Oh my cat. 03
秋の晴れた空は、澄んだ色をしていた。木の葉が揺れて作る日だまりが地面を踊り、俺の手元をチカチカと光らせた。
自然と、その光を追うように手を動かしかけて止まる。
「おっと、ごめん」
謝ったのは、手元が狂ったからだ。
手に持っていた細長いパウチが動き、そこに食らいついていた野良猫の鼻にクリームがついてしまった。当の猫は餌を食うのに夢中だ。汚れていることなど気にしていない。
そしてベロリと自分の鼻の頭を舐めとった。
「まだあるの?」
耳元で囁くように問いかけてくるのはジーンだ。
しゃがんでいる俺の肩に乗って、餌に群がる猫たちを見下ろす。まだあるの、って。見てわかることをいちいち聞いてくるなんて、何か不満でもあるのか。
俺の肩を行ったり来たりしているので、身体が擦れて髪が乱れる。しかたなく俯いて頭をどけていると、背後でガサりと音がした。ふと、俺たちの上に影が差す。
「───さん?」
およ、と見上げると、俺を見下ろすナルがいる。ほかにも、真砂子と麻衣にぼーさんまで。
この面子で公園にいる場合、絶対にピクニックとかじゃあないだろう。つまり何かの調査だ。"全員"の姿がないので、エピソードというよりはミッションタイプのやつかもしれない。ルートごとだったり、好感度や休日の過ごし方によって発生するものが、いくつかあったはず。
「この猫たちは……?」
「わ、すご」
「餌付けしてんのか? 相当な猫好きだな」
考え事をしている俺をよそに、彼らもまた俺の状態を見て不思議そうにしていた。俺の周りにはジーンを含めてざっと五匹の猫がいた。
人の登場に驚いて飛び出していったので、これでも減った方である。
俺が猫愛好家扱いを受けているのはまあ良いとして、彼らが一体何の用でこの公園に来ているのかを聞き出した。
ストーリーとしてはこうだ。───ある日、真砂子が懇意にしているプロデューサーからの相談を受け、渋谷サイキックリサーチへと訪れる。それがこの公園で発生する異常現象の調査だ。ここでは男女が仲睦まじく過ごしていると、頭上から突如水が降ってくる。
真砂子はこの時ナルに好意がある設定で、この調査でオトリと称してナルとカップルのふりをすることを目論んだ。
大抵、この時点ではナルの好感度がほとんどないため選択肢などはなく、真砂子とナル・麻衣とぼーさんの組み合わせになる。そして麻衣とぼーさんが濡れる羽目になるといった展開だ。
もしナルの好感度がケ程はあった場合は、ナルと組む宣言くらいはできるらしい。でも真砂子と揉めて、それを止めようとしたぼーさんが麻衣に近づいたことで、なぜか水がかけられる。ナルが難攻不落過ぎるだろ、とネットで物議をかもしたのも記憶に新しい。
そんなの、滅茶苦茶見たいやつ……。
うっかりニマニマしていると、皆から不思議そうな顔をもらってしまったので咳払いで誤魔化す。
「んんっ……えーと、そのカップルを狙った霊現象を、四人で調査しに来たわけだ? 俺も見てていーい? 邪魔はしないからさ」
「まだ霊現象だと決まったわけじゃないが」
「まさに水を差すってやつですなあ」
「うまーい」
ナルは不機嫌そうではあったが、俺を追い帰すそぶりはない。続いて楽観的なぼーさんや、能天気な麻衣も特に異論はないらしい。
「では、早速オトリを用意しましょうか」
最終的に、真砂子も嫋やかに笑ってこう言った。
俺は他人事だったので、わっはーと四人の顔ぶれを見回す。基本的にはナルと真砂子が組むんだよな。でも今はゲームではないし、サポートキャラである俺がいる。
ようやく使命を果たす時がきたってわけだ。
麻衣に肩をぶつけて、少し身を屈めた。誰にも聞こえないようにヒソッと囁く。
「誰か気になってる人、いんの」
「なっ、」
麻衣は驚いて俺を見る。
きっと真砂子はナルと組もうとするだろう。俺はそれを麻衣に差し替えてやるべきか、それともぼーさんがいいのか。それはもう、麻衣に聞くしかないのだった。
今のところ、ナルもぼーさんも似たり寄ったりの好感度だったはずだから、是非ここで親密度を深めてもらいたいところである。……といっても、今回チェックできていないから、今どのくらい進んでいるのかはわからないんだけど。
「何であたしにそんなこと聞くのっ!?」
「協力してやろうかと」
真っ赤な顔をしているあたり、目当ての人がいるのかも。それか、恋愛についてを意識してしまう段階というやつかもしれない。
せっかく好感度が分かると言っても、俺は結局麻衣が誰のことを好きなのかさっぱりわからないので、ここいらで教えて欲しいものだが。
「~~~、そういうくんはどうなの!?」
「え、俺?」
「調査に参加するっていうんだから、当然協力するんだよね?」
麻衣は話を逸らすかのように俺に話を振った。
この調査に同行したいと言ったのは、確かに俺だ。だからといって、俺がこのメンバーの中に含まれてるとは思いもしなかった。
ていうか、さっきまで小声で話してたのに、麻衣がこんな風に俺に畳みかけて来るので皆の視線も集まっている。
やっぱりこれ、俺もオトリに含まれる感じなのか……?男女比が合わないだろ。
俺は記憶を辿って、好感度の高い順番を並べた。まずは真砂子、そしてジーン、ぼーさん、ナルの順だ。……おかしいな。
悩みに悩んだ末、俺は結局麻衣と組むことを選んだ。さすがに真砂子と組ませられないのと、ジーンの代わりを含めてだ。
一方真砂子とナルも組んではいるものの、様子を見るという名目で離れたところに待機することになった。そしてぼーさんは誰と組んでも到底カップルには見えないというそれらしい理由をつけ、彼もまた離れたところで俺たちを見ているとか。
俺と麻衣のベンチには、相変わらず俺に懐いている猫たちがおり、通りすがる人たちが「猫いっぱいいる」と一瞥していく。反対に真砂子とナルの方は美男美女が揃っていることから、周囲の関心を寄せられていた。どちらも注目を浴びているわけだが、なんだかなあ。
「めんくい」
「え?」
ふいに横からそんなこと投げかけられる。
「さっきからずーっと向こうばっかり見てるじゃない。綾子が駄目なら真砂子ってわけ?」
「そういうんじゃないって。だってさー、見ろよあれ、渋谷さんったらファイルも手放さないで……俺たちとあっち、どっちもカップルには見えなくない?」
「だ~って、あのナルだよ?」
「まあそうなんだけど」
「ていうか、あたしたちもカップルに見えないのは、どう考えても猫のせいじゃん」
麻衣の言いたいことはわかる。
カップルかどうか以前に、俺たちを見て一番に思うのが「猫すっご」だ。ベンチに座る俺の足、腰、腕に擦り寄ってる猫がいるので、自然と麻衣は距離をとって座っていた。ジーンは俺のお腹のあたりを陣取ってる。
「すまんな、俺が猫に好かれ過ぎるせいで」
「ほんとに。でもいったい、どうしてなんだろうね」
「前世で猫を助けて死んだから」
「なにそれ───、」
麻衣が笑い出した瞬間、俺の周りにいた猫たちが、ピクッと身構えた。
そしていっせいに、なにもない宙を見て、ウゥと唸り始める。
"───来た"
ジーンが鳴いたと思ったら、声が頭に響く。まさか、いるのか?霊が。
そう思った瞬間、一滴、しずくのようなものが落ちてきた。
俺は咄嗟に、ジーンを抱きしめて背を丸める。直後ざぱんっと音を立てて大量の水が降り注いだ。
「つ、……めたぁ~……」
「なにこれ~!」
隣の麻衣は悲鳴を上げ、濡れた頭や身体を叩いて水を弾いている。
ジーン以外の猫たちは水の勢いに驚いて一目散に逃げだしてくところで、反対にぼーさんが慌ててこちらに駆け寄ってくる。
大丈夫かと聞かれて、大丈夫とは答えるが、かなりの水量だったので痛かった。
「すごい勢いだったな、ほんと」
「ね、聞いてた話より激しいんじゃない?」
麻衣とぼーさんがそんなやりとりをしている間、ナルと真砂子が一向にこちらに来ないと思った俺は姿を探す。離れたところでしゃがみこむ真砂子と、それを見下ろし戸惑うナルを見つけた。
何事かと反応する俺につられて、麻衣とぼーさんも向こうに意識をやった。そしてただならぬ雰囲気を察知して、彼らの方へと駆け寄っていくことになった。
着物が地面につくのも構わず蹲る真砂子は、ナル曰く急にこうなったのだという。
直前俺たちの方を見て何かを感じていたようだったと言いかける。だけどどこからか、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
その音の正体を探るべく皆の目が彷徨って、頭がゆらゆらと揺れる真砂子へと集まっていく。一瞬誰なのかと迷うほどには、知らない声だと思ったがやがて声は大きくなり、真砂子は顔を上げる。
「いい気味だわぁ」
彼女の顔はその声の通り、笑っていた。
真砂子には女の霊がついているらしかった。
「風邪を引いて肺炎にでもなればいいのよ~」
陰湿なことを宣う彼女に、一同は気圧され気味だけど事情を聞く姿勢をとる。つられて俺もその群れに加わったのだが、突如真砂子の肩が大きく跳ねた。
「ひぃ、猫!!」
俺は思わずジーンを抱いたまま立ち止まった。
真砂子に憑依した女はどうやら、猫が苦手らしい。怯えと焦りによって、後ずさる。
俺はナルと真砂子を交互に見て、ジーンを軽く揺らした。
「原さんから出て行くかな?」
「いや、今はこのまま話を聞きたい」
「そう」
ジーンをべちょっと引っ付けてやろうかと思ったが、ナルの目論見は違ったようだ。俺は大人しく、ジーンを抱き直す。
「わたし、猫に驚いて転んで、頭を打って死んだのよぉ~~~」
そんな声が聞こえて、可哀想に思った俺はジーンと一緒にその場から離れた。
ベンチに座って、三人の影を眺める。
さっき逃げた猫たちがまた戻ってきて、俺にニャアニャア言ってきてるので、手慰みに撫でるとジーンが割り込んできた。近頃、すっかり猫になりきってるなあ、こいつ。
飼い主のツトメとして優先的に撫でてあげるが、中身十代の少年なんだよなと思うとしょっぱい気持ちになる。
「……あの人、成仏できると思う?」
「みんなが説得してるし、大丈夫だろう」
気を紛らわすように、ジーンに話しかけるとまともな答えが返って来た。
たしかに俺の記憶によれば、あの女の霊自体はあっさりしたタイプだった。やる事は大胆だったけど、人に話を聞いてもらってスッキリして昇って行ったはず。
そう思っていると、三人の姿がおもむろに上を仰ぎ見はじめた。ジーン曰く「逝くみたい」とのこと。
俺にはなんの霊感もないが、心なし日暮れの空が清々しく見えた。
事を終えた後、我に返った真砂子ともども、三人が俺の元に戻ってきた。
そしてまたしても猫を侍らしてる俺を見るなり、呆れや拍子抜けの様な表情を浮かべる。
またたびでも仕込んでるのか、とぼーさんにじろじろと見られているうちに、俺の周りにいた猫たちは再び逃げて行った。
「くんその格好どうする? オフィスよって乾かしてく? いいよね、ナル」
俺と同じく濡れてる麻衣が、ふいに俺の腕を引いた。
返事を待たずしてナルに許可をとっているので、ほぼ決定事項になっている。まあ、乾かす場所があるならそれは助かるんだが。
「オフィスって猫オッケー?」
「……仕方がないでしょう。あまり、ウロつかせないように」
俺が来ること自体はそう嫌がっていないが、猫の存在はナルにとっては若干嫌だったみたいで肩を竦める。しかしジーンはお利口な猫なので、問題は無いだろう。ジーンの前脚を挙げて了承の返事をした。
それにしても、髪の毛が水を吸ってしまって、鬱陶しい。
この身体はどうも、髪を切っても前髪がすぐ伸びてきて目にかかる。そういうキャラデザなのかもしれないと諦めていた。
しかし現実は髪をかき上げたりすることは可能なわけで、俺は濡れた前髪をぐしゃりと後ろに受け流す。う~ん、視界良好。
「そうしてると男前じゃないか」
「ほんと~? やった~」
ぼーさんの褒め言葉に純粋に喜びつつ、ぱちっと視線が合ったナルや真砂子がそっと目を逸らしていく。なんで? なんか少し悲しいので救いを求めるように麻衣を見た。
麻衣は俺の寝起きだの風呂上りだの、寮生によって前髪をリボンで結ばれてる姿だのを見てきてるので、目を逸らすことはないだろうと。
「頭、全然拭いてないじゃない」
案の定、麻衣は全然気にしたそぶりもない。俺の髪が結構濡れているのに気づいて、口を尖らせながらハンカチを掲げる。
「いいのに~」
「じっとして」
拭いてくれようとしているその手に触れた時、麻衣の顔の横に、半透明のハートが浮き上がった。そしてぷるりと震えてピンクの輝きを放った後にその色に染まる。数字は───45%だ。
「へぁ?」
「な、なに……?」
アホな声をだしながら、麻衣を凝視した。手の中にあるのは麻衣のハンカチと、麻衣の手だ。触り心地からしてもちろん、素肌。
思えば麻衣に触れることはあってもそれは大抵、服や髪の毛の上からであって、素肌に触れたことはない。
「なんで……、」
麻衣の好感度が表示されるんだ───?
疑問を呈した直後、考えるよりも先に答えが導き出される。
俺への好感度なんだ、これ。
*
(ジーン視点)
の部屋の、クッションに身体を投げ出した。
学校へ行っている間はこうしてウトウトしていることが多いのだけど、実際に眠れたことは少ない。でも今日はとろりと意識が溶けて、脳裏にはナルの姿が見えてきた。
こんな時、決まってナルは調査に行っている。
ナルを中心に、麻衣やリン、ぼーさんあたりの姿も感じられた。
場所は高校のようで、顔はわからないまでも生徒や教員の姿もあり、会話内容が聞こえてくる。
学校にはいくつか、鬼火が漂っていて、悪意的なものを感じた。それをナルに伝えたいけれど、今の僕とナルは波長が合わない。だから麻衣の意識を手繰り寄せることにした。
「───麻衣、……麻衣」
「っわ……、え、ジーン?」
反転色をした校舎の中、周囲を見回す麻衣に呼び掛ける。
彼女は僕の存在に気づいて、戸惑いながら見下ろした。
初めて麻衣との学校の旧校舎で会った時も、喋る猫という風体に目を白黒させていたけれど、今日も相変わらずだ。
僕だって、夢とは言え突然猫が話しだしたら驚く。死後、暗闇の中を揺蕩う意識だった僕も、喋る猫の姿をしたネコ 様に起こされたからわかるんだ。
「どうしてここにいるの? まさかまた脱走!?」
「今回は大丈夫」
麻衣は以前の調査の時、僕が直接忍び込んだことを思い出して辺りを見回した。
あの時には「俺の猫という自覚をもて」と言われた。あれは、僕が万が一目撃された場合、飼い主であるに迷惑が掛かると言うことだ。ちょっと、ドキドキしたのは内緒である。
「───見える?あちこちにある鬼火が」
気を取り直して、麻衣に校舎内を見るよう促す。僕の言葉につられた彼女は、あっと小さく声を上げた。
「いったいこれ、なんなの?」
「あまり良くないもの」
僕としてもこの鬼火の正体が何なのかまではわからず、麻衣と話しながら探っていこうとしていたところで、麻衣と僕の意識は徐々に離れていく。麻衣が起きるのか、それとも僕が起きるのか。
ぷつりと繋がりが途切れた後、僕はの部屋で目を覚ました。
遠くから廊下を歩く足音がして、三角の耳が自然とそちらに向き出す。───が、帰ってきたのだ。
クッションから身体を起こしてドアの前までいくと、開けられた。そして僕を見下ろしては言う。
「ただいま、ジーン」
「おかえり」
普通に話ているつもりだけど、猫の身体はにゃあと鳴いている。でも、彼には夢の中でなくても、僕の声が届く。
僕と同じように、は一度命を落として同じ存在───ネコ 様に会っているからだ。
は人としての寿命が残っていたから、別の世界からこちらへ来たらしい。対して僕は定められた寿命だったので、この世で猫の形をして存在している。僕との境遇は似て非なるものだが、生きていた時と取り巻く環境が変わると言う共通点があった。
それにネコ 様が言っていた。
───「あれはちと、この世では魂の結びつきが弱いのでな」
の魂は異世界から来ただけあって、この世に定着できていないらしい。
だから死んでもなおこの世に役目がある僕を、ネコ 様はの元へ送り出すように猫の形にしたのだと思う。
僕自身にある役目とか、の元へいって何をしたら良いのかは、正直分からなかったけど。
猫になってこの世に降り立った僕は、や麻衣の旧校舎の調査をするナルをこっそり見ていた。そしてがあまり調査に立ち会わなかった為に、ナルでもなくでもなく、波長の合う麻衣の前に姿をあらわした。これは僕としても思いがけない出来事だった。
結局と会えたのは、その後のことになるが割愛する。
「なんだ、寝てたのか」
ふと、指先が伸びてきて僕の頬をが撫で擦る。毛並みに寝ぐせがついていたみたいで、笑われた。
本当なら恥じらい顔を背けるところなんだけど、甘えるように擦りついていた。でもはそっけなく、すぐに離れてしまう。
「眠れた?」
僕は普通の猫のように睡眠をとらないから、は制服を脱ぎながら問いかける。
「眠れた。麻衣に会えたよ。調査中みたいだった」
「ああ、最近学校休んでるもんな」
麻衣とは同じ家に住んでいるので、調査に行ってること自体は知っていたみたいだ。
しかし僕がどういう目的で麻衣の夢に現れ、何をしているのか、に話したことはないのに彼は何も聞いて来ない。興味がないとか、感心を向けないように気遣いをしていると言うよりは、何かを知っているかのようだ。
思えば初めて会った時、は僕の名前を言い当てた。麻衣がナルと呼んだのとは、まったく違う。まるで僕のことを以前から知っていたみたいだった。
でも、は別世界を生きていた人であり、目覚めたのもこの春だと聞いている。元の世には僕は存在しないだろう。
僕が自分のことを言わない分、に聞かないでいたけれど、近頃の彼はどこかよそよそしい気がしてもどかしく思う。
撫でる頻度が減った気がするし、例え撫でててもすぐに手が離れて行ってしまう。
「───さて、俺はバイトいくかな」
まただ。は僕に手を伸ばしかけてやめた。まるで急ぐように話を変える。
ネコ様は僕をこの姿にするとき「これならあれも喜ぶであろ」と言っていたのに。いや、猫が嫌いになったわけではなくて、僕のことを避けている。
そんなの嫌だ。そう思った僕は、離れていく手に思わず噛みついた。
は当然驚いた。僕も、噛むつもりなんかなくてはっとした。
逃げ出ようとした時以外でには爪を立てたことすらなかったので、慌てて放した。血は出ていなかったけど、小さな歯の痕がついてしまっている。
「ご、ごめん」
「───いや、…………」
は怒ったり、傷ついたようではなくて、茫然としていた。僕に噛まれることなんて想像しないだろう。
妙な沈黙が続き、時計の秒針の音がやけに大きく部屋に響く。
「ふ」
けど、噴き出すような声がした後顔を上げれば、は蹲って笑っていた。
どうして、とその様子を眺めていると僕の困惑に気づいたは、口元を手で押さえて笑いをこらえる。
「おまえ、……すっかり猫だなぁ」
「!」
くくっと喉を鳴らしているは、僕が本能的に猫らしいことをしたのが面白くなっていたらしい。
「は猫……好きじゃないの?」
「え、なに?」
「僕のこと最近、撫でてくれない」
言ってしまってから、羞恥心が沸きあがる。
これではまるで、に撫でて欲しいみたいだ。……いや、本音は多分そうなんだろう。僕はすっかり猫らしくなってしまったのかもしれない。
「ジーンを撫でなくなったのは、なんつーか、普通のことだと思うけど?」
「どうして?」
も自分で意識して僕を撫でなくなったと認めた。
気に障ることをしたかと恐れて窺うと、彼は軽く笑って目を逸らした。
「いや、今までがおかしいんだって。中身人間であることをさ、忘れてた」
途端に、僕は自分が人間であるときに、に撫でられている光景を想像した。
頬や顎に、の指が伸びてきて、すりすりと動く。そして僕は目を細めてうっとりとする。
他には、───自分の頭や身体を擦り付け、腕の中に納まり、腹に寝そべり、首筋に鼻を押し付ける。
「あ、う……ぼく……」
「想像した?」
しどろもどろになると、はいたずらっぽく笑った。
そんな彼を見れなくて、そして見られているのに耐えられなくて、顔を覆って蹲った。
「そういうわけなので、軽率に撫でるのはヤメます」
はそう言って、バイトへと出かけていく。「あと俺は犬派だ」と言い残して。
*
見える好感度が自分に対してのものだと分かってから、俺はネコ 様になんとかコンタクトをとれないものかと考えた。しかし、いったいどうやって?
ネコ 様は俺に寿命が来たらまた会うだろうと言っていたので、そうやすやすと会える存在でもないということだ。
それに、会ったとして何といえばいいのか。なんで俺に好感度を見せる機能をつけたか?そんなの加護の一種だと言われれば納得である。だいたい、麻衣の好感度が見えるサポートキャラクターという立場からして、俺の勝手な勘違いだったのだ。メタフィクション的発想に溺れてしまった。
というわけで、現状は保留とする。
これまでどうにか麻衣の為に好感度をチェックしようとかしていた使命感は封印。黒歴史となった。ナルへの連絡先を渡すくだりや、ジョンとさりげなく(さりげなくはない)手を繋いだくだりなど、もう二度と思い出したくない。
……てか、皆の俺の好感度って、あんな感じだったんだア。それも含めて思い出したくない。今後はなるべく見ないよう、肌に触れないように心がけることに決めた。なんなら今後、絡まないように距離をとることも考えた。
けど、それはそれで、勿体無いだろうかと思い直す。ジーンとはちょっと仲間みたいなところあるし、麻衣とは距離をとるわけにもいかない。バイト先にはナルが度々コーヒーを飲みに来る常連になりつつあるし、所用で出かけるリンを目撃した時、手を振ると会釈されるのに達成感を感じる。ここまで築いた人間関係は、ゲームの中で数値的に溜まっていくものではない。ましてや、一方的に浅はかな考えでリセットするのは失礼だ。
「お、きた」
今日もまた、常連のナルが来店する。その光景がどれほど貴重なものかを俺が一番知っていた。
ナルはゲーム内ではよく麻衣にお茶を入れさせていた。でも現実は、俺がカフェを差し入れしてからここに通うようになった。あくまでコーヒーが目当てだとして、ナルという存在に少しの影響を与えたと思うと、俺は不思議と胸が躍るのだ。
「接客態度の悪い店員がいる」
「アハ!いらっしゃいませえ~。お好きなお席にどうぞ」
「ああ。いつものを」
「かしこまりました。お客様、コートをお預かりいたします」
俺の接客態度を指摘されたので、今日はナルの肩に触れながらコートを脱がす。
そして席に付き添いながら、預かったコートをハンガーにかけて吊るした。
「そんなことまでするのか」
「渋谷様には特別です」
たった今クレームが入った相手へのVIP対応というわけだが、ナルは俺のセリフにきょとんとした。
その間に恭しく礼をしてその場を離れようとしたが、テーブルに用意してあったメニューを回収しようとしたその手が、ナルの手とぶつかる。
「あ、ごめん。見るんだった?」
「いや、いい」
渡そうとしてくれたのかな、と思いつつ改めてメニューを回収した。
そして俺は記憶を反芻して先ほどナルに一瞬だけ見えたハートと数字を思い出す。
35%になっていた。
相対的に見れば低いんだが、初対面やナルにしてみればと考えると、高いなと思ってしまう。
俺はやや遠い目をして、コーヒーの準備へと取り掛かった。
これからいったい、どうなっちゃうの~!?
end.
やっと自分への好感度って気づいたネ!!!おめでとう!!
次はサイレントクリスマス(できれば)と緑陵……安原修まっててくれよな……。
ネコ様の、猫の姿をしてれば喜ぶだろうといのは、主人公が命を賭して自分を助けたという自負から来ている。
あとは猫ちゃん・神様的上から目線で。人類は皆ネコチャンが好き、ネコチャンの下僕というのがうっすらとあるネコ様であった。
May. 2025