イノセント 04
(ジェバンニ視点)
「一晩で作ってくれたのに、ごめんね」
ふわりと笑った顔は、優しくて、儚くて、狂気に満ちていた。今でもあの顔を思い出すとぞっとする程に恐ろしい。
しかしあっけなくその脅威は剥がれ落ち、最終的にはただの青年の亡骸が残った。
解放されたように、彼は生命を終えた。
キラの正体も罪も、が全て闇に引き摺り込んでしまった。
半信半疑ではあったが、死神が、全ての行動であると言っていた。の言う未来の事が書かれた本はにしか分からないものだったが、我々しか知りえない情報を得ていたのならば頷くしか無い。死神やノートがあるのだから、本とてあるのだろう。
しかしその本は、ノートよりもたちが悪いと思った。嫌な結末になる事を彼は知っていたのに、なぜこんなことになったのか僕には理解できない。
「何故、彼はノートを捨ててしまわなかったんでしょう」
撤収中の車内で、僕がふと漏らした疑問に、ニアは一瞥を寄越した。
「こうなると分かっていたのなら、最初からノートを燃やしてしまえばよかったのでは」
「……そうですね」
ニアはすぐにノートを燃やしてしまった。とてそうすれば死神が消えることは分かっていた。けれど彼はそうはしなかった。
「世界を大きく変える勇気がなかったんじゃないですか」
ウェーブのかかった髪の毛に指を絡ませながら、ニアは答えた。
「どういう意味だ?ニア。……キラによって世界は大きく変わった筈だ」
「それはあくまで我々側の世界の話です」
レスター指揮官がニアに問う。
キラは我々の世界を変えた。いくつもの戦争がなくなったし、犯罪者は減り、混乱と安寧が同時に世界を渦巻いた。そんな世界を創り上げたのはキラだ。それなのに、変える勇気がなかったと言う言葉の意味が僕たちには理解できなかった。
「にとっては、こうなることが全てでした」
ニアの言葉に、はっとする。
「これが正しい世界のあり方であり、彼が葬った人物は死ななければならない予定の人。だからこそは平気な顔をしていたのでしょう」
でなければ本当に狂ってる。否、もう狂っているのかもしれない。
ニアは呟くように付け加えた。
たしかに、は殺人犯にしては平常すぎた。
嗤って人を殺すのは狂人の証だが、何食わぬ顔で人を殺すのも、それと同等だった。
「おそらくは、夜神月の位置に居るためだけに、同じ事をしたんです」
つまり、最初から死ぬ為に動いていたのだ。当時十五歳だったという少年の覚悟を思い知った。
「にとって、ある意味それが一番簡単だったのかもしれません。自分で考えなくて済みますし、世界はそう動いて行くと悟っていたのですから」
我々がに与えられた蟠りを必死で解こうとしている中ニアは再び口を開いた。
———あまり彼の事を考えてると、狂気がうつりますよ。
あれから十八年経った今でも、の存在は我々の中に残っていた。誰一人として自ら口を開く事は無く、深く考えないようにしていたが、名を出されればすぐに思い出せる程の人物だろう。
そんな中起こったのは、死のノートと似た事件だ。
事件と言うにはあまりにも大人しいものだったが、局地的なそれにL……、否、ニアは興味を示した。
ケンブリッジのとある地区で、約一年の間に十七名もの人物が心臓麻痺で死亡した。年齢も職業も性別もばらばらで、人柄は至って普通の者たちだった。世間に埋もれてしまいそうな事件だが、我々の目には、焼け付くような異彩を放っている。
捜査資料として用意したいくつかの映像をニアが見ていた所、何度か同一人物が映り込んでいる事が判明した。その人物の名前はだった。その名を聞いた時、リドナーとレスター指揮官と僕は息を詰めた。
ノートによる物だとしても、青年・デイヴィスがそのノートを使っているとは思えない。しかし、目に見えて関係していた被害者は五名、無関係だと思われたが接触後に死亡したのは一名。その人数はあまりにも異常だった。彼の住む地域と、行動範囲にしっかりと当てはまり、おそらく彼と少なからず関係した人物が死亡している。
重要参考人として、秘密裏に連れてくるようにニアに指示をされたが、僕たちがやったことは誘拐と同じことだった。目を隠し口を抑え、身体の自由を奪って車に連れ込んだ。
は、リドナーが事情を説明すると抵抗をやめ、我々の用意した部屋で目隠しと口封じをとった時は文句一つ漏らさなかった。
念のため椅子に身体を縛らせてもらったが、やはりは何も言わない。
ニアとのやりとりで、死神でも憑いているのかもと呟いた彼に、我々は戦慄が走った。しかしニアは冷静に、死神は見えるのかとだけ問う。しかし彼は一瞬きょとんと目を丸めてから冗談だとでも言いたげに鼻で笑った。そして後引く笑いをおさめた後、たっぷりとした溜め息をついてしんみりと呟いた。
「何が望みなんだか……」
肩を落とした彼があまりにも可哀相に見えた。
夜神をよく知っている訳ではないが、・デイヴィスは夜神よりも幾分か人間らしいものを持っていた。しかし歳の割には落ち着いた、肝の据わった青年だ。
以前夜神が誘拐された後の取り調べを僕も見ていたが、夜神もこんなふうに冷静だった。似ているところと似ていない所の粗探しをしてしまい、我に返る。同じ名前だからといって、同一視するべきではない。彼ら二人は別人なのだと言い聞かせる。
「これ、いつになったら帰れる?俺が全く動けない所で、人が死んだら帰れるの?」
「いえ、あなたの動きを封じても意味がないと思いますので、それは却下です」
却下という言葉ではまるで彼が提案しているようで聞こえが悪い。ニアは遠回しに嫌味を言っているのだろうか。
彼らの会話を僕たちはただ見守る事しか出来ない。
「あなたの周りに、何かがいるはずなんです」
「……」
「誰にも見られないところで貴方を攫ったので、次の被害者に何らかの変動が見られるのではないかと思いまして」
「ふうん……」
「もしくは、我々の中で誰かが死ぬかもしれませんね」
「それは……やだなあ」
Lを敵に回したくないな、とは苦笑した。まるで冗談みたいな会話だ。
彼は自分の周りで人が死に、今誰かが死のうとしている事を分かっているのだろうか。
の拘束から五日が経ったが、捜索願いなどは出されなかった。
予告も無しに五日行方をくらませれば、家族が心配するのが常だ。しかしの家族は何も動かない。
この五日間我々は、の家族を尾行した。兄二人のいるSPRの研究所には入れなかったが、おかしな言動は見られなかった。
下の兄のオリヴァーは有能なサイコメトリ能力者で人探しに長けている。アメリカとイギリスでは警察に協力をし見事に力を発揮しているのだというから、弟の行方不明の件について何か知っているような気もする。それなのに警察に届けを出さないというのは些か疑問だった。
「ニア、オリヴァーは我々の事を知っているのでは?」
「その可能性は低いです」
「何故……」
リドナーが問うと、ニアはの監視モニタを見つめながら答えた。
「は四年間、行方不明になっています。オリヴァーは四年もの間彼を見つけられなかった……つまり、にサイコメトリが出来ないのか、探す気が無いのかどちらかです」
の経歴は十歳から四年間は空白だった。調べれば容易く出て来たが、彼は日本で日本人として、四年間名前と歳をごまかし生活していた。日本に行くのには飛行機等の正規の手段ではなく、違法の手段だった。ましてや、彼が身一つで瞬間移動をしたというのだから驚きだ。書類上に記された言葉に目を疑ったが、帰国の際に提出されたと言う証拠資料を見れば信じざるを得ない。
おそらくこの部屋からも、は容易く逃げる事が出来る。それをしないのは、我々が協力を頼み彼がそれを受諾したから。
「L……いつまで彼を?」
レスター指揮官は、すっかり監禁に慣れて雑誌を読んで暇をつぶしているに憐憫の眼差しを向けた。
実際にをつれてきてから、被害は出ていない。しかし元々の被害もおおくて月に二名程だった為、判断は出来ないでいた。
「実際が行方不明になれば、何かが起こると思ったんですが……まるで監禁されてることが分かっているようですね」
しかし我々に被害も出ていない、とニアはひとりごちる。
「では、オリヴァーが?」
「そもそも、身内の犯行とは思いづらいです……彼の周りに死神が居るとしか思えません」
「とにかく……このまま何の進展もなければただの誘拐だ、死神が居ると言うなら尋問をするなり、引っ掛けるなりしてくれ」
子供の様に膨れっ面をしたニアにレスター指揮官が叱咤する。
「、聞こえますか」
嫌そうな顔をしたままニアはおもむろにマイクのスイッチを入れ、に呼びかけた。
すると、モニタの隅で大人しくしていた少年は声もなく反応した。
「ご家族は何故貴方を探さないのでしょうか」
「?ああ……探すなっていう合図みたいなのがあるので」
「!」
僕たちは驚き目を見張った。そんな合図を与える隙はないし、今までそれを黙っていた事も驚いた。そしてそれをあっさりと口にする彼にほんの少し呆れた。
「どういう合図ですか」
「意図的に、ナルのサイコメトリを断ってるだけ」
四年間行方をくらましていた時もその技法を使っていたらしいが、甚だ理解できない。
「俺がここに居るってことを知っている人がいると、俺にとっても不利でしょう。だからナル……家族は俺が自分の意志でどこかに行方をくらませてると思ってる」
後で怒られるだろうなあ、とぼやいた。
ニアは元々悪い目つきを更に険悪にした。
「ふーん」
「……拗ねた?」
子供じみた返事をしたニアに、は困ったように笑った。どっちが大人なんだか分からなくなりそうだ。