グレースケール
可哀相な従兄弟と、残念な兄と、横柄な父と、神経質な母を半ば諦めた目で眺めて来た俺だったが、可哀相な従兄弟が家を出て全寮制の『おかしな学校』へ行った一年後に、俺にまでその学校の入学許可証が送られて来たことで、ただぼんやりと見ているわけには行かなくなった。
嫌な予感は、ちょっと特殊な自我が芽生えてから既にしていたのだが、考えないようにしていた。
しかし、やっぱりそうはいかないらしい。
「……なんてことなの」
ホグワーツの入学許可証を丸めそうなくらいに握りしめた母ペチュニアを、横目で見た。
「おかしな学校へはいかせんぞ!」
「なんでにまでこんなのが来るんだよ!?」
父バーノンは顔を真っ赤にして震え、兄ダドリーは小さな目を見開いて、両親と俺を見比べた。
本で読んで知っていた、という以上に、この家族については知っている。
一番の被害者である我が従兄弟ハリーが、かつて後輩であり弟の友人だったころに、よく聞いていた。
家族に恵まれた俺は、その時からハリーを憐れに思っていたものだ。そんな、あまりよろしくない家庭にまたしても生を受けた俺は少しだけ人生を悲観した。
同じ世界の同じような時間軸にもう一度引き戻され、家族を変えられると言うのは、意外とショックだ。唯一の救いは、ハリーとそれなりに良好な関係を築けたことくらいだろうか。
ハリーの入学前のような事態にはならなかったが、俺の入学も半ば無理矢理決まった。今回は本当に両親が学費を出すと言うのに魔法界の押しの強さはすごいと思う。でもよく考えたら、未就学の魔法使いはある意味危険なので、魔法を使う訓練が出来る環境に入れるためには多少の手段はとるのかもしれない。
夏休みに帰って来たハリーは俺の入学に大層喜んだけれど、友達からの連絡が一切来ない事で日々やさぐれていった。
「みんな僕の事忘れてしまったんだ」
「そんな事ないと思うけど」
毎日出てくる甘いおやつをハリーと分け合う為に彼の部屋を訪れていた俺は、やさぐれたハリーを慰める為に言葉を探す。
ドビーが邪魔をしている時期だろうというのは分かっているのだが、なんといったらいいのか分からない。
「友達だと思ってたのに」
「ハリー……」
「がホグワーツに行く事になってよかった」
結局俺は上手くハリーをフォローすることはできず、せめて俺の存在で孤独を紛らわせるのならばとなるべく一緒に過ごす事にした。
夏休みの最後の方になると、ハリーはドビーに謀られて客人に悪戯をした罪で部屋に監禁され、真夜中に迎えに来た魔法使いたちに救出された。
騒ぎに駆けつけたけどどちらにも手を貸さず、ホグワーツで会おう、と見送っていた俺は不意打ちでハリーに掴まれて一緒になって空を飛ぶ車に乗せられ、身一つで魔法界に行く事になってしまった。
「お、おい、ハリー!こいつだれだよ!?」
かつての弟は、どうやっておろそうとばかりに俺を見る。
「いとこだよ!は今年からホグワーツに通うんだ!」
「う」
絶対におろさせないとばかりに、ハリーは俺のお腹にしがみついてきた。
「君のいとこって、あのひどいやつ?」
「ひどくないほう!」
一応俺の話もしてはいるようで、ハリーが叫ぶようにいうと、三人は納得して俺に自己紹介をした。
俺は再び彼らに名前を呼ばれることができたのを、少しだけ喜んだ。
ちなみに、荷物がないのはさすがに面倒だったので、マグルの電話を借りて家に電話をし、両親に荷物をまとめて駅に持ってくるように手配した。
ジニーと同学年になるというのは不思議な感覚がしたけれど、少しすれば同学年のジニーにも慣れたし、時々ハリーの話を聞きたいと話しかけられるので結構仲良くなった。
この調子で、恋愛の相談や、家族のこと、友達のこと、学校のことを話すのはすべて俺にしてしまえば良いと思ってなるべくジニーの話には耳を傾けたし親しげに接して来たつもりだったのだけど、結局彼女は日記帳に悩み相談をし続けたようで秘密の部屋は開かれた。
俺は無傷で一年間を終え家に帰り、健やかに夏休みを満喫していたが、またしてもハリーはおかしな被害に遭って先に一人で漏れ鍋へ行く事になっていた。
俺は家族旅行をしてから、両親のやっぱり学校は辞めないかと言う視線を背中に受けながら駅で別れ新学期を迎えた。
今年は、どんな一年になるのだろうとコンパートメントの中で寝たふりをしながら考える。
どんな一年であるのかは知っているが、俺にとってどんな風になるのかは未知だ。
「おい、あんまり騒ぐなよが寝てるんだから」
「これだけ喋ってても起きないんだから、大丈夫じゃないか?」
同じコンパートメントにはフレッドとジョージとリーがいる。寝たふりをしているだけなので、俺を気遣ったりからかう声に不快感は無い。
俺はまたこの声の主たちを守りたいと思っている。
けれど、前回と同じ方法をとろうとは思っていない。
あの時の事を後悔しているわけではないのだけど、あれから俺はまた生きて、時を重ねて、心が変わった。
大切な記憶が、言葉が、約束が増えた。
ふいに列車が止まり、凍り付くような寒さにぱちりと目を開く。
「あ、」
リーは俺が目を覚ましたと思ってこちらを見るけれど、それを尻目に立ち上がってコンパートメントを開ける。
瞬間に飛び込んで来たのはドラコ・マルフォイで、俺にぶつかりながらコンパートメントの奥に逃げ込んだ。通路には、吸魂鬼が居る。
「う、わ、なんかいるぞ!?」
「閉めろ!」
フレッドとジョージが俺と同様に通路に顔を出してからすぐに中へ引き戻そうとシャツを引っ張る。
吸魂鬼のぬるりとした動きに一瞬どきりとしたけれど、俺は足を一歩踏み出した。
大丈夫、怖くない。
俺は杖を構えて、パトローナスを唱える。白い光が出たと思ったらそこからしなやかな動きで猫が飛び出し、黒い影にまとわりついて追い払ってくれた。
手応えに頷きながら杖をしまい、俺はコンパートメントの中に戻ってへたりこんだまま固まっているマルフォイを避け、自分の席に戻る。好奇心旺盛の三人からは今の何と詰め寄られたが、もう一度寝たふりをしてやり過ごす事にした。マルフォイはいつのまにか這いずってコンパートメントを出て行ったけれど、恥ずかしかったのか数日間俺を見る度にあからさまに顔を背けて逃げるようになった。もともと、会話なんてしたことないけど。
シリウス・ブラックの無実を訴える為にスキャバーズを捕まえる機会をうかがっていたが、クルックシャンクスとシリウスに怯えて逃げ回っている為に人間の俺ではもっと見つけるのが難しい。
結局この年、俺はピーターを捕まえられなかったし、リーマスが人狼であることはバレたし、シリウスは隠れて生活する事になった。
何も出来ていないじゃないかと、こっそり自己嫌悪していた俺の隣でハリーは穏やかに眠っている。
今はクィディッチワールドカップを観戦する為にウィーズリー家にお世話になっているところで、俺とハリーは当然のように同室にされていた。
次の日の朝早くからディゴリー親子と合流してポートキーに掴まるところも前と同じだ。
今年もまた闇の印が打ち上がり、ヴォルデモートは復活するのだろうか。そう思うと、気が重い。
「!」
「え、あ」
「大丈夫?」
輪から投げ出されそうになった俺を、また、セドリックが掴んでくれた。今の俺は前よりも小さくて頼りなく見えるようで、ディゴリー親子の間に挟まれて居たのだ。
二人のお陰でハリー達のように芝生にぼとぼと落ちる事はなかったのだが、無意識にセドリックにしがみついていたようでおかしな体勢で地面に降り立つ。
「……———あ」
セドリックが気遣うように俺の顔を覗き込んで来る。
体勢を崩した所為で、ほぼ抱きこまれていて、俺はそのままセドリックの顔を見つめた。
ゆっくりしている場合じゃないということを、思い出す。今年はセドリックが死ぬのだ。前の俺はそれを知っていながらも優先したい人がいたから見送った。
誰一人彼の死を疑っていない歓声の中で、俺だけは死を知っていながら、彼の背を。
「———ごめん……」
零れた言葉に、セドリックはほんの少し目を見開いてから優しく笑った。
「大丈夫だよ」
そっと背中を撫でられて、俺は立ち上がる。
「セドリック」
「なに?」
「気を、つけてね……」
俺は前と同じ言葉を何故だか送ってしまった。
気をつけるのは俺の方だろうと思うだろうが、彼が反応を示す前に倒れているハリーの元へかけよった。
トライウィザードトーナメントの選手にはやはりセドリックとハリーが選ばれる。ハリーは多くの生徒から迫害のようなものを受けるはめになって、俺にほとんどべったりになっていた。いつか、友達が居なくなったら残るは俺しか居ない、と呟いていたのを思い出す。
それも第一課題が終わったらおさまるだろうから、俺はまた甘んじてハリーの傍にいた。
第一課題が終了すると、やっぱりハリーの周りには人が戻って来て———むしろ増えたので———俺は一人で居る事が多くなった。友達が全く居ない訳ではないけど。
そして俺がハリーと四六時中一緒に居なくなったからなのか、セドリックが俺に話しかけてきた。
「ってハリーより年下なんだよね?」
「そうだけど」
突拍子もない話題に、首を傾げる。
「なんだか、ハリーの保護者っぽい感じがして」
「そう?まあ、ハリーはうちで預かってたんだけど……両親も兄も、ハリーが好きではなくて」
「ああ……」
誰かから聞いているのか、セドリックは納得したように眉尻を下げた。
「大事にされてなかったのを見ていたから、俺は大事にしようと思ってるのかもしれない」
「だからはそんなに大人っぽいんだね」
思わず、苦笑が零れる。
「ふうん、頼りたくなる?」
「それは別にないけど」
肩を落としてみせたら、セドリックはくすくす笑った。
「なんだろう、静かな雰囲気が凄く落ち着く…君の傍って」
「そんなに傍に居た事あったっけ」
「無いから、こうして今居るんだ」
セドリックは少しはにかみ、俺が手にしていた本をちらりと見る。それはなに、と問いかけようとしたセドリックの声は、フレッドとジョージが俺の前の席にどかどか座った音に掻き消された。
広間のグリフィンドールの席にいたので、彼らが向かいに座る事もおかしなことではない。
「よう二人とも」
「なんだってこっちの席にハッフルパフのセドリックがいるんだ?」
けして悪意はないようにみえて、純粋な疑問でもない、微妙なニュアンスを孕んだ響きで双子は問う。
彼らはクィディッチの選手であったり、今はトライウィザードトーナメントの事でハリー贔屓が少し多めということもあって、微妙な関係のようだ。
「俺と話しにきてるだけだよ」
「なんだって?と?おまえらそんなに仲良かったっけ?」
「ハリーが見てたら泣いちゃうぜ?」
セドリックが答える前に俺が返事をすると、フレッドとジョージはわざとらしく驚いた。
「セドリックと仲を深めるくらいなら、俺達と深めない?」
揃った笑顔が揃えた声と共に向けられて、俺は笑うのを我慢せずに零しながら席を立つ。
「二人とはもう充分、深いつもりだから良いよ。行こう、セドリック」
「え、あ、うん」
肩をとんと叩くと、セドリックは俺に倣って戸惑いながらも立ち上がる。今度は本当にぽかんとしていた双子をおいて、セドリックを連れて広間を出て来た。
「良かったの?」
「セドリックは俺の傍に居たいんじゃなかったの?」
廊下を歩いていると、セドリックは早足で俺に追いついて来て隣に並ぶ。
悪い事をしたといいたげな顔だけれど、別に悪い事でもないし、席を立ったのは俺の意志だ。
セドリックは静かな雰囲気が良いと言ったから、にぎやかな双子の居ない所が良いのかと思ったけれど、違うのだろうか。
「いや……ありがとう。……ってフレッドとジョージと結構仲が良いからさ」
「よく見てるね」
「君たちって結構目立つよ」
ハリーとフレッドとジョージは確かに目立つので、俺が傍に居る所も見かけるのだろう。
今回の俺は悪戯仕掛人ではないが、フレッドとジョージになんとなくよっていってしまうのは否定しない。
他愛ない話をして、セドリックが友人に声を掛けられたことで俺達は別れたが、その日だけではなくセドリックは俺によく話しかけてくるようになった。
勉強を教えてくれたり、前は出来なかった魔法界の面白いものなんかを教えてくれた。それをまた俺がハリーに教えてあげる事も出来るし、ハリーもセドリックと仲良くしている。
チョウをダンスパーティーに誘おうとしたところをセドリックに先に誘われてしまったこともあって一時期微妙な雰囲気になっていたけど、パーティーの帰りに金の卵を解くヒントを貰ったことで、ハリーはあまりセドリックを憎めなくなっていた。
俺はダンスパーティーには参加しなかったので、後から聞いた話だ。
第二課題でハリーの宝はロンから俺に変わっていた。一応血のつながりのあるいとこだから納得だ。フラーが途中で溺れて妹のガブリエールを助けられなかった為に、ハリーは俺とガブリエールの両方を救ったことで順位は上がった。
ちなみにフラーから頬にキスをされたのを、ロンは羨ましそうに見ていて、ハーマイオニーはそんなロンや俺達を冷めた目で見ていた。
ハリーは冷たい視線に気づいていないまま、なぜかセドリックと顔を見合わせている。
濡れた服を先生に乾かしてもらってから、ハリーの所へ行こうとした俺はその前にセドリックと会って足を止めた。
チョウは今乾かしてもらっている所だから暇なんだろう。
「クリアおめでとう」
俺の言葉に対して少し苦笑いなのは、俺がハリーの宝だったからだろうか。
「ありがとう……———水の中にが沈んでいるから驚いた。助けようとしたんだよ」
「え……それは……ありがとう」
「ハリーが先に居て戸惑っていて、僕も戸惑った」
「だろうね、四人中三人が知り合いなんだから」
「三人?」
「あー、チョウのこと」
「ハリーってチョウと知り合いだっけ?」
口が滑ったな、と思いながら唇を摘む。
セドリックはもしかしたら察してしまったかもしれない。
本来、もう少し隠し事が上手い筈なのだけど。
「もしかして」
「うん……まあ」
案の定察してしまったセドリックに肯定する。ダンスパーティーのときに若干ぎこちなかったのはその所為なのかとまで言うので、案外セドリックは人の事をよく見ているらしい。
「ハリーのことは、あまり気にしないでいいから」
「言ってくれればいいのに……」
困った顔でそう零すセドリックに、俺は内心それは違うのではないだろうかと思うが何も言わなかった。
第二の課題が終わったら、後はもう第三の課題しか残っていない。
ハリーはきっと優勝するだろう。そこに何の不安も抱かなかった。
けれど、と思いながら目の前で課題に勤しむ青年を見る。俯いているから余計に、瞬きの度に睫毛がぱさりと羽ばたくように見えた。
「どうかした?」
「ううん」
俺の視線に気がついたセドリックは灰色の眸をこちらに向けた。首を振っても、俺から視線は外さない。
最近ではフレッドとジョージやハリー以外に、セドリックと行動を共にする事が本当に増えた。お陰でリータ・スキータに有名人の甘い蜜が大好物のミツバチくんと書かれた。そのことでハリーやセドリックは特に気を悪くしたし俺に謝ったけど、だからといって傍に居ないという選択肢はなかったようだし、俺は別に気にしていないので彼らから離れたことはない。
「最近いつも勉強しているね」
「テストにそなえて」
「うそ、それは多分テストに関係ない資料だろう?」
俺の読んでいた本やメモを見てセドリックは小さな声でたずねる。
「ちょっと、やりたいことがあって」
「どんなこと?」
「ないしょ」
誤摩化して話を終わらせてしまった俺は、不満げなセドリックをちらりと見てから笑った。
会話を続けたそうな顔をしている。もともと静かな雰囲気が好きだと言っていたのに。
けれど邪魔をする気はないらしく、俺が調べ物に勤しんでいる間もセドリックは俺の傍で読書をしていた。
テスト勉強をしていると言うのは、セドリックの言う通りうそで間違いは無い。
俺が今していたのは第三課題———ひいては、ヴォルデモートの復活をいかにして阻止するかという企てである。入学したころからヴォルデモートの失脚は狙っていたが、セドリックの目を見た瞬間にのんびりしている暇はないと理解した。あの時、自分の命を差し出すのと同じような痛みを伴った。それはセドリックに対して情を抱いたのではなく、純粋に人の命がかかっているからだったが。
もちろん今はセドリックと言う人に対して情もあれば、前回見送った自分を盛大に責めている。悔やんではあげられないのだが、あの判断は良くなかったと思っているので、今度は同じ事にはならない様にするつもりだ。
もう一度、こっそりとセドリックを見るとまた目が合う。
今度は口に出す事もなかったが、そっと首を傾げて俺の言葉を待つセドリックに微笑みだけを返して持っていた本で口元隠す。
「見送らないよ、今度は」
隠した唇で呟いたけれど、ぽつぽつと小さな音がしただけで、その音すらセドリックには届かなかっただろう。
「ハリー、セドリック、優勝杯獲得おめでとう」
ポートキーで運ばれて来た二人を遠くから確認し、ピーター・ペティグリューが何かをもってやって来たのを見てその場に姿現しをした。まだ二人に目をやることはできないので、誰にも口を開かせる間を作らずピーターを失神させた。
来て早々にセドリックを殺されると思ったのだから、仕方が無い。
俺はぼとりと落とされたヴォルデモートを拾い上げる。
「ああ、本当に、赤ん坊みたい……可愛くはないけど」
第三課題の三日前、俺は最後の打ち合わせをするべくダンブルドア校長先生の部屋を訪ねた。そこにはスネイプ先生しか居ない。自分の寮監であるマクゴナガル先生のことも勿論信頼はしているのだが、俺を大事に思いすぎて躊躇われては困るのだ。
だからそれ相応にシビアで、俺に対して何も思わなそうなスネイプ先生と、ヴォルデモートの為なら苦渋の決断も下せるダンブルドア校長だけで良い。
「本当に行くのかね」
「復活すると知っていて行かないというのもどうなんでしょう?」
「確証はあるのだろうな」
ダンブルドア先生は最後まで一応渋ってくれたが、それよりもスネイプ先生の疑念の方が心地良かった。
証拠は無いが確証は不思議とあるので頷く。
当日はハリーやセドリック達生徒にはそのままの行動をさせ、スネイプ先生とダンブルドア校長にはマッドアイに扮した方を対処して貰いたい。ヴォルデモートが復活しないのならば俺の敵は鼠だけである。
「よいか、。あれは無力な赤ん坊程にまでなっていようとも、人の心の闇にとけ込み、のっとろうとする」
「分かっています、校長先生」
俺は実際にヴォルデモートと対峙したことはなかったけれど、どれほどのものなのかは分かっているつもりだ。恐らく今は何も出来ないヴォルデモートだが、過去の実績や巧みな話術、未来を思わせる迫力をもってしてピーターやかつて身体を差し出して来た人達を陥落したのだろう。
ハリーを侮るわけではないが、彼がかつて頑張ったことを、俺が頑張れないでどうする。
何の為に、何度も生まれてきたのか。自分の為にも、重ねた時間の意味を、こうして作ってやりたい。
「ヴォルデモートの分裂した魂を壊さなければならないことは重々承知していますが、だからといってご丁寧に復活させてやることは、ないですよね?」
俺は同意を求めるように微笑みダンブルドア校長を見た。
けれど、彼ははっとして水色の眼球をこちらに向けただけで、しゃがれた甘い声で俺に言葉をかけることはなかった。
「……?どうしてここに……」
「ここどこ?……そ、それ、なに?」
二人は俺の存在に驚いて俺に近づいて来るけれど、それよりも先に校長先生とはまた違うしゃがれた声が響く。掠れ、底冷えするような冷気を孕み、人の不快感を刺激する声だ。
「お前は誰だ……」
「俺は、ハリーのいとこ」
やんわり笑って、赤ん坊をあやすように見つめる。同じように顔を覗き込みに来たハリーとセドリックはぎょっとして身をひいた。
「ヴォルデモート!?」
「そう、ヴォルデモート」
ハリーは躊躇い無く名前を呼ぶので、俺も躊躇い無く名を呼んで肯定した。
「知っていながらの態度か、面白い」
「こんな無力な姿でその態度も面白いけど」
俺はヴォルデモートを片手に抱きかかえ直す。赤ん坊よりは軽いだろう。
もう少し力を蓄えていたならば魂だけでも逃げられたのかもしれないが、今はとても弱っているようでそれが叶わない。
そうふんで俺はほくそ笑む。
せめて俺を乗っ取ろうとしているのかもしれないが、動じない様子をみて薄く開いている目をさらに細めて悔しそうに呻いた。
「二人とも、俺の身体のどこかに触れて……あ、気をつけて」
セドリックとハリーにそういいながら屈んで、開いている手でピーターを掴む。
二人は各々に反応を示して、恐る恐る俺の背中や腰に手を回した。
「どちらか、ポートキーになっている優勝杯を取り寄せてくれる?」
「————アクシオ」
セドリックが杖を出して唱え、俺達の視界はぐるりとまわる。本当は俺だけ姿くらましをしてもよかったのだけど、さすがにヴォルデモートとピーターを連れて上手に飛べるかと言われると難しいので、悪いがハリー達と同行させてもらうことにした。
迷路はすでに消えたが元いた場所に戻った。二人には空中でばらけてしまわないように言わなかったが、俺の身体は力強く掴まれはなされない。俺は捕まえていなければならないものがいるので二人のその行動には感謝した。
気絶したピーターは落とし、ヴォルデモートだけを大事に抱えて着地する。すぐに俺達を取り囲む人影があり、セドリックとハリーはぎょっとするが、リーマスやトンクスにシャックルボルトなど信頼できる顔ぶれなので俺は驚かなかった。
「、よくやった」
リーマスはそう言うが、勿論彼を含む全員が俺に杖を向けている。
「ルーピン先生!?」
「二人とも、から離れなさい」
「どうして!?」
「どうしてって、俺が抱えているものが分かるだろハリー」
ハリーは俺を囲む人々を見回していた顔をこちらに向け、セドリックは俺の背中に手を当てたまま動かない。
「悪いけど、二人がこれに乗っ取られるのも困るんだ」
仕方ないから俺が動き、リーマスとシャックルボルトの間に行く。
向けられた杖は俺の動きをなぞって動いた。
ダンブルドア校長とスネイプ先生はクラウチジュニアを捕え、マッドアイを助け出す事に成功。ピーターはあの場で捕えられた。
ヴォルデモートは多くの騎士團がいっときも目を離さないようにして監視し、俺は身体に異常がないかを調べられていた。
トライウィザードトーナメントは、ハリーが優勝者となった。二人は同時に杯をとったようだけど、セドリックがハリーに譲ったそうだ。ならば賞金はセドリックにと譲ろうとしたがそれは断られ、俺の予想通りにフレッドとジョージに渡った。
「良い事をしたね、ハリー」
「……はすごい事をした」
夜になって、監視はあれど面会はできる俺に会いにきたハリーから聞いたので感想と称して褒めると、照れくさそうな顔をしてからまっすぐに俺を見た。
「すごい事?」
「ヴォルデモートを捕まえたじゃないか」
「あれは弱っている時を狙っただけだよ」
「それでもすごい」
「まだまだ、ヴォルデモートの失脚は成されていないよ」
分霊箱が多く残っていることもあって、ヴォルデモートはまだ葬られてはいない。今はかろうじて実体をもっているがいつその肉片をすてて逃げ出すかもわからない。監視している闇払いが唆されないとも限らない。
「———ハリー、俺、未来を変えてしまった……」
「え?」
ベッドに寝転がったまま、ごろりと身体を転がしてハリーに囁く。ハリーはイスに座ったまま、俺の小さい声を聞き取るように顔を寄せた。
「未来を変えてしまったって、どういうこと?には未来が見えるの?」
「少しね。本当は、ヴォルデモートは肉体を得て、セドリックはその時に命を落とした筈だった」
「そんな……そんなの、未来じゃないよ」
ハリーの言葉がじわりと胸にしみ込んで来た。
未来がかわったなら、それは喜ばしい事で、俺は不安と同時に清々しさも感じている。
事を起こす前にも迷いはあった。死なせないことは大事で、先手を打つことも良いことだと言葉にしていたけれど、やはり知らない事態になるのが怖くて、対応できるのかはわからなくて。
「僕も一緒にがんばるから」
いつの間にか涙がこぼれていたみたいで、ハリーがぎこちなく俺の目の下を抑えた。
俺はこくこく頷いて、枕に顔を埋めて泣いた。
もうフレッドとジョージだけを優先して守る事は出来ない。けれど、もっと沢山の人の命を救えるのかもしれない。
セドリックを喪うことにならなくてよかった。
「ってセドリックの事、好きだったんだね」
「え?」
泣いている俺をそっとしておいてくれたハリーは夜中、用意された隣のベッドの上でふいに呟いた。なぜ、と思って俺は起き上がりかけるけれど、身体は上手く動かずびくりと震えるだけだった。
「なんでそうなるの?」
「違うの?」
「ちが……、……」
俺は確かにセドリックの命を助けたくて動いたけれど、この時死んでしまうのがシリウスでもハーマイオニーでもリーでも動いただろう。そのくらいには、俺は人に心を砕くようになったつもりだ。
身を呈すという考えに至らないのは、フレッドとジョージとか家族だとかに関係なく、もう置いて行かないと約束をしたからだ。そう決めたことで、自分が強くなったような気がする。
「よく、わからない」
「そうだよね……僕が勝手にそう思って言っただけだから、気にしないで」
「うん」
そう頷いた俺は、いつもなら気にしないでいられそうなものなのに、その夜は上手く寝付けなかった。
有名人の甘い蜜をすするミツバチくんと言われても、周囲の目なんて気にしなかったのに。
俺がヴォルデモートを連れて帰ったことは、公にはしなかった。知ってる人は知ってるけれど、報道はされていない。
だから日常生活に戻るのは早かった。ボーバトンとダームストラングが帰る前には送別パーティーが行われて大変な賑わいになり、それが終われば俺達はすぐに夏休みになるのだろう。長い休みを挟めば興奮も冷めるということだ。
公にしていなくとも、グリフィンドールでは俺が『ヴォルデモートと対峙して捕まえて来た』ということになっているので、送別パーティーの存在がありがたかった。皆俺以外に目がいくのだ。
「よかった、やっと会えた」
「セドリック」
喧噪の中に紛れて一人で過ごしていた俺を捕まえたのはセドリックだった。
第三の課題以降は会えていなかったから、二週間以上会ってないことになる。面会に来られるのはハリーと先生だけだったし、寮に戻ってからはずっと人に囲まれていたし。
「久しぶりだね」
「うん」
トライウィザードトーナメントの代表者ということもあり、パーティーではセドリックの方が引っ張りだことなっていて、パーティーが終盤になるまで自由にならなかったらしい。俺の腕をとったまま、人混みをかきわけながら教えてくれた。
「優勝、譲ったみたいだけどおめでとう」
「ありがとう」
背中を追いかけながら声をかけると、一度振り向いて笑った。
何人か通り過ぎ様にセドリックや俺に挨拶をするけれど、俺達は歩みを止めずに外に出た。俺達は静かな所で話すというのが基本だったから、場所を移動するのも二人きりになるのも不思議には思わなかったのだけど、喧噪から外れて行くにつれて、俺の脳内ではハリーの言葉が甦り、心臓がくすぐったくなった。
「まだ、にお礼言えてなかったね。ありがとう」
「どういたしまして」
俺は素直に礼を受け取る。
「あのときが居てくれなかったら、こんなに素早く僕たちは帰って来られなかった」
「そう」
セドリックは俺の腕を掴んだまま喋った。
俺もその腕に掌を当てて、少しだけ力を込める。
「はこれからどうする?」
「どうするって?」
「不死鳥の騎士團に入るのかなって」
「年齢的に入れては貰えないだろうけど、そっち側に行くつもりだよ」
「僕も出来ればそうしたいんだ」
「心強いね」
俺に言っても騎士團には入れないけど、そういう事を言いたいわけではないと分かっているので素直に感想を言う。
「の傍にいたい」
「うん……」
「わかってる?」
「うん?」
両方の手を取られた。
え、と俺は固まってからすぐに理解する。俺は少し前にそのことで、ハリーにわからないといったばかりだったのに。
「わ、わからない……」
「うそ」
「なんで、———チョウは?」
ゆっくりとした口調で、俯きながら握られた手を見て、それからセドリックを見返す。
「だって……は誘えないだろ?」
「そ、」
「ハリーには悪い事をしたと思ってるけど、ちゃんと弁解するつもりだ」
力が強くて手を抜き取る事が出来ない。けれど足を一歩後ろに引く事はできた。
俺が逃げ腰になると、セドリックは苦笑して手の力を緩める。抜き取ることはできるようになるけれど、俺の手は迷いながら、その場から動かないでいた。
「命を助けてもらったからとかじゃ、ないから」
視線を逸らそうとしたのに、その言葉に引き止められてもう一度セドリックの顔を見た。
ダンスパーティーの時の事をいうのだからそうなのだろうけど、だとしたらいつからセドリックは俺を気にかけていたのか。俺の傍は落ち着くからとよってきた時はさすがに、そこまで思ってなかっただろう。否、少しはあったのだろうか。前から俺を見ていたような事をいっていた。
「でも、きっかけにはなったかもしれない」
「きっかけ」
「惚れ直したってこと」
宙をさまよっていた手に変な力が籠る。直接的な言葉を受けて、胸が痛み身体が熱くなり、目がちかちかした。
何度も瞬きをして、言葉を探しても、見つからない。俺は、なんと言ったら良いのかわからない。
ぎゅっと目を瞑って顔をほんの少しだけ背ける。セドリックが俺の名を呼びながら近づいて来たのが音で分かった。
頬に掌があてられた。こっちを見ろということなのかもしれないけど、目を瞑ったまま無理だと言うように、彼の掌に頬をすりつける。
ふっと吐息が唇の上を吹き、くすぐったさにびくりと震えた途端にちゅっと吸われる。
「ん、」
薄目を開けると、セドリックの伏せた眸が目に入り、睫毛が俺の肌に触れて微かにくすぐる。
そっと離れたのを見ていると、セドリックの灰色の目が俺の視界にしっかりとうつった。
「、気をつけて、その顔」
「……」
甘い声に促されて、もう一度目を瞑る。
わからないと言いながらも、わかっててそうした。目を瞑ってやることしか出来なくて情けなく思う。
頬をおさえていた手は滑って移動して、耳を優しく撫でた。力はそう強くはないのだけど、押し付けられた唇から逃げる為に頭を後ろに傾けることはできない。
鼻で息をするが、あまりにもつらくて、口を開いて酸素を取り入れてもセドリックは放してくれないから今度は息を上手く吐き出せなくなった。
気を使って声を掛けてくれたけれど、何も言えない。俺も好きだと言えば良いのに、声はでない。
それでもこたえたくて、唇をおしつけた。
あとがき
100万hit記念で募集したリクエストになります。
セドリック落ちとセドリック救済だったのではりきって書きました楽しい。
設定がいちから(?)で流れや事情が違うので、わりと長いしすっとばしですすみません。
ダッダーの弟ということもあって、容姿は金髪で灰色の目です。もともとそうだし、Melとも一緒です。
双子は大事で好きなんだけど視野も広くなったし、ジーンとの約束もちゃんと胸にあって生きようとしています。そして強か。わりとデレ。……Mel読んで無い人はごめんなさい。
グレースケールというタイトルは灰色の目にちなんでて。単に色の無い世界と言うよりは彼らの目に映る世界、規模、みたいなニュアンスで。
リクエストありがとうございました。