I am.


Wonder.  おまけ


(三人称・母視点)

友人が子を一人遺して逝ってしまった。
彼女は自分と同じく天涯孤独の境遇で、学生時代に知り合った苦楽を共にしてきた友だった。
高校を卒業したらイギリスへ行くと言って別れたけれど、何度かカードや手紙のやり取りをしていた。
そんな彼女はシングルマザーとして、男の子を一人で育てていたのだが、先月事故に遭って命を落としたという知らせを受けた。
───引き取ろう。そう思ってすぐに連絡を取った。
自身も女手一つで子を育ててきた。それがどれほど大変だったかは身に沁みている。
息子はもう高校生になって、手はかからないとはいえ、けして楽になったわけではない。
それでも逝った友人と、遺された息子───それから、もし自分が居なくなった時の息子を想像して、いてもたってもいられなかった。


日本にやってきたその子供は、息子とそう歳の変わらない年齢で、美しい顔立ちをしていた。
「いらっしゃい、オリヴァー。電話では話してたけど、初めまして。あたしが谷山麻衣」
「麻衣……どうも」
生まれたときからイギリスにいるらしいけれど、友人の息子のオリヴァーは流暢な日本語を話した。日本に来ることも初めてではないらしい。
朝から麻衣の家にやってきたオリヴァーに、飛行機やタクシーでの道中は辛くなかったかと問いかけるとわずかに疲れの交じったような声で平気だと答えた。
つんとした態度だが、どうにも憎めないのは、麻衣と暮らす提案をしたときに、驚くほど素直にありがとうとお礼を言ったからかもしれない。
どこか、猫みたいなのよね、と猫好きの心がうずく。
「……は?」
家に入り、大きな荷物を運び入れながらオリヴァーは周囲を見まわす。
息子がいることと名前は教えてあったので、彼なりに気にしていたのだろう。
そういえば麻衣は言ったつもりだったが、はオリヴァーを引き取ることをすっかり忘れているようで、今朝も普通に寝ていたし学校に行こうとさえしていた。
休みの連絡は入れてあると伝えれば、なんでと首を傾げていたくらいだ。
「ああ~、珍しく寝坊してて……そのうちボサボサ頭で顔を出すと思うけど許してね」
「そう」
リビングに案内して、ソファにでも座るように促す。
麻衣はお茶でも入れようかとキッチンに行くのだが、来客用の茶葉だどこかにあったはずだという漠然とした記憶しかなくて困った。家のことを息子に半分ほど任せていた弊害だ。

洗面所で物音がした後にリビングのドアが開く音を聞いていたので、が何とか体裁を整えてやってきたことがわかっていた。
~お客様用のお茶ってどこだっけ~」
「……お構いなく」
麻衣は戸棚を探りながら、振り向きもせずに問いかける。
オリヴァーは控えめに麻衣に断りを入れているが、それは聞けない願いであった。
せっかくなら、みんなでお茶を飲んでゆっくり挨拶をしたいのだ。

オリヴァーとはきっと初めて対面しているのだが、麻衣はガタガタともの探しをしていたのでやり取りは聞いていなかったし、見てもいなかった。
一向にやってこない息子に痺れを切らし、キッチンからリビングに行ったとき麻衣は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「なにやってんの?」
はオリヴァーの顔を両手で包みこみ、優しく撫でまわしていた。
オリヴァーは触れられるのを嫌がりはしたものの、に対して嫌悪感を抱いている様子がない。
なぜなら、お茶を飲むときはの隣に座ったし、彼の視線は基本的にに向いていたからだ。
「ナル、お茶熱いから気を付けなよ」
「うん」
しかも、あの短時間でどうやら愛称まで呼ぶ仲になっていたのだ。
この猫みたいに警戒心の強そうな少年が、に安心して身を任せているようにすら見えた。
かつて飼っていた猫も息子にメロメロだったが、本当に恐るべし、息子───。


思ってた以上にスムーズに終わった初対面から、幾ばくかの月日が経って、季節はすっかり春となった。
休日の昼下がり、日当たりの良い庭に面した窓の前、大きなクッションに埋まりながら雑誌を読んでいて、そのまま寝落ちした息子の姿がある。
麻衣は持ち帰った仕事を部屋で片づけていて、コーヒーを淹れに来たので手ぶらだった。毛布でも持ってこようかと踵を返しかけて、ナルが静かにやってきたのを見て足を止める。
起こすのかと観察していれば、ナルはにそっと忍び寄り、少しだけ身体が触れ合うようにして寝転がった。
一緒に寝るんだ……日当たりいいしな……と、コーヒーのフィルターを開けながら麻衣は考えた。
お湯を注ぎ、ゆっくりコーヒーが落ちてくるのを待っている間に、麻衣は部屋からの大きな毛布を持ってきた。時々やナルが寛ぐときにかけてるものである。
「ほら、寝るならかけときなー」
「……僕は寝ない」
「ぅあんがとー……」
毛布を広げて二人にかけた風圧で、ナルは起き上がる。
それからもぞもぞと毛布から出て、の身体にそれをかけ直す。
も完全には寝てないようで、間延びした返事をするが、きっと頭は働いていないだろう。
「ナル、おいでー……」
「……」
目を瞑ったまま、肘を曲げて腕を立て、手首で毛布をひっかけてわずかな隙間を作る
それでは猫一匹くらいしか入れないだろうと思ったが、麻衣は何も言わない。
ナルはさすがにそんな中に潜り込んでいきはしなかったが、日当たりの良いその場所にいて、のうたたねをずっと見ていた。


───ナルがくる前、可愛がっていた猫が突然帰ってこなくなってからのの様子は痛々しいものだった。
寄り道もせずに家に帰ることが多かったし、戸締りは少し神経質にするようになった。そのくせ、部屋のドアは猫が通るからといつも少し開けておく。
それが今は、川べりで近所のけして人に撫でさせないことで有名な、大きな野良猫となぜか並んで座っていたり。
寺に住みつき和尚に懐いたカラスに、サンドイッチのハムをとられたと大笑いで話をしてくれたり。
活動的な、元来の性格に戻った気がする。
それはナルが来てからそうなったと、麻衣はわかっていた。

「ナル、うちに来てくれてありがとうね」
ある時、麻衣はぽつりと感謝を零した。

ナルは自分でホットミルクを作りながら、キッチンで首を傾げる。
それから微かな声で、こちらこそと答えた。
彼が孤独となったことに、麻衣は寄り添えたかどうかはわからない。でも息子といる姿を見ると、明確な手助けは不要で、この空間に心を溶かしてくれているのではないかと思っていた。だから、ナルのその解答に安堵した。
「ところではどうしたの、一緒に帰ってこなかった?」
薄暗い外をみた。
学校からとっくに帰宅している時間だし、現にナルもすでに家でくつろいでいるというのに、の姿がない。今日の夕食は、珍しく平日に休みをとった母が作ると宣言していたので、買い出しにも行ってないはずだ。
「ああ、呼び出しがあるとかで、先に帰るように言われた」
「呼び出し?何やらかしたの」
保護者として呼び出しは受けていないが、身構える。そもそも、やんちゃするタイプではないので心配まではしていないのだが。
さあと首を傾げているナルは、リビングの椅子にかけようとして、窓の外を見た。
そのガラスに、水滴がいくつか走り出すのが麻衣にも見えた。
「ありゃ、雨降ってきた。大丈夫かな」
自転車なのでレインコートを持っているか、それとも豪快に濡れて帰ってくるかのどちらかだったので麻衣が心配したのもつかの間。
外で自転車のブレーキの音やスタンドを立てる音が聞こえた。
ひどくなる前に帰ってこられてよかったと思っていると、ナルは席を立ちリビングを出ていった。
「やー降られた。なに、ナル、珍しいなお迎えなんて」
「濡れてるならタオル」
廊下の方から、息子たちの声がするのを聞き、麻衣はふっと笑った。
そんな濡れてねーと悪態つきつつも、はリビングに顔を出した。ナルにタオルを無理やり渡されたのか首にかけ、濡れて少しまとまった前髪が額に張り付いている。
「ただいま、晩ご飯なに?」
「おかえり。今日は水餃子」
「フゥー」
は少しブレザーが濡れている程度だったが、ナルがその後ろをじっと見つめながらついてくる。その時麻衣は、猫って飼い主が濡れてると心配して見に来るっていうけど、本当なんだ……と納得しかけてかぶりを振った。
「あ、ジーンだ」
「ジーン?」
麻衣の思いつきに、ナルが首を傾げた。
「いや、前に飼ってた猫がね。のお出迎えいつもしてたけど、雨の日濡れて帰ってくるとにゃあにゃあ騒いでたなあって」
「あー水苦手だったもんな」
も思い当たることがあったみたいで、声を上げ、やがて笑う。
「今も猫の国で、心配してるかも」
リビングから出て階段をとんとんと上がっていく足音に紛れて、不思議なことを言っていた気がしなくもないけれど麻衣は聞き返すことはしなかった。
ただ、何気なくジーンの話ができるくらいには、立ち直れたようだと分かる。

「そういえば職場の人んとこで、子猫が生まれたらしいの。貰い手募集中」
夕食の席で、麻衣の発言に二人はそろって首を傾げた。
飼うか、と聞くほどではなかったけれど、反応をみたくて話した。
「うちで、飼いたいって話?」
「飼うのか?猫を……?」
けれど麻衣が言うまでもなく、その話題になる。
「まだ辛いなら無理しないでもいいし───前からが飼いたがってた犬もいいよね」
ナルがうちに来たことで、は前向きになった。そして二人がこれからも楽しく過ごすときに家族が増えてもいいのではないかと麻衣は思っていた。
「いや、いや……いいよ、だって」
は首を振った。麻衣はの次の言葉を待つ。
「ナルがいるじゃん」
「は」
しかし続いた言葉は予想外の内容で。
「俺にはナルがいるので、他の子は良いかな」
「あ───あ、そう?そっか」
常々思っていたことだけれど、息子はナルのことを猫だと思ってる節があるし、ナルもそれを受け入れている節がある。
だけど、そんな光景に慣れてきて、安堵して、未来を思う自分がいた。
母として、息子たちの幸福を、ただ願っていた。



END.


お母ちゃんは麻衣って決めてました!親公認で猫と飼い主してる二人です。
母も大概ナルのことネコチャンだと思ってるので、世界観()に突っ込みはなくなっていく。
ナル「飼うのか?(僕以外の)猫を……?」
Feb.2022

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