Sunrise. 05
麻衣という名前じゃなくなって、財前があの日呼んでくれた名前に変わった。平日のまだ授業中であろう時間、財前にはメールで告げた。休み時間に打ったのか、しばらくしてからそうかと短い返事が来てた。
やけにあっさりとしたやりとりだったけど、そりゃそうだ。
俺と財前の間では俺の名前はこっちなのだから、大げさな事でもないんだった。
休学ではないけど自宅学習みたいな形をとった俺はアルバイトに精を出す。
週5日で働いているのでそれなりだが、正直な話ナルのところでバイトしてた方が楽だし給料良かった。まあ……怖い思いもするけど。
焼き鳥屋さんのバイトをしてたら綾子たちが来てしまって驚いたけど、麻衣だったころの知人にはまだ遭遇していない。
そんな日々が続いて、もう半年くらい経った。
身長は結構伸びた気がする。声はすっかり低くなった。
交差点の向こうから、同級生が歩いてくるのが目に入った。彼らは四人くらいでおしゃべりをしていたけど、前を向いていないわけでもない。俺の姿も視界にはいってるだろう。今更慌てて逃げるのはおかしな気がしたので、堂々とすれ違った。……すれ違えちゃったよ。
特別親しいわけでもなかったが、かつて毎朝顔を合わせていた子たちだった。
今の俺はどこからどう見ても普通の男にしかみえないし、例えば麻衣のままだったとしても気づかない可能性だってあるけれど、そんなもんかと拍子抜けした。
寂しくないと言ったら嘘になるが、分かっていたことだったし、正直ほっとしていた。
環境が変われば友人も変わるし、時が経てば、人は人を忘れる。
俺が最初に切り離した関係なのに———、
「ひとりってさびしんだな……」
かつて財前に零した『予感』が的中した。交差点の真ん中で立ち尽くすことにはならなかったけど、世界中から置いて行かれたような気分だった。
立っていられないわけじゃない、けど、家に帰りたくなった。
でも、家に帰っても誰も居ない。
うわ……俺急に泣きそんなってる?と思いながら気を紛らわす為に財前に電話をしてみた。
もう20時過ぎてるから部活は終わってるだろう。
『はい』
「あ、財前くん?いまひま?おしゃべりしよ?」
『ええで』
珍しく快諾されて、あれ?っと首を傾げる。
いつもならうっとい誘い文句すんなや、とか言いそうなんだけど。
向こうから、「なんや財前、彼女か!?」「ウノどないすんねん」などの声が聞こえる。すぐにその声は遠ざかり、多分財前は席を外したんだろう。
「もしかして合宿とか?」
『おん、罰ゲームつきとか参加したないねん』
財前はかったるそうに言った。
「なんだ、邪魔しちゃったね〜ごめんごめん。声聞きたかっただけだからもう良いよ、おやすみい」
『は?おい』
普通に切ってから気がついた。なんで切っちゃったんだろう。
別に、皆でワイワイしてるのが羨ましいとか、ぞんざいに扱う財前が憎いとかそんなんじゃないんだけど。
財前には勿論ちゃんと友達も居るから、俺が独占したら悪いなって素直に思っただけで。
ひゃー……やきもちやいちゃったかもしれない。やだはずかしい。
俺は部屋の床に踞った。
この後弁解メールでもしようものなら、何かありましたって言ってるようなもんだし、だからってまた電話をするのも変だ。
携帯をテーブルの上においてちょっと距離をとった。
シャワー浴びてすっきりしよう。うん。
きっとちょっと疲れてて、ちょっと人恋しくなっただけだ……。
お風呂上がりに携帯を確認しても財前からのお咎めは特に無かったのでほっとして、よしもう寝ようと意気込んで寝た。
やっぱり疲れてたみたいで、驚く程あっさり眠ってしまった。
夢の中でジーンに助けを求められ、俺は目を覚ますなりあんましまわらない頭で家を出た。鍵しめたっけ。まあいいや。
とにかくタクシーをつかまえて、ジーンの言う学校とやらに向かってもらった。
うとうとしながら説明を聞いて、囚われのナルちゃんの状態を把握する。
麻衣ちゃんと才能のベクトルが若干違うから一か八かだったけど、俺の九字は知ってる通りに霊を落とし、恐らく火傷を負わせた。南無三。
「麻衣」
「———、」
久しぶりに名前を呼ばれた。いや、俺の名前じゃないか。
「じゃ、ないのか?」
去ろうとした俺を呼び止め、振り向かせようとするナルにさりげなく抵抗する。
「俺、麻衣じゃ、ないよ」
急に不安になる。麻衣が本当に壊れてしまう。俺で、いいのか?
葛藤をよそに、前から来たリンさんに谷山さんと呼ばれて、ナルに顔を見られて、「麻衣じゃないか」と言われた。そうか、ナルにとっては俺が麻衣なのか。
すとんと心におちてきた。
ナルや他のメンバーに正体がバレた。バレてみるとすっきりしてしまった。
ちょっと仮眠をとらせてくれるってんで寝てたら、ジーンに会い、ナルに起こされた。帰る支度をするっていうけど、まだ朝六時じゃないですかあ。
携帯を見て時間を確認した瞬間、着信が入る。え、財前じゃん。
「あ、———もしもし?」
『今どこおんねん』
「なに?どした?」
『家の鍵あけっぱやぞ』
「え!!やっぱり?そんな気してた……!ん?財前俺んちいんの!?ま、ちょ、ごめん留守番してて!!」
ナルの前で電話に出て勢い良く会話をしたあとすぐに切った。
急いで帰らなきゃって思ったけどよく考えたら、財前が留守番しててくれるだろうから、防犯上は特に問題ない、かな?いやでも財前なんで居るのか分からないし、悪いから早く帰らないとだな?
「財前……前に会った?」
「そう、なんか今うちに居るみたいだから、タクシーで直接帰るね」
「なんでこんな早朝からお前の家に居るんだ」
ナルの言う事はもっともだし、そりゃ俺も聞きたいけど、なんとなく思い至ってしまった。
「昨日俺の様子がおかしかったから?かな?」
「どういう意味だ?」
「ちょっとへこんでて、自分から電話したのにすぐ切っちゃった」
「随分殊勝なお友達だな」
そっけない感想が返って来る。
「心配してくれてたのかもね〜、ありがたいありがたい」
「———何かあったのか」
「別に何も?ただ、……寂しくて、声が聞きたかった———俺を知ってる唯一の人の」
「ふうん、……彼は知っていたのか」
「そう、ドジして身体みられちゃってさ」
「馬鹿だな」
廊下をスリッパでぺたぺた歩く音がする。俺が自分でドジって言ったのにわざわざ馬鹿に言い換えるとか、さすがナル。財前の毒舌より切れ味が良いぞう。
「皆に宜しく伝えて———」
「」
皆のところに顔を出さずに帰る予定だったので、ナルに別れを告げようとして呼び止められる。問題は解決したんだったな?と言われてこくりと頷いた。
そうしたら、またバイトに誘ってもらえて、俺はふっと笑みがこぼれる。
「うん、———やる」
力の無い笑みを浮かべている気はしたが、ナルはアホ面だなんて悪口をいうこともなく少し満足そうに口元に笑みを浮かべた。貴重な微笑みをありがとう。
帰宅したら7時をまわっていて、財前が不機嫌そうな顔で俺の部屋でくつろいでた。寝ててもいいのに。
「ただい、ま?」
「おかえり」
う、ナルと違ってこういうとこ普通……すき。
「朝帰りとはええご身分やな」
「あ、すんません、その、……とりあえず朝マックでもする?奢るし」
「めんどいからそこのコンビニでええわ」
財前はのっそりかったるそうに立ち上がった。
俺は鍵を持ってすら出てなかったらしく、ん、と鍵を差し出されて肩をすくめる。不用心すぎるやろとちくちく言われたので、真夜中に起こされて向かったんだと言い訳させてもらった。
コンビニではもちろん俺がお支払いをし、アパートとコンビニの間にあるしょぼい公園で朝ご飯を食べた。
「財前寝たの?」
「バスでちょっとは」
「ああ、夜行バスね……合宿どこでやってたの?大阪?」
「…………普通やな」
財前はまじまじと俺の顔を眺めた。
「やっぱり昨日の俺、おかしかった?」
「普段は喋りたいから電話するくせに、声聞きたいってなんやねんって思たわ」
「アハハ」
そういえばそんなこといった。でも本音だった。
「すっかり立ち直っとるし」
「なんかごめん」
「大阪から来たった俺がアホみたいや」
本当に大阪から来てくれたのか。そう思うとじいんとする。
「前のバイト先の人に会わなければ多分、財前が来た事で感動して泣いてたぞ……面倒な事にならなくてよかったじゃん」
「泣き顔拝んだろと思って来とんねん、泣いて喜べや」
「無茶ぶりしやがる……」
俺はカフェオレを振って中身が空っぽになったことを確かめる。
唇をちょびっと突き出してふてくされてる財前をちらっと見た。思えば、こんな朝っぱらから来てくれて、本当にイイ奴だ。
立ち直ってたとはいえ、まだありがとうの一言も言ってない。
「光」
なんで名前で呼ぶんや、といつぞやの俺のような事をもそもそいいながら、一度こっちを見た目をそらした。
「会いたかった……ありがと」
「……おん……」
目を合わせてくれる事は無かったけど、口元を少し指先で弄びながら頷いた。
若干眉を垂れて、目元が優しくなったような気がする。
「心配して来てくれて嬉しいよ」
泣く程切羽詰まってたわけじゃないんだけど、じわじわと熱いものがこみ上げて来て、泣きそうになって来た。やだ、無理。
そっぽ向いて、もうええわって言ってる光の肩におでこをぶつけた。顔を見えないようにしたくて。
「……?」
「なまえ、呼んでくれたね」
「呼ぶやろ普通」
「光は特別なんだって」
涙を零さないようにしてるせいか、口はよく滑る。
今までおさえていた感謝の気持ちとか、嬉しさとか、寂しさとか、色々混ざって出て来てしまった。
「光、だいすき」
全部ひっくるめて、もうこれしかなかった。
へらっと笑って、人生で一番熱い友情を吐露したような気がする。俺はこの日の事を多分忘れないだろうし、……後悔はしないけど、思い出す度に恥ずかしくなるだろう。
そして、光が目ん玉かっぴらいて顔を真っ赤にしたことも思い出すんだろうなあ。
動揺し「ちゃうぞ、いや、自分なにいうとんねん、ちゃうやろ……!?」と言ってる光景は面白くって、俺は大笑いし過ぎて泣いた。
end
短く終わった気がするけど、そもそもwestが意外にも長く意外にも財前くんと友情しすぎただけで、本当にただ小ネタだったんです……。
白石先輩恋心返り咲きしないの?とか性別バレは?とか財前くんとのその後は?とか色々かけてない感じあるので……またいつかちまちまやれたらなあと思います。
Sep 2016