平日のお昼過ぎ、アパートの呼び鈴が鳴った。
来客の予定はなかった為首を傾げていると、声変わりの済んだ、けれど少し若さの残る声に、すみませんと伸びやかに呼びかけられる。
「あ、はーい」
「こんにちは」
ドアを開けた先に居たのはごくごく普通の十代くらいの少年だった。
黒髪と黒目、日本人らしい肌色と洋服。他と違うのは頭に白い鳩がもっふりと乗っていたことだけだ。
「邪魔をする」
「お、おじさん?」
人懐っこい笑みを浮かべる少年の上で、白い鳩が真っ白な胸を張ってきりっと私を見た。
この喋る白い鳩はまぎれも無くおじさんだ。
「ブッダ様ですよね、俺は
といいます」
少年は
くんと言うらしい。おじさんを両手で支えながら頭を下げる。
とにかく家の中に上がってもらう事にした。
「折角来てもらったのにすみません、今イエス買い物に行っていて」
「いや、突然来たのはこっちなので。おじさんおろすね」
頭に乗っているおじさんを両手でがしっと掴んで膝の上に乗せる。
父なる神であるおじさんに対するフレンドリー加減に私はびっくりしつつもお茶を差し出した。たしかにイエスのお弟子さんたちって結構ぐいぐいくるけど、さすがにおじさんには畏まっていると思う。
普通にしていると礼儀正しい少年の様だけど、肝心な所がどこか違う。
おじさんの知り合いなんだろうか。しかしあまりにも平凡な彼との関連性を私は見出せない。
イエスよ、早く帰って来てください。
「お土産買って来たのにね」
「先に食べよう」
「ブッダ様、これお口に合うか分かりませんが」
「わ!ありがとうね」
先ほどから持っていた袋は一瞬でわかる銘柄であり、夢の国のお土産だということが分かる。昨日おじさんと行って来たんですよ、と私が聞く前に教えてくれた。
というか、一人と一羽であの夢の国を満喫してきたというのですか。
おじさんはもう食べる気満々だったので、私はすぐに渡された可愛らしい缶を開けた。中はクッキーの詰め合わせだった。
「ただいまブッダー……って、あれ?お客さん?」
ああ、救世主よ。
どこかズレてる一人と一羽にはなんと話を振ったら良いかわからず、心の中でずっとぐるぐるしていた。そんな中、イエスが帰って来た。玄関にある見知らぬ靴に首を傾げ、居間へやってくるとすぐに明るい表情になった。
「
くん!」
「よっくん久しぶり〜」
猫のように目を細めて、ひらひらと手をふる
くん。
「わー、ちょっと吃驚してるよ私。何世紀ぶりかなあ」
クッキーをさくさく食べるおじさんと、私は二人の和やかな様子をただ眺めた。
「あ、ブッダ紹介するね。友達の
くんだよ」
「改めましてよっくんの友達の
です」
単に友達という間柄らしい。よっくん、と呼ばれているのも納得がいく。まだ大工をしていた頃に出会ったのだろう。
でも、おじさんのことをおじさんと呼んでいるということは結構深い仲なのだろうか。
「
くんはねー、父さんの子なんだよ」
「は?じゃあイエスの兄弟?」
「父さんが、漫画の世界に行けたら良いのにって思ったら出来たんだって」
「え?おじさん漫画読むんですか?っていうか世界に?」
「読むぞ」
こくりとおじさんは頷く。
おじさんが漫画の世界に行けたら良いのにって思ったのに、
くんが行くっていうのはどうなんだろう。おじさんの一部ってことだろうか。
「俺は人間で十七歳までは普通に生きてたんだけど、それ以降は、おじさんがいろんな世界に行ってこい的な感じで?」
こてん、と
くんが首を傾げた。
くんはもともとは違う世界の少年だったらしい。
「へえ〜……!ってことは、あの手塚先生の世界なんかにも!?」
「あ〜行きましたよ。手塚先生の所のブッダ様にも会いましたから、なんか初対面って気がしないなあ」
「す、すごい……うらやましい」
私はついついごくりと唾を飲む。
「いつか悟れ!アナンダの世界に行くかもしれませんね」
「わ!いいな〜私も行きたい」
イエスははいはいと手を挙げて行きたがった。父さん私も、とおじさんに言うけれどおじさんは無理だとイエスに言い放つ。
「うーん、よっくんそれは難しいよ」
何故かと首を傾げるイエスに微笑んだのは
くんだった。
「他の世界にブッダ様が居たように、神様もイエス様も居る訳で、俺のこの性質はおじさんだけのものではないのかもしれない。もしかしたら、俺の世界に居た神様の望みかもしれない。おじさんが望んだ俺、っていうのはあくまでこの世界の中でだけのことなんだ」
現に俺は、初めてここに来るよりも前に長い旅をしてた。と、
くんは言う。たしかに、漫画の世界といえど
くんが行けばそこは
くんにとって現実となり、私ではない私は本物の私なのだ。
それと同じように、この世界に居ない
くんの神様はおじさんだけではないということになる。
そもそも、ここは彼にとって本当の世界ではないのではないか。
「私悟りを開きそうだよ……」
「目覚めた人ですもんね」
楽しそうに
くんは笑う。
輪廻転生とも違う、彼は三六五日だけの人生を何百回何千回と送っているのだろう。穏やかで、のんびりとした笑みの奥底には広く深い心があるように見える。
「ま、何が本当かは分からない。深く考えたら負けだと思ってるんで俺は」
「私も難しくて頭こんがらがって来ちゃったよ」
くんは晴れたように笑って、イエスはのんびりと笑って、私も二人につられて笑った。
「俺にとっては、全てが嘘で、全てが本当のことなんだ」
2014-04-11