I am.


DADDY - Red Eyes 03

静かな夜だった。窓の外では雪が降っている。街を、山を、空を白で埋め尽くそうとしているかのようだ。
寒さのあまり、窓が凍えるような悲鳴をあげていた。しかし冷気は部屋の中までは入ってこられない。
程なくして、部屋の外で物音がした。やがてドアが開けられ、隙間から小さな頭が覗く。
「だでぃ……?」
呼び掛けてきたのはジーンだ。二歳になって、ずいぶん口調は滑らかになった。
ドアの所で動かずにいるのは、俺が立ち上がって迎えに行き、抱き上げてやるのを待っているようだった。
「怖い夢を見た?」
「ん、こあい」
お望み通り近づいて手を差し出すと、縋りつくように身体をよじ登ってくる。後頭部はベッドから抜け出したほんの数十秒たらずで、ひんやりしていた。廊下がそれだけ寒いということだ。

怖い夢、というのはおそらく低級霊か何かのしわざだ。ジーンは最近成長が著しく、自然界を感じ取れるようになった。
魔族は魔力の流れ、精霊、人や動植物が持つ魂など、あらゆるものを感じて眼にすることができる。その為ジーンの世界は今、あらゆるものに溢れていた。
本人に魔力があまりないことで、格の高い精霊の類は姿を見せることはないが、低級な精霊やこの世に燻る人の霊などはむしろ、ジーンの弱い魔力とか無垢な魂に釣られて集まってくる。それで時折ちょっかいかけられることもあった。
もちろん俺の庇護下でジーンに害を与えることなどできはしないが、そういうものの存在を知ったジーンにとって、夜の静けささえも恐ろしいものなのかもしれない。
「怖がらなくていい。ダディがまじないをかけてやる」
背中を撫でてやりながら身体を温めてやると、ほうっと息を吐いた。
そっと顔を上げたジーンにどうかと尋ねると、怖くなくなったと頷かれる。俺の魔力があれば低級霊が近づかないから当然のことだろう。
「さ、ベッドルームに戻ろう」
「……やだ」
落ち着いたので再度寝かしつけようとすると、ジーンは嫌がって俺の首に巻き付いた。ここに朝までいるんだと。
「朝ナルが起きたら一人なの、寂しいじゃないか」
「なるさびしい?」
「うんうん」
「だでぃもさびしい」
「うーん?」
廊下を歩きながら、ジーンの発言に首を傾げる。俺は別に寂しくないし、まだ仕事があった。とはいえ否定したら駄々を捏ねそうなので「ちょっとだけ」と返しておく。

ベッドルームに忍び足で入ると、ナルはその瞬間に起きた。音がうるさかったわけではないが、何となく存在を感じ取ったのかもしれない。
「だでぃ……?」
目を擦ろうとするナルの手を止めながら、ジーンをベッドに下ろす。
そしてナルの顔にかかる髪をかき上げた。
「起こしてごめん、ナル───眠りな」
「うん……」
お休みのキスの代わりに、額に指の腹で円を描くようになぞると、ナルは身体の力が抜けていく。
ぽてりとベッドに転がったので、毛布を掛け直してあげた。ジーンは横で、もぞもぞと動いて定位置に落ち着く。しかしスペースをあけてそこを叩いた。
「ここ、どおぞ」
「どおぞ、じゃないだろ……───はいはい、お邪魔します」
うりゅっと眼に涙を溜めたので、俺もベッドに潜りこんだ。……涙を流されるのは、なんかいたたまれない。
しかし困ったことに、ジーンは俺の身体に乗っかるわ、ナルが寝返りを打って俺に辿り着くわで、逃げ場が無くなった。
……俺が温かいばかりに。



いつの間にか雨が混じりだした雪の音と、小さな楽器の奏でる寝息に、俺のかすかな息遣いが混じった。その気配に乗じて、俺は一族に伝わる歌を小声ながらも聴かせる。
これは子の安寧を願うまじないがかかっていて、親が歌うことで効果を発揮する。半分は人間でも日々魔力を交えてきた俺が歌えば、この子達にも効くはずだ。
その証拠にナルもジーンもほくほくに温かくなった。

ジーンの背中を撫でいると、ふいに滑らかな手触りの何かが俺の指先をくすぐる。───それは、ジーンの羽だ。まだ小さいが、時折ぴょこりと生え出す。
俺たちの一族は本性が鳥の形をしているので、羽があるのは不思議なことではない。特に肉体面において特性を受け継ぐことの多いジーンには、この事態は少なからず予想していた。
幸い物質がこの世のものではない為羽が服を破ることはなく、人の目にも映らないだろう。けどナルの目にはつくかもしれないので、半年ほど前に初めて生えて以降、俺が定期的にしまい込んでいる。
ナルには羽が生える兆しはないし、双子はまだ自分たちの出生について理解できないだろうと思ってのことだ。
まだ育ちきらない、そしてどう育つかわからない状態の今は、なるべく人間の子として生きる道を作ってやりたい。
魔族の子として生きるには、こいつらは弱すぎる。

しかしまあ、こういう同族っぽさを感じると、笑ってしまうな。
ナルの魔力のにおいもそうだが、ジーンの羽なんて特に、うちの一族特有のものだから親近感がわく。
くふくふと揺れながら、羽を指先で動かす。ジーンは変な感覚がするのか、ごろりと寝返りを打って逃げた。そしたら俺に背中を向けて羽を無防備に晒すことになるのだが、今度はちゃんと封じてあげることにした。


双子がすっかり眠りについたあと、やっぱり俺は朝まで逃げられなかった。
ジーンはよく動くので隙が作れるけど、ナルは一度掴んだら俺の事を放さないのだ。本能で、俺にくっついていれば安全というのがわかってるらしい。
朝起きた時、俺のシャツにはナルが握った皺がくちゃっとついていた。
「なんでいる?」
そのくせ、口では不思議そうに俺の存在を尋ねてきた。こいつめ。
答えないでいると、勝手にジーンが呼んだんだ、と納得している。それは合ってるんだよな。
そのジーンは夜更かしした結果、朝寝坊に向けて元気に爆睡中だ。
「ナルはもう起きる?」
「おきる」
こくりと頷いたナルのこめかみに、キスをする。これがおはようの挨拶のふりをした、一日一回の魔力チェックだ。おやすみのキスでやる時もある。
「じゃあご飯にするよ」
「……じーん、おこす?」
「まだ寝かしとく」
ベッドからナルを抱っこしたままリビングへ行き、濡らしたタオルを温めてナルの顔を優しくふく。その後も身支度をさせつつ朝飯の準備をして食わせていると、でででっと走って来る音がした。ジーンである。
起きたら一人だったから猛抗議だ。
ナルにバナナヨーグルトを食べさせている俺の脚に引っ付いてる。
「おはようジーン」
ジーンはウンウン言いながら頭を振った。
「じーん、じゃま」
「じゃまじゃない」
「どいて」
「やだもん」
ナルとジーンがおしゃべりをしている中、俺は隙をついてナルの口にヨーグルトを入れることに専念した。その為ナルはジーンに言い負けてるわけだが、そんなものは知らん。
「よぉしナル、今日はデザートまで全部食べれたな」
「!」
いつのまにか、普段なら残す量の朝飯を食いきっていたナルは、自分でも驚いたみたいに目の前の皿を見つめた。いや、青い顔しすぎ。どんだけ食べるの嫌いなんだよ。
まあ下界の食べ物を食った後ってどうも、魔力の流れが鈍くなる気がするかもな。慣れないナルには特にそう。でもナルは肉体が人間なので、最低限の栄養をとらなければならないのだ。


ナルに続いてジーンに朝食を食べさせた後、片づけをしている間に双子はそれぞれ、絵本を読んだり、ブロック遊びをしながら待っていた。
皿を洗って、キッチンを掃除して、昼に何食べさせるか考えて……っと。そういえば、食材があまりないんだった。
「買い物いくかあ」
窓の外を見ながらぼやいた。
昨晩降っていた雪は止み、外は真っ白な世界になっていた。山々に囲まれ標高の高いこの地域ではよく見る光景だが、この中を買い物に行くのは毎度、億劫になる。
俺の呟きを聞き取ったジーンが走って来て「ぼくもいくーっ」と脚にしがみついた。ナルの方を見れば同じく聞こえていたようで、こっちを見ている。
「そといきたいの」
ジーンはおねだりするように小首を傾げた。
「じゃあ買い物の後、公園いく?」
「いく!」
外に出るのは億劫といったが、子供が外で遊んでくれるなら悪い事じゃない。
そう思って俺は、防寒具を持ってくると言ってリビングを出る。背後ではジーンとナルの「いこう」VS「いかない」論争が展開されていたが、おそらくナルが押し切られることになるだろう。



もこもこに着込ませた双子を連れて外に出ると、ちょうどシャロンが買い物から戻ってきたところだった。
きっちり厚着して、スノーブーツにステッキ、買い物袋を持った出で立ちだ。
こういう時は俺が手助けをする約束だったのに。彼女は子守の礼をまったく受け取ってくれないなあ。
「ちょっとそこまで行って来ただけだよ」
俺のそんな気持ちが通じたのか、シャロンは肩を竦めた。そしてまるまるした双子を見て、目を細める。
「おでかけかい? 転ばないように気を付けて」
「『ぼくね、こうえんいくんだ』」
「ジーン、それおうちのなかの言葉」
ジーンは公園が楽しみのようで、シャロンに自慢しているが日本語なので通じてない。日ごろ外と中では話す言葉を変えるというのは、なんとなく子供達の認識にあったが、感情の赴くまましゃべると、やはり日本語になりがちだ。
シャロンはそのことも承知して、預かった時にたくさん英語で話をしてくれているのだが、もう少し英語に触れる機会を作った方がいいだろうか。
……いや、ゆっくりでもいいか。



next.

兄とか親子とか描写してるけど、魔族は混沌から始まる生命と言ってる通り肉親という意味ではない。ただ同種がいて一族というくくりになっていて、それが身内という認識。
Sep. 2025

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