I am.


Destiny.  IF リン

気づけば春になり、学年が一つあがった。
誕生日はまだ先だけど、十八歳を意識するようになる。───カウントダウンが始まった、というような気持ちで。

十八歳までに運命の人と結ばれればこの難儀な体質とはおさらばで、逆に運命の人と結ばれなければ永遠に独り身。なぁんてコテコテのロマンスストーリー展開を仄めかされていた俺だけど、俺が女装しているせいで男としかラブコメ展開が起きなかったりすることで、もはや父親の遺伝がそっくりそのまま俺に受け継がれているとは思えなくなっていた。
それに、広田さんが慰めてくれた言葉が胸に響いた。
広田さんだけに限らず、俺がこれまで出逢って来た人の中には、俺を一人にしないでくれる人たちがいたはずだ。
運命の人だとか、恋愛だとかにこだわらなくたっていい。逆に十八歳を過ぎたって誰かと恋に落ちる可能性だってある。と。

そんな事を考えながら仕事をしてた、土曜日の昼下がり。
事務所の一画にある給湯スペースに俺はいた。隣には、さっきまでいた客人が使っていたコップを洗う安原さんがいる。
ふと、安原さんが俺……ではなく俺の後ろか何かを見て言った。
「あ、くも」
最初は何を言われているのかわからなかった。
「後ろに」
彼も少し動揺しているのか、言い方が雑なのもあって、俺の後ろに蜘蛛がおりてきて、そしてフードの上に乗ったということを理解したのは首筋を……もじょ……と歩かれてからだった。

「~~~~~~~~~!?!?!?」

声もない悲鳴を上げて身体を強張らせる。
総毛立つとはこのことで、全身に蟲が這うような感覚が広がり、本当に歩かれているのはどこになのかが分からなくなった。
「あ、ど、どうしたら」
「お、おちついて、服に入ってしまいました!?」
「背中入った気がするう」
ブンブンと頷きながら、俺はTシャツの裾をたくし上げた。「え、ま」と安原さんがなにやら慌てているのもお構いなしに服を脱ぐ。
俺達が居るのは衝立で隠された狭い空間だったので、間違っても客人などの目にはつかないことは考慮していた。客はいないけど。
「と、とって!みて!!!」
安原さんに背中を向けてぶるぶる震えて待つこと数秒。安原さんは「あれ?」と素っ頓狂な声をあげた。
「いない」
「え、うそ!……あでも、確か、に」
俺は背中がむずむずしないので、自分で握りしめてた服を広げた。
そして軽く振ると、ぽとっと黒い粒が落ちたのが見える。
「あ、……あ~~~~っはっはっは」
床を滑るように移動していく、蜘蛛がいた。
俺は安堵と、騒いだことへの羞恥心を誤魔化すために、安原さんに笑う。
「よかったですね」
「うん!!」
安原さんは俺の動揺をいちいち馬鹿にしたり揶揄ったりなどせず、にっこり笑顔で返してくれた。
だけどその時ふと、背後に人の気配がしたと思ったら、頭が何かにぶつかる。
俺の向かいにいる安原さんの視線が、上に動いた。

「いったい、何を……?」
「ワ」

俺の背後にリンさんが立っていた。衝立に手をついた、背の高い彼が作る影が見事に俺を覆うので、ちょっと威圧的に感じる。
そうじゃなくても今の俺は上半身裸なので、居心地が悪く感じて反射的に自分の身体を抱きしめて隠した。
リンさんは俺の格好を見おろし、眉を顰める。なにやら剣呑な雰囲気で、俺はへっぴり腰になった。
「く、くもが、いて」
「谷山さんの服の中に入っちゃったんですよね」
尻すぼみになる俺の言葉を安原さんがカバーしてくれた。その隙に、イソイソと服を着直すことにする。
対して、リンさんは素っ気なく頷いた後、何もせずに去って行った。……一体何の用があってここにきたのか。うるさかったからだろうか。

でも多分、いやほぼ確実に、近頃の俺はリンさんに避けられている。
それは阿川家の依頼が終わって、俺の体質を綾子と真砂子を除いた皆に伝えて以来だ。
あの時はリンさんだけじゃなく皆、俺の体質を聞いて笑い飛ばせないほどに『納得』していた。だって身に覚えがあったから。
何度俺のパンツを見、尻や腹やら胸に触れ、唇が重なり、なんかあられもない格好になったり、絡み合ったりしたことか……。
そのおかしな偶然が、わざとではないにしても、俺が原因であると分かれば良い気はしないだろう。

「嫌われちゃったみたい」

落ち込みそうになるのを耐えて、わざとおどけて見せた。
安原さんは何とも言えない顔をして肩をすくめた。




俺の体質はそれからも変わらなかったが、皆慣れた様子で俺の体質と付き合ってくれたように思う。
ナルですら、「危ないから動くな」なんて過保護なことを言いながら、俺のうっかりを減らすよう気配りをするのだ。
勿論リンさんの避けるという対応も、おかしなことではない。俺と近づかなければ、被害に遭うことはない。ていうか元々、リンさんは人と関わり合うことを避けていたはずだ。ナルよりもずっと。

ところがいくら避けていてもリンさんは悉く、俺がうっかりハプニングを起こしたところを目撃する羽目になった。
俺がナルの膝に乗ったり、ジョンを押し倒したり、逆にぼーさんに押し倒されたりした時、リンさん自身は被害を免れているにも関わらず、その場に出くわすのだ。
その度またかという顔に、冷ややかな感情が乗っているような気がする。
……俺だってやりたくてやってるんじゃない。相手にも悪いし、他人に見られるのだって羞恥心を煽った。
なんかコレ、確実に"悪化"してるよな?人に喋ったからか?それとも十八歳を目前にして?

「───にやまさん」

だけどなんで相手はランダムなのに、リンさんが固定で引っ張りだされてしまうのやら。
そもそも現れてしまうのであれば、ちゃんと被害にあう可能性だってあるのに。

「谷山さん?前を見ないとあぶな、あ!」
「キャーーごめんなさい」
「!?!?」

びしゃあ……!と水をかけられたのと叫び声に立ち止まる。
頭からびたびたと冷たい水が流れ、服が濡れて肌にもしみていった。

俺に危険を知らせようと腕を引っ張った広田さんと、水をかけてしまったお姉さんが視界に入って来たのは、その感覚を理解してからだ。
今の俺は、バイトへ行く途中だった。考え事をしながら歩いていてろくに前を見ておらず、店先の花に水やりをしていたお姉さんの後ろを横切ろうとしたが、お姉さんは手元狂わせて俺にホースを向けたというわけである。
そして、そこに居合わせたのが、広田さんだ。
「さ、災難だったな」
「ん……」
お姉さんはタオルをとってくると言って慌ただしく店の中に入っていき、残された俺と広田さんは店先に立ったままやっとまともに顔を合わせる。
「広田さんはこの辺で仕事?」
「ああ、それは終わってこれから帰るところだ」
制服のシャツをひっぱって搾ると、地面に水の染みができた。
広田さんは自分のハンカチで俺の頭をぽんぽん、と拭いてくれる。
「あんがと」
「いや、気休め程度だが……───!こっ、これをっ、羽織っていなさい!!」
「えぇ?」
突然挙動がおかしくなった広田さんに、夏用らしい薄手のジャケットを肩にかけられて困惑した。
「シャツが透けて、肌が見えてる……!」
「いや俺……はぁ……」
広田さんの背けれた顔はよく見えなかったが、耳が真っ赤になっていた。
俺、男の子だって言ったじゃん。……そう口にするのも疲れてため息を吐く。
「あれ」
「どうかしたか?」
そこでふと、俺は気が付いた。これが『体質』による災難に入るのであれば、最近恒例の『あの人』がいるはずで。でもまさかオフィスの外で会うことは稀だと思うし、───と、見回した先に、案の定リンさんがいた。

俺とリンさんは双方沈黙。
広田さんは、リンさんの存在に不思議そうにした。
「リン?なんでここに」
一応ここはオフィスの最寄駅付近ではあるが、やっぱりリンさんがここにいるのはちょっと怖すぎる偶然だ。
俺はすぐにリンさんと合った目を逸らした。もう顔なんて見なくても、不機嫌だとか不穏だとかの気配を感じ取れるようになってしまった。
その証拠に、リンさんは広田さんにも俺にも声を掛けようとしない。
「まあ事務所近いからね」
「ああそうだった。これからバイトか?」
リンさんのことは見なかったことにし、広田さんに向き合ってまた服をしぼったりしてみる。どうせリンさんはこのまま何も言わずここを去るのだろうし、言い訳をする気も起きなかった。
「その予定だったけど、今日はもー無理だね」
「ああ、夏とは言え濡れた服じゃな……」
「ねー広田さんチって近い?」
「はあ!?」
俺は家まで電車乗ったりしなきゃなんだよな、と思って聞いてみる。
「だって、一人で帰るのやだなって」
「じゃあタクシーを呼んであげるから」
「ほんと?広田さんチ行く?帰るんじゃないの?」
「あれはそう言う意味じゃないし、俺の家は駄目だ」
広田さんが慌てふためく様を見て溜飲を下げる、という趣味の悪い遊びに興じてると、俺は肘を強く掴まれて引っ張られた。
え、と思ったら身体が誰かにぶつかる。広田さんのジャケットが落ちそうになるのを、何とか掴みながら、俺を強引に引き寄せた人───リンさんを見上げた。
「事務所の方が近いです」
「え」
そう言ってリンさんは、俺が手に持っていた広田さんのジャケットをひったくり、半ば無理やり広田さんに返却。そして丁度戻って来たお姉さんからタオルを受け取ると俺の手を掴んで歩き出す。
「ちょ、ちょっと!?」
リンさんは俺を振り返りもせずにタオルを渡しながら、人々を避けて歩いて行く。
確かにリンさんの言う通り、ここから一番近い建物は事務所だろう。仕舞ってあるがヒーターも置いてるので、服を乾かすことだって可能だ。
でも今は俺自身、リンさんと一緒に居たくなかった。これまで何度、不快そうに去っていく姿を見た事か。
それを今日は急に連れ出すなんて、リンさんの考えが全くわからなかった。



事務所に着くと、ナルの姿はないが安原さんが出迎えた。
リンさんに手を引かれた俺がびしょ濡れであるのを見て、一瞬で理解したみたいに「あぁ……」と憐みの声を漏らす。
「谷山さんの出勤は少し遅れます」
「わかりました、風邪ひかないようにしっかり乾かしてくださいね」
リンさんが言いながら資料室に俺を押し込み、ドアをぱたん……と閉める。
どんどん見えなくなる安原さんの姿になんか不安を覚えた。

「───脱いでください」

俺の戸惑いを他所に、振り返ったリンさんは俺を見下ろしてそう言った。
肌が透けていると顔を赤らめた広田さんとは違い、リンさんは悲しいことに俺の上半身など見慣れている為この対応だ。……いや、俺の裸に困惑してた時期もあったが、遠い昔のことのように思える。
その記憶を振り切るように、俺は手早くシャツを脱いだ。するとリンさんは流れるように俺に新しいシャツを渡す。
「私の予備です」
なにこれ、と思った俺の考えを見透かすようにリンさんは言った。
広げてみると確かにリンさんが着るべき大きさで、羽織ってみると袖や肩幅が余る。裾も長いので、スカートの裾がかろうじて少し見える程度になった。
スカートにインしたらごわごわしそうだな、でも出してたらだらしないかな、マアお客さんが来たら安原さんが対応してくれるだろうしいっか。
「ありがと、じゃ、俺行くね」
と、部屋を出ようとしたところでリンさんの待ったがかかる。
「……その格好で?」
「やっぱりだめかな……?」
「乾くまでここにいてください。やらなければいけない仕事があるなら、私が道具を持ってきます」
「……俺はただ、リンさん、俺と一緒に居たくないだろーと思って」
自分で言っておいて傷ついた。
でもこれは嫌いとかじゃなくて、もはや体質が合わないみたいなもんだ。リンさんが日本人は嫌いだけど個人を嫌ってるわけじゃないのと同じ……と内心で言い聞かせる。
「───、」
目を合わせられなくて俯くと、頭上からため息がした。
俺だってため息吐きたいし、むしろいっそのこと泣きたいし。なんなら怒りもしたい。
「いいんだ、もう。だから、ほ……といてよ」
精一杯の悪態だった。声が震える。
「俺、バイトもやめる。リンさんの前には現れない」
続いて自棄になった。
皆との繋がりはバイトをやめたって何とかなる。ナルには会う機会がぐっと減るだろうけど、電話に出て俺のくだらない話に暴言を吐くくらいはしてくれるはずだ。
「谷、」
「俺だってリンさんの顔見たくないし……あんな、嫌そうにされるなら」
「───っ」
「……ごめんね、変な体質に巻き込んじゃってさ」
言いたいことがわかんなくなってきたけど、理性を総動員して笑顔を浮かべる。
上手く笑えてたかはわからないけど、ようやくリンさんの顔を見れた。

酷く傷ついたような顔をされたので罪悪感を抱いたけど、俺だけが悪いわけじゃないはずだ。
だって、リンさんと俺は、キスしようとしたことがある。
あれはハプニングじゃなかった。雰囲気にのまれた感じはあったけど、それでも俺たちは一歩踏み出しかけてた。
でも些細なきっかけで消えてしまうくらいの儚い思いだったのだ。

「今日はやっぱり帰、」
「態度が悪かったのは謝ります」
これ以上本当にここにはいられない。そう思って背を向けたが、リンさんはたった二歩で、俺に追いついてしまった。
手を掴まれたら容易く振り向かされる。腰を掴まれて、胸がぶつかるほどに近いところにいて、ほとんど抱きしめられている状態だ。
「他の誰かと抱き合う光景を、何度も見て……腹が立ちました」
そう言われた途端に俺は腹の奥底が熱くなる。
心臓が高鳴って、身体が震えて、息が上がった。触れられてる所が全部、むず痒い。
「谷山さんの運命が決まるまで、距離をとろうと思いましたが、悉く上手くいかない」
「それって」
言いかけて口を噤む。俺のこと好き?やきもちやいた?って、聞くのが恥ずかしくて。
今自分の顔は真っ赤になってる気がして、リンさんの肩に額を付けて俯き隠す。
「俺はもう、運命なんて言葉に踊らされたくないよ」
リンさんに動かれたくなくて、シャツを握った。
俺は脳裏に父からの手紙の一説『この人だと思ったなら大丈夫』が思い浮かんで、言葉を探す。
「自分の意思で選びたい……事故じゃなくて自分から、こうやってしたい人に、する」
「、」
顔を上げてリンさんの背中に腕を回すと、わずかにリンさんが息を詰めた。
それから俺の顔を支えて顎を持ち上げる。俺はそのまま背中をそらし、近づいてくる顔を待つ。

もう少しで唇が触れそう、って時、部屋の外では「───谷山さんなら」とか「リンが」とか、ナルと安原さんがおそらく俺の所在を確認している話し声がした。

でも前みたいに止まることなんてできなくて、リンさんと俺の唇はとうとう重なった。
音もなく触れて、離れて、ぼうっと顔を見つめているうちにまた吸い寄せられるようにキスをする。
繰り返し交わすうちに、リップ音や甘い声も漏れ出た。

向こうに音が聞こえたら、何かの拍子にドアが開いたら、言い訳が出来ない状態だ。
でもきっと、俺達の甘い時間を誰も邪魔は出来ない気がする。
この時ばかりは都合よく、運命の力を信じることにした。


end.

この後スケベハプニングは恋人だけにしか発揮しなくなるし、女装はやめるし、十八歳の誕生日に初体験してプロポーズまでされてくれ。
手も気も早いリンさんが好きです。
ちなみに他の人とのラキスケ現場に出くわすのも運命のイタズラ。危うくリンさんのbgmプリテンダーになるとこだった。
リンさんお誕生日記念で書いたけど、ナル落ちルートもかきたい……。
Jan.2025

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