I am.


DADDY - Red Eyes 12

渋谷駅から道玄坂方面に歩くこと数分。
信号を渡って一本道に入ると、オフィスビルが目に入る。低層階はカフェになっており、その横にエスカレーターが設置されていた。
二階へ上がると、都会の喧騒が遠ざかり、静寂な雰囲気へと様変わりする。
オフィスやクリニックなどのテナントが混在する中に【Shibuya Psychic Research】はある。
ドアにはめ込まれたすりガラスに印字されていた頭文字はSPR。ナルが所属している大元を上手く誤魔化した演出だろう。
あらかじめ約束をしていたので、迷うことなくドアに手をかける。ドアベルがカラコロと鳴り、俺の来訪を中に居る者たちへと触れ回った。

室内はソファやテーブル、棚や観葉植物と言った最低限の様相を誂えている。
別室に行くドアが二つあって、そのうちの一つがすぐに開けられた。顔を出したのは俺をここに呼び出したナル本人だ。
「ようこそ、叔父さん」
歓迎するように言うナルは、どこか得意げだった。
ジーンの死を読み取ってすぐイギリスに帰したナルは、再び日本に来るにあたって苦労した。俺を理由にしてはいけないといったから、試練を突破したような気になっているのだろう。
「立派なオフィスだ」
「そう?」
「花でも贈るべきだったか」
「べつに、ほしくない」
軽口をたたいていると、先ほどとは違うドアが開く。顔を出したのはリンだった。
俺の来訪を聞いていたかどうかは知らないが、特に驚いた顔はなく会釈をする。
「久しぶり。悪いね、ナルのおもりにつくことになったんだって?」
「仕事でもありますから」
「リン、客人にお茶を」
ナルは大人の生暖かい会話を、自分の所長という権力でひねりつぶした。
「お茶は結構。今日はオフィスの場所確認ついでに顔を見に来ただけだ」
「……仕事?」
自分が一番優先されてきた自負があるナルは、俺の素っ気なさに不満げだ。
「いや。時間が空いてるときは北から順にしらみつぶしだ」
「そう」
しかし今回は、俺の理由に納得した。
最優先事項がジーンの捜索であることにナルも異論はない。ナルだって、日本に居を構えてフィールドワークするのは名分でしかないわけだから。
しかし、ナルはここに来るのに自分のポジションを利用したので、おろそかにするべきではないのも事実だ。そのバランスのとり方は本人の裁量に任せることにする。そもそもジーンを探すのは俺の方が融通が利くと思うし───っと。
「そうだ、ここに来た目的のひとつを忘れるところだった。ナル、あれ持ってきた?」
「ああ、これ」
ナルとリンに別れを告げようとしたが、用事を思い出して踏みとどまる。
リンは不思議そうにしていたが、ナルはジャケットのポケットに入れていたものを取り出した。革紐が手に絡みつき、そこからゆらりとぶら下がるのは、炎を閉じ込めた石、俺の魔力の結晶だった。
「ナルがいつもつけている……」
リンは見覚えがあると言いたげに口ごもるが、ナルと俺は否定した。ジーンのだと聞くと、少し驚いたが納得したようだ。
「小さいころに、ぼくが二人にあげたものなんだ。今日まで大事にしてくれていた」
ナルはコレが家の洗面所に置き去りだったことを思いだしたかのように、肩を竦めた。しかし肌身離さず持たなかったからと言って、大事にしてないわけではない。
八年前にあげたものを、失くさなかっただけでその気持ちは十分だ。
「これを、何に使う?」
「形見に欲しいだけだよ」
ナルの聞きたいことの真意はわかるが、俺ははぐらかした。
ジーンの物を一つも持っていないのは確かだけれど。


一人になってから、ジーンのペンダントに額をつける。
「ユージン・××・×・×××××……」
ジーンの名前を呼び掛けた。人としての名前だけではなく、二人が知らない魔族としての名前も連ねて。
耳元でほうと吐く息の様なものが聞こえ、周囲にかすかな冷気が漂った。
考えていた通り、呼びかけることは出来たことに安堵する。ジーンの肉体が死を迎えた後、魂への縁は俺のやったペンダントに残っていると思っていたのだ。
しかしやはり、魂そのものを引き寄せることはできない。
「しゃべれる? ───いや、無理そうだな」
存在はわかっても、ジーンの声はなかった。おそらく死者に訪れる強烈な眠気の中にいるのだと思う。
ジーンは自分が死んだことを知っている。そして今まで多くの死者を見てきたあの子は、自分が霊であることに後ろめたさを感じていた。
生きた人間のなかで育てば、生きていない者に隔たりが出来るのは致し方ない事だ。
だからと言って、怒られると思っているなら見当違いである。───もう少し時間をかけて、呼び続けよう。
ジーンへの微かなつながりのあるペンダントを、自分の首に下げて服の内側へと仕舞った。



ジーンの遺体探しの旅は、俺の翼をもってしても難航した。
何故なら魂が身体から剥がれ、遺体は水に沈められたからだ。
俺は水辺という水辺を根気よく探した。また、ジーンに何度も呼び掛けた。
やっとジーンの霊姿を見つけることができたのは、行方不明になってから六カ月以上もの時が過ぎていた。
「───いた」
俺は、意識を手繰り寄せて、ジーンの手を掴む。
現実とは違う空間にジーンはいて、微かな痕跡だけを辿ってきた。俺に手を掴まれて驚いたジーンは振り返り、俺に気づくと泣きそうな顔をした。
「だ……」
叔父さんでも、名前でもなく、ダディと呼んで縋りついてきそうだった。でも、それは堪えた。
俺はジーンの手首を放さないまま、周囲を見る。なんでこんな辺鄙なところにいるのかと。
「ここは?」
「あ、……ナルが調査に来ている家で」
どうりで見覚えのない魂が周辺にあると思った。
ここは人の霊域の狭間だ。様々な霊がひしめく場所にジーンがいるので驚いた。それでもジーンが覚醒しているのは霊たちの放つエネルギーによるものかもしれない。自分ではうまく魔力の練れないジーンのことだから、その可能性はある。
「身体をどこに隠されたか分かる?」
「よくわからない」
単刀直入にジーンに問うと、ジーンは狼狽えた。
おそらく本当にわからないし、半ば諦めている。諦めるなという方が変なので言わないが、俺はジーンの存在感が薄れていくのを感じて肩を叩いた。
「絶対に迎えに行くから」
「───ほんとう?」
「ああ、ダディがおまえを見つけられないわけないだろ」
「うん……」
闇の中にどんどん形を失っていくジーンに、ふっと息をふきかけた。
今日はもう、眠るようにと。


ナルが依頼でどこへ行っているかは、その後すぐに連絡を入れて聞き出した。
ある女の怨霊が子供の霊を集めた家で、一時的に霊力の強いスポットになっていたと推測できる。調査自体は終了し、家にいた霊たちはほとんど浄化されたらしいので、今はそこでジーンに呼びかけることは不可能だろう。
「───何をやってるんだあいつは。さっさと昇っていけばいいものを」
「そういってやるな」
帰ってきたと聞いてオフィスに行くと、所長室へと通される。ナルは俺の推測を聞いたら、案の定ジーンが霊としてこの世に残っていることに難色を示した。
人間社会に馴染んでいる証拠にも思えるが、ナルの潔さはどちらかというと俺達側に近い気もする。
「でも叔父さん、ジーンがこの世に残って良いことなんてあると思うか?」
「良いも悪いも人が決めることではないだろう」
「……ジーンにとっては? 死んでなおこの世に留まって何になる?」
ナルの言い分は最もである。
しかしこれも結局、ジーン以外が口を出すことではない。俺は回答を控えて首を振った。
「ところで、ナルにひとつお願いがあるんだけど」
「なに?」
ナルは考え事の最中みたいで、投げやりな態度で返事をした。
「次から調査に行くときは、ぼくも同行させてくれないかな」
提案をすると、一瞬聞き逃したような間があったが、頭が遅れて理解をしたらしく勢いよくこちらに顔を向ける。すごく吃驚したみたいな顔だ。
「なぜ? 僕の仕事を手助けする気はないと」
「手助けという名の"研究の邪魔”はしない。おそらくだが、ジーンの魂はナルの傍にいるんじゃないかな。そしてナルが条件のあった場所に居る時が、覚醒しやすいんだと思う」
「……そういうことか」
ナルは俺の仮説に対し、否定はしなかった。
「仕事は何とか都合をつける。給料はいらない、ただ働きで良い」
「力は? 使うのか?」
「ああ」
矢継ぎ早に確認してくるナルの肩に手を置く。
そして耳打ちするように「ナルが望めば、いくらでも」と付け加えた。

日ごろナルがしていることはデータ収集だ。霊能者とはちがって除霊するのが仕事というわけではない。収集する現場を提供してくれた者への礼というかたちで、その場を綺麗にしていくにすぎない。もちろん、多くの提供者、生きる者たちにとっては除霊されるのが最も喜ばしい事だ。需要と供給は合っている。
これでもし俺が調査に同行するならば、霊視ができ、ナルの力の制御もでき、身を守ることもでき、最終的に厄介な霊も除霊することが可能となるわけだ。
つまりナルは楽に事を構えて、安全にデータを収集できる。───どうだ、俺ほど使い勝手の良いしもべは、中々いないぞ。

「悪魔の取引みたいで、こわいな。見返りを要求してこないか?」
「そんなにいうなら、契約書でも書いてやろうか?」

ナルは恐れを口にしながらも、まんざらでもなさそうだった。



next.

魔族の言語をなんらかの文字で表現したかったけど、割り当てる文字の意味を深く考えまくってしまったので×で濁します。
Oct. 2025

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