Invisible. 20
光の中で目を覚ました。……ううん、眩しくて、眠たくて、目を開けられなかった。昨日は疲れちゃったから、深く眠った気がする。こんなに眩しいってことは、もう朝なんだな。
目を開けてないのになんとなくわかる。夢と現実の真ん中あたりにあたしはいて、起きようか、眠ろうか迷っていた。
朝ごはんができたら起きよう。
部屋をノックするような音がした。
ああ、待って。やっぱり起きたくないや。お腹へってないし、まだ眠っていたいの。だって夏休みだもん。
「まーい?」
呼んでいる。部屋の外で、あたしを。
今日は仕事なんだよね、大人って大変だなあ。いたわる思いが通じたのか、向こうでは仕方なさそうなため息が聞こえる。
用はないみたいだった。起きてるか、起きるのか確認したかったみたい。それから、あいさつに来ただけ。
あたし眠ってるけど、ちゃんと行ってらっしゃいできるよ。
「じゃあ、行ってきます」
遠ざかっていく声だった。
うん。行ってらっしゃい、さん。
なんて幸せな夢だったんだろう。
さんがまるで、自分のお兄ちゃんみたいに家にいて、先に仕事へ出かけていった。
ごくごく普通の日常だけど、当然ありえないこと。だってあたしは家族がいないし、……さんがどんな仕事をしてるのか、いつ家をでるのか、そういえばどこに住んでるのかも知らなかった。
帰って会ったら色々聞きたいなあと思ってたからこんな夢を見るのかも。
ゆっくり寝返りをうちながら、背後にみんなの声をきく。あれ、部屋にみんないるんだ。
「……あのう、そろそろ起こしてあげはったほうが……」
「へらへらしてるわ、この子」
ジョンの声のあとに、綾子がぷっと笑う。すごい顔、だなんて言われてる。
「もうお昼もとっくに過ぎてますし」
「よっしゃでは、ワタクシが」
「って、なにする気ですか、ええ〜」
ぼーさんと安原さんの声がしたあと、敷布団がものすごい勢いで引っぱり上げられて、体がゴロゴロと転がる。抱きしめてた掛け布団と一緒に壁にどんっとぶつかり目を開けた。
「よっ、おはようさん」
にひひっと笑うぼーさんの向こうには、安原さんとジョンと、綾子と真砂子の姿があった。
三日前、渋谷さんとナルの知り合い……正確には知っている霊がいるかもしれないということで、この辺りの聞き込みが始まった。二人は同行を拒んだんだけど、あたしたちは一緒になってキャンプ場のバンガローをとってついてきた。その聞き込みが霊に関することだったからって村長さんの依頼が舞い込んできて、なぜか二人は受けた。そのときは、探し物が幽霊だなんてしらなかったから。
人手が欲しいということで調査を手伝うことになった。でも、廃校舎の幽霊騒動は結局探している霊とは関係ないものだったみたい。
なんとか事件を解決して宿泊しているバンガローに戻った頃には、日付が変わっていた。
でも、昼まで寝てたのはあたしだけか……。
「そだ、あたしたちいつ帰れるの?」
「お前……まあ麻衣に言ってもしょーがねえか」
ぼーさんはちょっと呆れた顔をしたけど、ため息にかえた。ジョンと安原さんと顔を見合わせてる。……最近ずっとコソコソ話してるなあと思ってたけどいったい何なんだろう。
ちゃんと教えてと言えば、ぼーさんに「まだ正解かはわからんしなあ」って頭を撫でてなだめられちゃった。
そんなところへ、ナルと渋谷さんとリンさんがやってきたのが窓から見えて、安原さんがバンガローの中に招き入れた。
「ちょっとお時間いただけませんか?お聞きしたいことがありまして」
「そうだろうと思ってた。ついでに僕もあるんだ」
ナルとリンさんは、微笑む渋谷さんに付き合う姿勢で部屋に入った。
渋谷さんが聞きたいことってなんだろうと思ったけど、先にどうぞと譲られてしまった。
ぼーさんたちがここ最近ずっと話し込んでいた内容を明らかにするって言うんなら、あたしも黙って聞こうじゃないの。
「まず初めに疑問に思ったのは、名前のことなんだ」
「なまえ?」
あたしは首をかしげた。たしかに、渋谷にあるオフィスの所長が渋谷ってのは妙だけど、偶然かもしれない。名前にかけて渋谷にしたという可能性だってあった。ぼーさんは淡々と語りながら、偽名である可能性まで提示した。おもわず変な声が出ちゃった。
偽名なんてそうそう使わないから、可能性として一番大きいのは偶然のはず。
ただ、あたしがずっとまえにナルのことをナルって呼んだ時に、呼び捨てにしたと本人が言ったことが妙だった。
よく考えて見たら、リンさんだって、渋谷さんだって、ナルって呼んでる。
渋谷さんの場合はからかいの意味もあるかもしれないけど、リンさんまで呼ぶのはおかしい……かも、しれない。
「ひょっとしたら渋谷一也ってのは偽名で本名の方がナルなんじゃないか?」
「本名の方がナル……?」
ドキドキしながら呟いた。
二人の方を見ても、特に聞かれたナルの方が全く答えないので、ぼーさんは今度は事務所の名前の方に話をうつした。
渋谷サイキックリサーチは略してSPRになるけど、そっちの方が本当の名称であって、渋谷サイキックリサーチは正式な名前ではないんじゃないかって。しかもそれが、イギリスにある大きな研究機関、ホンモノのSPRだなんて、急に言われてもあたしわかんない。
「こいつは麻衣にナルと呼ばれて呼び捨てと言う言葉をつかった。学校にも通ってなくて、学年の認識も曖昧だ。ここまでの過程が正しいとして、こいつらが日本人じゃないとするとだな、一つの解釈が成り立つ」
「ど、どんな?」
渋谷さんはたしかに日本語の読み書きが怪しいかもしれないけど……ナルは結構書けたし。だから言っちゃ悪いけど、ただの国語力の問題じゃないのかなあと思ったのに。
ぼーさんはそれ以上の、何か大きなひっかかりを見つけてしまったみたいな口ぶりだ。
「SPR、ナル、……」
「え?」
渋谷さんの名前におかしなことは何もないはず。ニックネームもとくにないし、問題なくって呼ばれてた。
「探している霊と、おんなじ名前だろう?」
「そうだけど。ありふれた名前じゃない」
「まあな、でもという霊は俺たちの間ではある程度有名なはずだ」
綾子は最初に否定したけど、ぐっとおし黙る。二人の探してたという名前の人が霊であることをあとで知ったんだろう。
……何年か前にSPRの実験に協力した霊がいて、それがという日本人の男性だった。一例ではあるけど様々なデータをとることができ、霊である彼への賞賛がたくさんあったそうだ。
そのという霊を見つけ出し、協力体制をしいたのが、霊媒のユージン・デイヴィス。
ジョンがあたしにもわかりやすいように教えてくれるのを聞きながら、ひどい耳鳴りを感じた。これ以上、知りたくない気がした。
「こいつの名前がというだけなら見過ごしてたさ。何の障りもない。それでも、霊のを探してると聞いたらいやでも思い当たる」
「じゃ、じゃあ、ナルは何に関係があるの?」
ぼーさんが軽く肩をすくめた。
「トムは男の名前だが愛称でもある。なんの愛称だか知ってるか?」
「……なんでいきなり英語の試験?」
顔をしかめたけど、ぼーさんは遠回しにしか教えてくれない。いいから答えてと言われて、何とか答える。
そういうのが何回か続いた後、「では、ナルは?」と聞かれた。
そんなの知ってたらとっくに気づいてるっつーの。
「ナルでしたら、オリヴァーの愛称でおます」
ジョンが控えめに答えると、しんとした。
ナルも、渋谷さんも視線を動かさない。
「SPRのオリヴァーさん、という霊を探す霊媒の兄、わかるだろ?身分を隠さなきゃならないような大物が」
「……デイヴィス博士?……そう、なの?」
「返答の必要があるとは思えない。次はこちらの質問に答えてもらおうか……麻衣」
「え、あたし?」
おい、と声をあげかけたぼーさんだったけど、ナルがあたしを名指ししたことで視線がこっちに集まる。
なんであたし?あたしなんにもしてない。
「調査中、という人に会わなかったか?」
びくりと体が硬直するのを感じた。となりでぼーさんが「はあ?」とナルを見上げている。
綾子が「なんで麻衣が?」と言い募るけど、ナルと渋谷さんはあたしを見据えたまま。
「あたしの、さんは……ちが」
否定ができなかった。
急にさんに対して抱いていた、実在するという自信がなくなる。
人前で会ったことはなかった。一緒にでかけたこともなかった。
夢で会うことのほうが多くて「夢で会う俺を否定しないで」ってちょっと悲しそうな顔で言われた。
どうしてあたしは今まで気づかなかったの?
「……ジーン?」
「え?」
もう大丈夫って言われた後のことを思い出してわななく。
ジーンがいるからって。あの時はわからなかったけど、今ならなんとなくわかる。
渋谷さんが目を見開いた。ジーンって、この人のことなんだろう。
「さんがそう呼んでた……あたしの知ってるさんは二人のいうさんなの?」
「……僕をそう呼んだなら」
さんの手はあたたかかった。
「だって、ほ、本当の人間みたいだったもん……」
守るように抱き寄せたり、勇気付けるように背中を押してくれた。
その感触はたとえ夢でも本当だった。
「ずっと前から……会ってたし」
「それはいつから?」
「高校に入る少し前から……だから、だから」
「はちょうどそのころから行方不明だった」
ナルに言われてぐっと唇を噛んだ。
みんなはうろたえたようにあたしとナルたちを見比べている。
これ以上言葉がでなかった。嗚咽と涙をこぼしながらうずくまると、誰かが背中を撫でてくれた。
それがさん以外の人だというのは確かだった。
何度呼びかけてもさんは答えてくれない。
───さんはもういない。
今朝見た夢は、お別れのあいさつだったんだ。……おかえりなさいは、永遠に言えないんだね。
ナルは確認がとれたから自分のバンガローに戻ると言って出ていき、あたしは渋谷さん……ジーンに連れ出されて林を歩いた。
「のこと、あんな風に暴いてごめん」
「ううん」
今がさんについて知る機会だったんだと思う。
さんはきっと、ずっと言わなかっただろうし、いなくなってしまった今、そのことを知らない方がつらい。そうなったら多分、ジーンみたいに探そうとする。
「さんはたぶん……もう」
「うん。夜が明ける頃かな、が昇っていくのがわかった」
「行ってきますって……言ってた」
「そう」
あたしちゃんと行ってらっしゃいって言えてたのかな。夢の中でも寝たままでいるなんてバカみたい。起きればよかった。さんの顔、ちゃんと見たかった。
「でも、なんであたしに聞きにきたの?……何度か名前を呼び間違えたから?」
「原さんから聞いた」
「そっか、真砂子も一度会ってたっけ」
「のやつ、僕たちが探してるってわかってて原さんに口止めしたらしい」
ちょっとふてくされた顔をしたジーンは、子供っぽく見えた。
だから真砂子、あたしに残れって言ったのかなあ。
「見送りくらいさせてくれると思ってた」
木に寄りかかる姿はとても寂しそうだった。
あたしをみて微笑む黒い瞳がゆらいだ。
優しく細めて、あたしの奥底に誰かを見ているみたい。でもそこに、望む人はいない。
「麻衣が、の満月だったんだな」
ジーンは悔しそうな、哀しそうな、……ほっとしたような顔をしていた。
end
いつもならすごく引き延ばしながら再会するんですけど、今回はあえて会えないまま終わりにしようと思って書きました。
おしまい。
Aug 2017