dec 2018