アンビバレンス
死んだと思ったら記憶を持ったまま新しく生まれていて、俺はのんびりと人生を歩んでいた。
俺に両親は居らず、生まれたときから孤児院にいた。けれど双子の兄がいたから肉親は知っている。
兄は普段は静かだけれど気性が荒かった。孤児院の子供に絡まれると怒り、あらゆる報復を行っていた。
子供達は兄を怖がり、孤児院の大人たちも気味悪がった。
俺だって変な人だと思っていたけれど、身内なものだから切っても切れない縁だった。
十二歳になる歳の夏、俺と兄に客人が訪ねて来た。
院長のミセス・コールは俺たちに部屋で待っているように言いつけた。そして、数分してから老人が俺たちの待つ部屋にやって来た。
彼はダンブルドアと名乗った。ホグワーツの副校長をしていると説明して、俺をと、兄をトムと呼び、俺たちが魔法使いだと言うことを告げた。
意味が分からなかった。そして、いろんな事が分かってしまった。
兄、トムの名前は勿論知っていた。トム・リドルだと分かっていた。けれどあのトム・リドルだとは思っていなかった。ダンブルドアが魔法を見せてくれる驚きに交じって、これから先の未来を想像して目を見張った。
(俺は、どうしたらいいんだ。)
生まれ変わったことすらも奇異だと言うのに、最悪な位置づけに居る今、人生のどん底に突き落とされたような気分だ。
トムは自分が特別な力を持っていることを誇りに思っていたけれど、俺も同様のものを持っている事や、ダンブルドアがトムよりも上手に使いこなす事、他にもこんな子供達が沢山いて自分が特別ではないと言う事に苛立ちを感じていた。
ダンブルドアが帰った後、一言も口をきかずに黙っていたトムが怖いので俺は何も言わなかった。
それから、俺たちはホグワーツへ通い始めた。トムは当然俺の予想通りスリザリンに、俺はグリフィンドールだった。生まれてからずっと顔を合わせていた双子の兄と初めて離れた。少し肩の荷が下りたような気分だった。
自分が魔法を使えると思ったことはなかったけれど、勉強と練習をしていると自然と効果は出た。トムはやはりずば抜けていて他寮の俺にも名前が届く程優秀な生徒として有名だった。
知らぬ間に有名かつ人気者になっていて、遠くで見るトムは物腰が柔らかく思慮深い少年だった。男女問わず好かれていたし、スリザリン寮監のスラグホーン先生には気に入られていたし、他寮の生徒とも上手く交友関係を築いていた。
「やあ、」
図書館からの帰り道で珍しく人に囲まれていないトムが、俺に話しかけて来た。俺たち二人の距離は、遠からず近からずを保っていたがここ最近は目を合わせる事もほとんどなかった。だから随分トムの事を遠くに感じていた。それに、見かけるトムは俺の全く知らない綺麗なトムだ。気怠そうな表情や、人を見下す眼差しが垣間見えない。俺にとってのトムは後者なのだ。
呼びかけられた事に反応して足を止めれば、トムはつかつかと歩み寄って来た。
「久しぶりだね、図書館かい」
「うん」
「勉強、ついていけてる?大丈夫?」
「うん」
「……お前はいつもイエスしか言わない」
トムは肩をすくめた。イエスで事足りる質問しかしてこないのはトムなのに、と思いながらイエスと答えかけた口を閉じた。
持っていた本をすいっと奪い取られたと思えば、ぱらぱらと捲って、興味無さげにふうんと頷いて返された。それはそうと、とトムが口を開くので、視線を上げる。
「知ってるかい、僕たちの両親の事」
首を傾げると、トムは人気の無い教室に連れ込み、母親が純血の魔女であり父親がマグルだったことを俺に教えた。トムが淡々と、けれどおそらく納得のいっていないのだろう、怒りで拳を震わせながら説明した。
トムといる時俺は、どうしたらいいんだろうと思いながらただただ彼を見つめている。トムが今どう思っているかだけは、手に取るように分かるけど、それは多分付き合いの長さの所為だ。トムがどうして欲しいのか俺には分からなかったし、きっと何もしてやれない。
身内なので少なからず愛情はあったが、トム自身そういうものを軽視していたので必要以上に馴れ合うことはない。鬱陶しいとまで思っていそうだったので、俺もそんな人にわざわざ関わろうと思わなかったというのもある。
ひとしきりトムの説明を聞き終えて、俺は表情を変えずに頷いた。
「そう……」
「お前は時々全て分かったような顔をしてる……何故なんだろう、驚かないし、怒らない」
トムには驚愕の真実だったようで、俺の反応に不満を零される。仕方ないのだ、俺は全部知っていたのだし。
肩をぐっと掴まれて、鈍い痛みが身体を襲う。顔を歪めて苦痛を訴えると、トムはうっすら笑って手を緩めた。
「ああ、なんだ、痛みは感じるんだね」
「当たり前だろ……」
「昔からはよくわからなかったからさ」
それはこっちの台詞だと思って精一杯顔を顰めた。
それからのトムは、時折俺を捕まえては得意気にしもべが出来たのだとか、新しい名前を考えてみたとか言って、黒歴史ならぬ闇の歴史を着実に作っていった。
女生徒が死んだときも、ルビウスが濡れ衣で告発されて退学になったときも、目を瞑った。
次の年には、父親を殺しに行くのに付き合わされた。
「相変わらず表情が変わらないな」
リトルハングルトンからの帰り道をどんよりした気分で歩いているとトムがつまらなそうな顔をした。
目の前で人を殺されたのだから驚いたに決まってる。逆に顔が強ばって表情が作れないと言うのが正しい。
「気分はよくない」
「僕は最高に気分がいいよ」
トムは、どんどん残酷な性格になっていった。
教授になろうとしたのをダンブルドアに阻止されたトムは、卒業後ボージン・アンド・バークスに就職した。俺は近くでバーテンをしていたが、トムがまた人を殺めたので夜逃げする際に連れて行かれて、あっさりと職を失った。
それからは、忠実な部下である死喰い人を集めたり、闇の魔術の研究をしていた。
色々な場所を点々としながら過ごしている間、トムはとうとう本格的にヴォルデモートと呼ばれるようになった。他にも、闇の帝王とか、例のあの人とか、沢山の呼び名がついてた。
俺はトムに手を貸していなかったから、相変わらず近くのパブとか雑貨屋とかでひっそりと働いて普通の生活を送っていた。しかし、トムが移動する時には必ず連れて行かれた。放っておいてほしいのが本音だが、放っておかれたらまず間違いなく俺は闇払いに捕まり尋問される。組織の重要事項なんかは全く知らされていない上にトムの弱味になりはしないけれど、記憶を読まれるのは厄介だ。俺は分霊箱の事を知っていたし、生まれたときからトムの一番傍に居たのだから。
きっといつか俺を連れて行くよりも殺してしまった方が良いと結論を出すに違いない。それか、記憶を全て消して捨てて行く。
それが現実になったのは俺が二十五歳になった時だ。
何がどうなってそうなったのか俺には分からなかったが、気づけば首を絞められていた。魔法使いであることに誇りを持ち、人を殺すときは力を誇示するべく魔法で殺すトムが、まさか自らの手で行うとは思いもしなかった。
苦しくて息が出来ないけれど、わずかな隙間をぬって嗚咽を吐き出した。
紅くなった眸が俺を見下ろし、唇が動き、何かを喋った。酷く遠い音だった。
多分、俺の名前をしきりに呼んでいた。正気じゃない、昂ったような声。まっすぐに俺を見下ろしている顔は、憎しみと憐憫が交じっている。どんどん声が聞こえなくなって、目が見えなくなった。
ああ、やっぱり俺は殺されるんだな、と理解した。
トムがヴォルデモートだと分かった時からこんな気がしていたのだ。
けれど、俺は再び目を開けた。
重たい瞼を持ち上げると部屋の天井が目に入り、すぐに俺を殺したあの顔が視界に広がった。
「……目を覚ましたか」
溜め息まじりに、ひとりごちたトムの顔はまるで俺がぐうたら眠りこけていた時みたいにいつも通りだ。
俺は、死んでいなかったことに、安心よりも疑問を抱いた。
「ト、ム……?」
喉がつぶれて声が出しづらい。以前の自分よりも少しかすれた声だった。
呼びかけると、思いきり嫌そうな顔をした。
トムは、起き上がろうと肘をついて頭を持ち上げた俺の額を素早くはたいて、ベッドに戻しながらまだ寝てろと倒す。慣れた乱暴な手を、この手に首を絞められたのかと、しんみりと見送った。
不思議とまた絞められる気はしなかったから、怖くはなかった。勿論首を絞められて意識を失うときは死ぬ程苦しくて怖かったけれど。
何故だろう、生まれ変わってしまったような、憑き物が落ちてしまったような気分だ。トムにいつか殺されると奥底で怯えていた気持ちが消えた。死という概念が己の中からすっぽりと抜け落ちたような気さえする。
「一度死んだ気分はどうだい」
「さいあく……」
腕を持ち上げて頭を掻き回しながら零した。
言っている意味がわからない。一度死んだっていうのは例え話なのか、それとも本当にトムが俺を殺したのか。
「常々お前のことが鬱陶しくてたまらなかった……わかるかい?」
トムが顔を歪めて俺を見下ろした。
「なんとなく」
俺はある意味トムにとって理解者であり、トラウマだった。
純血の魔女の血を引いた尊い者であり、トム・リドルの血を引いた穢らわしい者であったから。
自身の事は赦す他無くても、俺の事は赦せなかったのかもしれない。俺はトムほど優秀ではなかったし。
そんなことを思って頷いた。
「いいや、わかってない」
わかるかいと聞いておいて、結局断定する。じゃあ聞くなよ。
「リドルの血はこの際どうでも良い。一滴でも優秀な純血の血が流れているならば大切にすべきだろう?ヴォルデモート卿は寛大なのだ」
俺が考えていたことはお見通しのようで、トムは真っ先にそれを否定して笑みを浮かべた。
「愚鈍な動作や怠慢な生き方、己の力を余す事無く使おうとしない所は、勿論気に食わないが」
じろりと睨まれる。
在学時も成績が悪いと軽く口うるさい教育ママのように怒っていたが、未だにそれを引き摺っているのか。
「お前には、特別になる才能があった」
ひたりと静かに頬に手を当てられた。歪んだ笑みと、何かを含んだ眼差しに射抜かれて、背筋がぞわりとむずがゆくなる。
「見た目も平凡、誰にでも分け隔てなく優しいわけではない、勉強も中の上程度。それなのに、お前は容易く信頼を得て好意を向けられた」
「俺は別に何もしてない」
「だからこそ、特別なのだ」
すっと手が離れて行く。
特別を羨み、憎んでいるトム。
俺は人と交友関係を築くのは苦手で、誰にでも好かれるトムのような人付き合いはしてこなかった。反面、自分の傍に居る友人達はそれなりに大切にして来たつもりだ。それの事を言っているのだとしたら、トムは随分俺を買い被っている。
「極論だ、それは」
「違う。一番傍に居た私が証明する。お前は特別魅力的だった」
有無を言わせぬ顔で俺を見下ろした。
「そんな特別な人間、要らない」
そして薄く笑った。だからトムは俺の首を絞めたと言うのだろうか。
なら、何故俺は今ここに居るのだろう。
「今その身体に在るのは、お前を殺して引き裂いた私の魂と、お前の身体に残ったお前の記憶だ」
言わなくても俺の疑問が分かっていたトムは端的に説明した。
俺はやっぱり死んだのだ。そして、俺が今自我を持っているのは記憶があるから。生きているのは、トムの魂が入っているから。何故トムの意識がないのかは分からないけど、多分随分魂を引き裂き続けていたからそんなもの残ってないのかもしれない。
「つまり俺は、……分霊箱?」
ようやく納得がいって零せば、これで六つ目だとほくそ笑んだ。つまり肯定の意。
分霊箱はトムの日記、マールヴォロ・ゴーントの指輪、サラザール・スリザリンのロケット、ヘルガ・ハッフルパフのカップ、ロウェナ・レイブンクローの髪飾り、・リドルの死体、の六つ。
自分の身体と六つの分霊箱で計七つに魂を裂く予定だったから、俺が最後なのだろう。ナギニは作られないということか。
最初から俺を分霊箱にするつもりだったのかと思うと複雑な気分だ。良い結末にならないことは分かっていたがまさか分霊箱にされるとは思いもしなかった。
自分の日記帳や由緒ある物を分霊箱として選んできたのに、最後は双子の弟なんて、何を考えているのだろう。ナギニは唯一可愛がっていた蛇だという位置づけだったから、唯一の肉親である俺に変わったのかもしれないけど。
「お前は私の本当の半身だ」
気味が悪い殺し文句だ。
くつりと笑ったトムは部屋を出て行き、俺は暫く眠った。自分が死んだという実感は沸いていないが、自分の魂がもう何処にも無いことはなんとなく理解していた。身体がからっぽになった気分なのだ。
目覚めた時に死と言う概念が消えたと感じたのは、多分その所為だ。俺は死ななくなってしまった。
(死ぬ方法は知っているけれど。)
肉体は死んだので、生命活動は停止された。呼吸をしているが、それを止めても苦しいと思う事は無い。脳や身体は酸素を欲していなかった。声を出すためだけに、空気を吸って吐いて、声帯を震わせる。鼓動もなければ、身体に温度というものは無いだろう。当然腹も減らず、髪も伸びず、眠くもならない。意識を手放す事は出来るが、睡眠が必要にはならなかった。
トムが幾重にも魔法をかけたのか分霊箱であるからか、そんじょそこらの衝撃では身体は傷つかない。肉体が腐敗しないのも多分その所為だ。
そして、二十五歳の姿のまま、数十年が経った。
「サー、お目覚めですか」
「アブラクサス……?」
随分と長い事俺たちに仕えているアブラクサスが俺を起こしに来た。どうせする事が無く、俺はただ存在すれば良いので基本的に眠っている事が多い。
用がある時なんかはこんな風に死喰い人が俺の世話をしに来る。
「本日はパーティーが予定されておりますのでお顔合わせをして頂きます。ご準備を」
「めんどうだな……」
「そうおっしゃいますな」
これだけ眠りっぱなしで、動くのが面倒なんて言うつもりはない。ただパーティーというのが面倒だ。俺は闇の陣営というよりもただの道具だ。けれど闇の帝王の魂そのものであるため大変貴重な存在であり大事に大事にされている。なおかつ双子の弟であり、今後俺の世話をする者も出て来るので顔合わせはなるべくしなければならないのだ。
アブラクサスは俺たちよりもほんの少し年上だった記憶があるが、今見ると随分老けている。たしかこの間子が生まれたとか言っていたけれど、それはいつだったか。
「息子は元気?もう歩けるんだったか……」
「ルシウスは今年十九になります、サー」
「……そんなにか」
人に関心を持たない訳ではない。ただ俺に流れる時間はあまりにも早すぎてわからないのだ。
もう人間ではない証拠だ。
苦笑して、誤摩化すように頬を掻くとアブラクサスは微笑を浮かべた。
やはりアブラクサスも老けたんだなあ。
「老けたね、お前」
「然様で」
「トムも確かこの間見たときは見る影も無く爺になっていたな」
「サー!」
トムと呼ぶとトムの機嫌が急降下するので、アブラクサスは焦ったように俺を嗜めた。この場にトムは居ないのに。
はいはい、とかゆくもない耳を掻きながらアブラクサスの叱責を聞き流す。
「永遠の命が欲しい割には見た目に頓着しないんだなあ」
「……」
アブラクサスは苦々しい顔をして口を閉ざす。
「あんなに綺麗な顔をしていたのに」
ぽつりと零すと、アブラクサスはそうですねと同意した。
パーティーでは基本的にトムの傍に居るのが普通なのだが、トムは死喰い人やその家族に囲まれるので俺は少し離れた。
俺がトムの双子の弟であり分霊箱だと知っているのは古参の死喰い人だけであり、紹介の仕方はたいてい、トムの甥と言う事になっている。つまり俺自身の息子なのだ。父親と同じと名乗っていても変ではない。
今日はアブラクサスが傍に居る為、一番に息子のルシウスが挨拶にやって来た。
赤ん坊の頃一度抱いたことがあったが、本当に十九歳になっている。
「サー、こちら私の息子のルシウスでございます」
「お初にお目にかかります。ルシウス・マルフォイです。サーのお話はかねてより父上から伺っております」
恭しく頭を下げて、銀色の美しい髪の毛はさらりと流れた。
どんな話をアブラクサスから聞いているのかは不明だが、アブラクサスの跡を継いで俺の世話をするのはルシウスの可能性が高い。
気の利いた挨拶は出来ないがそれを赦される立場にある事を感謝して、薄く微笑んで頷いた。ルシウスはそれだけで嬉しそうにはにかんだので気は悪くはさせなかっただろう。
「サー、あまり笑いかけてくださいますな、調子に乗る輩が増えます」
「お前の息子なら良いじゃない」
「もちろん、ルシウスになら構いませんとも」
アブラクサスは親馬鹿なのか、それとも出世面に関して策士なのか分からないが頷いておいた。
マルフォイ家の次にはブラック家の兄弟、従姉の三姉妹とも顔を合わせた。
名前だけは知っている連中が増える年になったかと遠くを見つめると、先ほど一等素っ気なく挨拶をしたシリウス・ブラックが疲れた顔をして壁に背を預けている。
闇の魔法使いを毛嫌いして家族とも仲が悪いようだが、今回は無理矢理連れて来られたのだろう。ふっと笑みがこぼれる。
「サー、どこへ行かれるのですか?」
俺が歩み寄ろうとすると、アブラクサスの代わりに俺についていたルシウスが首を傾げる。着いて来ようとするのを手で制して俺はシリウスの傍に寄った。
仲良くしようとか、助けてやろうとか、引き込んでやろうなんて気持ちは無かった。もう今や俺は人間ではなくトムの分身であり、ただ見ているだけなのだから。
とん、と隣に並んで背中を同じように壁に押し付けた。シリウスは背が高いため俺の耳くらいの位置に頭があって、俺に気づいて顔を向けると意外と顔が近かった。
「あんた……確かあの人の甥の」
「退屈そうだね」
シリウスは少し顔を遠ざけて口を開いた。
「当たり前だろ、こんな陰気なパーティーの何が楽しいんだよ」
久々にフランクに話しかけられて少しくすぐったい。むしろ恭しい方がくすぐったい筈なのだが、もう何十年もそれなので慣れてしまっていた。
たしかに闇陣営が多いとはいえ、全てが闇の魔法使いや死喰い人になるわけじゃない。ただの純血主義のパーティーのようなものだ。
「それ、俺に言っていいのかな」
「告げ口してもいいぜ?おじさまに」
ははっと鼻で笑われたので、俺は面白くて顔を背けて笑う。なんだよ、と気分を害したように俺を見るシリウス。噛み締めながら何でも無いのだと言い訳をするが、見るからに納得していない顔でそうかよと悪態をついた。噛み付かれるのが久しぶりだ。もちろんトムとのやり取りは無遠慮なものが多いが、それとはまた違うのだ。
「そういや、あんたの父親であの人の弟君は出て来ないのか?」
「死んだよ」
「……へえ」
きりっとした形の良い眉はぴくりと一瞬動いてから、滑らかに元の位置に戻った。
「悪事ばっか働いてたツケが回ってきたんだな」
「どうだろう。人を殺した事は無かったけれど……隣で見ていただけでも罪になるというならば、そうなのかもしれない」
生まれて来た場所を間違えた気分だ。
というよりも、間違えたのだから当たり前なのだと言う気がしていた。どうせもう俺は死んでいるんだから、何も後悔なんてする必要は無い。
「何がいけなかったのか全く分からないね。ただ一つ言えるとすれば、弟になんて生まれるんじゃなかった」
「違いない」
シリウスは俺の言葉に重い溜め息を吐いて同意した。
「兄さん?」
シリウスの向こう側から、少年が声を掛けて来た。そして俺を見るなり慌てて近づいてきて居住まいを正した。
「サー!兄が何か失礼な事を?」
「おい、何でそうなるんだよ」
隠しもせず舌打ちして、弟であろうレギュラスに悪態をついた。普通に話してただけだと俺の肩をがしっと組んだので身体が少し揺れる。するとレギュラスが青ざめて腕を剥がしにかかる。
「な、なんて失礼な!兄さんやめてください」
すぐに離されて、レギュラスが畏まって謝罪をするので大丈夫だと告げると、ほっとしながら俺をじっと見つめた。トムに酷く心酔していたから、トムに近い俺がうらやましいのだろう。
「話相手になってもらっていただけだよ」
「!でしたら僕が」
「今度はそうするよ。ルシウスを待たせているのでもう行く」
俺の首よりも下くらいにある高さの頭をぽんぽんと撫でると、レギュラスはぽかんとしたまま固まった。
「シリウス、ありがとう、レギュラスも、また」
「ああ」
「はい!」
名前を一度で覚えられていたことに驚いたのか、二人は一瞬躊躇ってから返事をしてくれた。
「サー、野蛮な事はされませんでしたか?弟の方はともかく兄の方はグリフィンドール生でして」
ついてくるなと言われた手前ついて来られなかったルシウスはそわそわと俺が戻ってくるのを待っていた。そして戻って来るなり心配される。
「俺もグリフィンドールだった」
「然様でございましたか」
ルシウスは一瞬口ごもってから、素知らぬ顔をして受け流した。
どうでもいいので俺もその話は引き摺らず、アブラクサスの所在を尋ねるとルシウスは挨拶を受けているアブラクサスの方を指し示す。
「呼んで」
「仰せのままに」
恭しく頭を下げ、ルシウスは人混みの中へ行き、アブラクサスがすぐに戻って来た。
「どうされました、サー」
「飽きた」
「早すぎますよ」
「ルシウスには会ったんだからもう良いじゃない」
疲れという感覚はないのだが、飽きは常に俺に付き纏う。
トムもどうせ、俺が長時間居られるだなんて思っていないだろうから文句も言わない筈だ。アブラクサスと一緒に屋敷に戻り、堅苦しい装いを脱いだ。
風呂に入るというのは案外気持ちがよい。汗をかいたりすることはないけど、整髪料や染み付く他人の香りはシャワーで流せる。
魔法で動くブラシに身体を優しく洗われ、最後にはお湯が降り注ぎ泡が流れる。それからバスタオルがふわりと飛んで来て俺の身体に巻き付いて水を拭いて、最後には熱風が髪の毛を乾かした。
さすがに着替えるのは自分でやり、ベッドにどさりと倒れ込むと疲れなど無いのに倦怠感が押し寄せる。要は気持ちの問題だ。
久しぶりに色々な人と口をきいた。
表情を作るのも久々かもしれない。
「サー、お休みになられますか」
「うん」
返事をすれば、アブラクサスはすぐに出て行った。そして俺は意図的に意識を遠ざけて眠りに落ちた。放っとくと数ヶ月でも一年でも眠っていられるが、今回は次の日には起きられるように眠った。
しかしその日の夜揺さぶられて目を覚ます。
「」
俺の名前を呼ぶのはトムしか居ない。目を開ければトムが俺を見下ろしていた。
枕元の電気だけつけて、うすぼんやりと見える顔に、やあと声をかける。
「魂だけではないようだな、魅力的なのは」
「なに?」
「人柄、か?」
わざわざ俺を起こしておきながら、意味の分からない事を独り言ちた。
「ブラックやマルフォイの倅とはもう仲が良くなったようだな」
「そうかな」
「お前にはどこか放っておけない所がある。容姿か、言動か、眼差しか、……あるいは魂かと思ったが」
「魂はもうない」
「そうだったな」
しかし好都合だと続けて笑った。
「お前の人に好かれる体質は魅力的だ。我がヴォルデモート卿の為になる」
「魅力的だから殺したのに?」
「もうその身体は私自身だ。いくら魅力的で特別な存在になろうと、私に変わりはない」
「ふうん。俺の記憶や意思は、何故残したの?」
ずっとこの事は聞いた事がなかった。
「だからだ」
よくわからないけど、そう言われてしまえばそうなのかと思った。
双子の弟だから、家族だから、トムもそれなりに俺の存在を認めていた。ただし鬱陶しいとも思っていた。
「もしかして、トムは俺の事が好きだった?」
「その名を呼ぶな」
名前を呼んだら機嫌が急降下して、トムは俺の唇をつねって塞いだ。痛くはないけど口がきけなくなる。俺を殺したトムは、もう二度と俺を殺せない。そして俺の身体には自分の魂が入っているのだ。普通の魔法は効かないし、危害を加えようなんて思う筈が無い。
だからこそ、こんなにも素直に憎まれ口や意見を言えるようになった気がする。殺されるまで、きっといつ殺されるのか、俺はどうしたらいいのか分からないままただ物言わぬ人間として傍に居続けた。けれどこんな風になってからは俺の気が楽になったのか、あきらめがついたのか、トムに何だって言うようになった。
物語の中の悪役であるヴォルデモートは、俺の双子の兄のトムでしかない。
「眠れ……暫くは起きなくていい」
「そう」
勝手に起こし、勝手に何か喋って、眠れと話を終わらされた。
ルシウスとレギュラスは死喰い人になってから俺に改めて挨拶にきて、俺がトムの甥ではなく弟だという事実を知らされた。この事実を知らされると言う事はそこそこに信頼されたのか、俺と仲が良いと判断されたのかどちらかだ。
「レギュラス」
「はい!」
時々レギュラスやルシウスも世話をしにくるようになった。
レギュラスは、俺が呼びかけると嬉しそうに返事をする。なんだか可愛らしいのだけど何故トムに心酔したからといって俺にまでそれを向けるのかわからない。俺は純血主義でもなければ、闇の魔法はおろか普通の魔法さえ使わない。ただ弟だからという点なのか。それとも、分霊箱に執着して意識を絡めとられたか。操るとまでは行かないけれど執着すると言う事はあり得るのだ。
「やってもらう事は無いから下がっていい」
「……はい」
わくわくした眸に見られて居心地が悪かったのだが、見るからにしょんぼりされて、今度は俺の良心が痛む。
可哀相な子供にしかみえなくて、とぼとぼと歩き去ろうとする背中にもう一度呼びかけると、ぱっと明るい顔をする。
ルシウスは表情に出さないからやりやすい。レギュラスはとてもやりづらい。
「暇だから、何か話をしてくれるかな」
「仰せのままに」
レギュラスはうっとりと微笑んで恭しく頭を下げた。
人に気を使うなんて久しぶりな気がする。
レギュラスは学校生活の事や、社交界の事、世間のニュースや、トムの活躍を語って聞かせた。トムの話はトム自身が、武勇伝を語る子供の如く俺に語って聞かせるのでほぼ聞き流した。
「今度、帝王がクリーチャーをご所望だと仰るので差し出す予定なんです」
「そう」
トムは分霊箱を色々なところへ隠している。分霊箱の中でも、俺とロケットはまだ手元にあったから、ロケットを隠しに行くのだろう。ぴんときた。
レギュラスにはもう会えなくなるのだろう。
「楽しい話をしてくれて、ありがとう。レギュラス、もう下がって良い」
「はい……」
二回目も残念そうにしていたけれど、今度は呼び止めなかった。ぱたんとドアが閉まった時に小さくさようならと呟いた。
その後、用がある時には起こすだろうから目を覚ます予定も立てずに眠った。次に目を覚ましたときはアブラクサスに起こされて、あれから半年程が経っていた。レギュラスの事は誰も口にしなかったし、会いに来ている様子も無かったため、死んだのだろうと理解した。
また眠って、次に起きた時にはトムが俺の顔を覗き込んでいた。帝王失脚の予言があったのだという。
「へえ」
「のんきな奴だ」
「俺が慌てても仕方が無い」
確かにそうだとトムは頷く。今や俺の反応にケチをつけても仕方の無い事だ。以前みたいに痛みで顔を歪めてやることもできない。そうしたのはトム自身だ。
「予言の子供がポッター家の子供だと突き止めたが、奴らは秘密の守人をたてて姿を隠した」
「そう」
「ポッター家と仲の良い連中にシリウス・ブラックが居るが」
「俺に行けと言ってる?」
「行く気はあるか?」
「ない」
あっさりと答えればトムはその答えを予期していたので頷いた。
俺は一度だってトムに手を貸した事は無い。それはトムだって忘れていないし、許容していた。
手はもう打った、とトムは言うからピーター・ペティグリューを脅したのだろう。トムが一度死ぬのも遠くない未来だ。
「今、何月何日?」
「九月二十日だ」
「ひと月くらい寝る」
「時期を予告するのは珍しいな」
返答をせずに、俺は眠った。レギュラスのことも、シリウスのことも、トムのことも止めはしない。
俺はもう、死んだのだ。
一ヶ月と数日後に目を覚ませば、案の定トムは死んだと言われた。そして死喰い人達は多くがアズカバンに収容され、ルシウスは上手い事言って難を逃れた。
俺もルシウスによっていつもの屋敷から逃がされ、マルフォイ邸の一室をかりていた。
世間に俺の名前はほとんど出ていないから、見つかったとしても大したことにはならないだろう。
結婚した時と、子供が生まれた時にだけあったナルシッサには恭しく挨拶とお悔やみをいわれ、小さなドラコはきょとんと俺を見ていた。
白に近いブロンドと灰色のような淡いブルーのような眸は昔の自分に似ているが、俺の方がもう少し濃い色をしていた気がする。
今の俺は黒い髪と黒い眸なので全く違うけれど。
「サー、ご無事で何よりです」
「アブラクサスも」
とん、と肩に手を置くと、しわくちゃな手が俺の手をそっととった。
「老けたなあ」
「孫まで出来ればそうなりますとも」
細くなった目を更に細めて、アブラクサスは笑った。
威厳のある貴族の紳士であることには変わりないが、俺とは長い付き合いだからか、少し柔らか雰囲気をしている。ルシウスとナルシッサは幾分か堅いけれど、それは仕方が無い。
「卿が復活なされるまで、我が屋敷で必ずやお守りいたします」
「うん」
日記と俺という二つの分霊箱を守れば、トムが復活した後も大層褒められると思っているのだろう。
アブラクサスとルシウスには面倒をかけるが、むしろ俺が居れば二人は安泰なので気兼ねなく世話になる事にした。
世話になると言っても俺は食事や運動、勉強などの必要はないので、時々俺が頼む事に応えれば良いだけなのだ。屋敷僕妖精のドビーが一日一回俺の掛け布団を直しに来る程度で、ほとんど眠って過ごした。
その所為か、ドラコは七つになるまで俺の事を人形だと思っていたと言う。
ドラコが八つになった頃、アブラクサスが龍痘で亡くなった。葬式には数少ない純血主義の魔法使い達も出席したので、俺は部屋の中に籠ったまま喪に服した。
「サーは、お爺さまのお知り合いだったのですか?」
「そうだよ。アブラクサスは俺の世話係のようなものだった」
「今は、父上がそれをされているのですね」
「うん。いつかドラコにも順番が巡って来るかもしれないけれど、どうする?」
「父上は、サーのお世話をすることはとても名誉な事だと言っておられました。僕もサーのお世話をいたします」
ベッドの傍の椅子にかけたドラコは、まだ地面につかない足を心なしぷらぷらさせて意気込んだ。
大人達の話が長引くため、喪服姿のドラコは屋敷の中に居ても良いと言われたらしく、俺の部屋を覗いたら俺が珍しく起きていたため話に来たのだ。
「サーは……その」
口ごもるので、きっと聞きづらい事なのだろう。けれど暇だったし、別に何を聞かれても告げ口はしないから何でも聞いていいよとドラコの顔を覗き込んだ。
「サーはおいくつなのですか?」
「俺?二十五歳」
「もっと上だと思っていました」
年齢と相応の見た目をしていると筈なのだが、ドラコは苦笑した。おそらくずっとこの姿のままだったから少し不思議に思ったのだろう。けれどまだ八歳のドラコに説明をするのも憚れたので、気のせいで押し通した。どうせ小さい頃の記憶なんてすぐに薄れる。
あれからドラコはすくすく育ったけれど、俺が若作りだと思ったままホグワーツへ入学して行った。
時折手紙を送って来るが、自分の自慢話と、穢れた血と英雄様とマグルびいきの三人組の愚痴なんかが書かれていた。一年次が終わり夏休みの間にドラコは、森の中でユニコーンの死体やケンタウロスに遭遇した事や、寮の点数をいきなりひっくり返されて負けた事をちびちびと話した。
俺が労って頭を撫でると気を良くするので、ドラコはにこにこ笑って部屋を出て行った。その後やって来たルシウスには苦い顔をしながらあまり甘やかさないようにと言われるが、俺は甘やかす程優しくはないつもりだ。叱るのは親のつとめであり、何の関係もない俺がただ軽く労うのは当然の事だ。
夏休みが終わるころ、ダイアゴン横町へ教科書類を買いに行くルシウスは、トムの日記を持ち出した。
まさか俺が居るというのに本当に分霊箱を持ち出そうと考えるとは思わなかった。ただしこれを阻止するつもりは無くて、ただ俺もついて行きたいと思ったので青ざめたルシウスに一緒について行くと申し出た。
ナルシッサとドラコは何も知らされていないため俺が珍しく外に出ると言う事で大変心配し、そして喜んだ。ルシウスだけがどぎまぎしている。
「大丈夫、内緒にしておいてあげる」
「……」
ルシウスはじわりと額に汗を滲ませて、ひくりと顔を歪めて頷いた。
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店にはおよそ五十年ぶりに来たので少し嬉しい。もともとそんなに本を読む習慣は無かったのに最近は暇で本ばかり読んでいたから興味があった。人混みが酷くて少し億劫になったが、ドラコには買わなければならない本があるため進んで行く。俺も仕方なくそれについていき、人の少なそうな階段の傍へ行く。
「新学期前といえど、こんなに人居た?」
「有名人が揃っているようです」
皮肉めいたことを言いながら、ドラコは階下を見下ろした。たしかに、有名人のギルデロイ・ロックハートと、ハリー・ポッターがツーショットを撮っていた。
ハリーたちは解放されて、外へ出ようとしていたが傍に居たドラコがすいっと降りて行って目の前に立ちはだかる。
「良い気分だろうね、ポッター。有名人のポッター」
「ほっといてよ」
小さな女の子が、ハリーよりも先にドラコに言い返した。
「おやポッター、ガールフレンドかい?」
「失礼するでない」
ドラコが揶揄しようとしたが、ルシウスが肩に杖を掛けてドラコを退かした。
「ルシウス・マルフォイです……お見知りおきを」
ルシウスはハリーと握手をし、その手をぐいっと引っぱり身体を寄せて、額にある傷をまじまじと眺めた。
ハリーが啖呵を切ったり、ハーマイオニーが毅然とした態度で言い返したりしているのをじっと見つめていた。ああ、いつトムの大事な魂はあの少女の元へ行くのだろう。
わくわくして、笑みがこぼれた。
「教科書は……ぼろぼろの古本と来れば……ウィーズリー家の子だろう」
ジニーのバケツから本をいくつか取り出し、トムの日記と一緒にもつ。後ろから父親のアーサーがやって来て、いくつかやり取りを交わしながら、どすんとバケツの中に本を戻した。
ルシウスが皮肉を言うと乱闘騒ぎにまで発展した。知っていたが大変迷惑だったので一声掛けることにした。
「ルシウス」
「こら、やめんか!!」
俺が呼びかけるのと丁度通りかかったルビウスが止めに入ったのはほぼ同時で、ルシウスは俺の声にぴたりと動きを止めてすぐに居住まいを正した。
傍に居たドラコも俺の静かな叱責にびくんと身体を跳ねさせた。
「退屈だ」
階段の数段上から見下ろして告げれば、失礼しましたと頭を下げて俺に手を差し伸べる。その手を取って階段を下りて、ハリーの前を通り過ぎる時、ルシウスの手を放した。それに気づいたルシウスがつばを飲む音が聞こえた。
「俺は・リドル。よろしくハリー・ポッター」
「・リドルだって!?お前さん、そう言ったか?」
俺の名前に反応したのは大男の、ルビウスだ。そういえば同じ寮の後輩だった。何度か面倒を見てあげたし、トムが蜘蛛のことを告発して退学になったから覚えていたのだろう。
「お前さんの親戚の同じ名前が居ないか?え?そっくりな顔をしちょる」
「ええ、父と同じ名で」
「そうか!シニアは元気か?俺は在学中何度か世話になった」
「父は随分前に亡くなって、今は遠縁のマルフォイ家で面倒を見てもらっています」
「……は亡くなったか……兄貴の方はどうした?」
「叔父とは一度も会った事がないので……」
「もうよろしいですかな?我々も暇ではない」
ルビウスの話ににこやかに付き合うのは楽しかったけれど、ルシウスは気が気じゃないようで話を遮った。
トム・リドルの日記帳を渡したと言うのに同じ苗字の俺が名前を暴露したからヒヤリとしたのだろう。
引きつった笑みで、ルシウスが懇願するように俺を見ていた。
「じゃあね」
軽く手を振ると、反射的なのか子供達は手を振りかけてその手をすぐに遠慮がちに降ろした。
ハグリットが俺が死んだことをダンブルドアに言うだろうか。息子の俺の事も言うだろうか。
俺の名前は世間には出ていないが、ダンブルドアには分かるだろう。それから、ハリーもいずれ日記を手にして記憶を見る。そうしたら俺の存在を少なからず知る事になるだろう。
どうせ最後は全ての分霊箱を破壊しなければならずに俺にたどり着くのだから、このくらいヒントをあげてもいいと思った。一番の理由は暇だったからというのもあるのだけど。
あとからルシウスにヒヤヒヤしましたと言われて、楽しかったからまたやろうと思ったのは内緒だ。
ドラコが学校に行ってしまい暫くの月日が経った。
どうも、学校では生徒や幽霊が石化する事件が起こっているのだという。ドラコからの手紙はルシウスにも俺にも送られて来て、ルシウスにはあまり情報を流さないようにと言われる。
俺はパーセルタングもなかったのでバジリスクに命令はできなかったが、姿を見せてもらった事も、秘密の部屋に行ったこともある。正直あんな部屋の何処が良いのかよくわからなかった。蛇とか触れないし。
被害が甚大になり、ダンブルドアはとうとう校長職を停職されることになったとルシウスが報告をしてきた。多分理事たちを脅してとった票なのだろうが、俺は口を挟まず聞き流した。
学年も終わりに近づいて来たころ、トムの日記帳が消えた。その衝撃で目が覚めたのだ。
トム自身は今回の事にはおそらく気づいていないだろうけれど、俺は分霊箱だから分かった。
むくりとベッドから起き上がり、鐘を鳴らすとドビーがやって来た。
「ど、どうなさいましたか?」
「ルシウスは」
「旦那様は書斎に」
「ここへ」
「畏まりました」
指を鳴らしてドビーは姿を消し、すぐ後にはルシウスが部屋へやって来た。
「ホグワーツに連れてって」
「!……お、仰せのままに」
ひざまずいて恭しく頭を垂れたルシウスを見下ろした。
「おまえ、怒られるだろうね」
「ひ……!」
薄く笑うと、ルシウスは小さく悲鳴を漏らして怯えた。
クローゼットに入っている外用の服に着替えて、ルシウスとドビーを連れてホグワーツへ向かう。
丁度、理事達がルシウスに脅されたと吐いたらしくダンブルドアが校長に復帰していた。
俺の姿を確認するなり半月みたいな眼鏡の奥底の水色の眸が目一杯広がった。
「なんと……」
「なぜ復帰しておられるのですかな」
ダンブルドアの驚愕を遮るようにルシウスは尋ねた。勿論理事達がルシウスに脅されており復帰を願われたからだと答えた。そして、ルシウスがアーサーの失脚を企てた事を言い当てた。しかし企みは失敗に終わり、今やルシウスの立場が危うい。
意地が悪いからそうなるんだ、と溜め息をこっそりつかせてもらった。
近くに居たハリーがちらちらと俺の方を見て来る。きっと聞きたい事があるに違いない。といっても、おそらく俺が・リドル自身だとは思っては居ないだろう。ただ血縁だということだけ分かっている。
「帰りましょう、サー」
「もう戻らない」
きっぱりと告げればルシウスは愕然とした。次第に青ざめ、縋るように俺の手を取る。
「どうされるおつもりなのですか」
「どうにでもなる。俺は他のものたちよりも、自分で立って動ける」
ぱしんと手を払いのけ、帰れと告げればルシウスになす術は無い。
ドビーを乱暴な手つきで引っ張って部屋を出て行き、俺の事を気にしながらもハリーはそれを少し遅れて追いかけた。
「は死んだ……」
その一言だけを告げるとダンブルドアは悲しそうな顔をして、目を閉じて、溜め息を吐いた。しわくちゃな細長い手で顔を抑えて、ほんの数秒だけまごついてから顔を見せた。
在学中ほとんど喋った事は無かった。けれど、トムを危惧していたダンブルドアの視界に俺もしっかりと映っていただろう。
きっとこうなるだろうと予想をしていたはずだ。トムの顔を見て感情を読むのは俺の方が長けていたかもしれないが、トムの行動を予期するのはダンブルドアの方が優秀だ。その行動からトムがどう思ったかも、俺の死体に俺の記憶と意思を残したまま魂を封じ込めた理由もきっとダンブルドアならお見通しだ。トムは俺をどう思っていたのか、聞いても答えてくれないから俺には分からない。トムは俺も自分の一部にしたかったということだけは分かっているけど。
俺が分霊箱である以上壊さなければならないし、傍に置くと危険だということは分かる。
今すぐ壊されてやってもいいが、復活した時に俺が壊されていると知ったトムが何をするかは分からないので最後まで見ていたいと思った。
「全ての分霊箱を壊し終えた後、俺は自分で自分を壊す」
ダンブルドアは、俺の発言に息をのむ。
「トムの事は語れないし、俺に開心術をかけても無駄だから……諦めてください」
分霊箱の数はスラグホーン先生に聞いてもらうしかない。
残念そうに詰めていた息を吐いて、優しく笑った。トムは倒さなければならないが、俺はただの被害者であり、トムの本当の弱味だ。
トムの邪魔をするつもりは無いが結末は知っている為ここにいても何もかわりはしないだろうと思う。
どうせならホグワーツにもう一度来てみたかったのだ。
あとがき
書いていて楽しかったけれど、これ以上書ける気はしません。
ロードの次はサーだと聞いたんですけど、どないじゃろ。
July.2014