I am.


DADDY - Red Eyes 06

(ナル視点)

一番始まりの記憶───それは、緋色。だれかの双眸。
顔に近づいてきて、肌と肌が触れた拍子に身体が楽になる。苦しくて、寒くて、痺れて、気持ち悪くて、痛い───そんな不快感が突然消え去った。

生まれたばかりの僕は、この身体が持つ力の暴走に苛まれていたらしい。
"らしい"、と言ったのは、生まれてすぐにこの力を安定させる存在の叔父に保護されたため、実感することがほとんどなかったからだ。
自覚出来たのは五歳のころ、一人で力を使った時だ。苦痛や困難を体験し直したことで、幼い頃の記憶に理解が及んだ。

七歳の時、母が死んだ。ずっと同じ家に住んでいながら、人形のようにただベッドに横たわっているだけの存在だった。
微かだが意識はあるようで、目が動いたり、声を出そうとすることもあったが、まともにコミュニケーションがとれた覚えはない。育てられた期間もあったはずだけど、僕の始まりの記憶は叔父に触れた時から始まっている。したがって愛着や思い入れなどはなく、むしろ彼女が不自由な身体でいることを憐れに思っていた分、解放されたことを安堵したくらいだった。
埋葬の日、用意された喪服に着替えていると背後でドアがノックされた。ネクタイ以外は身に着けていたので、返事をするとドアは開けられる。叔父が部屋の中を覗き込んだ。
「ナル、準備できた?」
「───うん」
僕が頷くと、隣の部屋からジーンが「ネクタイがむすべない」と騒いでいる声が聞こえる。
「ジーン、後で結ぶから」
叔父は廊下に向かってそう言いながら、僕に近づいてきて手を伸ばす。
僕は最初からネクタイを結ぶのは諦めていたので、叔父に渡した。準備ができたかと聞かれて肯定したが、この程度で異を唱える人ではない。当人はボタンで着けられるタイプにすればよかった、と苦笑いしながら僕の首元に手をかけた。
「苦しくないか」
「ない」
「よし、リビングで待ってな」
「わかった」
僕は叔父に背中を押されて、廊下に出た。しびれを切らして部屋から出ていたジーンとすれ違う。僕の背後で叔父に世話をねだっている声を聞きながらリビングへと向かった。

三人の準備が整い外へ出ると、向かいの部屋に住むシャロンが先に待っていた。彼女も喪服に身を包み、僕たちを見るとその顔を悲し気に歪ませる。
シャロンは僕たちが生まれる前から母と親交があり、叔父がどうしても手が離せない時、僕たちは彼女の家に預けられた。家の中では日本語を使う僕らに、英語を教えたのは彼女である。
「あの子も、長い事頑張ったね……」
シャロンはレースのハンカチで、目頭を抑えた。
僕とジーンは、母が人形のようでも生きていた年数がすぐにわかった。僕たちを産んだことでああなったのは、言葉にされたことがなかったけど察していたから。
僕たちに背を向けて鍵を閉めていた叔父も、その重たさを受け止めてか、口を閉ざしていた。
こうして揃った四人と、一人の亡骸と共に僕たちは墓地へと向かう。
母には親戚などがいないらしく、見送りの人数に変更はなかった。
埋葬まで手配したのは全て叔父だが、彼は母との血縁ではない。父の弟だと聞いている。
父は、いったい何をしているのか───そう思ったことがないわけではなかった。でも、僕たちが自分について少しずつ知る時、父についても多少のことは叔父から聞いた。
母に僕らを産ませ、僕らを叔父に預けて失踪した。そんな経緯の後にこう締め括られた。───「ひとでなしだ。考えなくていい」

正直、ほっとした。
父について思考を割きたくないと言うのが本音だ。僕たちの父とも呼べる存在は、叔父のままでいい。
周囲の声を聞いて育ったから、彼のことをずっと「ダディ」と呼んでいた。それが名前だと思っていたにすぎないが、本来父がするはずだった役割を全うしたのは紛れもなく叔父だ。
抜け殻のような母と、失踪した父───僕たちをこの世に産み落とした者たちには、正直言って特に何の感慨もない。ジーンは母には同情していたが、父については考えないようにしていただろう。
父について考えれば考えるほど、幼いころの澄んだ記憶が濁る気がして嫌だった。叔父は父と会わせるつもりはないと言っているので、僕たち三人とも父については触れないことが暗黙の了解になった。

叔父は母の埋葬を終えた後、荷物をまとめるように言いだした。この家は母の家だったから、居心地がわるいのか。しかし、当分の荷物をまとめるだけにしろ、と言われたので衣類と読みかけの本と、学用品だけを準備をする。
そうやって碌な説明もないまま連れてこられたのは、教会に併設された孤児院だった。僕とジーンは自然と、叔父のコートの裾を掴んだ。頭の中では抗議をしていたけど、言葉は出てこなかった。

「この子達は二人部屋にしてください」
「薬全般にアレルギーがあって……体調が悪い時は医者にみせず、ぼくに連絡を」
「オリヴァーは肉類が食べられません。小食ですが、同年代と同じ量を食べさせていいです」
「寄付金についてはこのくらい……──────ええ、月末には振り込むよう手配します」

叔父は忙しなく、神父や職員とやり取りをして院内を動き回った。僕は目まぐるしく行われるやりとりに翻弄された。
会話の内容からここに置いて行かれることを悟り、とうとう一言も口をきかないままに、二人の部屋と言われたところで待機つよう言い渡された。
暫くして、叔父だけがやってくる。ひたすらに不安を抱えていた僕とジーンはドアが開いた途端、その足元にまとわりつく。
ここはとても寒かった。いつもみたいに、叔父に温めてほしくて。
「すこしだけだ」
おもむろに、叔父の手がそれぞれの頭に乗せられた。
軽く髪をとかし、耳をはさみ、頬を摩られ、顎の下を軽く掻き、最後は額に指で円を描く。彼はキスやスキンシップを頻繁にする人だった。
"少し"という言葉になんとか不満を飲み込み、それでも訴えるよう叔父を見上げる。この日は不思議なほど目が合わなかったが、ようやくその緋色の目が僕を見た。
ゆっくり屈んだ叔父に、ジーンはたまらず抱き着く。僕は腕を回されたので近づき、背を撫でられた。
「ほんのすこし、ここで待ってて」
言いながら珍しく音を立てて触れないキスをされた。
それがむしろ、虚しく感じた。


結果から言うと、叔父のいう"すこし"は、幼い僕たちにとっては途方もない時間だった。僕たちは孤児院に預けられたまま、八歳の誕生日を迎えた。
バースデーカードとビスケット、それから一つのオルゴールが叔父から贈られてきた。二人で一つなのは同じ部屋で寝起きをしているからだろう。白い木箱のそれは蓋を開けると音が鳴るようになっていて、流れる音楽は、叔父が時折寝かしつける時に口ずさむ唄のメロディだった。タイトルも歌詞もわからなければ、叔父の口以外から聞いたことのないもの。
寝つきの悪いジーンの気休めくらいにはなるだろうし、同じ部屋で眠る僕を邪魔しない程度の音色だ。
オルゴールの中は、半分に仕切られていた。片方は音が鳴る仕掛けになってガラスで閉じ込められており、もう片方は小物入れのようだったが、既に小さなきんちゃく袋が二つ仕舞われている。
それぞれ手に取って中身を出すと、揃いのペンダントが入っていた。
「あか……」
思わずつぶやいたのは、皮紐に括られた緋い石を見て。まるで燃える炎から垂れてきた雫のようだった。
それを目の前にぶら下げてるとジーンも同じようにしていた。自然と揺れる二つを横に並べると、叔父の瞳がそこにあるような気がしてくる。
僕はふと思い立ってペンダントの飾りを握りしめる。───温かい気がした。同時に、胸が引き込まれるようにざわめいて、視界が一転する。
吹雪の中を抜けていくような眩暈のあと、見知らぬ家の階段、廊下、ドアを飛ぶように駆け抜け、続いた部屋の中に入ると、そこには三人の人物がいた。
リビングの様な場所のソファで、叔父の後姿がある。向かい合って、夫婦らしき男女がいる。知人の家に来た、というような風体だ。

叔父が何かに気づいて振り返った後、まるで僕がそこにいるかのように見つめて、名を呼んだ。
「……、オリヴァー?」
まさか、と思う間もなく叔父はシニカルに笑う。───「読んだか」と。
僕が物から記憶や思念を読み取れるようになったとき、叔父は驚かずその特性を模索して制御の仕方を教えた人だ。今回も全く動じない上に、僕に気が付いて声をかけてくるのだから驚かされるのはこちらの方だった。
僕はこの、サイコメトリーとテレパシーの併用のようなやりとりは初めてだったというのに、叔父はなんてことないように言葉を続けた。向こうで一緒にいる夫婦の困惑も置き去りだ。
「もうすぐ、会いに行くよ」
そう言った瞬間、僕は肩を叩かれて我に返った。
フリーズしていた僕を、ジーンが現実に引き戻したのだ。
途端に膝から崩れ落ちて、しばらく気が抜けたのを覚えている。

その約一か月後、宣言通りに叔父は会いに来た。僕が読んだ時に共にいた夫婦を伴って。
彼らはマーティンとルエラ・デイヴィス夫妻。イギリス在住で、夫の方はケンブリッジにあるひとつのカレッジで教鞭をとっている。専攻は法学だが、超心理学も研究していて、SPRとも付き合いがあるのだそう。
僕とジーンは、この夫婦に養子に出されることになった。

孤児院に黙って置いて行かれた時とは違って、今回は言葉が出てきた。けれど、その末に吐いた言葉を今も後悔している。

「……『ひとでなし』……」

あの時の僕が知る一番の罵倒だった。
ただ抗議したくて出たもので、それで相手がどう思うか、どんな顔をするのかを知らなかった。
「……、ナルの言う通りだ」
叔父は一瞬驚いた顔をして、それから目をそらし、笑う。
傷ついたような、悲しんだような顔をした叔父を見るのは、あれが最初で最後だった。



next.

ナルはジーンが叔父さんに甘えてるところをフーン?って見てるけど、自分もかなりナチュラルに甘えていることをご存じでない。
Oct. 2025

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