I am.


Clear. 08

車でリンさんに送ってもらって家に帰ると、綾子が玄関で待ち構えてた。
最近具合が悪そうだったのも、勝手に家を出て行ったのも、こんな時間まで帰ってこなかったのも、いろいろと心配してたらしく怒られた。
父さんも母さんも今日は遅くなるって言ってたけど、俺のことが伝わってたらしく、綾子は俺が帰るなり二人に電話を入れていた。

薬を飲んで寝ている、多分夜中くらいに父さんが部屋に来た。
額に手をあてて様子を見ているみたいだ。
小さく声を出すと、俺の意識が浮上したことに気づいて、少し謝られた。
「…俺、医者にはならない」
「そうか」
「ごめんなさい」
不思議と泣きたくなった。
責められないことは知ってたし、どんな道を選んでも認めてくれると信じてる。
それなのに心のどこかで、医者にならないと決めてしまったら、失望されるかもしれないと恐れることがある。
なにか真剣な夢を見つけて、そうしたいと胸を張って言えないと駄目だと思ってた。
俺はまだ仄かな希望しか口にできないけれど、それでも見つけてしまったから、父さんに謝らないといけなかった。
「いいよ」
ぎこちなく頷いた声に、安心して眠った。


家庭教師の先生には志望校の変更が伝えられ、俺の課題の量や日々の授業内容は少し変わった。
仮にも受験生なので毎日勉強はするようにって言われてるし、習慣にもなりつつあったのでこなせている。今まで張り詰めて、どこか暗い気持ちでやっていたそれは、無意味なものではなかったと思う。
前のままでいたら俺はもしかしたら、ずっとぬるく生きていたかもしれない。

「なんか、声変わった?」
「へ」
リハーサルで体育館を借りていた時、滝川先生に言われて首をかしげる。リアクションに伴ってばいーんとギターを鳴らしてみたが、空々しく響く。修もジョンも滝川先生同様俺をまじまじと見てる。
「変ですか?風邪でもひいたかな……」
んんっと咳払いをしてから、あーと声を出す。
「いや、そうじゃなくて」
「どこもおかしくないですよ、ただ、なんやいつもと歌声がちゃいますね」
修とジョンも感じていたらしい。
喋る声自体に変化はなく、歌い方がかわったのかもしれない。
「深みゆうんですやろか」
「あと、伸びが良い?」
「喉の調子はどうよ、月島」
「絶好調ですが……どうしたらいーの?」
自分ではわからないんだけど、三人がこうも反応してくると、ちょっと不安になるじゃないか。
しかし、だめなのかと身を縮こまらせるとみんなそうじゃないと言ってくれる。
「前は、疲れてたみたいだし、それがなくなったからかな」
「ほんなら回復できたゆうことですか?」
「かもね」
ちょっと立て込んでた時期の俺を心配してた二人は胸をなでおろして微笑んだ。
滝川先生も、俺を労うようにぽんぽんっと頭を叩く。
「ま、この調子で明日の本番も頼むぜ」

明日はとうとうライブ本番だ。ジーンは間に合うように帰ってくる予定だったのに、学校には来ていない。
帰りに店によると、リンさんが遅れて今夜着くらしいと教えてくれた。
「ジーンには伝えておきますから」
「……うん」
明日がライブなことは、俺からもジーンからも聞いてリンさんは知っている。
時差ボケで大変かもしれないし、無理してこいとはいわないけど、でも己の欲望に負けて素直にうんと頷いていた。
俺が今胸を張ってできること、ジーンが褒めてくれたもの、それは歌しかないのだ。
一緒に居られる時間は残りわずかしかない。せめてそれを見て欲しいと思うのは当然のことだった。
同時に、ジーンにそれを見られるのが少しだけ怖くもある。

不思議と目を覚ました明け方、部屋は青白く、寒々しい。
冬の朝の空気を入れてみたくなって窓を開けると、小さな声で名前を呼ばれた。
え、と思いながら下を見ると、家の外にジーンがいる。まさか寝ぼけたかなと思ったけど、多分本物。
着替えて外へ行くと、本当にジーンがいた。
「なんでいんの?」
「帰ってきた」
あはっと笑っているジーンにつられて笑いそうになる。いやいやそうじゃない。
今何時だと思ってんだ……時計見てないけど。
「眠れなくて、に早く、会いたくて」
「そう」
こそなんで起きてたの?僕の心の声が届いたのかと思った」
「さあな」
お前のことなら考えてたけど。
それは言わずに、コートのポッケに手を突っ込む。
ジーンの言葉がいちいち胸に響いて、目の前にいる本人に、胸があつくなる。
「まさか本当に会えるとは思ってなかったけど……よかった」
「今日学校くる?」
「もちろん」
じゃあいいじゃん、と言いかけて本音ではないのでやめる。俺だってよかったと思った。
ふいに、ジーンは俺の顔をじっと見つめる。
「顔色は悪くなさそうだ……ああでも眠そう」
「今日だけな、こんな時間に目がさめた」
家から離れるために歩き出す。
万が一家族に会ったらなんか恥ずかしいし、起こしたら悪いから。
「リンから聞いた。やっぱり無理してたんだって」
「もうしてないもん」
ふいっとそっぽむくと、隣でため息が聞こえた。
「僕がいない間にが辛い思いをしていても、僕は何もできない」
「そもそもいないんだから仕方ないだろ、俺だっておまえの代わりにナルをぎゅっと……」
抱きしめるジェスチャーをして、固まった。
また俺は問題発言をかました気がする。隣が見られません。
おずおずと手をポッケに隠そうとして、片方が繋がれる。
お互い冷たい手は一向に温まらず、動けないまま外気に触れ続けた。
「医者になるのやめたよ俺」
「うん」
あてもなく、ただ道を歩いていると坂道を登りきっていた。
見晴らしの良いこの場所は、自分たちの通う学校や、ジーンの家の方まで見える。
朝日がたくさんの家の屋根に反射して光っていた。
「ジーンみたいにはなれないな」
「僕とは違う」
「知ってたけど、試してみたかったんだ」
「どうだった?」
「疲れたし、しんどかった。でも、いい経験になったよ。医者にならないことを決められたしな」
些細なことだけど、俺にとっては一歩になった。
こんなものでは恥ずかしいが、はにかみながらジーンの方を見る。
「頑張れそうっていったのに、頑張れなくてかっこわるいけど」
「医者にならないと頑張ったことにならないわけじゃないだろ」
「そうだけどさ」
繋いだままの手を離せず、反対の方の手で頬を掻く。
は頑張ってるよ、それにかっこいい」
ジーンは綺麗だなあ。
微笑みを見ながらただそう思った。
姿形だけじゃなくて、その言葉も、気持ちも全部綺麗だ。
悩んで、卑屈になって、恋をして、音を濁らせたこともあったけど、俺は多分もっとずっと、色々なものをジーンに澄ませてもらったように思う。
滝川先生が言うように歌う声が変わったのも、勉強をやめたり医者にならないと決めたからじゃなくて、ジーンのためだった。

「ジーンが認めてくれたものを、大事にすることにしたんだ」
「え?」
そろそろ帰らないとと、来た道をそれとなく引き返す。どうせだから行きと違う道だけど。
「最初はさ、そればっかりを信じるわけにはいかなかった」
ゆるく繋いでいた手を、しっかり握った。
「詞とか歌とかさ、それで食ってこうとか、目指すのは難しいだろ」
「そうだね」
「でもそんなことまで考える必要ないよなって」
家の近くまできたから手をははなす。
「ジーンが……好きだって言ってくれることのほうが、大事だと思ったんだ。……今日のライブ頑張るから、聞いて」
「それなら、歌だけじゃないよ」
立ち止まったジーンを置いて一歩進んでしまった俺は、言葉を受けながら振り向いた。
「僕はのことが好き───ううん、大好きだ」
初めて会った夏の日のように腕を掴まれた。
まるで、愛の告白をするような、顔をして。
でもあの時みたいにすぐに腕をはなされて違うと否定されたりしなくて、ぎゅっと抱きしめられて、俺はされるがままにぽかんとしていた。
───先を越された。
ライブが終わったら言おうと思っていたのに。
いや、違うか、俺はもう出会った時から先を越されてたんだ。

せっかく言われたのに、ろくに返事もできず、家の前で別れた。
どうせ俺はライブの後ってもったいぶっていたんだから、歌った後にちゃんとしよう。
マイクスタンドの前に立ち、眩しい舞台の上から暗い客席のある体育館を見やる。
ひとめでジーンの姿を見つけた。
それだけで心が綺麗になっていくように、胸がふるえて笑みがこぼれた。


end

耳をすませる話じゃないんだけど大事な部分は一緒じゃないかなあと思うです。
好きなひとが、できました。っていう話。
今年はナル誕ではなくジーン誕を祝いました。はぴば。
Sep. 2017

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