Limelight. 07
ナルが家に帰ったのは日付が変わりそうな時刻で、両親もジーンも心配そうに待っていた。
は自分が早く帰らなかったからだと謝ったが、間違いなくナルが意地を張り、失敗したせいだった。
しかしナルは謝る間もなく風呂に押し込まれて、ジーンに見張られていた。きちんと身体を温めなければ許してくれそうにないので、仕方なくシャワーだけではなくてバスタブにまで入って、ドアの外にいるジーンの影を無視した。
さすがに着替えまで見張られることはなかったが、髪の毛を乾かされ、そのあとは母に温かい飲み物を渡され、父にはほんのわずかな時間だけれど説教を受けた。
反省はしていたので、ナルはすぐに非を認めて謝った。
はナルの次にシャワーを浴びて、リビングには寄らずに部屋に行ってしまった。
部屋のドアから漏れた光をつま先で掻き、躊躇った後に呼び掛ける。
少しの沈黙が痛く、物音が恐ろしく思えた。
わずか数秒の後、部屋のドアが開く。
「ナル?どうした」
まったくいつもと変わらない様子のが、きょとんとした顔でナルを見下ろした。
パジャマの上に何も羽織っていないことを見咎めるくらいにはいつも通りだ。
「……今日のことはいいから、とにかく寝なー。明日熱出すよ」
しかし違和感はあった。
はナルに触れずに、部屋に帰した。
手をかけようとしたのにやめたのが、ナルにはわかった。
閉じられたドアの隙間からは相変わらず光が漏れていたけれど、ナルはもうそれに触れられずに部屋に戻る。
明日、はまた仕事に行ってしまうのだろう。
それからまた、別邸に帰って、今度こそ本当に遠い世界の人になってしまう気がした。
はじめはそうだったのに、もう、から直接もらったものが多すぎて、ナルはただのファンには戻れないことがわかっていた。
「ほ~らやっぱり熱が出た」
とは、翌朝熱を出したナルに対して、の口ぶりを再現したジーンの言葉だ。
は案の定仕事のため家を出ていったけれど、昼過ぎには帰ってくるからと伝言を残していた。
ナルはそれを半信半疑に聞いて、少しだけ安堵した。
父は仕事へ、ジーンは学校へ向かい、母はもとより家に居るが、ナルの看病のため頻繁に様子を見に来た。体調不良と自己嫌悪が重なって不機嫌なナルはほとんど母には答えなかったけど、買い物に行くと言った彼女にはしれっとが出ている雑誌を依頼した。もはや以外には隠さなくなったのだ。
母の外出後、家の中は静かになり、ナルはベッドから起きだしてクローゼットを開ける。
小さいころ、初めてここに自分だけのの居場所を作り出した。それからナルはこつこつと、聖域を築いた。
が大きく映った映画のポスターや、ブランドの広告、表紙となった雑誌を飾った。それからDVDと、インタビューが乗った記事、雑誌の切り抜きをまとめたファイルが時系列順に並べてある。あとは最近出たばかりの写真集───今、ナルが最も心の支えにしている宝物である。
ベッドに持ち込んで開く。様々なシチュエーションと風景の中にがいて、レンズやどこかを見てほほ笑んだり、まどろんだり、時にはきつく睨んだり、様々な表情をした。
ナルが知ったばかりのは表情が乏しかったけれど、家族になって、そして彼の仕事の幅が広がって、様々な姿を見るようになって、ますますの魅力の虜になった。
唯一、写真集や演技、日常のどこでもみたことがない、傷ついたみたいな顔をさせたのが、ナル自身であるということだけは、本当に許せないことだった。
「ナル?寝てる?体調どう」
母が買い物に帰ってきたのだろうと、寝とぼけた頭で考える。
熱の所為もあって、何を言われているのか理解できないまま、返事もせずにいると部屋に入ってくる物音がして、そのことは理解した。
「雑誌……」
「……いうこと欠いてそれ?」
呆れたような、笑うような口ぶりだけれど、どこか声が低くて遠い。
きっとナルは今熱が高いのだと頭の片隅で思った。それでもの出ている雑誌だけは見たくて───。
「?」
の声が聞こえた気がして耳を疑う。
中毒もここまで来たかと思い、重い体に鞭打って目を覚ませば、がナルのベッドに腰掛けて、雑誌を開いて読んでいた。
「母さんとそこであって、部屋行くから渡しとくよって預かったけど」
「あ、……、」
「ナルのファッション系統とは違うんじゃ───」
ぱくぱくと、いつぞやのジーンのように、呼吸を求めた。
いくら酸素を取り込んでも、言い訳が見つからないのである。
そして、片手に何かがぶつかった感触と、の視線が向くのは同時だった。
「俺の、写真集……では?」
ナルは頭を抱えた。
もう隠せない───そして、隠し続けた弊害でを傷つけたことがわかっていたので、ナルはやけになって、クローゼットを指さした。
は無言で、ナルの指示通りにクローゼットに向かう。
それからゆっくりクローゼットが開く音がして、はっと息を呑むのが聞こえた。
ナルはの方が見られず、うつむいたままベッドに座っていた。
やがて、ナルの視界の端にまたが腰掛けたのを見て、謝罪を絞り出す。
「謝らなくていいのに……」
「を傷つけた……この前も、昔も」
「本心じゃないのはわかってたよ。昔のこと?……は、よく覚えてないけど……」
「ジーンと喧嘩をしたとき……には言いたくないっていった」
は昔のことをもう忘れていたようだったが、喧嘩の仲裁を失敗したとだけ認識していたようだ。ナルが何を言ったのかを思い出して、ああと納得の声を上げた。
「あれ結局、何の喧嘩だったのか知らないんだよな……それから、滅多に喧嘩しなくなったみたいだし」
「───ジーンが、のDVDを買うって言うから」
「はい?」
聞き返すようだったけど、きちんと聞こえたうえで聞き返しているみたいだったので、ナルは話を続けた。
「僕が初めて、お金をためて買ったDVDだったんだ───Dr.Rのシーズン1コンプリートボックス……」
「はい……」
ちょっと饒舌なナルに、はおとなしく耳を傾ける。
「でもそれを知ったジーンが2を買うと言い出したから、嫌だっていったら……喧嘩になった」
「そう……なんだ……え、あの時……まだ引き取られて一年もしてないだろ?」
「うん」
「お小遣いなんてせいぜいお菓子一つ買える程度じゃ」
「自分でほしかった、誰にも言いたくなかったし」
だからジーンに気づかれ、家族にも露見し、本人にまでいくことを恐れた。
がくしゃりとシーツを握る手を見て、初めてナルは顔を上げる。
ぎこちない笑みみたいな、泣くのを我慢してるみたいな顔は、これも初めて見た表情だ。
まじまじと、観察してしまう。いつもならの視線が向くとナルは逃げるのだけど、今日はの方がナルの目を見なかった。
「そんな小さい時から……俺のファンでいてくれたの?」
「僕がを初めて見たのは七歳の時だな───だからその時からずっとだ」
ナルはもう隠すのを諦めたので、訂正さえも入れて語った。
するとが大きなため息をついて、それからナルのことを正面から抱きしめる。
「ありがとうナル───それとごめん、こういうのが嫌なんだよね……?」
の顎がナルの耳たぶに摺り寄せられた。
身体がこわばっているのがにもわかるのだろうが、謝りながらも、離そうとしなかった。
「むり……」
「あは、説得力ないなあ……わかっちゃったもん」
ナルの拒絶は、推しへの感情が限界突破した故の言葉である。
数多のファンがいるなので、そういう推され方も知っていた。
ゆっくりと腕の力が緩み、それでも至近距離にいたは紫色の瞳を蠱惑的に細めて笑った。
「俺、もう手加減しないから、あきらめて?」
ナルはその言葉を理解するよりも先に、耳たぶにキスをされた音で心臓が止まった───かに思えるほど身体に異常をきたして意識を失った。その実態は熱が上がっただけだった。
完!
適切な距離感……?そこにないなら、ないですねえ……^^
リンのアドバイスは、滅茶苦茶正しかった。
完!までが本文です(雰囲気)
May 2022