I am.


Lily.  Epilogue.

仕事が終わって帰ってきて、廊下の電気をつけながら靴を脱ぐ。
買い物してきたものとか、仕事の荷物とかが壁や床にぶつかる音のせいで俺の帰宅を大きく知らせた。
ただいまあと気のぬけた声を出すけれど返事はない。
いつもより帰るのが遅くなったので、どうやらもう出かけたみたいだ。

一緒に暮らし始めて三年───ナルは俺の部屋に棲みつつも、相変わらず大学の研究室に忍び込んで夜通し研究に没頭している。
寝室を確認したらやっぱり誰もいなくて、俺は自分の荷物をおざなりにそこに置いてから、買ってきた食材だけをもってリビングへ進む。
そしてキッチンに食材を仕舞ったり、出したりしながら流しで手を洗った。

夕飯を作るかと周囲に目を配ったその時、バルコニーの窓を何かが叩くような音がする。
鳥でもいるのかとカーテンを開けてみると、そこにはナルがいた。
思わず窓を開けてから、はたりと動きを止める。だってナルならこの家の鍵を持っていて、好きに出入りが出来るはず……。
「ジーン……?」
「あたり」
俺がそう呼ぶと、ジーンはふわりと笑った。
これまでも何度か会ってはいたけど、主にナルを通して会話をすることが多かった。だからナルが今はいない事を告げると、「知ってる」と返される。
どうやら同族は近くにいると気配がわかるそうだ。特に夜は。
かつてナルはそうやってジーンを探し、ジーンもそうやってナルを見つけた、ということになる。
「えーと……入る?」
「やめておく、ナルが本気で怒りそうだ」
今の言葉では招くに至るのかわからなかったけど、ジーンは結局俺の部屋には入ってこなかった。
なので俺はサンダルに足を入れて外に出る。
にも挨拶しておきたかったんだ、日本を離れるから」
「あ……そうなんだ。どこいくの?」
「イギリスに行ってみようかと思って。僕たちがうんと小さい時にいた国」
俺は一度も日本から出たことがなかったので、いいなあ、と暢気に返す。
もいつかおいでよ。───ナルといるなら、同じ場所に長く留まり続けるのは難しい。せっかくだから色々なところに行ってみるといい」
「ははっ、楽しそう」
これから先、俺は歳をとるがナルは歳をとらない。その奇妙な組み合わせで生きていくことを、いくらか軽くする提案だった。
だから俺は笑って頷いたのに、ジーンは一瞬だけ目を見開いてから微笑む。
「───ナルが少しだけ羨ましくなっちゃったな」
「え?」
「帰る家があって、一緒に生きる人がいるって幸せなことだろう」
手すりにつかまって、身体をのけぞらせるジーン。
天井や夜空を見ているのかと思ったけど、その横顔はどこか空虚だ。
「俺はジーンが羨ましかったけどな」
「僕が?なぜ?」
だけど俺を見た目は生き生きと輝いていて、表情もころころ変わる。
「俺には家族がいないから。それにいつかきっと、ナルを置いていく───俺は自分が恐れたことをナルにするんだ」
「……はその選択を苦しくは思わない?」
気遣うような顔だった。人の道を踏み外させるような危うさとかは、これっぽっちもない。
初めて会った時はその美しさを畏れたけれど、今となってはもうナルの兄だと分かっているし。
「思わないよ」
「!」
「ナルだって、俺が同族になるのを望んでいない」
俺はそれが、すごくうれしかったのだというと、ジーンは驚いたみたいだ。きっと彼には分らないだろう、でも、それでいい。
「だから俺が死んだら、ナルを頼む」
「要らないって言われそうだけど。でも、僕からも、死ぬまでナルを頼むよ」
「よろこんで」
ジーンは俺の頼みに肩をすくめてから笑った。
そうして、別れ際にハグをねだられたので、そうっとその懐に入る。

「やっぱ、いいなあ……あ、ごめんナルに怒られるかも」

なんて言っていたジーンはまたバルコニーから去っていき、夜中に帰宅したナルはなにをどう感じ取ったのかジーンが来ていたことに気づいて怒り出した。
その不思議はこれから先の長く短い人生で、いずれわかることだろう。


end.







(六十年後)


は何度か転職や転勤を繰り返して日本国内を点々としたあと、仕事を辞めてからナルと二人で色々な国で暮らした。
ナルは相変わらず知的好奇心が旺盛だったので、その国々でも興味のある学問を見つけては没頭した。それでも変わらないのはと暮らす家で夜に目覚め朝に眠ること。
光が届かず、時間の進みも曖昧な、深い暗闇の寝室で一日のほんのわずかな時間だけを共にする。
時にはすれ違い、喧嘩もしたけど、二人は必ず家に帰って来た。
ナルの習性や、の衰えが、生活を困難にすることもあった。
それでも六十年の時を過ごし、その生活にとうとう、終止符が打たれるときが来た。

最期はやはり両親の眠る日本でと願ったのために、二人は日本へ帰ってきて人気の少ない山奥の家を買った。
光を限りなく遮った暗い寝室で、ほとんど寝たきりになったをナルは毎日世話をする。
以前、ナルはもっと明るい部屋がいいんじゃないのか、と心配したが長年の生活に慣れていたこともあり、は構わないと答えた。何より、ナルの光る瞳をみれば十分気が晴れる、と。
ナルからしてみれば、の魂の方がよほど光り、その命を燃やしているのだが、もちろん本人にはわからないことだった。

「もう、逝くのか……

ほとんど眠りから覚めない生活が続いたある朝、ナルはその魂がの身体からあふれ出そうとしていることに気が付いた。
「くるしくないか?」
やせ衰えた顔を指先でなぞる。その肌に感じる生命力はほとんどない。
ナル自身もすっかりに寄り添い食が細くなっていたので、今は力がとても弱い。だからといって、このまま後を追って消え去ろうというわけではないのだが。
「───、……ぃ」
僅かに意識を取り戻し、口をはくりと開いたに気が付いて、ナルは耳を寄せる。
言葉にはなっていないが、震える手が首筋を示したので、血を飲むかと提案していることがわかった。
は自分がもうすぐ死ぬのだと分かって、ナルの餓えを心配をしている。
呆れるほどお人好しで、健気なを、ナルは心から愛していた。
「もういい、───十分もらった」
肩をやさしく掴み、そっと撫でる。顔を寄せていくとはその気配に反応してゆっくりと目を瞑った。
ナルが額にキスを落として離れると同時に、の魂も身体から離れていく。
こと切れた身体を残し、眩く光るそれはナルの周りをふわりと一周した。
思わず手を出すと、懐くようにそこに収まってくる。ナルの好きな温度と匂いがわずかに感じられた。
年老いた肉体から離れた魂は瑞々しくて、やはりおいしそう───だが、手の中に閉じ込めたり、丸のみするようなことはせず、ナルは静かに寝室を後にして明るい部屋へ出て窓を開けた。
ついてきた魂を外へ出し、指先で朝へと送り出す。その時、ナルの指がほんの少し日に焼かれて痛み、手を握り込む。
ナルは、魂の光が外に馴染み、もう目には見えなくなっても、しばらく光の世界を眺めていた。




***




ジーンがの死を知ったのは死後一年が過ぎてからだった。
日本へ行く前に会ったは、ジーンの知っている姿よりも随分老いていて、人の時の流れの早さが身に沁みたものだ。だけどその時はまだ自分で立って歩いていたのに。
、逝ってしまったのか……」
「ああ、苦しまずに、眠るように」
日本での暮らしは落ち着いただろうかと会いに来たのだが、随分と遅くなったことを知って残念に思う。ジーンにとってもは貴重な存在だった。
───あたたかくて優しい彼の魂は今まで見た誰より綺麗だった。
そして、誰にも、自分にすら執着のないナルが唯一大切にした人。


ナルはおもむろに手を持った薄い布を開いた。ジーンが何気なく覗き込むと、何かが包まれていた。
「それ、なに?」
「遺骨。ほとんどが両親と同じ墓に入ってしまったけど、これくらいならいいだろう」
白い、小さな欠片だった。端の方が少しだけ茶色く焦げていて、今もそこから微かに崩れるほどに脆い。
「ここにはの魂も生命力も何もない……ただの物質だ。少し力を入れてしまえば砕けて、灰になる───まるで僕と同じだ」
指でつまんで、ナルは月の光にかざしてその小さな骨を見つめる。
「ナル、さびしい?」
ジーンはその横顔に尋ねた。
動きを止めたナルは、ゆっくりと手を下ろし、ジーンの方を見る。
そのとき不意に、開いていた窓から風が吹き込んできた。
闇の色に同化するほど黒い髪が夜風にゆれ、毛先は白い肌をくすぐる。
ナルはまるで風に笑いかけるように視線をそらした。

「さびしくない───は僕に永遠を遺してくれた」




End.




単行本一冊完結BL漫画の気持ちで書きました(?)詳しくはないんですが構成は、出会い→ハプニング→体のカンケイ→心が結ばれる→人生の選択→後日談かなって。
吸血鬼の設定って、ぼくのエリと、すぐ死ぬとヴァンパイア騎士とポーの一族(あとガラスの仮面でのカーミラ)くらいしか知らないので、その辺から生態をぬるっと拝借しつつ、アンデルセンの人魚姫からインスパイアを受けています。吸血鬼には魂がなくて死んだら灰になるという。
ナルはそのことを別にいやだと思っているわけじゃないけど、永い時を生きてもそれは永遠ではないと思っている。そして主人公が生涯をかけてナルに愛を捧げ、ナルがそれを心から信じることで本当の永遠をもらう。それが人の意志は風となる、に通ずるのかなと。千の風だね。
寿命の違う種族か共に過ごす短い時間で、一緒に居られない時間に対してどれだけ影響を及ぼせるのか。エモくて好きです……。
ナルがいつか死んで灰になったとき、風がその灰を攫いにいくからね……(泣)
余談ですがジーンも、主人公の健全な魂に目を付けていたので、もしナルが要らなかったらもらいたかったし、あわよくば同族になってくれたら嬉しいとも思っていた。一番はナルたちの幸せを願っていたけども。
タイトルのリリーは無垢という意味でつけました。
主人公の人としてのあり方だったり、魂だったり、ナルの愛だったり、二人の人生だったりを。

人魚姫の設定も借りてるので、いつかジーンが人魚の話かきたいです。来年書けたらいいね……。
それか吸血鬼ジーンと主人公の話かな。

Sep.2023

PAGE TOP