Desert. 05
閉会式後、選手たちとは改めて対面したけど人数が多いので幸村先輩と個別にやり取りをする機会はなく、控室を後にしたあとはもう移動を待つ時間だけが過ぎていく。きっともう、選手は打ち上げ会場へ行っただろうし、俺たちもメンバーとホテルに帰って打ち上げかな……。
ところが、迎えの車がまだ来てないらしくてしばらくスタジアムの中で待機していることになった。
暇だし、せっかくだからとフラフラ散歩をすることにした。
まだ余韻が抜けないというのもあって、コートを覗きに行ってみる。さっきまでの熱狂が嘘みたいに、人っ子一人いない客席が広がっていて、ゲートのところからは出ないまま、眺めるだけに留めた。
「ぅわ、」
「……っと」
帰ろ……と踵を返した途端に、目前に人がいて、どんとぶつかった拍子に身体が跳ね返る。
咄嗟に相手につかまり、向こうも俺の肩に腕を回して支えた。
「幸村先輩……」
「こんなところにいたんだ」
「あはは……先輩こそ、もう移動したと思ってました」
「ちょっと忘れ物」
もうよろけないから、と俺を掴む腕に手をまわすけど、離れていく気配がない。
結構距離が近いまま、ほんの少しだけ上にある顔を見る。
こっそり、前ほど差が無くなったことを実感した。
「応援きてくれてありがとう」
「いえ、ずっと来たいと思ってたし……それにしてもよく俺に気づきましたね」
「声がしたから」
「聞こえます……?普通」
周囲は大歓声だったはずだ。
俺の応援にも熱が入ったけれど、先輩はコートの中にいた。俺が来ていることだって、知らなかったのに。
「だって、好きな人の声だ───聞こえるよ」
そんな声でかいかなあ俺、と半笑いでいた顔が、その言葉を受けてわずかに固まる。
「へっ、え……?」
「俺の夢はね、が応援に来てくれること。今日、やっと叶った」
身じろぎをすると、逃げるとでも思われたのか腕を掴まれた。
その手の力は強くはないけど、熱い。痛くないのに皮膚に焼けつくみたいに感じられた。
「そんなこと……?」
「そうだよ。でもこれって、の夢と似てないかな」
けして夢を馬鹿にしているのではなくて、俺たちは互いに、ささやかなことを原動力にしてここまで走ってきたのだと理解した。
でもその積み重ねが、今までの途方もない努力を、涙を、幸せを、肯定してくれる。
「が歌うそばに、俺もいたい」
腕を掴む手が滑り、背後の壁に閉じ込められるようにして身体が重なる。
前にしたハグよりももっと密着していて、今までのどんな触れ合いよりも近かった。
体温も匂いも、夏だからか、より強く甘く伝わって来た。
幸村先輩が肩に羽織っていたジャージの中に、腕を滑り込ませるようにして背中に手を回すと、ジャージが地面に落ちた。
「夢や目標はもちろん、たくさんある。でもが俺の夢を応援するというのなら───この夢を一緒に追いかけようよ」
首筋に触れる吐息が、いつか俺の汗になりそう。
癖のある髪が俺の肌をくすぐるのも、俺の背骨を這う腕も、過敏になった今はすべて跡になるんじゃないかと思えた。
「声だけじゃなくて、心も身体も、そばにいて」
ゆっくりと緩む腕と、離れる胸の隙間が切なくて、は、と息を呑んだ。
思わず熱を取り戻すように身じろぎしたのを、気づかれたくなくて俯いた。
広いテニスコートと観客席も、先の見えないゲートの闇も、俺たちを二人だけの世界にしてしまう。
いずれ、それぞれの場所に戻らなければならないのに、この気持ちを知ったらもうだめだった。
「俺の全部で、そばにいたいです」
「……うん」
意を決したら、わななく唇が少しずつ落ち着いてきた。
「離れたくない」
いつも自分の感情に鈍感な気がする。好きだと気づくのも、寂しいと気づくのも、あの時辛かったな、幸せだったな、と後から知る。
だから気持ちが分かった時、一人で納得して呑み込むばかりで、今更になって伝えようだとか思わなかったけど───これはきっと、数年越しに、幸村先輩にずっとずっと言いたかったことだ。
癖のある前髪を、おもむろにかき分けて、あらわになった額にキスをする。
「っ」
幸村先輩は少し目を見開いた。こんな、子供同士の戯れとか親子の愛情表現みたいなそれは、この場にそぐわないかもしれない。
「これ、あの日の続き?」
お母さんとの最期に、名残を惜しんでしたのと似ていて、きっと俺自身が寂しいのと、離れたくないのとで、ままならなかった。
「うん。───でも今のはただ、おでこが可愛いから」
あの日の愛着を、ゆっくり恋と自覚した今なら、このキスは少しも虚しくないのだと分かった。
「じゃあ俺も、あの日できなかったこと……」
幸村先輩は、笑ってそういいながら俺の唇にゆっくりキスをして、離れた。
最初は一瞬だけの、何もわからないくらいの触れ方だったのに、何度か角度を変え、ちゅっと啄む。
俺はもう孤独を恐れて逃げるようなことをせず、腕の中で目をつむった。
(エピローグ)
スマホの短い通知音で目が覚めた。
とはいえ、これが原因ということもないだろう、たまたま眠りが浅くなっていて、起きようとしてはいたんだと思う。
でも時間を見てみれば結構早い時間で、つい4時間くらい前にベッドに入ったところだった気がする。
近頃すっかり夜型だったから、晴れた日の朝に心地良いはずの太陽の光が、ツンと脳にまで突き刺さるみたいな衝撃がある。
ベッドから手を伸ばして、カーテンを開けてみるんじゃなかった……。
ゆっくり起き上がり、スマホに来ていた連絡を見てから、ノートパソコンを開きメールを確認するとデータが添付されているのがわかる。
雑誌の取材を受けたので、編集者から確認してほしいとの連絡がありマネージャーを通して俺にデータが送られたのだ。
たいして取れてない睡眠時間の上、起きたばかりで文字を読むのが辛いな……と目をこすりながらも気になっていたのでデータを見る。タッチパッドに指をつつと滑らせ、スクロールをしながら数ページにわたる文章の塊を眺める。
内容自体、事務所が確認してくれているから問題ないと思うのだが。
しいていうならどの写真が使われたのか気になるくらいで───と、椅子に行儀悪く座って、立てた膝に肘を置いてた俺は、そのままの体制でふと目を止めた箇所を凝視した。
「あれ、仕事してる?」
「……ぁ───おかえ、りなさい……?」
部屋に人が入ってきたことにも気づかないくらい、寝ぼけてたのか、それとも気をとられていたのか。
背後からパソコンを覗き込まれて、思わず手が浮いた。
別にみられて困ることじゃないので、振り向いて、おそらく朝のランニングへ行っていたことに対する労いを言えば、もうとっくに帰ってきて、汗も流した後だった。
シャワーの音してたかな……?と首を傾げそうになるけど、きっと寝てて気づかなかったんだろう。
「昨日も夜遅くまで起きてたのに、平気?」
「うん……なんか目が覚めちゃったし」
朝ごはんは、ランニングの帰りに朝市に寄って買った、サラダとパンがあるそうだ。眠いより食べたいが勝り、やったーと喜ぶ。
「ハムとチーズどっちがいいかな───あ、これチェックしてって言われてたから見てたんだけど」
「ああ、この間の対談」
いそいそと朝食の準備に取りかかる前に、気になることだけは処理しとかなきゃと画面を指さす。
俺が今現在データを見ている記事は、俺たちが対談をした記事だった。
月刊プロテニスから、プレーヤーの幸村精市×歌手ので対談をしないか、と持ち掛けられたのは数カ月前のことだった。
なんでこの組み合わせ?と言いたいところだが、今までも何度か、選手の根底にある部分に触れようという試みで、感銘を受けた人とか物とかを特集していたのだそう。
その一環で、幸村精市が一番気になる人、ということで俺に声がかかった。
ただ好きな芸能人というだけでは本来事務所もオッケーしないし、向こうだってオファーしてくることはないのだけど、俺たちは中学時代の先輩と後輩で面識があり、それから十年間、親交がある。
それに俺が作曲期間として仕事をセーブする時に、一緒に過ごしていることを、知っている人は知っているのである。
今も、フランスに長期滞在しているところに俺が泊まりにきていた。
「……、これ、誤植かなって」
「プロフィール?」
背もたれに肘をついて、言い淀む俺を覗き込んでくる。
俺たちの対談の記事ではそれぞれ写真の中にプロフィールが箇条書きになって紹介されていた。身長とか利き腕とか出身地とかから始まって、好きな花とか本とか、よく聞く音楽とか。
好きなメーカーはそれぞれスポーツと楽器のメーカーを挙げるなど、見てると面白いことがあるんだけど、ふと目についたのが好みのタイプを聞かれた項目で、二人とも「夢を追いかけている人」と書かれてる。
「ほら、おんなじになってる」
「同じだね。そういえばの好みって?」
「え……?」
「うん?」
しばらく顔を見つめ合って、やがて気づいた。
笑いあって、そうか、と納得して、俺はメールに返信をした。
特に直してほしい部分はないので、オッケーです、と。
end.
サラダは気づかなかったかもしれない恋ですが、これは甘いチョコレートになる恋なのでこのタイトルです。それはわたしのくちびる~。
あの日のおでこのキスは情緒不安定だったのでお母さんを重ねつつ、でもあの時から好きだったので、自分でもよくわかってなかったんだけど、今はこんなにフランクに愛を示せますという……(解説下手くそ芸人)。
好みのタイプ→ >>>>両(片)思い<<<<
この記述を見た人からザワザワされてくれ。
April.2022