Soup.02
お母さんが亡くなってから新しい学校へ来て、一年が経とうとしていた。
大きな出来事もなかったけど、けして退屈ではない毎日は、あっという間だった。
暮らしに慣れ、この場所や周囲の人を好きになっていく過程で、心は少しずつ癒えていった。
この頃には、成り行きとはいえ、クラスメイトの財前に自分の口からお母さんの死を話せるようになっていた。
隣の席になって、たまに話すようになって、互いに知らない事ばかりだったけどこんな風にして徐々に知り合っていくんだろう。
初めて寄り道して、初めて一緒に帰った日のことだ。
「前の学校で委員会とか部活とか入ってたん」
「はいってたよー。園芸委員で、演劇部」
もうすぐ卒業式だとか、進級だとか、どんな委員会に入るかを話していた流れで、財前は前の学校でのことを聞いてきた。神奈川の学校に通ってたことは、たしか知ってたはずだ。
「へえ、意外」
「どっちが?」
「どっちも。花愛でるように見えんし、演技しとるとことか想像つかん」
「そう?演劇部は声が良いってスカウトされたんだぜ」
花を愛でるかどうかは、適当に入った委員会なので何とも言えないけど。
「声はたしかにデカいな」
「なんで声デカい話になるんかな?そんなにうるさくしてないもん」
「……谷山は、歌、よく歌っとるイメージやし、軽音部とかなら分かるわ」
「演劇部でも歌うよ、ミュージカルだったから」
「どんなん?」
通行人の少ない、けれど車が走る道だったから、学生が歩きながらしゃべっていてもさほど迷惑にならないだろうと考えて、控えめに前奏を口ずさむ。
「I dreamed a dream in time gone by」
車の排気音に遮られないよう、財前に肩をぶつけて、耳元でワンフレーズ歌った。
「───!」
「知ってる?」
海外のオーディション番組で、誰かが歌ったのが有名かもなと、英語の歌詞をチョイスした。
「知っとる……さぶいぼ立った」
「うははっ」
財前のばっちり開いた目が、一瞬泳いで自分の腕に行く。
袖の中を覗き込もうとしたけど、すいっと腕を隠されてしまった。
「ほか、どんなん歌えるん」
「え、ほか?」
「好きなアーティストとかおるんか」
「ぐいぐい来るな」
聞けば財前はイギリス系インディーズというコアなジャンルの音楽が好きで、俺のわずかばかり披露した歌声を気に入ってくれたようだ。
音楽トークで盛り上がるにはちょっとブランクがあるので言葉を濁したが、財前は何やら考えた後に口を開く。
「うちの演劇部は歌わんし、軽音部も活動しとるとこあんま見たことないな」
「そか。まあ部活は今更入る気、あんまないしな」
「やりたなったら、バンド組んだらええんちゃう。うちの先輩ら漫才コンビ組んで、ライブとかやっとるわ」
「はは、たのしそ」
財前はなんだかんだ、家のすぐそばまで送ってくれた。
思いのほか音楽トークで盛り上がったこともあったけど、おそらく外が暗くなったからだろう。
しかも翌週にはおすすめセレクトのCDを持ってきてくれて、それ以降何かと話すことが増えた気がする。俺としては趣味の合う男友達って感じだったし、雨に降られてジャージをかりて、財前の家で着替えをうっかり見られて性別が男であることを知られてからは、もっと気心が知れた本当の男友達になったと思う。
ある日の昼休み、財前の教室に行くと机の上にはテニスの雑誌が置いてあった。
借りてたCDを返すのとお礼におやつをあげて、ついでに俺は菓子パンを食べるつもりで前の席に座る。
「めずらし。財前が音楽雑誌じゃないの読んでる」
「オレが何部なんか言うてみ」
「何部……?麻衣ちゃんず?」
「そんなダッサい名前のバンド入った覚えあらへん」
CDとともにおやつを渡すと、んっと受け取られる。
そもそもバンドは組んでない。ただ財前は趣味で作曲をするし、俺に歌わせるのが好きなのでよくつるむだけだ。
「知ってる人載ってるかな」
「誰なら知っとるん」
雑誌をまじまじと見つめると、読むかと聞かれて指でつついた。
「白石選手の大ファンですー」
プロの人とか知らないしな、と思い、もう卒業した知ってるテニス部の先輩を言ってみた。
「うそくさ。……あの人は今回載ってないけど」
「載ってたことあんのか」
そしたら予想外の答えが返ってきて、ついて行けないでいる俺をよそに財前は雑誌を開いた。
「注目選手とかやったら特集組まれる」
「ほえー」
財前がページを2回くらいめくった後に出てきたのは、見覚えのある姿だ。視線が釘付けになる。
「立海───神奈川やし、学校名くらい聞いたことあるんちゃう。中等部あったし」
「まさに前の学校だわ、知っとる知っとる」
「……通ってたん?」
「ウン」
今度は財前がびっくりする番だった。
「これ、誰だかわかるんか。中学から有名やった」
「幸村先輩でしょ。……やー、お元気そうでなにより」
目を細めて、しみじみする。記事にも、『病を克服し、再出発』などなど書かれているので財前ももちろん知ってるんだろう。
顔写真とプロフィールのところを見て、今更ながらに誕生日や血液型を知ったり、好きな本に『夜間飛行』『詩集(フランス系)』と書かれてるのを見て、変わってないなと思ったり。
───テニスができない時、心の支えになったものは?
インタビュアーの問いかけに対しての幸村先輩は、仲間や伝統に対する責任を語った。真面目な彼らしいなと思う一方、一緒にテニスをしてきた仲間を大事にしているところが垣間見えて笑みが零れた。
そしてふと、目についたのが『どうしても気分が晴れない時は歌に救われた』という一文。
俺の声がまだそこに残ってるのかなと期待した。
「これ、まだ本屋売っとる?」
「そこまでか」
「幸村選手の大ファンです」
今度はほんとに、と付け足すと先ほどの白石先輩に対する発言が全くの嘘だということが証明され、財前はフッと笑った。
どうやら高ポイントだったらしく、もう少し読んだら譲ろうかと提案されたけど、せっかくなので本屋で買うと息巻いて帰りに一緒に書店に付き合ってもらった。
「ほんまに神の子のファンなん?意外や」
「そう……?本当に憧れてる部分があるんだよね」
書店で無事購入してほくほくした俺を、財前はじろじろ見る。
音楽でも勉強でも買い食いでもないことにお金を使っているのが、とても珍しく見えたらしい。
「お母さんが亡くなる前までな、ちょっと、歌手になりたいなって思ってた」
「……」
「ちょうどそのころ幸村先輩が倒れて入院して、テニス選手として復帰できないかもって聞いたんだよ」
財前は静かに俺の話を聞く。
書店のある駅ビルから出て自然と人の少ない方へ足が向いた。
「立場違うけど、なんか、ええなって。心折れずに頑張ってる人見てるの」
「折れたんか?自分は」
思いがけない財前の言葉に、俺は足を止める。
「折れたってか……ここで、いいかなって」
「ふうん。───オレは、谷山のファンやけど」
お母さんの死は、俺の生活やこの先の生き方を変えるには十分な出来事だった。
かといって、夢を諦めるほどの絶望ではなかったはずだ。
理由を探してた。
でも、財前が俺の名前を口にしたとき、何もかもが吹っ飛んだ。
end.
ピとの友情はどの世界線でも不滅だょ。幸村の心の救いが主人公だけじゃないように、主人公の夢を見直すきっかけもベスト・フレンドがかかわった方が青春っぽい気がした。それが人生。
名前呼ぶタイミングは今でしょ。
でもちゃんと(?)幸村と出会ってなければこの夢を抱くことはなかったので。
色々なことの積み重ねと、組み合わせと、時には何かが触れ合わずすれ違うことで今があって、どんな今でも間違いじゃないし、たったひとつの運命でもある。
Apr.2022