I am.


Mirror. -side story-

*三人称視点

真砂子は街中で向こうから来る人が、自分を見て小さく口を開いたのに気づいた。こういうことは時折あるので、避けるでも見つめるでもなくすれ違うのだが、なんとなしに目をやった時、見覚えのある制服に足を止めた。
───麻衣の制服だ、と。
「あなたは」
眼鏡に編んだ髪を二つ下ろした姿の少女が、真砂子の反応に応えて同じく立ち止まる。彼女の名前は思い出せないけれど、調査時にやたらと敵視されていたし、騒動を厄介にした原因だった。
「私のこと、覚えてるの?」
「……麻衣の、クラスメイトの方でしたわよね」
本来なら気づいたとしても挨拶しようと思ったりはしなかったけれど、麻衣と同じ学校の生徒というだけで、つい気をとられてしまった。
とはいえ、別に当時彼女のしたことを今になって責める気はなかったので、麻衣の話題を出した。すると、彼女は少し驚いたようだ。
「ああ、谷山さん……もしかして親しくしてるの?」
「縁があって、少しだけお付き合いが続きましたの。今はさほど」
当然ながら彼女は、麻衣から渋谷サイキックリサーチでアルバイトをしていることを聞いていないのだろう。
つい親しくしている可能性を見せてしまったが、詳しく話す気にはなれなくて言葉を濁す。
彼女も少し居心地が悪そうにており、元々真砂子に話しかけようと思っていたわけではなかったのだろう。だからきっと、共通の話題である、麻衣のことを話した。

「そうよね、谷山さん、実家のある神奈川に帰るって言っていたし───」




どうやら、麻衣は高校を退学していたらしい。
詳しい事情まではわからないが、退学した時期や引っ越しをしたという話まで聞いて、真砂子は思わずナルの元へと足を運んでいた。

オフィスに一人でいたナルは、突然の来訪にも表情一つ変えずに用件を聞いてくる。これが用もないのに来るなという皮肉であることはさておき。
真砂子は、麻衣が自分たちの前から姿を消した後に、別の場所に現れていた事を伝えたが、やはりナルの表情は変わらなかった。
「気にはなりませんの?」
「麻衣がそう処理したことは分かっていました。そうでなければ大事になって、僕が疑われてしまいますから」
真砂子はナルのあんまりな態度に拍子抜けしていた。
以前、彼は麻衣を逃がさないとばかりに、言い知れぬ感情を抱いていたはずだ。たとえ兄の情報を手に入れる為だとしても、麻衣自身に全く興味がないようには見えなかった。
そんなナルにとって、あんな風に麻衣が消えてしまうことは本意ではないはず。
「……お兄さんのことも、もうよろしいのですか」
「行方はもうわかりました。これ以上どうすることもありません」
真砂子は彼の一番の目的について言及するが、ナルは麻衣と同様兄への興味も失ったように見えた。
───かつてすべての時間を割くかのように探していた兄も、視線を奪う興味や謎が秘められた麻衣もいない。
ならば、真砂子の待ち望んでいた状態になった……のだろうか。

「では、これからは時間に余裕が出来るということですの?」

真砂子は一石投じるように尋ねたが、ナルはその問いかけに首を傾げた。
おそらくかつて、忙しいと真砂子を断ったことさえも忘れているのだろう。けれどナルはやがて、何かを思い出したのか、口を開く。

「いいえ、僕は」
言いながら足を組み替えてソファの肘起きにゆったりと手をついた。
「"一人"でいたいんです」
そんな言葉で納得したくはなかったけれど、真砂子は漠然と理解した。

彼は誰でもなく、一人でいることを選んでしまった。それは、ここにはいない誰かを思っているからこそだと。



◆◇◆



「なあ、ナルちゃん。もう一度考え直す気はないかい」

滝川はオフィスに訪れて、一人でナルに対面している。

麻衣が消えて東京に帰ってからもう二カ月が経った。かつて、ナルはあまりにもあっさり麻衣を探すつもりはないと断言した。それに苦言を呈しても、どう探すのか、何故探すのか、と問われて滝川は言葉が出てこなかった。
ただ、あんな風に終わるなんて、あまりにもあっけなさすぎる───納得がいかない、という感情が残った。
だから諦めきれず、もう一度ナルへ麻衣を探せないかと嘆願しに来たのだ。

「麻衣を探して僕に何か特があるのか?研究材料にでもすればいいのか?」
「っそりゃ、俺だって好奇心つーもんはあるけど……そうじゃないだろ。納得いかねえし、情だってあるんだよこっちにだって」
「一方的に向けられた情ほど疎ましいものはないな」
「……麻衣はたしかに俺たちに情なんてないだろうよ。だがお前さんは違うだろ?麻衣はなんかの理由があってナルにだけは情があったと思うぜ」
「さあ、わからないな」

ナルはさっきからファイルを読みながら一瞥も寄越さなかったが、フン、とシニカルに笑った。
何故こうも余裕たっぷりでいられるのか、と毎度のことながら妬ましく思う。優秀な頭脳と薄い情の持ち主だからだろうか。

しかしよく考えてみると、ナルの様子は少し変だ。
麻衣が人間ではないと、ああも簡単に納得できる理由がわからない。暑さや寒さ、味覚、嗅覚が鈍感で、痛覚が麻痺していると並べ立てた時でも、ナルはまだ彼女を人間の範疇だと深く疑う様子は見せていなかった。勿論滝川だってその時はそう思った。
麻衣の腹から傷が消えた時に、初めて本能的に麻衣を畏れた。職業柄身構えてしまった、というのが正しいかもしれない。
ナルもおそらくそのはずで、滝川が麻衣に話をしようと持ち掛けた時の様子からして、麻衣の扱いを考えあぐねているようだった。
それに、麻衣が消えた後のナルは、少なからず動揺していた。
麻衣だったものの破片を握りしめて、足早にバンガローを出て行った様子は、闇雲に麻衣を探すような、ナルらしくないそぶりまで見せていた。
───だというのに、今のナルのこの落ちつき様はなんだというのだ。

「おまえ……、」

滝川は脳裏をよぎった思考を口に出そうとして、しかし、単なる思い付きでしかないと反射的に口を噤む。
ナルはそんな滝川の混乱など再び無視して、ゆっくりと席を立つ。
「もう話は終わった」
そういって、所長室へとその姿を消した。




「どうでした?」
「───駄目だったあ」
ナルの元を訪ねた日の夕方、ジョンと安原、そして綾子と居酒屋で合流して報告した。
彼らは滝川がもう一度ナルに話をしてみると意気込んでいたのを知っている。
「ま、そうでしょうね」
綾子はあっけからんとそう言った。
彼女も一応麻衣を探せるなら探したいと言ってはいたが、その方法に見当がつかず積極的ではない。そもそも人間ではない相手に対して情を持ってどうする、と割り切ったふりをして諦めているスタンスでもある。
その為、この話し合いに居ても茶々を入れてくるだけだと思っていたが、ため息交じりに綾子は零した。

「真砂子からこの前聞いたんだけど、麻衣は高校辞めたらしいわよ」

滝川とジョンは思わず絶句したが、安原がいち早く身を乗り出す。
「え、それって、いつの話ですか?」
「辞めたのは九月末だって。だから少しの間は登校はしてたみたい」
「俺達の前から消えた後だよな?っていうか真砂子がそれを知ってたのか?」
「たまたま麻衣のクラスメイトの子に会って、話したついでに聞いたらしいのよ。なんだっけ、あの霊感少女」
「黒田さん、ですか?」
「あ~そんな名前だった気がするが、そうか……マジか」
安原には知らない名前だろうが、麻衣のクラスメイトだったということが分かっていれば十分なため、特に聞いてくることはなかった。
「やー……なんか悲しくはありますけど、僕たち誘拐犯にならずに済んだようですね」
「「「……」」」

今、【心霊事務所アルバイト女子高校生失踪事件】【霊能者の仕業か!?】【N県キャンプ場にて宿泊中、行方不明に】などの見出しが脳裏をよぎった。しかもタイムリーに、調査で行った小学校で遺体が発見されたことが明るみに出るのと同時となり、その被害者として扱われる可能性もある。
だがそうだとして、最後まで一緒にいた滝川や、雇い主のナルたちがすぐに捜索願を出さなかったことに責任を問われる可能性もあったと思い至り、肝を冷やした。

「渋谷さんに関しても、お兄さんのことがありましたからあまり無理を言えませんよね」
「……せやですね、たしか所持品が見つかったゆうてましたし、それだけでもショックやと思います」
「つーかさ、なんで湖を探すってことになったんだと思う?そっからしておかしいよな。ナルのあずかり知らぬところで行方不明になったって話だったろ、どういう状態になっているかなんて知れるはずがない」
「本人がやってないかぎりはね」
「あはは、……本人がやってないのだとしたら、もうそれこそ超能力があるってことになりません?渋谷さんってたしかPKを持ってるんだとか」
「ああ、行方不明者を見つけるっつったらサイコメトリーとか……ESPはないはずだな。PKだってサポートがないとあまり使えなくて麻衣が……そうだ、麻衣だ」
「え?」
「もしかして、麻衣さんが霊視したゆうことですか?」
「まっさか」
「あり得るんじゃねえの、麻衣はかなり霊の記憶を読み取れた。坂内が呪詛を広めたのも知ってたし、美山邸で失踪した人間の死を即答した。それにナルと麻衣が二人だけで"仕事"と称して泊まりでどこかへ行ってたこともあるんだぜ、記憶があっても死後沈められたんだったらその地名や明確な場所が分かるわけではなかったから、実際現地に行ってた───とすれば納得だ」
急にピースが嵌まったように話し出した滝川に、三人の視線が釘付けになる。
誰もその話に異論がないほどに、あり得ると思ってしまった。
「だから、ああ」
ふと、滝川は言葉に詰まる。
「ナルは兄貴を探すのに麻衣が必要で、兄貴の沈む湖を見つけた以上麻衣に用がない」
「そんな、でも、渋谷さんかて麻衣さんのことは気にかけてはって」
「でも相手が人間じゃないってわかってしまいましたから……」
「まあそうよね、ぶっちゃけ一年半もの間騙されてたようなものじゃない?あたしたちだって」
「そうは言っても、あいつはそんな聞き分けの良いタマじゃないと思うけどな。おこぶ様の除霊を試みた男だぜ?何が何でもとっ捕まえて文句を言って説明を求めるはずだ」
「ほんならどうして、今の渋谷さんは谷山さんを探さんのやろ……」

滝川は胸に閊えるような蟠りを吐き出したくてたまらなかったが、口に出したら皆が恐怖に陥れられる気がして言うのはやめた。

「ここいらで、降参かねえ」

多分麻衣は見つけられない。ナルの前にしか現れないだろう。
だからナルに頼んだが、ナルがああではきっと、誰も麻衣と会うことはできないと分かったからだ。




◆◇◆




資料室から出たリンは、喉の乾燥が気になりお茶をいれようと衝立の影に足を踏み入れようとした。
その瞬間、ビクッと動いた影が目の前に飛び込んできた。
「っ───、」
声もなく、だがはっきりと驚いた様子のナルが目を見開いている。
危うくリンの胸に、彼の持ったコーヒーカップが当たる寸前で、引き戻された。
中に入った黒い液体がゆらりと形を大きく変え、カップから飛び出したそれがナルの手にかかるのがスローモーションになって見える。
「ナル!」
リンは反射的にナルの手からカップを取り上げた。
そのカップは当然熱を持っていて、中に入っていたコーヒーがもっと熱いであろうことはすぐに分かった。
「すみません、火傷を……」
「平気だ」
「手を冷やしてください、早く」
濡れた手をもう片方の手で拭っているナルに痺れを切らし、リンはナルの手首を掴んだ。そしてシンクに手を出させて水を流す。袖まで濡れているが、どうせコーヒーがかかっていたのでいいだろう。

「赤くはなっていませんか」
「ああ」

リンはナルを気にかけながら、妙な違和感を胸に抱いていた。
いつもなら放っておけというだろうし、床の掃除、コーヒーの入れ直しをリンに指示するような気がした。
しかし今のナルはリンに手を掴まれたまま、ぼうっと濡れる手を見ている。
その横顔は無表情で、火傷やコーヒーを零したことに何の感情も抱いていないように見えた。……文句の一つも飛び出してこないのは珍しい。
「コーヒー、入れ直しましょうか」
「そんなに零れてない。カップを拭いておけば大丈夫だ」
「……そうですか」
やがて自発的に水を止めて手を拭いたナルは、リンのわずかな戸惑いなど気づかず、カップを持ち直す。
「リン?」
ただ、リンがまじまじとナルを見つめているので、何か言いたいことがあるのかと促されて我に返る。
言いたいことはない───言ってはいけない。まさかそんなことがあるわけがない。

ジーンの名前を、呼んではいけない。

もしリンの勘が当たってしまったら、麻衣みたいに、消えてしまうかもしれない。
「いえ、」
だからリンは首を振って、ナルが通りやすいように壁側に身体を避けた。
すれ違うナルはコーヒーの香りのみを残し、所長室へと戻っていく。
その背中を見つめるしか、リンはできなかった。



End.

今度こそ終わり。
ナルちゃんの『逃げたのを捕まえて他の人の目に映らないところに隠して一生二人きりの世界で生きる』みたいなヤンデレ監禁シチュエーションを素面でしてるとこ見たーい!それイッキ!イッキ!♡というお話です。要約。

今作、真砂子が心を折られるかわいそ視点を何度か書きましたが、ナル夢(?)を書くなら逃げてはいけないかも……と思って挑戦しました。すみませんでした。
みんなはナルの態度にアヤシイ……って思ってるけど藪蛇なのでつつけない。麻衣については、薄情で人でなし(ほんとう)だから文句の言いようがないという微妙なところ。だからって完全に嫌いにもなれないし情が残る。でも大人だからゆっくり整理して諦めていく。
リンさんだってナルの次に長年主人公を見ているのでわかってしまうのだけど、だからって二人の間に入れるか、主人公が許すかというと、そうではないので身を引いた。たまに人外が現れるオフィス……イイ。※ナルはなるべく外に出て欲しくないけど、それはそうとしてお茶を入れてくる労力は惜しむ。

ナルが一人になることを望む=主人公(人外)がいる、という意味。一人(広義)でも恋は出来るから───……☆
主人公はユージンの死、麻衣の失踪に心を痛める人を思いやれない。人外の良いところは悪意なくそういうことをするとこ。大好き。
そこに愛はあるんか。少なくとも主人公はナルが死ぬまで傍にいると言う約束がありながら「ナルが死んだら困る」と言っているので愛は生まれているはず。愛する(傍にいる)必要はあるけど死ねば愛さなくていいのにね。自覚させてくれる人はいない。
ナルは愛するより愛されたい派()だし主人公は心の一部であり所有物と思ってる節があるので、傍に置くのは自分を損なわないと言う認識に近い。けど死後主人公の姿をとるあたり染まってるのでやっぱ愛してるんじゃないだろうか。

まあまあ長めのちょっと特殊で分かりにくいお話になりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

Oct.2024

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