harujion

shy

過ごした日々を、忘れないで

僕は家から少しだけ離れた場所にある公園に来ていた。敷地内には遊具や砂場のある広場があり、それだけではなく散歩が出来るようにと道が作られていた。遊具のある広場には子供たちや保護者が居てにぎわっているが、散歩の出来る雑木林の中は少しだけ静かだった。同じ公園の中なのに別々の物みたいになっている。小さな池があり、その前にはベンチがある。老人が座って、池を眺めている普段の様子を想像するが、今現在そこにはブロンド髪の小さな頭が見えた。相当低いところに頭があることから幼い子供だということが伺える。
「きみ、」
落ち葉の絨毯で少しふかふかした地面を大股で歩いていた僕は、少しだけ上がる息の中で子供に呼びかけた。
池を見ていた頭は真後ろに向けらていたが、振り向けば子供の顔がたちまちあらわになる。髪の毛と同じブロンドの睫毛が灰色の大きな眸を縁取っていて、白い肌に、色の薄い小さな唇はほんの少し開かれたまま。
もっと近づこうと足を進めていると、子供は声を発さずに僕が近づいてくるのを待っていた。
ベンチの背もたれに掛けられた手は小さかったけれど幼い子供の様にふっくらとはしていなくて華奢。おそらく歳は五、六歳くらいだろう、顔立ちは幼いけれど少年らしく頬や顎はすっきりと肉が取れていた。
「きみ、あの。僕はちょっと探し物をしていて」
「なにを?」
ようやく近づいて、少年はよりいっそう小さいと思った。感情の見え辛い表情。色のうすい眉は突然現れた僕をいぶかしく思って歪められることも無い。
探し物をしていると話すと、あまり興味のなさそうに伏せられていた眸はちらりと僕を見た。
「犬、なんだ……灰色の毛色をしていて、ちょっと薄汚いと思うけど、このくらいの大きさの」
身振り手振りで特徴を伝えると、彼は見ていないと答えた。はあ、とため息を吐くと、どうぞと言われて目を丸める。
彼はベンチの隣を指していて休憩を促しているのだと分かった。
「俺は
「あ、僕はレギュラス」
唐突に自己紹介をされたので僕も倣って彼に名前を告げる。
「見てないなあ。……散歩中に逃げた?」
池に写る空は、どこか不思議な色している。ぼんやりとが見つめているので同じように見つめていたら隣からゆっくりと質問をされる。を見るとまだ彼は池を見たままだったので、もう一度僕は池に視線を戻して口を開き一度閉じた。
きっと深い意味のない質問だったのだろうけれど、僕はぎくりとした。
言葉を探すように、さぐりさぐり口を開く。
「僕は一度、犬を……おい、おいて、逃がしたんだ」
膝の上に肘をついて前屈みになる。少し手が冷えるので握りこぶしを作って暖かい息をそのなかに吐くと掌はじんわりと温まる。
「捨てたの」
「す、捨ててなんかいないっ」
子供特有の少し舌ったらずな喋り方なのに、言葉は大人びていて、言うことも冷たい。僕は胸が跳ねて、慌てて の言葉を否定する。
同じだよ、と呟いてはベンチの上で膝を抱えて座り直した。ふわりと冷たい風が吹き、深緑色のマフラーに頬まで埋まる。はマフラーの中に息を吐いて自分の顔を温めていた。手は相変わらずむき出しのままで自分の肘を掴んでいる。
「うちにいたらいじめられるから、可哀相だと思ったんだ」
僕は、子供に何の話をしているのだろう。きっとわかりっこない。
でも、一人でぐるぐる考えて起こした結果だったから、誰かに言いたくて仕方が無かったのだ。
クリーチャーは酷く従順な犬だった。僕が小さな頃から一緒に過ごし、家族の命令に逆らったことなんか無かった。けれど家族はクリーチャーを嫌いだった。お世辞にも綺麗だとは言えない犬だったので、うちにはふさわしくなかったのだ。
僕は濁った眸も、よれよれの毛も好きだったけれど、家族は見るだけで嫌な顔をした。足元に居れば蹴飛ばして、悪いことをしていないのに叱られていた。
それでも、クリーチャーは僕が手を差し出すとキスをするように鼻を寄せて、ぺろりと指先を舐めた。
このままうちに居たらきっとクリーチャーは一生酷い扱いを受けるだろう。だから僕は一週間前、クリーチャーを連れてこの公園に来た。この林の中で彼の首輪を外し、頭を撫でた。
(幸せになるんだよ、ごめんね、大好きだからね、ごめんね)
言い訳の様にクリーチャーに呟いた。
僕が足を進めたら着いてこようとしたので、待てと怒鳴った。従順なクリーチャーはぴたりと足を止めた。僕は振り向けなかった。泣いている顔を見たらクリーチャーは追いかけて僕にすり寄るからだ。
きゅうん、という鳴き声を背中に聞いて、逃げるように立ち去った。

これで良かったのだと思った。家に帰ってもクリーチャーが居ないことを家族の誰もが気づかなかったし、僕だけが寂しい思いをすれば家族もクリーチャーも嫌な思いをしなくて済むのだ。
けれど僕は毎晩、雑木林の中で従順に僕を待ち続けるクリーチャーの夢を見た。時には鳴き声を聞いた。心臓に刻むような寂しい聲だった。
とうとう僕は、またこの公園に来てしまった。
捨てられなかった首輪をずっとポケットに入れて、握りしめて。
「大切なものを守りたいのに、手を放してしまうなんて間違ってる」
が口を開いてようやく、僕は泣きながら懺悔するように喋り続けていたことに気がついた。
「ずっと、手を繋いでいてあげないと」
の小さな手がのびて来て、僕の濡れた頬にぴとりとあてがわれた。冷水の様な小さい掌は僕の頬と同じくらいの大きさで、熱くなった頬を冷やしてくれた。
灰色の眸は僕をじっと見つめていた。
小さくて冷たい手が世界で一番優しくて尊いものに思えて、僕は震えながら手を上から包んだ。
「ごめん、ごめんなさい」
「それは……クリーチャーに言ったら」
「ごめん、なさい」
クリーチャーは寒さに震えて死んでしまったのだろうか、だから天からの使いでこの子が僕に会いに来たのだろうか。
今は謝りたくて仕方なくて、僕の謝罪は続いた。

それから、僕は家に帰ってクリーチャーの写真で迷子犬のチラシを作った。
絶対に見つけてあげようと思った。

『クリーチャーと思しき犬を捕まえた』と連絡を受けたのは兄だった。面倒くさそうだったけれど教えてくれたことが信じられなくて思わず聞いた。
「絶対レギュラスに伝えて、きっと泣いてるから、ってよ」
お前街中で泣きながら探してんのかよ、と問われて思わず首を振る。
「電話をかけて来たのは誰?」
「知らね。子供だった」
「どこに住んでるって?」
「んなこと聞くか。お前が聞け。公園に居るってよ」
詰め寄って尋ねても兄さんは大した内容を知らないようだった。明日の午後三時だというところまで言って、兄さんは部屋から出て行ってしまった。
電話を掛けて来たのはきっとだ。僕は嬉しくて今すぐに家を出て行きたかったけど今行っても会えないから我慢した。

次の日、僕は走って公園に向かった。とクリーチャーがベンチに居ると思ったんだ。
ベンチの方へ行く前に、ワンワンと鳴き声が聞こえて走っていた足を止めた。息を整えながら周りを見渡すと遠くからぼろぼろの灰色の犬が走ってくる。僕が駆け寄るとしっぽを振りながら、一歩前で座ってきゅうんと泣いた。飛びついてこないところがやっぱりクリーチャーだと確信する。
「クリーチャー!」
名前を呼んで手を広げると、安心して飛びついて来た。よれよれの毛も濁った眸も、遠慮がちだけれど僕を一等愛してくれている、この家族が愛しい。温かい身体に涙がこぼれそうになる。

「そういえば、は?クリーチャー、お前と一緒に居ただろう?」

くうん、と鳴くクリーチャーの本意が分からない。
まずは首輪とリードをつけて、クリーチャーと一緒にあのベンチへ向かった。もうそこにはブロンド髪の小さな頭はなくて、紙の切れ端と重りの石だけがそこに居た。
『本当の別れがくるまで、繋いだ手は放さないように。』
幼い子供が書いたとは思えないしっかりとした文字だったけれど、のメッセージだと思った。僕は紙を大事に折り畳んでポケットにしまった。
また、会えるといいな。





花燈さまのリクエストです。
レギュラス14歳くらい、主人公5歳くらいの設定。
家族を思って行動したというところが似てる、と言われてたしかになあと考えました。結局置いてけぼりにしてしまったところまで二人とも似ていますね。お互いにそんな深くは考えられていなくて、ただこの状況からどうにかしたいと思ったのでしょう。主人公はレギュラスの行動をみて、ああ自分はこうだったのだろうかとほんの少し自覚したらいいなって思います。レギュラスは主人公にもう一度クリーチャーに引き合わせてもらって、いけないことをしてしまったのだなと分かってくれたら良いな。
Oct.2013 title by puddy*