I am.


DADDY - Red Eyes 16

二月某日、ナルが受けた依頼の為に俺たちは車に乗り込んだ。
今回の目的地は千葉県にある緑陵高校。最近、新聞や情報雑誌に報じられるほど異常現象が多発している場所だった。とはいえ、聞こえてくる情報が全て正しいとは思っていない。ああいうのは民衆の娯楽も意義に含まれていて、情報を誇張したり、筆者の主観や願望的な部分が出てないとも限らない。
と、期待していなかったものの、実際学校の敷地内に来てみて思うのはひとつ。───「これはすごい」
周囲に浮遊しているおびただしい量の人魂の数々に、思わず感嘆の声をあげた。
ナルはそんな俺を一瞥した後、自分も同じように周囲を見回している。
その最中、ぼーさんの運転する車が目に入り、同乗者の麻衣と共に二人が下りて来るのが分かった。俺とナルに気づいて、二人は近づいてくる。自然と俺は口を閉ざすことになった。
普通に喋れることは、麻衣から皆に伝わっているようだけれど。

まずは四人で校長室に向かい「とにかく早く何とかしてくれ!」と不機嫌全開な校長との面談を終えた。そこからまた学年主任の松山という教員を伴って、ベースとなる会議室へ移動。最中はとにかく不躾な視線と言葉が降り注いだ。無論、俺にもナルにもぼーさんにも麻衣にも、まんべんなく。
ナルや麻衣は未成年に見えること、ぼーさんは身だしなみが軽薄であること、俺は日本人らしからぬ容姿ということで不信感満載だったのだろう。そもそも相手は霊能者というものを毛嫌いしているきらいがあった。
そんな、何を言っても無駄な相手には各自適当な対応をするに限る。俺の場合は完全な無視を決め込みながら会議室に辿り着いた。そこには真の依頼人である安原さんがいる。
彼とは初対面だが、ナルから話は聞いていたので今日会うことになるだろうと思っていた。
「安原、お前授業は?」
「三年は自由登校ですから」
松山の追及に、安原さんは柔和な態度を保ったまま受け流した。まだ十八かそこらの歳だというのに、非常に落ち着きのある対応だ。一方で四十の半ばを過ぎたであろう松山はしばらく一人でイライラしていた。挙句ナルに冷たくあしらわれて、負け犬のように会議室を出て行った。
音高くドアが閉まるなり、ナルはさっそく仕事にとりかかろうと麻衣を振り返る。
「麻衣、とりあえず現象に立ち会った生徒を順に呼び出してくれ」
「えぇ!? 無茶言わないでよ!」
以前の学校での調査では、学校側から相談者は自発的にこちらを訪ねるよう統制がとられていたが、ここではそうではないらしい。その為、自分たちで話を聞く相手を探し出さなければならないのは非常に面倒なことだった。ナルがこのように言い出すのも仕方がないが、麻衣が突っぱねるのも理解できる。これに関しては俺も手助けできることはないなと静観を決め込んだ。
「あ、じゃあ僕が連れてきますよ」
声をあげるのは、ここに残された唯一の学校関係者しかいない。
「いいんですか? 助かります」
麻衣はほっと安堵して、安原さんと一緒に廊下へ出て行こうとする。
しかしドアに手をかけた途端、叫び声や大きな物音がした。

騒ぎの中心は白昼の教室だった。
授業をしている生徒たちの教室に、堂々と大きな黒い犬が現れた。あれは人の霊が姿を変えたものではない。自然由来の精霊や、信仰由来の神の類でもなかった。
狂暴でただ害意しかもたない犬は、ある意味では本能の赴くままに生きてる魔族に近いとさえ思うが、魔力を有していないのは明らかだ。
本来の姿を見ようとも、声を聞こうともしたが、何も明確に捉えることができない。ぐちゃりと塗りつぶされたような、何かがあることだけは分かる。
試しに攻撃してみようかとも思ったけど、その犬は脅かすように飛び上がったと思えば姿を消してしまい、人々は処理できない現実に茫然とするばかりだった。



安原さんの教室に立ち込める微弱な瘴気や、更衣室での発火現象なども同じく由来のものだと思う。一日学校に居れば、それが周囲を浮遊している人魂同士が食い合って大きくなったものらしいことはわかった。
───この環境ならジーンが目を覚ますだろう、とその意識を手繰り寄せる。
案の定、空間の精髄の中にジーンの姿を見つけ出して手を翳した。触れる直前にふるりと目蓋を震わせ、その瞳は開かれる。
夢うつつな光のない黒目は、やがて俺に気づいて何度か瞬きを繰り返し、覚醒の輝きを放った。
「叔父さん───……?」
「おはよう、ジーン」
以前接触した湯浅高校よりは、ジーンの意識は明瞭なようだ。
何か気になることがあるようで、周囲を見回している。やがて俺たちを取り巻く何もない空間には校舎内の様子が浮かび上がり、地に足をつけるような現実感を持つ。
起きて早々に気にすることが調査のことなんて、よほど自分の身体に縁遠くなっているみたいだ。まあ、自分の現状なんて思い出したくもないことかもしれないが。
ジーンは俺への挨拶もそこそこに、同じく校舎内に浮かび上がる麻衣の意識を見つけて歩き出した。俺はジーンの後を、ナルにするみたいに黙ってついていく。
きっと麻衣に会いに行くのだろう。ジーンは自分の使命とばかりに、彼女を育てようとしている気がした。

以前、麻衣には夢で俺たちに会っていることを話すか、ナルと話し合ったことがあった。だけど結局は、言わないという結論に至った。
なぜなら、もし夢で会っていると話したら、ジーンのことをナルではないと話さなければならない。隠せなくもないが、整合性が取れなくなる可能性があるので、あくまで彼女が言い出すまではこちらからは知らないふりをするつもりだ。
彼女は今も、これが何かもわからないままに、ジーンと話をしている。

ジーンは麻衣に、この校舎内で人魂が食い合い力をつけていく様子を見せたところだった。丁度松崎さんと原さんが二人で校舎内を歩いて、発火現象の起きる更衣室を除霊していた。
原さんが指をさす場所には鬼火が存在していて、松崎さんの祈祷を受けた鬼火は消えるでもなく居場所を変えた。行きついた先は同じフロアにある放送室で、そこにもいた人魂を喰らって、より凶悪な鬼火が完成した。
麻衣は本能的に、悍ましさを感じて腰が引けている。
「麻衣は危ないから帰った方が良い」
ジーンは麻衣に警告をした。
進展になる情報を与えたい以上に、危険な場から遠ざけたいというのは、至極真っ当な心の動きだ。けれど、言われた麻衣は怯えていたくせに、奮起するように帰るのを拒否した。
「みんながいるのに、あたしだけ帰るなんて、そんなことできないよ」
「……じゃあ誰かに退魔法を教えてもらうんだよ。それから、あの鬼火には近づかないこと」
仲間意識の強い子なんだろう。ジーンはそれを理解して、身を護るすべを伝える。
退魔法を教わるのはいいけれど、果たして麻衣が今日教わった所で身を守れるとは思えない。とはいえ何もしないよりはましかと、二人のやり取りを黙って見つめた。
「退魔法……? ───わかった……」
潮が引くように、麻衣の意識の姿が闇の中に飲み込まれていく。彼女はやがて目を覚ますだろう。


残された俺たちは、徐に周囲を見回した。こういう時、ジーンは俺に真っ直ぐ色々なことを聞いてくる。
「ここでは一体、何が起きてる?」
「……さあ、なんだろうね」
ナルも知的好奇心によってあれこれ追及はしてくるが、それとは種類が違う。ジーンのこれは、霊視の覚醒が幼少期だったこともあり、怖さを取り除くために俺があれこれ説明していたせいだった。
考えなしというわけではないが、つまりなんというか……甘えているのだ。
「人魂が食い合ってるんだろう? 何故なのか、食い合ったものはどうなるか───このまま進んだら、何が起きるのか」
「うん」
俺は思考を整理するように口ずさむ。ジーンは相槌を打ちながらも、ちゃんと考えてはいるようだ。
ここは霊の溜まりやすいスポットで、いくつかある強い鬼火以外にも、校舎の下には大きな塊が眠っているような気配がある。そのことは、ジーンも理解していた。
性能と経験上、俺にはもっと色々なことがわかるが、その感覚をジーンやナルに示すのは人のする範疇ではないので止めておく。
「───とりあえず、おしゃべりはここまでだ」
「え、あ……僕……叔父さんとまた会える?」
俺はそろそろ目覚めなければならなくなったので、ジーンとの会話を切ることにした。
ジーンは調査のことばかりを気にしていながら、俺が去るとわかると、途端に愛くるしい目を向けて来る。
「もちろん、会えるよ」
少し遠ざかる意識に、投げかけるようにして目を覚ます。俺は、車の中でシートに座っていた。ナルは隣に待機している。
ジーンとコンタクトをとる為に場所を移動したのだが、話している時間が長かったみたいで、ナルが俺を起こそうと指先を引っ張っていた。
「そろそろベースに戻る時間だ」
「わかった」
前髪が目にかかるのを、まばたきの動作だけでどかしながらナルに返事をする。
車を降りながら、ジーンに会えたのかと聞かれたので肯定した。ついでに麻衣にも会ったと伝えると、ナルは沈黙した。たぶん、呆れているのだろう。
ジーンが麻衣にコンタクトをとるというのは、調査に執心している証拠だ。ナルにとって、ジーンから得られる情報は有益ではあるが、死んでまで協力してほしいとは思っていない。
「叔父さんの所感は?」
「まだ、弱いまま……。でもここではかなり活性化したほうだと思う」
これは勿論、ジーンの霊体についての話だ。
調査に関する内容については、二の次である。
「……暫くしたら消えていくと思うか?」
「無理だ」
「それは、なぜ?」
俺がきっぱりと言い切ったのが驚いたみたいで、ナルはわずかに目を丸める。

「ジーンの身体が水の中にあるから……」

返事をした声は、思いのほか暗かった。
それだけ憂欝な事実だからだ。



next.

ジーンの精神状態は、安定しているように見えて実はかなり低迷している。
Nov. 2025

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