Clotted cream. 15
長い車移動を終えて地に降り立つと、座っていた時の体の重みが足をつたい地面に分散されていくような感覚に深く息を吐く。思い返してみると過去最高に散々な調査だったように思う。
俺に降りかかる被害は麻衣以上のものではなかろうか。
「麻衣、迎えこないのか?」
「うん?ああ、言ってない」
「なんでだよ、呼んどけよ」
リンさん同様に長い運転をしてきたぼーさんが、車に少しよりかかりながら、缶コーヒーをあけた。
ついでに紅茶を買って渡してくれたので両手で包む。
昨夕さらわれて殺されかけた俺は今朝救出されたばっかりで、汚れた服を着替えるだけして帰って来たので心配なんだろう。つまり一睡もしてないということになる。
爪の先でかりかり、とプルタブを引っかいてみたが開ける気にならない。
「ほれ」
「あ、ありがとう」
ぼーさんが片手で俺の紅茶を開けてくれた。
力が入ってないのがバレたらしい。
促されるようにして一口のむと、香りと水分が俺の体内を落ちていく。
「平気か?帰んの」
「うん。ちょっと体固まってるから、歩きたいんだよね」
「でもよー……疲れてんだろ」
「へーきへーき」
へらっと笑ってから缶を持ち上げて仰ぐ。いっきに流れ込んで来た紅茶をこぼさないように嚥下した。
飲み干したことを確認してから最後に缶の表面に垂れる一滴をなめ取り、自販機の隣のゴミ箱に捨てに行く。
「じゃ、また明日〜。お疲れ様でした」
ナルとリンさんと森さんに目で確認してから、みんなに手を振り駅の方へ向かった。
何人かが少し引き止めるような、驚くような顔つきでいたけど、まだ飲み物を手に一服しているところだったので追いかけてはこなかった。
ガタガタと揺れる電車、隣の席に座る人の気配、周囲の喧騒、改札を抜ける時に早歩きで切る風、浮いては落ちる髪の毛、靴底を通して伝わる地の硬さ、そういうのを噛み砕いて味わう。
ポケットに入れた手で軽く弾いて爪を鳴らす。
信号で立ち止まって、ゆっくり目を閉じる。
車が目の前を通った音。
想像してたのよりも遠いような、近いような───なぜだか血が粟立ち、目を見開いた。
なんで今、ぞっとした?
そう考えながら、赤い信号が青になるのを待った。
アンティークに顔を出すと、みんなに寝ろといわれた。よっぽど顔色が悪かったらしい。
エイジくんはすぐに眠るように上の部屋を使えというし、小野さんは静かなところがいいからうちに帰るようにいう。
「麻衣、うちで寝ろ、送ってくから」
「そうだね、それがいい」
圭一郎さんは少しだけ黙って考えてから、車の鍵を鳴らした。それはつまり圭一郎さんの部屋で寝てろってことだ。
小野さんもなぜだか同意している。
近くに住んでいるとはいえ、ここから一番離れた寝床なんだけど。
あれよあれよと言う間に車に乗せられ、圭一郎さんの住むマンションへやってきた。
「夜一回飯作りに帰るから、それまで寝てな」
「あーい」
パジャマに着替えながら返事をした。俺の脱いだ服は後で洗うと回収された。
「その時なんかあったのか聞くからな」
「うーい」
出て行く前に玄関でそう言ってたのにのんびり返事をした。そしてドアが閉まると同時に、枕に頭が落ちた。
本当は眠りたくなかったけど、目は冴えていると思っていたけど、俺の意識は沈んで行った。
目が覚めたらとっぷり日が暮れていた。
フローリングにひたりと足をついて、暗闇の中で寝室から抜けてリビングへ行くとテーブルには夕食が作り置かれている。あ、圭一郎さん一回帰って来てたんだ。
寝間着のまま食事をとって、テレビから流れるニュースをぼんやり眺めた。
去年から何度か子供が行方不明になったニュースと、遺体で見つかったニュースが流れていたはずだ。人数だと、ひとりか、ふたりだったか。
圭一郎さんがそれとなく気にしているのと、ちいちゃんがズバっと無神経なことをこぼしているのを聞いたはずだ。
今日はそういうニュースが流れていなくて、動物園の赤ちゃんゾウが公開された初日の映像とか、テレビで見たことのない俳優の訃報とか、新宿の夜の店が摘発されたとか。
そんな映像を見ていると、人が家に帰ってくる音がして玄関の鍵があけられ、ドアが開いた。
廊下を歩いてくる足音的に圭一郎さんだろう。でもまだ閉店時間じゃない。
「おかえり〜早いね」
「ただいま。そろそろ起きてるかと思ってな」
「そうなんだ。また戻る?」
「いや」
食べ終わった食器をさりげなく片付けられ、居心地が悪くて肩をすくめる。
「ごめん、ぼっとしてた」
「……疲れてるんだろ」
「?」
いつもはお利口な麻衣ちゃんなので、お小言はない。
「うなされてた」
「へ」
が、ちょっとまじめな顔をして指摘されると驚く。
顔に手をあてて、記憶を探る。
夢見が悪かった自覚はあった。時間はわからないけど、圭一郎さんは一度帰って来て夕ご飯用意しといてくれてるから、きっとその時だ。
「そっか」
「なんかあったのか」
ゆっくりとソファの隣に腰掛けて来た圭一郎さんに、視線だけやった。
「……今回の調査、他の霊能者とかも来ててさ、何人か亡くなった」
息をのみ、とっさに俺にかけようとした手はソファの背もたれを握った。
何が原因で、どんな風に亡くなったか、とかは口外してはならない。
なにせ今回の依頼人は大物で、その人の縁者が過去していた凄惨な殺戮を話してしまうことになる。
俺がさらわれ、みんなが今朝ようやく助け出してくれたことも、殺された夢を見たことも、圭一郎さんには説明のしようがなかった。
そしてそれが引き金となり、前に自分が死んだ経緯を思い出したのも、とうてい口にはできなかった。
「きょう、一緒に寝ていい?」
もうほとんどテレビの音は耳に入ってなくて、それでも雑音がすることに安心しながら、隣にいる圭一郎さんに寄りかかった。こめかみを肩に押し付ければ人の身体の感触がする。
自分の生きてる身体だけをたよりにするんじゃ、夜を乗り切れる気がしなかった。
「きょうだけ」
圭一郎さんは何も言わずに俺の頭を撫でてくれた。
清潔なシーツと、人からするボディーソープやシャンプーの匂い、自分のじゃない熱、そばにある存在感をよすがに眠る。昼間あんなに眠ったのに、俺の意識はたやすく落ちた。
どんどん自分を守ってくれるものの感覚が消えていく。
何かを掴めないかと体を動かそうとしても、石のようにかたまってしまって、指一本動かすことができない。
金縛りについて以前ナルに聞いたことがあって、そういえば、首を切られる夢を見る時もこの金縛りについて考えた覚えがあったと、思い出すくらいには冷静な部分が俺にはあった。
もう調査中でもなく、ジーンの誘導もなしに、あの夢を見ることはないだろう。でも、もう一つの夢は俺の深層心理の中にある、まごうことなき経験として再現された。
「、───ぃ、麻衣……!」
「は……あぁ……」
脳では衝撃の瞬間の映像が流れていても、さすがにあの時の衝撃が身体に現れるほど神経の再現力が高くない。
そのため俺の身体が衝撃を受けた状態になったり、飛んでったりすることもないが、心臓が、恐怖が、こころが、死んでしまいそうだった。
「麻衣!」
目を開いても真っ暗で、記憶の中の喧騒や俺の名前を呼ぶ声に勝り、麻衣と呼ぶ声が意識を引きもどす。大きな手が俺の肩を揺さぶり、布団の隙間を泳ぐ風の匂いでようやくここが圭一郎さんのベッドの中だということを自覚した。
「……け、」
「ん」
俺が目を覚ましたのがわかったんだろう、圭一郎さんはそっと息をついた。
少し体を起こして俺の顔をのぞく。とんとんと肩を叩いてから、前髪をすいて顔からどかし、目の下を親指の腹で軽く押した。
涙は出ていないはずだけど。
「何があったんだか、言えないか?」
身体が血で濡れてるんじゃないかって、確かめるのが怖くて、でも体を動かしてみたら服はぐっしょりなんてしてなかった。びちゃ、と濡れた音がする不快感を想像していた俺は安堵して、圭一郎さんの方を向いた。
「おい」
「ねむい……」
「……」
首に頭を押し付けると、呆れたような声が返ってくる。
圭一郎さんは仕方なしに腕枕を作る態勢になって、髪の毛をさらさらと後ろにすいて弄ぶ。
「眠れそうか?」
「うん、もうだいじょうぶ」
腰に置かれた手が一度背中にのぼって来て、ゆっくりまた腰に戻っていく。
その接触がいちいち気持ちよくて、やっぱり人と寝るのは正解だったなとほくそえむ。
腰をとん、とひとたたき。
頬をするりと撫でて後ろに落ちた手。
「───おやすみ」
そしてその一言で、俺は明日も目覚めることができるだろう。
...
こっちの話では、このタイミングでフラッシュバックさせようかなと思って。
アンティークって、表情で物語ってる部分たくさんあって、それを文章に起こすのはなんだか野暮な気がしてきました。圭一郎さんの嫌悪?トラウマ刺激の部分とか。
彼はうなされてても覚えてなくて、男にすがりついた時は恐怖を思い出してしまうけど、主人公は逆に人肌にほっとするんじゃないかなと思って今回書きました。
一緒に寝てって言ったのはリンさんにすがりついた時に味をしめた(語弊)からです。
Mar 2019