DADDY - Red Eyes 17
ジーンの身体が水に浸っていると、何が問題なのか。ナルはそれを聞きたがっていたけれど、ベースに戻るまでに話し終わる気がしない。
俺たちの本質や出生にも触れる話だったので、この話はまた今度と切り上げる。さすがに、他人が聞くかもしれない場所でする話ではない。───以前もこうして話を先延ばしにしたな、と思い出す。
ナルは少し不満げではあったが、ベースでは麻衣が夢を見た内容で盛り上がっていたことで意識を切り替えた。
更衣室で起こる小火が今度は放送室で起こるかもしれないという情報は、検証する価値があるだろう。
「でも、単なる夢かもしれないんだよ?」
「たいしてあてにはしてない」
麻衣は自信がなさそうにナルを見て、その後俺を見た。
そんな風に助けを求められても、俺はその夢を正しいとも、夢であるとも言えないのだ。やがて麻衣は諦めたように、黙って目をそらした。
夜中の二時、更衣室で起こるはずの小火は、放送室でパワーアップした火力で発生した。麻衣の予言は見事に的中したことになる。
その為夢の中で見た鬼火はどこにあったのかをナルに重要視され、自信がなさそうに答える。視線は俺とナルを交互に、何か言いたげに行き来していた。
夢で俺達に会っていることを言ってみればいいのに、と思ったが摩訶不思議な現象を口に出すのは勇気がいることだろう。かといってこちらから話をするわけにもいかないので、俺は口出しすることはなかった。
───せめて出来るのは、ジーンが心配していたことを代わりに守ってやるくらいだろうか。
翌日の晩、麻衣が一人で生物室のカメラを調整しに行かなければならない時に呼び止めた。ベースにはナルとリンしかおらず、麻衣と一緒になって俺に注目している視線を感じる。俺が独断で動き出すのは珍しいことだからだ。
「な、なに?」
麻衣はおずおずと近づいてくる。
俺は自分の首からペンダントを外して、麻衣にかけた。戸惑っていたが、麻衣は大人しく俺の行動を受け入れる。
麻衣は胸の下にぶら下がった緋い石を見て、そっと手に取った。目の前に掲げて、光の反射や透明度を眺めるような仕草だ。
「ル、ルビー?」
「……ううん、レッド・アイ」
「そんな石あるんだ。すごいきれーい……でもなんで、あたしに?」
そんな石はない。
麻衣は少しはにかみ、俺を見上げた。その時ナルが席を立って俺たちのもとにやってくる。一緒になって麻衣のペンダントを見ているが、何も言わない。でも何か言いたげ。
「少しの間、貸すだけだ」
俺は麻衣にではなく、ナルに弁明する。
ジーンとナルにとって、自分たち以外に俺が大事にするものなどないはずだと思ったんだろう。だが、そもそも麻衣のことを気にかけているのは二人の方だ。ジーンはもちろんのこと、ナルだって。
当の麻衣は俺のペンダントが意味することや、ナルやジーンのことなど露知らず、命じられた仕事を遂行するために暗い廊下の奥へと歩み始めた。
ペンダントがあれば、ある程度の霊からは身を守ってくれるはずだ。それに、俺から彼女の行動を見ることができ、居場所も把握できる。
こうして布石を打っておいたわけだが、早速麻衣は霊たちに襲われ始めたことが分かった。麻衣が生物室に辿り着いてものの数分の出来事だった。
あっと声をあげる寸前で、リンが生物室の異常に気が付いてナルに知らせる。温度の低下が見られ、映像が途切れた。その間俺はペンダントを通して麻衣の様子を知覚する。
霊が現れたとはいえすぐに命の危険があるという訳ではなく、今の麻衣は室内に閉じ込められてしまいパニックになっている程度だ。
しかしどういう訳か、そのままドアに寄りかかったまま頽れ、ずるずると倒れていくので思わず席を立った。
「麻衣が気絶したみたいだ」
「なに?」
さっきまで一言も口をきかなかったナルが、俺の言葉に反応する。
俺たちは急ぎ、三人で麻衣のいる生物室へ向かった。
ドアは閉まってるかに思えたがあっさりと開き、すぐそこに倒れた麻衣がいた。先ほどまで恐怖のあまり失神したのかと思っていたが、鼻につく匂いからして、違うことに気づく。
「いったい何があったんだ?」
「霊に乱暴されたわけではないな。瓶が割れて、飛び散った拍子に発生したホルマリンガスを吸ったみたい」
室内には、わずかに異臭が漂っていた。
電気をつけてみれば、あちこちに割れた瓶と飛び散るホルマリン液、生物の遺骸がある。何があったかは明白だ。
ナルは現状に理解が及ぶと、リンに麻衣を保健室で寝かせるように言いつけた。そしてすぐ、俺の方に顔を戻す。
「ペンダントは、何の効果もなかったのか?」
「多少の霊なら退けるけど、今回は意味がなかった」
「……ガスは防ぎようがないな」
言いながら、俺とナルは遅れて麻衣の眠る保健室へと向かった。
しばらくして、麻衣は目を覚ました。
リンはベースに戻らせ、付き添いは俺とナルがしていたが、霊能者の面々が皆麻衣を心配して集まり出したところだった。
なぜ校舎を一人でうろついていたかと松崎さんに問われた麻衣は、ナルが仕事を言い渡した為だと素直に言った。そのため、ナルと俺は松崎さんに一人で行かせるなんてと睨まれたが、そっと顔を背けて聞こえないふりをした。だって、麻衣はそれが仕事なんだもの。
その末に霊に襲われるのはある意味では織り込み済みだから、俺も手は打ったのだが。
「まったく、何のために退魔法を覚えたんだか」
ぼーさんは麻衣が霊と遭遇したときの話を聞いたあと、呆れたように言う。
どうやら麻衣はジーンの助言に従って、ぼーさんから退魔法を教わっていたらしい。でも、いざという場面で覚えたばかりの退魔法は使えなかったみたい。とはいえ、この学校にいるものたちは、習いたての麻衣の退魔法程度で避けられるものでもないだろう。
今、保健室の隅にいる鬼火も同じだ。俺はその揺らめきが不穏になりつつあるのを横目に、ナルの耳元に顔を寄せる。
「あまり、長居しない方が良い」
「わかった」
俺がナルと話していると視線を集めるのはいつものことで、離れた時には皆が沈黙してこっちを見ていた。
「どうしたの?」
近くにいた麻衣が不安げに、俺の服の裾を掴む。
俺はその手をゆるりと放させてから、彼女の掛け布団を剥いだ。えっと驚く麻衣と周囲の人間をよそに、速やかに麻衣を抱え上げる。ちゃんと、スカートに配慮して俺のジャケットを腰に巻き付けているので完璧だ。
ナルはその様子を一瞥し「出るぞ」と言葉短く言って皆に退室を促す。
「お、おい、いったい何だ?」
「麻衣はもうちょっと寝かせてあげなさいよ」
皆は戸惑いながらも廊下に出てきて、ナルと俺の行動に目を白黒させた。
「麻衣は別の場所で休ませる」
「休ませるったって、……保健室じゃ駄目なのかよ」
「保健室に、なんぞあるんですか?」
「何も見えませんでしたけれど……」
俺は皆がナルを囲っているのを見ながら、ふと少し重みが増した腕の中を見る。いつの間にか、麻衣が眠っていた。
俺がぬくいせいか、それともガスが抜けていないのか。どちらにせよ休んでいて構わないので勢いをつけて抱き直し、麻衣を休めるため先にその場を離れた。
このくらいの別行動なら、ナルも怒らないだろう。
廊下を歩いている最中、麻衣がポソポソ喋るような気配や、手足がぴくりと動くのを感じた。顔を見ると眠ってるようなので、意識に介入してみることにする。
すると、俺たちは見慣れない風景の中に立っていた。石畳の道が真っ直ぐ続いた先に鳥居がある。更に陶製の稲荷が二体と祠。これは神社だろう。
道の左右は木々に囲まれていて、他の建造物が見えないことから居場所の特定は不可能。
俺の腕の中の麻衣は突然見知らぬ場所に来たことに一瞬呆けた後、俺に抱きあげられていることと、神社の姿に表情をころころと変えた。
「これ……また夢? 情報を集めろってこと……?」
麻衣は俺の身体に掴まりながら、地面に降り立った。
神社をぼんやりと見た後、何かを探すように周囲を見回す。すると深い霧の中からジーンが現れて、俺たちのもとへと近づいてきた。
「───見て」
ジーンがおもむろに指をさした先に、緑陵高校の校舎が現れた。
校庭全体が一望できる距離だ。中心部に大きな黒い影があるのが見えてくる。目を凝らすとそれが、脈打つ幼虫のような形に変わった。
「あれは……鬼火?」
「そう、今までは眠っていた……だけど他の人魂を喰って十分に大きくなった。だから、じきに孵化する」
ジーンはその鬼火が残り四つであることと、いよいよ止める術はないという注意を授けながら麻衣に観察を促す。その言葉につられるように校舎内が透け始めた。
大きな鬼火のある印刷室付近にジョンと安原さんが近づいて行く光景まで見える。麻衣は、彼らの身に危険が迫っていると察知したため、慌てて目を覚ました。俺もさすがに、麻衣の目の前にいるために戻らなければならない。
現実に戻った麻衣はまだ眩暈の残る身体に四苦八苦しながら、俺にしがみ付いていた。
そして夢の延長線のような状況を不思議に思う間もなく、ジョンと安原さんを助けに行くよう俺に願った。
next.
主人公は別に人に無関心でも残酷でもないけど、麻衣やそのほかの人間を助けるのは完全にナル(とジーン)の為。
Nov. 2025