I am.


DADDY - Red Eyes 19

(ジーン視点)

死ぬということは、不思議とそう恐ろしくもなかった。
むしろ、身体を水の中に沈められることの方が嫌だった。だからだろうか、肉体を離れた霊体の僕は、すぐにナルや叔父の傍に帰った。
叔父は僕よりも余程霊視に長けていたから、気づいてくれることを期待したけれど、結果的にそれは難しかった。
まず、僕は意識を覚醒していることすらままならない。
ナルや叔父がどこにいて何をしているのかはうっすらとわかるのに、遠くの世界にいるような───ずっと、まだ水の底にいるかのような隔たりがあった。

意識にかかる濁りが澄むのは、決まってナルが調査に行った時だった。
僕は目を覚ますなり、生きていたころのようにただ調査に参加しているような気持ちになった。だけどナルに伝えたいことがあっても声が届かなくて、ナルとの繋がりの希薄さを思い知らされる。たまたま傍にいて波長が合いやすかった麻衣という少女に、警告する程度のことしかできないのが酷くもどかしいと思った。
叔父がそんな僕に気づいたのは、二度目の調査の時。僕の意識が覚醒し、麻衣とのコンタクトを取り終えたタイミングだ。身体はどこにあるのか聞いてくる叔父に、不思議と涙が出そうになる。
だって僕は、もう身体のことはほとんど諦めていた。どうしようもないって、考えないようにしていたのもある。
でも叔父が迎えに行くというと、帰りたくなってしまう。別れる前に叔父とした最後のやり取りも思い出されて、余計に。

───「帰ってきたら、もっと色々話そうか。お前たち自身のことも」

日本に住む叔父の家に突撃して数日───やっとその言葉が聞けた。
薄々と勘づいていたことはあるけど、叔父の口からその話をされるのを、僕はずっと待ち望んでいた。
それが果たされていないのが、叔父の元へ帰れていないのが、僕の一番の心残りなのかもしれない。


何度目かの叔父とのコンタクトで、彼は僕に身体に戻れないかと聞いて来た。
僕の身体は死に至り、今は水の底に沈んでいる。その場所がどれほど冷たく、孤独で、苦しい場所かを想像すらしたくなかった。自分でも詳しい居場所を理解できないからこそ、戻った時が恐ろしい。───今度こそ、あの場所に囚われてしまったらどうしよう。
「いやだ、できない」
間髪入れずに断ると、叔父は困ったように口を結んだ。だけど瞳は、僕を鼓舞するように煌々としている。
「僕はもう、このままでいい……もし駄目なら、叔父さんが僕を消して」
あの場所に戻るくらいなら、せめてずっとここにいたい。身体なんてもう、どうだってよかった。
だって、叔父もナルも、僕が魂だけになってここにいることを知っているじゃないか。
そんな思いから駄々をこねるように言うと、叔父は首を横に振る。
「駄目なんて、そんなこと言うわけない」
「じゃあ」
「でもお前は、本当の自分をまだよく知らないから」
叔父は言葉を切った。その先に、叔父がいつか言おうと秘めていた事の片鱗を感じる。
聞き返すと、意を決したように口が開かれた。

「お前は魔族と、人との間に出来た子供だ」

ああ、やっと教えてくれた。
僕は本当は、叔父が人間ではないことをわかっていたんだ。それが何なのかは知らなかったけど、彼はきっと魔族というものなんだろう。
こんな時でも自分のルーツより叔父のことを考えるなんて、笑えてしまうけれど。

「───きんいろの翼……」
「え?」
叔父は僕の言葉に少したじろぐ。
「僕は、叔父さんの背中にそれを見たことがある……」
「ああ……、もしかしてあの時」

あの時───叔父は同じ瞬間を思い浮かべただろう。
うんと幼いころ、僕とナルは叔父と一緒に来ていた公園ではぐれてしまったことがある。
精霊のようなものが僕らを見るなり何かを言う。言葉がよくわからないなりに、僕はその存在から離れようとしたのに、一瞬にして黒い穴の様な所に落とされた。そして気づいたら、見知らぬ場所にいた。
僕たちが直前にいた所よりも標高の高そうな雪山で、営業していない大きなホテルが聳え立っていた。
精霊と寒さから逃れようとホテルの中に入ると、人の形をしているのに人ではない者たちがいた。今度は何とか外に逃げてきたけれど生垣の迷路の中に迷い込む。
怖くて、寒くて、寂しくて、ものすごく不安になった。
───「どうしてここに連れてこられたんだ?」
突然目の前に現れたのは、一人の男だった。今まで僕たちを追いかけてきたのとは違って理解できる言葉を話した。
叔父と同じ緋い目をして、叔父よりも明るく透けるような金色の髪をした人は、雰囲気が似ていても、どこか冷めた目つきをしていた。
───「おや、これはあの子と僕の……」
僕たちを値踏みするように見た彼は、何かに気づいたように緋い瞳をきらめかせ始めた。
それはまるで、獲物を前に舌なめずりをする獣のよう。僕はもうここで死ぬのかもしれない、とただ震えているしかできなかった。
けれど直後には飛び込んできた叔父によって救出される。
僕とナルは叔父にすぐさま抱き上げられ、コートに包まって温められた。
その安堵から気が抜けて物を考える頭をなくしてたけど、その時叔父と男は僕のわからない言語を使って話していたように思う。あれは子守歌とか叔父の名前と同じく、僕の知らない国の言葉なのだと思った。
それから僕たちは叔父の腕に抱えられたまま家に帰ったけれど、まさにこの時だ。僕が金色の翼を見たのは。

夜空を羽ばたくそれは、叔父の背中から生えていた。
暫くはどうやって帰ってきたかを覚えていないと思っていた───いや、叔父が僕たちを抱えて空を飛ぶ"幻"を見たんだと思うことにして、深く考えたことはなかった。
翌日から高熱を出したことでさらに記憶に信憑性が無くなって、僕の見間違いだと思っていたけれど、あれが夢ではなかったのだと、今なら確信を持って言える。

「お前は、目が良かったからな」

僕の話を聞いた叔父は、目を細めて笑った。そして、実は幼い時の僕にもその翼が生えていた事を教えてくれた。そのことはさすがに驚いたけど、叔父と血が繋がっているのなら当たり前かと思い直す。
今まで自覚がなかったのは、叔父の魔力に触れた時以外は翼が出ないように封じ込められていたかららしい。人の目には映らないけど、僕自身はもちろんのこと、ナルにさえ知られるわけにはいかなかったからだ。
「俺たちの本性は鳥の姿をしている」
言いながら、叔父は自分の背中から翼を生やした。
夜空で夢うつつに見たときは透けているように見えたけど、今ははっきりと濃い金の翼がそこにある。羽先にいくにつれて赤みがかり、動くたびに揺れる様はまるで燃える炎のよう。
「人は一族を不死鳥と呼ぶ。死ぬときは炎で身体を燃やし、その灰から蘇る生き物だからだ」
「僕たちが、不死鳥……」
人ではないことはともかくとして、伝説の生き物の様な存在であったことには実感が伴わない。うわごとのように、叔父の言葉を復唱した。
「水に沈められたお前の身体は、人としては死んでいるけれど、不死鳥としてはまだ死んでいない。炎で焼かなければ、本当には死ねないんだよ……」
言われた時、足元からぞわりと冷気が這い上がってくる気がした。
自分の信じていた立場が瓦解するような不安ではなくて、水に対しての本能的な拒絶だろう。
「元より自分で炎の出せないお前が、水の中に沈められたら、なす術はない」
「だから、僕を探して燃やすの……?」
「そうだよ」
叔父の瞳は情熱的な色なのに、とても穏やかだった。
僕も自分のことだというのに、どこか遠い世界のことのように感じている。
「燃やして、その後、どうなる?」
「それはお前が自分で選ぶか、───もしくは大いなる理によって選ばれる。わかりやすく言えば、神様が決めることだな」
人と魔族が交じり合った僕の生態を、叔父も理解はし切れていないというのが本音らしかった。可能性としてはどちらもあるんだろう。

僕の肉体が炎による死を迎えた時、僕の魂はこの世への繋がりを失うかもしれない。または、叔父の言う不死鳥の一族のように灰の中から再び生まれることになるのかもしれない。
僕がどちらかを強く望んでも、望み通りにはならない可能性もあるということだ。

「明日にも、ここはお前の起きていられる場所ではなくなる。そうしたら身体を思い出すように念じて目を覚ませ

叔父はそう言いながら、僕の首にペンダントをかけた。麻衣に渡したものと思っていたけど、いつの間にか返されていたらしい。
叔父の手の中で燃えさかる炎を浴びて、以前にも増して緋々しく艶やかになった"レッド・アイ"が輝いた。
これは僕が身体に戻るためでもあり、戻った後に叔父が見つけやすくするための目印でもあった。
「大丈夫だ、ダディがついてる」
身体の芯にまで行き届く、心地よい熱に意識が蕩けていく中で、暗示のように叔父の声が響いた。



翌日、リンが呪詛返しの儀式を行うのが分かった。周囲に漂っていた空気が徐々に薄くなるように感じて、僕の意識は眠りの洞へと落ちていく。
意識が保てなくなる時、僕は決まって暗闇の中にいる。ナルや叔父の気配や声はぼんやりと感じていたけれど、この時の僕は音も人の気配もない場所に居た。
ただ、静かで、とても冷たい。雪山の吹雪とも違う───これは、水の底にいるのだと理解した。
そう思うだけで、怖いし、苦しいし、寒い。暗いところに一人でいるのは、嫌だった。

───ダディの歌が聞きたい。

僕は祈るように叔父の存在を求めた。
その願いに呼応するかのように、視界の端に光が現れる。僕の肉体的な目は機能していないはずだけど、不思議とわかる。それはおそらく叔父が持たせてくれた緋い石だろう。温かい、炎を閉じ込めたような叔父の化身。

遠くから、甲高い鳴き声のようなものが聞こえた。
叔父が助けに来てくれたのだと、今度こそはっきりと理解した。僕は苦痛や恐怖に耐えて待つ。彼はあの雪山で僕とナルを見つけたように、水の底にいる僕を見つけるはずだ。

どぽんっ───と、何かが水の中に落ちるような音がする。

それから僕の視界に揺れる緋色がどんどん広範囲になっていった。光の中に、金と緋の毛並みをした大きな鳥の姿が見えてくる。
まるで空を飛んでいるかのように悠然と水の中を進み、僕の元へとやってくる。次第に少しずつ視界に光が広がり、苦痛が安らいで、寒さも薄れていった。

ああ、やっと帰れる。
「ユージン、寒かったな。もう大丈夫だ」
水から引き上げられたのを感じた後、叔父の声がした。
僕はとうとう恐怖のない、安堵の眠りについた。叔父の、温かい身体に抱かれて。




next.

実はジーンは叔父がうっすら人ではないことは感じてた。
その上で叔父が本当に叔父(血縁)なのかは定かではないとも思ってた。
Nov. 2025

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