I am.


DADDY - Red Eyes 11

(ナル視点)

昏い水の底へと沈んでいく光景に、思考が溶けだしていくような微睡みを感じる。
───寒い
───寒いよ、ダディ
涙ぐむような上ずった声がした。
───ナル
呼ばれているのが理解できるのに、手を伸ばしても宙を掻きむしるばかりで何もつかめない。身体の芯から冷えていく中、呼吸さえままならなかった。

「オリヴァー!」

はっきりと名前を呼ばれ、目の前に一瞬火花が爆ぜる。
途端に意識が明確になった。
僕を呼び覚まし、寒さを取り払い、悪夢を退けたのは叔父だ。
やけに荒々しい呼吸の音がすると思ったら、肩を揺らした自分自身の息だった。
全身が濡れているような気配がしたけど、叔父の手が触れた所にはその不快感がない。
「大丈夫だ、落ち着いて」
肩に寄りかかりながら背を摩られると、次第に自分の形が取り戻されていくのを感じた。
彼は昔から僕の身体に触れることが多かった。本人の愛情深さもあっただろうけど、僕が力をコントロールするのが下手だから、宥めるようにそうしていたのだと後になって気づいた。だから、随分世話になった手だ。叔父に触れられることは本能的な安心と鎮静につながる。
やがて僕の呼吸が落ち着いてくると、顎をとらえて顔を覗き込まれた。緋い瞳は中に黄金が散りばめられているような色彩と輝きを放っていた。ふとその瞳が閉じられ、額が重なる。おそらく僕の見た景色を読み取ろうとしているんだと思う。
幾度となくそう言う経験があったので、僕は無抵抗に受け入れた。
やがて再び目を開けた叔父は、すべてを理解していた。

「ユージンが、死んだのか」

ジーンは昨日、依頼を受けて出かけていた。朝は叔父が仕事に行くついでに駅に送り届けて、帰りもまた遅くなるだろうから叔父が迎えに行く約束だったはずだ。
だが予定していた時刻になっても、最終電車が無くなる時刻になっても、ジーンは帰ってこなかった。
「なにをやってるんだろう」
しばらく駅で待っていたらしいが諦めて帰って来た叔父は、困ったように僕を見た。
あいつは時間にルーズなところが確かにある。夜中に家を抜け出して、遊びに行くことも。だけど、この時ばかりはそんなことをするとは思えなかった。
見当がつかずに首を振る僕に、叔父は苦笑する。
「いや、ナルに聞くことじゃなかったな」
「……依頼人に連絡を入れてみる」
「うん」
僕は今日のスケジュールと照らし合わせて、会っているはずの人物の電話番号を探した。
そして叔父の電話を借りて番号を押し、コール音が鳴り出すとその電話は叔父に回収された。
部屋の壁に向かって話し出した彼は、わずか数分で電話を終えて振り返る。
「16時頃には帰ったって」
「迷ったのかも。それで、充電が切れたとか」
ジーンが持っている電話は当然、僕たちの連絡を一切受け取ろうとしない。電波の届かない場所にいるか、電源が切られているそうだ。
「なくはないか……一晩待って、明日車で周辺を探しに行こう」
そんな風に言って、叔父と僕は一度休むことにして翌日を迎えた。
早朝から二人、車に乗り込んで依頼者の家へと向かう。ジーンがどこかへ寄ろうとしているなどの話が出なかったかを確認したが、そんな話はしなかったらしい。
次は周辺を車で回って、道に迷いやすい場所を探す。しかし結局、何の手掛かりも見つからないまま日が暮れた。

家に帰った僕は、ジーンの荷物の中に手掛かりがないかを探そうと、トランクを開ける。そして、服を掻き分けようと手を差し込んだ時に、視界が暗転した。

見えたのは、昼間の道路だった。背後から猛スピードで滑り込んでくる車を認識した時にはもう、身体が跳ね飛ばされていた。
スローモーションに見えるのに、身体は自由がきかず、アスファルトへ無遠慮に叩きつけられる。それから程なくして、車から人が下りてきた人物の足が見えた。
投げ出された手がかろうじて動いたのがわかる。───まだ、息がある証拠だった。
しかし、その後背後から車の走行音が近づいて来たと思ったら、潰されるようにして目の前が暗闇に包まれた。再び視界が戻ってきたときには、緑色のヴェールの中にいるような世界が広がっていて、自然と死を認識した。
時折僕がサイコメトリをする際に見る、死者の記憶の特徴と似ている。

死んだ身体が道路を引き摺られ、その後力任せに車のトランクに押し込まれた。
車は走行を始め、どこかのガレージのようなところで扉が開かれる。遺体は銀色のシートに覆われた後、また移動して湖の様な場所に投げ落とされる。
冷たくて暗い水の底に沈んでいくとき、俄かに聞こえだしたのはジーンの悲痛な声だった。

あの場所は、叔父の腕の中とは全て正反対だ。
冷たくて、暗くて、息もできない。孤独で、不安で、苦痛。
僕はゆっくりと叔父の腕の中から這い出し、一人で身体を起こす。先ほど叔父が言葉にした、ジーンの死を静かに受け入れた。

「ジーンの身体はどこだろう」
「湖の様な場所だったな」
「どのくらい見た? 見覚えは?」

意識を共有した僕たちは、すぐにジーンの居場所についてを話し合った。叔父は少なくとも僕よりは日本に詳しいはずだが、見覚えはないと首を振った。確かに特徴のある風景ではなかった。
「どこにいるか、わからない───……」
途方に暮れたような気配と、消え入るような声が叔父から発せられる。そして意味ありげに、僕を見た。
この家に来てから、何度かそういう視線を浴びた気がして、何なのかを問う。
「いや、ペンダント……を、つけていてくれたら、よかったんだけど」
「ペンダント?」
僕は首にかけていたそれを服の中から引っ張り出した。叔父は小さく頷く。
このペンダントは叔父と別れてイギリスへ行く少し前にもらったものだ。僕にとっては身に着けるのは習慣であって、これがないと落ち着かない気分になる。
でもジーンはよくつけ忘れた。いい加減だから、どこかにおいてきてしまったりもしていた。日本に来る前も、誤ってバスルームにまでつけてきてしまい、そこで外してそのままだった。僕は放っておくなと言ったのに。
「これに、なにか仕掛けがあるのか」
「あるような、ないような。とにかく、身に着けてないんだから意味はない」
はぐらかされた気がして、思わず眉を顰める。
ジーンを見つける手立てになるのであれば、と思ったけれど結局ペンダントはイギリスに置き去りで、叔父の言う通り議論しても意味がない。
しかし特に話題にしなくてもジーンがペンダントを"持ってきていない"ことが分かるくらいだから、何か仕掛けはあったのは確かだ。

「ナルは予定を繰り上げてイギリスに帰りな。ぼくは警察に捜索願も出すし、自分なりにも探してみるよ。ルエラとマーティンには後で連絡を入れるけど、ナルからも説明をしてあげて」

叔父は話を変え、今後についての指示を出す。
ジーンを探すことについては、もちろん僕より叔父の方が有利だ。だからって僕は引き下がるつもりはなかった。このまま日本に残れるよう、手続きをすればいいと。
だが、叔父はそれを許さなかった。僕がカレッジに入ったことや、向こうでしている研究などが全て打ち切られることになるから。そして何より、養父母にジーンのことを伝えるなら、僕が傍にいてやらなければならないと言う。

「叔父さんは、僕にいてほしくないのか」

我ながら子供じみた事を言った。
「まさか」
叔父は一瞬目を見開いたが、間髪入れずに否定する。そして僕を丁寧に抱きしめて、頬擦りをした。こういうとき、妙な衝動が身体の中を渦巻く。力の暴走とは違い、叔父が僕を抑えるのとも違う。ただ説明できない何か、本能のようなものが僕の頭や思考とは別にはたらいて、───目が熱く、涙が出そうになる。
「ナル、いやオリヴァー」
言い聞かせるように、はっきりと名前を呼びかけられた。自然と顔をあげる。
叔父は名前に何か深い信仰の様なものを持つ。正確に、そして丁寧に呼ぶことに、叔父の熱意が現れる。
「これまで育ててくれたルエラとマーティンを、おろそかにしてはいけない。今いる場所を作ってくれた、大事な人たちなんだから」
「そんなのはわかってる。でも」
「我を通したいなら、筋も通さないと」
叔父は人差し指で僕の発言を遮って、そう言った。



僕は叔父の言う通りにイギリスへ帰国した。それから養父母に、ジーンの死を見たことを告げた。
ジーンの身体を探すために僕が日本に行くのは、やはり大勢の反対があった。
今度は叔父の存在を理由に許可は出ないと言っていたがその通りで、彼は二人にはあらかじめ話を通していた。
ジーンが日本で殺され、その加害者が何者かわからない今、同じ顔をした僕が日本にいるのは誰にとっても危険性が懸念される。そんな中で叔父が許可を出した、などと言えば叔父の人間性も疑われるところだ。

それでも我を通すために見出した活路は、僕自身の能力と、研究成果と言っても良いだろう。それがサイコメトリを使っての捜索と、研究室の分室発足を申請することだ。
叔父に僕と同等ないしそれ以上の能力があることは、誰にも知られていない。ジーンを探す最も有効な人は、僕だと言えた。
その甲斐あって二カ月後、日本分室は急拵えではあったが発足された。
期間は限定されるが、その間に成果をあげれば済む話だ。維持するにせよ、撤去するにせよ。
但し、日本に行くにあたって、いくつかの条件をのむことになった。まず、研究の名目で日本に滞在すること。つまり、叔父の家には滞在できない。これは叔父に極力甘えないという、養父母からの要請でもあった。
次に、一人で力を使わないこと。そのためにいざという時の見張りとしてリンがつけられた。ここでも叔父を保護者にするわけにはいかないという事情が含まれる。
それならいっそリンのことは存分に使おうと思う。
最後に、素性を極力隠すこと。別に表立って名を名乗る必要はないし、この国で名を出せば怪訝な顔をされることは目に見えていた為異論はなかった。
とはいえ依頼を受ける際は名乗る場面も出てくるので、日本名を一つ用意することになった。───苗字はやはり叔父が名乗る『渋谷』しかないだろう。



next.

ナルの、口にはしないけど叔父さんのことがだ~いすきな所書くのが楽しい。
やっと原作軸はいります。
Oct. 2025

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