Remember. Ⅴ_おまけ
「───いつかそっちに逝ったときも迷ったままだったら、迎えに行ってあげるね」
手を握りながらそう言った人がいた。
温度の感じられない手だった。でもそれは、僕が生きた人間ではないからで。
「早くきたら、駄目だよ」
「ははは。努力する」
「でも、……待ってようかな」
「うん、待ってて」
なんて切ない約束なんだ。
頭のどこかでそう考えて───我に返る。
僕はいったい、誰と、いつ、どこでこんな約束をしたのだろう。
蘇って来た記憶によれば僕は死んで、現世をさまよっているようだった。それを、誰かが見つけて、手をとってくれた。実際につかめたわけではないけど、その瞳に見られ、心にうつり、声を聞くことで、手を繋ぐという行動に少しだけ実感が伴う。
そうだ麻衣───否、と……、
「っ、ジーン!」
僕の思考を遮るようにして、資料室からリンが血相変えて出てくる。そして、ソファにかけて転寝から目覚めたばかりの僕を、信じられない顔をして見ていた。
「……生きて、……っ」
「え?」
リンは、失言を隠すように咄嗟に口を噤む。リンまで僕を死んだと勘違いするなんて。
そう思って笑い飛ばしたいのに、僕は不思議とそうはできない。
突如耳鳴りがして、血液が脳に集まってくるような熱を持ちはじめ、僕は頭を抱えてその場にうずくまる。
ソファに座っているから倒れ込むことはなかったが、リンが心配して駆け寄ってくるのをかろうじて機能している耳が聞き取り頭で理解した。
そんな風に現実にいながら、僕はまた『記憶』に意識を持っていかれる。
十六歳の時、僕は命を落とした。その身体は湖か何かに沈められ、ナルが探しに来てくれた。
霊となってナルの傍にいながら出逢った麻衣、のちのとは夢の中でよく話をした。
そしていつしか、約束をした。
は結局就職を機にナルから離れてしまって、ナルもイギリスへ帰ってきてしまって、これは本当に生きている間はもう二度と会わないのではないかと思った矢先にが事故で命を落とした。
僕はそこまでしか知らない───だから、が死後に逢いに行けたのはきっとナルだけだった。
約束は果たされなかった。
でも、そんなことは今どうだっていい。
ようやく晴れた思考で顔を上げると、リンが心配そうに僕の肩を掴んでいた。
「大丈夫、思い出せた……リンもなんだろう」
「同じものを?」
「きっと。これは、ナルとが言っていた『前』だ」
「私もそう思います」
リンも僕が落ち着いたから近くに腰掛けた。そして見た記憶をすり合わせる。
「それにしても、なぜ急に?しかも、今になって」
「が前に亡くなったのは『今日』だから?」
「ええ───ですが、よりによって今なんて」
「もしかして、何かあったんじゃ」
「まさか、ナルがついているはずです。何かあれば連絡がきます」
とにかく僕らは、ナルとに連絡を取ろうとする。どうせ思い出したことは言うつもりだったし、が生きてることを確認したかった。
昨日までの僕らより、の死を思いだした僕らは、その胸に焦燥が募るのは仕方がないことだ。
二人の話を本気にしていなかったわけではないけど。
「だめだ、出ない」
「谷山さんも……?」
僕とリンは二人で画面を睨んだあと、おもむろに時刻を見る。12時をまわったころだ。
どこにも出かけないと言っていたのだし、もうオフィスを閉めて家に帰ろうかと立ち上がる。
───その時、ドアが勢いよく開けられた。
「すみません!!た、谷山さんはいらっしゃいますか!?」
安原さんが、スーツのまま駆け込んできた。
驚く僕たちの顔を見ると、彼は謝りながらオフィスの中を見回す。
リンよりは僕の顔を見るといくらか落ち着いたように、息を吐いた。
「れ、連絡をとりたかったんですが、全然繋がらなくて」
取り繕った笑顔に、僕とリンは顔を見合せる。
この尋常じゃない勢いはもしかして。そう思っていたら、安原さんだけじゃない、次々と人が駆け込んできた。
全員がを求めて、青い顔をしていた。そして僕を見ると、少しだけ落ち着く。
原さんと松崎さんは涙を隠しきれていなくて、ぼーさんとジョンは酷く深刻そうな顔付きだ。
「は、今日一日ナルと一緒にいるはずだ───だから事故になんて遭わない」
そう告げれば、みんな揃って目を瞠る。
僕が生きてるのもナルのおかげだと伝えれば松崎さんと原さんはその場に座り込んでしまった。
「ああ、あたし、どうしようって……」
「さんは、いま、どちらにいらっしゃるの?」
「家にいて、ナルが見張ってると思う」
松崎さんと原さんは支えられながらソファに座った。そしてぼーさんとジョンと安原さんにも座るように促せば彼らはぎこちなく頷く。
落ち着かない様子で手や膝が震えているので、の死を思いだしたショックはまだ抜けないだろう。
僕らだって本当は、今すぐに家に行こうとしてたし。
「みんな、さっき急に思い出したってことでいいんだな?」
ぼーさんが息を深く吐き、みんなの顔を見回した。
「ナルと、を除けば」
「……一応聞くけど、それはどっち?」
「先だよ───だから、僕とリンも話にだけは聞いてた」
苦笑して肩をすくめると、ぼーさんたちは安堵の息を吐く。
「じゃあなんでこんな大事な日に電話にでないのよお!」
「なにかあったんとちゃいますか?」
「案内音声になるからマナーモードか電源が入ってないようなんです」
「さんの声が聞けないと、あたくし不安で」
次々と不安を募らせていく面々の気持ちはよくわかる。
「うん、だから僕らももう帰ろうかと思っていたところだったんだ」
大勢で部屋に押しかけたら間違いなくナルは怒るだろうけど、それは連絡が取れない状態になる二人が悪いだろう。
なので、全員がついてくると言うのを、僕らは拒否することはなかった。
皆で立ち上がろうとしたそのとき、プツッと通信が切り替わる音がしたあと、その場にないはずの声が浮上する。
『───はい』
あ、と声を漏らしたのは安原さんだ。さっきから何度か試しに電話をかけていたらしい。
咄嗟にスピーカーにしたようで、続くナルの不機嫌そうな声がその場に響き渡る。
『なんどもご連絡いただいたのに申し訳ありません。ご用件は?』
「あ、あ~すみません!その、谷山さんに電話がつながらなかったものですから。渋谷さんなら何かご存じかと思いまして」
安原さんは一瞬口ごもったけど、上手くナルの不機嫌を躱して応対する。
『……?ああ、今日は一日休みなので』
「ちょっとナル!ネタなら上がってんのよ!!と一緒に居るんでしょう!無事なのよね!?」
痺れを切らした松崎さんが、安原さんを遮って声を上げる。
『───なら隣で寝てる。静かにしてもらえませんか』
え、と声をあげたのはぼーさんと、安原さん、松崎さんあたりだっただろうか。僕も一瞬、言葉に詰まる。
「と、隣の部屋だしね、二人」
「いや、今更驚かねえよ。まあとにかくが無事ならよかったわ」
取り繕った言い訳は、ぼーさんにあしらわれてしまう。
結局電話ではの声は聞けなかったけど、ナルが大丈夫だというので納得して切った。
そしてみんなもようやく息を吐けたようで、ソファにゆっくりと身体を沈めた。
安心したらお腹減った、明日連れてご飯行こう、なんて口々に文句を言っている皆はその実とても嬉しそうだった。
「でもみんな、知ってたんだ。とナルが恋人同士だって」
「は?」
「え?」
「なに?」
「そうなんですか?」
「うそ……」
「───」
帰り際に笑ってそう声をかけると、全員がぽかんとした顔で僕を振り返る。リンも、か。
「あれ?さっきはわかってる感じだったのに」
「いやいや、それは……あいつらなんだかんだ仲良くやってるし。の一番はずっと前からナルだったし」
ぼーさんが弱弱しい声で反論した。
どうやらがナルに懐いてると思っていたらしい。
たしかにあの人柄と距離感ではそう思っても仕方がないことかもしれないけれど。
「だから───ナルの一番もなんだよ」
ナルを見ていればわかることだ、と言えば皆はわからないし……と絶句したのだった。
end.
冒頭の流れで行くとジーン失恋ルートに入りそうで危なかった。さすがにそれは不憫!
主人公とジーンの間にも秘密の時間があったんだ、と実感させようかと思ったんですけど、皆が記憶を思い出したので、それはもう特別なことではないのかなって。約束を果たせなかったしね。
なのでナルと主人公の関係をジーンによって証言させてみました。
ジーンは兄と言う立場の自負から「ナルには主人公がいないとだめ」「ナルの一番は主人公」と勝手に宣言します。笑
Aug.2023