17 アルコール懺悔室
背中にどしんとのしかかる体重、香って来る酒の匂い。うわあ、くっせえ。
それから、聞き覚えのある声でうめかれ、軽薄に名前を呼ばれ、抱きしめられる。
「……ジェームズ」
嗜めるように、確かめるように、名前を呼びながら振り向けばその通りの人物がいた。
「……」
ぐでえ、と俺に身体を預ける、いい歳した大人。社会人。もうすぐ三十路。一児の父。
大丈夫かこんなので。
「何でこんなところ居るんだい?思わず追いかけて来ちゃった」
「それはこっちの台詞。俺は友達んち行ってた帰り」
今の時刻は夜七時。高校生である俺が歩いていてもおかしくはない。こんな時間からすでに酒臭くて酔っぱらっているジェームズの方がおかしい。
「僕は接待でねー本当つかれちゃったよ。癒してよ〜」
いつも明るくてハキハキしてて、少年の心を忘れない楽しい人だけど、今日はいつも以上に明るくて、だらだらしてて、幼児化したように絡んで来る。つまりうざい。
接待だとしたら七時に解放される訳ないのに、と思い酔っぱらいに聞いても仕方ないが一応尋ねてみると、案外思考ははっきりしているのか答えた。
なんでも、昨日の夜からずっと付き合わされていたらしい。
「頭おかしい……」
「それは先方に言って!もうあり得ない。ボトル何本あけたと思う!?う、ううう……うー」
ころころテンションが変わって接しづらい。
がばっと顔を上げたと思ったら気分が悪くなったのか俺にしがみついて嗚咽を漏らす。
「た、頼むから俺に吐かないでね、ジェームズ」
「ぎぼぢわるぃょぉぇぇ……っ」
災難すぎる。
送って行こうにも、あいにく俺の交通手段は電車やバスだ。タクシーという手もあったが、つかまらなかった。電車やバスにジェームズが乗れるのかもわからないけど、俺の家もジェームズの家も、駅から少し離れたところにあるので、手っ取り早く助けを呼ぶ事にした。
「……で、僕?」
「うん」
近くのコンビニで水や袋を買ってジェームズに与え、三十分酔っぱらいの変な絡みに耐えたあと現れたのはリーマス。
それでもまず、一番時間を自由に使えそうなシリウスに電話をしたのだ。ジェームズの相棒でありお互いが手綱を握り合っているから。だけど電話に出なかった。珍しく会議か、携帯も持たずにどこかに出かけたに違いない。一方的に連絡とってくる癖にこういう時に連絡がつかない。
その次に、俺がいつも一番最初に頼る相手、セブルスに電話をした。しかし「捨てておけ」の一言で電話を切られた。ジェームズに対する辛辣加減が異様に高い。ちなみにリリーには甘いしハリーには人並みに優しい。
結局、助けてリーマス、となった訳である。なんだか良心が痛む。
「リーマスが輝いて見える」
ジェームズの介抱する為に後部座席に乗り込んで、ほっとひといき付きながらリーマスに感謝する。
「本当?じゃあうちの子になるかい」
「だめだよ!はうちの子で、ハリーのお兄ちゃんになってもら、うっぷ………」
話してる途中でまた気持ち悪そうに口元を押さえる。袋を買ったので吐くならそこに、と思ったが一応耐えているらしい。
「ジェームズ、酒臭いから息しないで」
「リーマス酷い……あー気持ち悪い〜」
窓を開けて風を浴びて、癖っ毛をふわふわ揺らすジェームズは青い顔をしながら外に顔を向ける。
桟に寄りかかる背中をさすると、気の抜けたお礼が走行音の中から聞こえた。
「うちのほうが近いからとりあえずうちでいいかな」
「リーマスもありがとう」
「吐くならトイレまで我慢してくれよ?」
焦ったように、けれどからかうように、リーマスは軽く笑う。
程なくしてリーマスの部屋につき、ジェームズは慣れた様子でトイレの方へ向かって行った。
「呼び出してごめん、リーマス」
「が謝ることじゃない。それに僕も丁度仕事は終わってたしね」
「本当よかった……あの酔っぱらい引きずって電車とバスに乗り継いで行く自信がなかったんだ」
「ジェームズは酔うと更にちゃらんぽらんになるからね」
ちゃらんぽらん、という言葉に笑いがこみ上げてきて、ふっと吹き出してしまう。俺は大人ではないから彼らと酒を飲むことはなく、酔っているところは初めて見た。
「リーマスは酔うとどうなるの?」
「僕?僕はそんなに変わらない方だと思うけど」
「リーマスは本気で飲まないからね」
謙遜しているのか、酔っているときの様子を本人に聞いても無駄だったかもしれない。リーマスの言葉を補うように口を挟んだのは、ひとしきり吐いて少し気分が楽になったであろうジェームズだ。
顔を洗ったのか前髪が少し濡れている。
「あ、ジェームズお帰り」
「悪いね二人とも。お陰で大分楽になったよ!もう一杯行けそうだ」
「冗談じゃない」
すっかり回復したがまだアルコールが残っていていつも以上に明るいジェームズに、リーマスが呆れる。
「リーマスは本気で飲まないの?」
「うーん、酔いたい訳じゃないし、酒の味がそもそも好きじゃないから」
たしかに、合理的だ。
「他の皆は?」
「気になるかい?」
ほんの興味本位で、リーマスに皆の事を聞いてみるが、大体予想通りって感じだ。
「はい、」
「あーありがとう……なんでジェームズが俺に飲み物を出すわけ。リーマスの家で」
「喉乾いちゃって。勝手に貰ったよリーマス」
「はいはい」
差し出されたコップを受け取りながら、人の家のものを勝手に出すジェームズに形だけ突っ込む。気心が知れているから大した問題ではないのだろうけれど。グラスに注がれた液体を遠慮なしに一口飲み込んだ瞬間、違和感に咽せる。むわりと酒の匂いが鼻孔を遅い、喉が焼けるように熱を持った。思い切りグラスの中身を顎から下のに向かって零し、シャツや首がびしょぬれになる。
「こ、れ、なに……っ」
「何入れたんだジェームズ!」
慌てて立ち上がりタオルをとりにいったリーマスは、笑い転げるジェームズに咎める。
「棚にあったお酒」
「一応聞くけど、薄めた?」
「一口で気づくと思ったから薄めてない」
あまりの驚きに心臓がドキドキ言っている。
「馬鹿!は未成年なんだぞ……、あ、ほらシャツ脱ぎな、僕のを貸すから」
リーマスはジェームズを叱りながら、俺の世話もする。俺はリーマスに言われるままにシャツを脱いで、タオルで口や胸元を拭いた。アルコールに喉を焼かれ、むわりと香る匂いや濡れた身体が不愉快だった。
「ジェームズの馬鹿」
「ごめん。どう?お酒の味は」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
「だ、大丈夫かい、」
シャツを手渡して来るリーマスからそれを受け取りぎゅっと握りしめて、ジェームズに子供みたいに悪態をついた。
「リリーとハリーとセブルスに言って、叱ってもらう」
「わあああごめんって!」
リーマスのシャツを乱暴に被って、顔を背けるようにソファに寝転がった。
そんな俺に縋って来るジェームズは相変わらず酒臭い。
ごめんごめん、と何度も謝って、俺を揺さぶるジェームズに、俺はシャツから顔を出して彼の顔をぼんやりと見た。
ハリーとジェームズはやっぱり似ている。眸の色は違うし、瓜二つって程ではないけれど、鼻や眉の形が似ているから、昔のハリーを思い出す。
「いいよ、俺も謝りたかったんだ」
ジェームズは俺を不思議そうに覗き込む。
「ずっとずっと昔、ハリーは忘れちゃってるだろうけど、俺はハリーを助けてあげなかったことがあるんだ」
目を閉じて、リーマスのシャツで顔を隠す。
「すごくすっごく頑張ってて、助けて欲しかっただろうに、俺は俺の家族を助けてあげなきゃならなかったから、ハリーの手伝いをしなかった」
「うん」
「多分世界で一番大変な思いしてたのにね、俺はそれを知ってたのにね……ごめんね、ジェームズ」
何を言ってるんだろう。酒を一口飲んだだけで、俺は思っていた事をぼろぼろ吐き出してた。アルコールに思考を、狂わせられてる。
「ハリーだけじゃない。いろんな人が大変なことをしてるのを、俺は全部見送った」
この人たちに何を言っても仕方が無いのに、懺悔が止め処無く溢れる。
ただ謝りたかったんだ。
すると、俺を揺さぶっていた手は、シャツを被った俺の頭を撫でた。大丈夫、と優しい声色が隙間をぬって、俺の耳に入って頭を揺らした。
「ハリーは僕の息子だよ、大丈夫、そのくらい平気さ」
「たとえば、リーマスが死んでしまうかもしれないのに、俺がそれを止めなくても?」
「……」
リーマスは黙って聞いていたけれど、この時初めて口を開き、俺の名前を紡いだ。そして数秒数えてから、良いよと苦笑した。
「僕は自分がこうしたら死ぬかもしれないってことくらいわかるさ。それでも僕がそうしたなら、それはの所為じゃない」
優しくて誠実な言葉に、シャツを握る掌の力が緩んだ。
「怖い夢でも見たのかい、」
ジェームズの問いかけに、無言で、小さく頷く。俺はシャツで顔を隠してるから見えないけれど、彼らは心配そうに俺を見下ろしている。酔っぱらった子供の戯言で良い。
何も知らない二人はきっと許してくれる。だから言ったんだ。
自分の心を保つ為に、こんな事を言うなんて、やっぱり俺は自分勝手でずるい奴。
ジェームズの自信満々の答えが、俺の心を支えてくれた。リーマスの優しい言葉が、俺を温めてくれた。
そのままシャツを握りしめて眠りこけた俺が目を覚ましたのは、次の日の朝リーマスのベッドの中。
シャツをきちんと着せられていて、おそらくリーマスがしくれたのだと思う。そしてそのリーマスは俺と同じベッドで眠っていた。わざわざベッドに運んで一緒に寝ずとも、ソファに転がしておけば良いのにと思ってソファを見ると、ジェームズがそこで眠っていた。なるほど。
昨日は俺まで迷惑をかけてしまった罪滅ぼしに、ベッドから抜け出してリーマスとジェームズに朝ご飯を作った。
リーマスはあまり買い置きをしていないけどパンとハムと卵はあったので、ギリギリまともな朝食が用意できた。今回の食費は一番迷惑かけたジェームズに請求してもらう事にしよう。
そして、俺は二人から見ても酔っぱらっていたようなので、昨日の発言に対して言及されることはなかった。ジェームズは酔っぱらっていたとはいえ俺に酒を盛ったことや、そもそも俺を捕まえた事等をきっちりリリーに報告された。
唐突に入る妙なシリアス。というか軽いトラウマか……フラッシュバックみたいな。
Feb.2014