lost him
夜神月は夜神の亡骸を抱きしめながら、只管に憔悴していた。模木が夜神の腕にかかった手錠を外してやると、その細い手を握りしめてまだ温かい肉体を感じている。
ノートと死神だけが、我々の元に残った。
死神のリュークは、夜神と魅上照が死亡した後にノートに触れたニアが今所有権を持っていると言った。そして、ニアはすぐにそのノートを燃やしてしまった。死神はそれきり姿が確認できなくなった。
静まり返った倉庫には、紙が燃えた焦げ臭い香りが漂う。
「燃やしてしまって、良かったのか?」
「これは殺人兵器です」
恐る恐る口を開いたのは相沢だった。ニアはすっぱりと答えて、ノートの燃えかすを見下ろす。
「しかし、くんがキラだと言ったとはいえ、月くんが記憶を失っている可能性も」
「そうだとしても、夜神は全ての罪を被り降伏し、ノートを私たちに託しました」
「夜神月が記憶を失っていただけだとして、またノートに触れさせ記憶を戻してもしらばっくれるだけだろう」
ニアの言葉に続いてメロも見解を述べる。まさしくその通りだと私も思った。
仮に夜神月がキラで、記憶を失っていたとして、ノートをみすみす彼の手に渡すつもりは無い。夜神が全てやったとは断定できないが、現行犯と自白があり彼以外を犯人と断定できるものは無い。死神やノートの存在があったのならば、彼が未来を知れたというのも、あながち嘘ではないような気さえする。それほど夜神は存在は異彩を放っていた。
夜神の目的は、この事件で夜神月を全うな人間として生かすことだったのだ。
事実はどうであれ、結末的には本当にその通りになった。
「僕は記憶を失くし、ずっと昔にに指示をしたのかもしれない」
夜神月はおもむろに口を開いた。
「僕がキラだ!きっとそうだ。でなければはこんな事しない」
「そうだとしても、証拠が何一つありません」
「が自白したとはいえ、僕でなければ出来なかった事がたくさんある筈だ……!僕がやったと考えるほうが自然だろう!?」
こうして言い争っている間も、夜神月は夜神
の亡骸を抱きしめ続けた。
「月くんがキラだとしても、意味が無い」
狼狽し、らしくない事を言っていた夜神月を嗜めたのは松田だった。
棒立ちになっていながらも強く拳を握りしめていた松田は夜神月をじっと見つめた。
「くんは、事件を終わらせてしまった」
「……っ」
決して納得ずくのものではない結末。解決とは言えない終焉。けれど、もうどうする事も出来ない。
私たちは、夜神に勝てなかった。
「僕はずっと月くんがキラじゃないと信じていたし、一度として操られていなかったと思ってます。
くんも、月くんはキラのような人でなしじゃないと言ってました。僕はくんが本当に月くんがキラになって人でなしになるのを見たんじゃないかと思います。だから、その人でなしにしない為にくんは悪の道に身を投げた」
松田らしい言葉だと思った。彼は時々突拍子も無い事を言い、純粋で人間らしく、夜神月贔屓だ。夜神
のことも気に入っていたが、それよりも夜神月を信じていた。そんな松田だからこそ、夜神の事も信じたのだ。
二人はほんの少し似通っていた。松田が白なら、夜神は透明。彼は人間離れした透明感と、恐ろしい程までに家族へ純粋な愛を向けていた。どれも松田と比べたら気が狂いそうなくらいな規模だったが、本質的なことは同じだ。
「僕はくんの言葉を信じます……彼が全てやって、もう、終わりにした」
「私たちは彼の掌の上で、夜神月の性格矯正プログラムを演じさせられたわけですね」
「何を……」
「ここまで夜神にされれば、あなたは絶対にキラにはならないでしょう」
夜神月が夜神
を溺愛していたことはまぎれも無い事実であり、彼が死んだのはキラの所為だ。愛する弟を奪ったキラになど、夜神月はなりえない。
夜神は、それを見越してわざわざ目の前で死んでみせたのかもしれない。酷く残酷だが、夜神月がキラにならない為の必要な見せ場だったと考えれば非常に的確だ。
「月くんに罪はありません、全てくんが被りました。けれど責任はないとは言いません」
「……」
責任など本当は無かったが、そういった方が夜神月には気が楽だろう。
「混乱させられた世間の沈静化に尽力し、くんの望み通り、真っ当に生きてください」
「…………わかった」
私はそう言いながら、夜神の眠るような死顔をもう一度覗き込み、頬に掌を当てた。暖房も無く外で待っていたからか、ひんやりと表面が冷たい。手触りは至って普通。軽く撫でれば生毛がふわりと指の腹にあたった。
「早く、を連れてってやろう……一月といえどこのままじゃ腐っちまう」
近寄って来たメロは、私同様に夜神の顔を見下ろした。そして、指先がゆっくりと降りて来て、顔にかかるしなやかな黒髪を払いのける。
「you……」
おまえは、と言いかけたのか、ユーと呼んでいた名残なのか、微かにそう口にしてすぐに閉じた。
メロは短期間であれど、夜神と過ごした。情報を引き出すためだったが沢山話をした。きっと、心の中に住まう夜神の存在は小さくはない。
酷く魅力的な彼は、メロの胸にも何らかの残痕を与えただろう。
夜神の死後、キラは現れなかった。三年ほど経った時に一度模倣犯のようなものが現れたがあれはキラと呼ぶには値しない。私利私欲の為に人を殺した犯罪者だ。世界を良くしようとして戦争を減らしたキラとも、殺意も熱情もなくただ名を書き続けた夜神とも違う。
一度電波ジャックでLの声を発信した後にチープなキラはあっさりと消えた。
夜神が死亡し、ニアにLを明け渡した後の生活は前と大して変わらなかった。Lとして事件依頼を引き受けないだけで、エラルド・コイルとしての依頼は受けていた。元々正義のためというわけではなく趣味でやっていたことなのだから。
しかし夜神の死後はどうも胸に蟠りがあるような気がしてならない。もちろんそれは最初にして最後の敗北だったからだ。
捜査と言うゲームに勝つ為には私も卑怯な手は使ってきた。だから、未来を知っている前提で動いていた夜神とのやりとりも勝負だった。
負けは負けなのだ。負けたままでは終われない、しかし、私を負かした相手は居ない。
そもそも夜神は勝ったなんて思っていなかった。
そして夜神はキラではない。
キラは私たち民衆が作り上げたものであり、キラの目的は民衆や世界が望んだものだった。
結論を言えば、キラに勝ったのは夜神だった。キラは生まれる前から夜神によって殺されていたのだ。
「かなわない……」
「どうしたんだ竜崎」
彼の死から十数年もの時が経ち、初めて夜神と総一郎の墓を訪れた。久方ぶりに会う夜神……もう事件の捜査対象ではないのでフルネームで呼ぶ事はよそう……月は壮年の男性となっており、変わらず精悍な顔つきをしていた。
墓の場所を知らないため案内してもらっている最中ぽつりと零した声に、月は首を傾げた。
「いえ…………。くんには、かなわないなと思いまして」
「に?」
「色々な意味をふくめて、ですが」
「そうだな」
夜神のことは考えても考えても闇が広がるばかりで答えを見つける事が出来ないでいた。そしてそれが許せなくて、ずっとずっと忘れることはなかった。それもこれも、私が負けたからなのだが。
ニアはほとんど夜神と接触せず、メロはほんの少し関わり、私はずっと彼を見ていた。誰もが、彼に最期までたどり着く事が出来なかった。関わりがなければ違和感などない程無垢で、ほんの少し関わっただけで彼の白さに安堵し、じっと見つめれば透明感に錯覚を起こす。
どの地点に居ても、彼には敵わなかった。
到底勝てる相手ではなかった。
運、魅力、魂、全てが恵まれた、天使だったのかもしれない。彼はたった一人を……もしかしたら家族を……生かすためだけに、羽をもいだのだ。
「のこと、どう思ってた?」
「どう、とは?」
「唯一を疑う所まで行ったじゃないか……お前は」
月を疑いながらも、を疑っていた時期もあった。
ほんの小さな可能性と、彼に感じた異質な魅力の所為だった。疑ったことすら、彼に惑わされていたような気がする。
今も思い浮かべれば彼の姿は鮮明に浮かぶ。あまりにはっきりと覚えているものだから、彼を置いて私が歳をとってしまった感覚になるが、実際には彼に置いて行かれていた。
ーーーなぜ、彼はあんなにも愛しかったのだろう
考えたがすぐにやめた。なぜかという疑問も、わからないという結論も意味が無い。そもそも理解すると言うのは自分の勝手な思い込みであり、その者の上に立たねばならない。私が彼に負けたと考えた時点で彼のことが分からないのは最初から決まっていたことだった。逆にわからないと感じて躍起になった頃、すでにもう彼に心を奪われていたのだろう。
「愛しています」
夜神月は、僕に告白をするなと苦い顔をして、小さく溜め息をついた。
July 2014