「こんばんは、夏目」
「
!?」
制服の上から和服を羽織り、酒瓶を指先にぶら下げて窓の外に立っていた。窓を爪先でつつくから慌てて窓を開ける。落ちたらどうするんだと毎度怒ろうとするんだけどいつものほほんと話始めるからタイミングを逃す。
今日こそはと口を開いた。
「危ないだろ?
なら玄関からで大丈夫だろうに……つぎからはやめろって」
「……そだね」
は人に姿が見えるのだから。
いつもならろくな返事もせず、お酒持って来たよーとニャンコ先生に絡み始めるのに。
落ち着いた面持ちで頷いた
に少し違和感を覚えた。ニャンコ先生もじとりと
を無言で見ている。
「斑、俺行くよ」
「そうか」
ニャンコ先生は喉を鳴らした。
は窓の桟に座って、ニャンコ先生にそう言うとすぐに屋根に降りた。
あ、お前危ないって言ってるだろ。と怒ったら今度はいつものように笑って流された。
ニャンコ先生も一緒になって屋根の上を器用に歩いて、縁に腰掛けた。また晩酌かよと肩をおろすとニャンコ先生は振り向いて俺を呼んだ。
「夏目、何をしている。お前もこい」
「は?俺は酒は飲まないぞ」
「誰が酒をわけてやるといった。良いから来い」
とぽとぽ、と杯に酒を注いでいる
の背中は藍色の羽織の所為で夜空に同化してしまっていて、曖昧にしか見えない。
「
と会うのはお前は最後になるかもしれんぞ」
「斑」
ニャンコ先生の言葉に、
は嗜めるように名前を呼んで、杯を差し出した。
乾杯、と小さな声で囁いて杯と瓶で乾杯をして口をつけようとする。
「気にしなくて良い、夏目。きっとまた会える」
ニャンコ先生は杯に口をつけて、
は口をつける前に俺に笑いかけた。それって、本当に何処か行くという意味ではないかと気づいて慌てて外へ乗り出した。
「な、なんでそんな急に!」
いや、急ではない。
は初めて会ったときから、こんなことを言っていた。同じ場所には一年しかいられないと。
「誕生日なのか?」
「明日ね」
「めでたいはずなのに、素直に祝えないな……」
「あはは、ありがとう」
隣に腰掛けてる
は、するりと俺のこめかみに頭をすり寄せた。ふんわりと、石鹸の香りがする。
「最後になるって……」
「わかんないよ、でも、きっと会えると思う」
「あまり期待させてやるな。
。あれから六十年以上経ってるんだ」
あれから、というのは多分祖母のレイコさんが居た頃だ。六十年という長さに、少し驚いた。
俺が今まで名前を返して来た妖はたくさん居た。そのなかで、協力したり、仲良くなったりしたやつらは何人も居た。それでも名前を返せばふわりと消えて行く。
もそれと同じことのはずなのに、どうしてだか胸が痛んだ。
「そ、そうだ、
に名前を返すよ」
「いやあ、いいよ」
「え?だって」
名前を縛られるというのはそれ相応にリスクがあることだ。
「レイコの友人だけど、夏目の友人でもあるじゃん」
縁を切らないでおくれよ。そう言って
は微笑んだ。
「今度からは、レイコの夏目友人帳ではなくて、貴志の夏目友人帳に入れておいて」
「ゆうじん……」
「ちがった?」
「いや、ちがくない!う、うれしい……よ」
「ん。俺もうれし」
いつも大人っぽく優しく笑うけど、今日の
はアルコールの所為か子供っぽく笑った。
「何をラブコメみたいなことをしてるんだお前らは」
「妬かないで、斑」
「私が妬くか、馬鹿め」
多軌のように、ニャンコ先生をぎゅうぎゅうに抱きしめると、ニャンコ先生は少しだけいやがった。本気で暴れないところをみると、少し別れを惜しんでいるのだろう。長い年月を生きているとはいえ、
の存在は危うかった。二度と来ないということも、ありえるのだろう。
「夏目が名前を持っていてくれるから、きっと会える」
今回もきっと、夏目に呼ばれたんだ。
くい、と
は瓶を煽り、口についた酒を拭った。
ふわりと風が吹いて、
の長くのびた髪の毛が風に踊る。少し冷えて来たなと思ったけれど部屋に戻りたくはなくて動かなかった。
「ひえるから、これ掛けてな」
はそう言って自分の羽織を俺の肩にかけた。
心なしあたたかくて、夜風もしのげる。藍色の上等な羽織だった。
「ああ、ありがとう……
は寒くないのか?」
「うん。俺は……寒くないよ、」
指先がのびて来て、俺の前髪を優しく払いのけた。
つつ、と軽く肌をなでて頬と米神がくすぐったい。
「大丈夫」
吐息だけで喋った。酒の匂いがする。
そして、瞬きをしたら、隣にはニャンコ先生しかいなかった。
肩には藍色の羽織が掛けられたままで、残っていたのは一升瓶と白い杯と石鹸の香りだけだった。
「誕生日おめでとう」
日付が変わったのだろう。俺はぽつりと呟いた。
「
……
、
、来い、
……」
名前を呼んでも、彼は現れなかった。
2013-07-04