I am.


DADDY - Red Eyes 18

麻衣に言われてジョンや安原さんに合流し、彼らの身に危険が迫らないよう見守っていると、ついさっきまでいた保健室は床と天井が抜け落ちた。幸いすでに無人となっていたため巻き込まれた人はいなかったが、深夜の学校に音が響き渡り一時騒然とした。そして夜明けとともに集まり出した職員たちによって急遽会議が行われた結果、学校側はこの調査を取りやめると言い出した。
なんでも、俺たちが来たことが悪化の原因だというらしい。ナルはさすがにそれに納得せず、俺を伴い校長を説得。得られたのは、わずかな猶予だけだった。

「叔父さんは蠱毒に立ち会ったことは?」

校長室を退出してベースに戻る最中、ふとナルが尋ねてきた。
この蠱毒というのは、今学校で自然発生または故意により行われている呪法の一種だ。
故意の呪詛であれば対処は出来るが、自然に出来てしまった場合は消滅が難しいとリンが言っていて、俺以外は故意に行われていることだと分かっていない状況だ。
「一度だけある」
リンは蟲毒には出会ったことがないと言っていたが、俺の場合はあるので素直に答えた。
現在では試されることのない呪法だが、少し前までは確かに行われていた。

かつて、イギリスでカレッジに通う前は色々な国を放浪していた。とある国の官吏をしていた時に権力争いの影で行われていたのに遭遇した。
俺に関わりがあったわけではなかったが、興味があったので観察したのだった。
───と、おそらくナルが今聞きたいのは詳しいエピソードではないだろう。

「故意の呪詛でなかった場合、対処可能かって?」
「ああ」
どうだろうな、と逡巡する。
出来上がった蟲を自分の支配下、つまり眷属にするのなら簡単だろう。力関係で言えば俺の方が強いから。
ただ、性質的に俺の手持ちにしたって何の意味も持たない荷物が出来る。でもまあ、魔界で放し飼いにしておけば、適当に生きるかなあ? 魔物を喰って育つか、魔物に喰われて消えるかは、どちらでもいいし。
「対処、できるよ」
これは事実だが、どちらにせよその必要はないわけで、ナルに話す必要もないという結論に至った。
先ほど見た松山に浮かんでいた死相はもちろんのこと、ここに来てすぐにヲリキリさまという降霊術に使う紙を見て、呪殺の儀式が始まっていることには気づいていた。
ナルがこれを故意に行われた呪詛か、と聞いてくるならば答えたが、そうではないので俺の話す内容はここまでだ。
それにしても、降霊術と呪詛の複合、この土地と霊力の関係性、目の前で起こる蠱毒の成長ぶりなどは見ていてとても興味深い事例だった。これに生きて出会えることは非常に運がいい。
「───お前は、"持ってる"ね」
「は?」
もしかしてナルって、神にでも愛されてたっけ?
そんなはずはないと思いながら、そう思わずにはいられなかった。



ベースに戻ると、ヲリキリさまという降霊術のやり方を耳にしたリンが、呪詛に気づいたところだった。俺が仄めかす手間が省けてよかった。
ナルと俺は揃って呪符とされるヲリキリ様の紙を見ながら、リンの話を聞く。彼は俺よりよほど、東洋呪術について明るい。
本当ならもっと話を聞きたいところだったけど、蠱毒は完成間近に迫っており、ゆっくり講義を受ける余裕はなさそうだった。この場には被呪者である松山まで加わっているので、余計に。
「呪詛は返す」
「返してよろしいのですか?」
「返すっていったって、誰に?」
「……呪詛をしたのは、生徒たちだ」
「! それって───……」
目の前で話が進んでいくのを、壁に背中を預けて静観した。
これは個人の倫理観、義務感、ジレンマなどが揺さぶられる議題だろう。ここで決定権と解決力があるのはナルと、依頼人たる安原さん、被呪者の松山だろうか。
しかし周囲の人間も声をあげないことはない。特に麻衣は誰かを助けるために、他人を犠牲にすることを厭うといった規範的な倫理観の上に、生徒たちへの同情心や、松山への嫌悪感などの個人の感情なども乗って熱が入った。
「あたし、ナルなんてだいっきらいだからね!」
「バカに嫌われるとは光栄だな。───リン、準備を始める」
「はい」
ナルと麻衣は言い合いの末、決別するように背を向け合う。それは二人がすれ違って、部屋を出て行ったためだった。
リンがナルに呼ばれて後に続き、俺も一歩廊下に出てついて行く。しかしいざ車に乗り込むときになって、俺ははたりと立ち止まる。
……俺が今、ここにいる意味を考えたら。
「?」
異変に気づいたナルも立ち止まり、動かないでいる俺を振り返る。
素直に言えば、俺はリンの呪詛返しの準備を見学したい。けれども、呪詛返しが済んでしまえばこの場所は霊力が薄れ、ジーンの意識もまた曖昧になるだろう。
なおかつ今なら、ジーンも事件収束の兆しを受けて精神的に落ち着いている頃だ。話をするなら、これが最後のチャンスとなり、次にまたいつこういう場所に来られるかは、わからない。
「ジーンに会わないと」
「……そうか」
ナルは俺の言葉で納得したように、短い返事をした。車ならリンのものがあるので、移動も困らないはずだ。
二人が学校から去っていくのを見送った後、俺は校舎に戻った。



ベースにはいかず、屋上へやってきた。
昨晩保健室の床と天井が抜けた為、学校は急遽休みを取らざるを得なくなり、生徒は登校していない。そのせいか、異様なほどの静けさが学校を包み込んでいる。
反面、この地に溜め込まれたものの息遣いが響いてくるような居心地の悪さを感じた。恐れるというよりは、誰かのテリトリーに入ったような気分だ。
すうと目を細めて抑え込んでいた魔力を少しだけ解放すると、俺に呼び寄せられたかのように一人が屋上へと浮上してきた。
「ユージン」
呼び掛けると、俺に気づいて近づいてくる。
口を開こうとするも、結局何も発しようとしないその態度が不思議で首を傾げた。しきりに送られる目線からは、不満の様なものが感じられる。
自然と、ジーンの視線の先を辿るように自分の胸元に手を翳すことになった。そして、はっとした。そこには俺が預かっているジーンのペンダントがある。
麻衣に貸した時にナルが不満げだったように、ジーンも思うところがあったのだと分かる。
「……おこらないで」
「なに?」
やっと口を開いたかと思えば、ジーンが不安げにそんなことを言ってくる。
いったいなぜ俺が怒るという話になるのか、心底わからなかった。
「ペンダントを大事にしなかったこと。だからって、他の子にあげたらいやだ」
ペンダントなら既に回収しているが、ジーンにそれはわからないのかもしれない。
というか、精神が五歳児くらいに逆戻りしていないか……、と戸惑う。いや、霊体になるというのは肉体という『しがらみ』から解放されて、感情や欲望というものが増長しやすいのだった。
特に人間は多くの事柄に縛られて生きているので、ジーンの精神が安定していないのも仕方がないことだろう。
「お前はペンダントを大事にしてくれていたよ、わかってる」
「でも」
「俺がこれを、麻衣にあげるわけないだろう。ただ、二人があの子を大事にしていると思ったから」
「僕たちのために?」
「そうだよ、麻衣が危ない目に遭ったら、お前たちは悲しむ」
「うん」
言い聞かせるように顔を覗き込んで、頬を撫でてやる。
霊体でも俺の熱は感じられるはずだ。ジーンの顔は緊張が解れていき、身体全てが俺に擦り寄ってこようとしていた。
「叔父さん、あったかい……」
「……寒いのか」
「うん……ずっと、寒い……」
双子は小さいころから寒がりだった。
絶えぬ炎を象徴する不死鳥が凍えるというのは、それだけ弱い存在であることを意味している。ジーンは魔力そのものが少なく、ナルは使いこなす器ではないことが原因だ。
そんなただでさえ弱い存在が水の中に沈められてしまえば、力を発揮できなくて当然だろう。そしてそれは、肉体が死んでも魂との繋がりは切れていないということだ。
背中に腕を回してぽんぽんと撫でてやりながら、ジーンの芯にある冷たさを掴もうと魔力を巡らせた。
感情や記憶を読むのとは違い、もっと魂と肉体の原始的な繋がりの部分に触れるのだ。
「……、」
ふいにジーンが息を詰めるような違和感を吐露する。
俺と同調して、自分の内側の恐ろしい部分を見出しかけているのかもしれない。
「からだを、思い出せる? 戻るように意識するんだ」
「いやだ、できない」
ジーンは間髪入れずに拒否した。
水底に一人で沈む恐ろしさは、思い出したくもないだろう。だけどその身体を見つけ出さない事には、ジーンに本当の死の機会を与えてやれないのだ。
「僕はもう、このままでいい……もし駄目なら、叔父さんが僕を消して」
「駄目なんて、そんなこと言うわけない」
「じゃあ」
「でもお前は、本当の自分をまだよく知らないから」
普通の人間であればそうしたってよかった。でもジーンの場合は根本的に人と違う部分があった。それは、魔族の血を引いていること。魔力は弱く人の世で生きていくことはできても、存在そのものを人と同列に扱うことはできない。
魂と肉体が未だ微かに繋がっているのも、魔族───不死鳥たる所以を感じるところだから尚更。

「本当の自分……?」

かつてジーンに“帰ってきたら“話そうと言って、もう一年が経つ。
生きているならば、もう少し知らないでいても良いとさえ思っていた。けれどもう事情が違って、ジーンは自分のことを知らなければならない。
そして、選ばなければならなかった。

「お前は魔族と、人との間に出来た子供だから」

俺がそう告げた時、ジーンの瞳はわずかに揺れ、その後、意外にも蕩けたように微笑みを浮かべた。



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双子を寒がりにした理由の大半は、叔父さんにぬくぬくする雛が可愛いからだけどなっ。
Nov. 2025

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