残響ローズマリー 06
(L視点)
数年程前、若くして博士号を得た超心理学者がとある事件に手を貸した。
アメリカの自動車会社の息子が誘拐されて土に生き埋めにされていたのをサイコメトリしたのだ。
博士は優秀なサイコメトリストとして有名だった。
私は実際に関与していない事件だった為事件の収束後耳にした。事件に興味はなかったが、サイコメトリーという能力について、少し興味はわいた。
謎を多く残してこの世を去ったを思い出す。
十年以上経ったが、まるで傍に居るように、鮮明に声も顔も動作も瞼の裏に甦った。
は未来の事を記した本を読んだと言っていた。死神のノートとはまた別物であり死神も関与していないというのだから、彼独特のものだったのだろう。本人曰く物語だったのだと言うが、実際に我々の前で見せてくれた訳ではないため定かではない。
とにかく通常ではありえない物を彼は手にしていたという認識だけが残る。
サイコメトリの中には未来を視る力もあると言う話を聞いて、優秀なサイコメトリストとして有名な、オリヴァー・デイヴィス博士の存在に目を向けた。
それに関連して、兄のユージン・デイヴィスの名も知った。彼は優秀な霊媒だと聞いたので、の言葉をどうにか引っ張り出せるのではと思ってしまった。
死神という存在は目にした為信じざるを得ないが、実のところ幽霊というものを私は信じていない。そもそも死神は死んだ人間は生き返らないし、死後に待つのは『無』であると言っていた。
それでも、私はわずかな希望を抱いた。
実際に会う約束を取り付けたのは、それから数年が経ってからだった。
彼らの事を知った当時は私も事件の捜査をしていたり、イギリスには居なかったりと忙しかった。
エラルド・コイルの名で事件の操作について協力を頼みたいとと言えば話は通った。
噂ではオリヴァーはサイコメトリの依頼はほとんど受け入れてくれないそ。もちろんサイコメトリはしてほしいが、の言っていたことは超心理学分野に関係するのかという話だけでも聞きたかった。
オリヴァーは残念な事に急な調査が入り不在とのことだったが兄のユージンが居るそうなので許容する事にした。しかし実際にオリヴァーにも話をさせてもらいたいのでもう一度訪れる事にはなる。
ケンブリッジにあるSPRフィールドワーク研究室を訪れると、研究員らしき男性が私を出迎えた。
案内された応接間には、若い少年が二人。片方は東洋人風で、二十代にさしかかったばかりだろうか。美しい顔立ちに柔和な笑みを浮かべている。もう一人はまだ十代であろう顔立ちで、淡い髪色と眸は柔らかな雰囲気なのに表情がほぼ無く冷たい風貌に見えた。
しかしそんな彼は、私の顔をきょとりと見上げた。
「なにか私の顔についていますか?」
「いいえ、ミスター。すみません……」
どこかで会ったことがあったのだろうかと思い首を傾げたが、少年は先ほどの無表情とは打って変わって微笑んだ。
もう一人の綺麗な顔立ちの青年は、ユージン・デイヴィスだと名乗った。まさかここまで若いとは思わなかったが、実際ニアもメロも私もLとして活動していたのは彼くらいの年頃からだった為驚きはしなかった。
私たちがソファにかけると、少年もユージンの隣に座った。ノートパソコンを開いて何か操作をしている。そういえば彼の名も知らなければ役職も知らない。
丁度お茶を運んできたチーフの森の挨拶を受けていたため口を開くタイミングを失ったが、彼女が部屋を出て行った後に十分余裕があった為尋ねることはできた。しかし、記録係だと事務的な事を言って結局名前すら言わなかった。
ユージンとの談話中、彼は黙々とメモをとっていた。情報を外部に漏らされては困るがオリヴァーへの報告書を作らなければならない為しかたがない。万が一漏れてもどうにもならないが。
少年が唯一反応を示したのは、死神という存在の話のときだけ。それはユージンも同様で、少し戸惑ったような表情を浮かべた。しかし二人とも至極当たり前の反応だ。
私が見たものは幽霊というものではなく死神ではあったが、実際に彼らに話してみると幽霊ということで話がついてしまう。腑に落ちないが、議論しても仕方が無い。
それきり少年はまたメモをとる仕事に徹していたが、を降ろせるかという話になった時に表情を歪めた。
「ジーン……」
「大丈夫。チーフに許可を貰ってきます」
小さな声ではあったが、二人は親し気に会話をしていた。ユージンは少年の肩をぽんと叩いてから部屋を出て行った。
その間、少年と会話をしてみると、案外饒舌に応じた。そして私も、饒舌に話した気がする。
「ふぅん」
話の末の相槌がなんとも興味の無さそうなトーンだ。
この少年はに比べて愛想は良いが、に似て話の相槌が下手だと思った。
もう少し何か会話を広げてみようと思ったところで、ユージンはチーフの森を連れて戻って来た。そして早速試みたが、降ろすことは出来ずに終わった。
あまり期待はしていなかったが、仕方が無い。けれど、ユージンの言う転生という言葉に少しひっかかりを覚えた。は自分が夜神ではないと言っていた。それはもしかしたら違う人間だったころの記憶があるのではないか。直感的で単純な考えであったため口にするのは憚れたが、ユージンの話を深く聞く。
本来は記憶も曖昧なものだが、稀にクリアな者がいるという。エドガー・ケイシーは私も知っているが、彼は予言者であり転生者だと言われていた。つまり、もしかしたらもそれだったのではないか。ユージンの言う仮説に、少しだけ納得した。
別れ際少年は私を送るように言われて立ち上がった。その時、メルと呼ばれていたのでようやく彼の名を知った。
廊下を歩く短い時間で一言二言会話をしたが、双方おのずと口を閉ざした。
メルの手に嵌められたゴム手袋には違和感を感じたが、それよりものことを考えていた。
が名乗った名前は、もしかしたら前世での名前だったのかもしれない。そのときの記憶を持ち、未来を見通した。ならば、また生まれ変わり、どこかで生きているのではないか。
次々と仮説が浮かぶが、研究所の出入り口にたどり着き思考を止める。メルをちらりと見下ろし軽く挨拶をすると、ほんの一匙ばかりの甘さを含んだ微笑で私を送り出した。
「お気をつけてミスター」
オリヴァーと私のスケジュールが合ったのはそれから二週間後の事だった。
今回は情報漏洩を避けたいため、私の滞在するホテルに来てもらった。
兄弟の他にメルも来ていたため、また記録係だろうかと首を傾げる。しかし、前もってこの事件の話は一切記録しないでもらえるよう約束は取り付けている。
「あなたは……」
前回同様にちらりとメルを見るが、今回はメルは口を開かなかった。
「単なる付き添いです」
「サイコメトリをする場合、時々深くまで入り込んでしまうことがあります。酷い時には自分が体験したかのように感じる事も。なのでいざというときはこちらに戻ってこられるようにサポートをする役目があるんです」
恐ろしい程にそっくりな兄弟だったが性格は全く違うようで、オリヴァーが素っ気なく答え、それに続いてユージンが補足した。
メルはなにか力を持っていたのか。
どのような力なのか興味がわいたが、オリヴァーが本題に入ってくださいと急かすので切り替えた。
今から二十年程前に、日本の東京、新宿の通り魔が保育園に立てこもったが急に藻掻き苦しみ始め、心臓麻痺で死亡した。そこから、世界中の凶悪犯罪者が次々と心臓麻痺で死んで行った。第一の犠牲者の罪がさほど重くなかったこと、それから報道は日本のみでされていたことをふまえて犯人は日本に潜伏していると考え、テレビ中継を行った。その場で、実際に手を下さず人を殺せる事が分かった。
オリヴァーは少しだけ眉を動かし、ユージンは憂いの表情を浮かべ、メルは爪の甘皮を押し上げる作業に徹していた。そういえば、彼は今日手袋をしていない。潔癖性かと思ったが違うらしい。
少し考えが逸れたが、再びキラの事件の話に戻ることにした。
極秘に入ったFBIを全て殺したこと、容疑者のピックアッップ、二十四時間態勢での監視を行うまでを話す。ユージンもオリヴァーもその前代未聞で常識はずれた捜査方法に大なり小なり驚愕の表情を浮かべた。
「そんなことしてよかったんですか?当時の日本って」
一番に口を開いたのは意外にもメルだった。
「いえ、いけません。命をかけて捜査していたので法にひっかかることでもやりました」
内緒ですよ、と表情を変えずに付け加える。
「実際その容疑者のピックアップと監視の中に、キラ……夜神は居たんですか?」
「居ました。夜神の父は私と一緒に捜査していた夜神総一郎という刑事局局長です」
ユージンの問いかけに私は頷いた。
「ですが、疑いをかけられていたのはの兄、月でした」
「兄……」
「プロファイリングの結果からして、月のほうがキラになりうる存在でした」
月との接触を重ねて彼の性格を知れば知る程、月はキラに近かった。そしての方はまったくキラにかすりもしない人柄だった。
「それもその筈で、は兄がキラであることを想定して犯行に及んでいたのです」
多少質疑応答を挟みつつ、数時間かけて事件の内容を話終えた。
死神とノートの存在、殺しの手口、夜神の言う未来の事を綴った本の話の時には些か信じがたいものを見るような顔をされたが全て事実だ。ユージンとは軽くそのあたりについて話してはいたが、こうして事件の全容を知った今、死神の存在は霊だとか思い込みだとかでは済まされないように思う。
ただ、私が知恵を借りたいのは死神の存在やノートのことではなく、夜神のことだ。
「……常軌を逸している」
「専門家から見ても、あり得ないことですか?」
「未来視するといっても、限度があります。その都度その都度で視ることはあれど大きな変化をもたらすのは難しい……、のそれは膨大な量を前もって知っていなければ対処できない程のものです」
オリヴァーは眉を顰めた。
「アカシックレコードの前例は数少ないですが、それにしても並じゃない。……は、何者なんだろう」
最後、オリヴァーは一人ごちるように言った。やはり研究者の目から見てもは異常だったのだろう。
月に借りて来たの遺品を差し出す。が成人した時に妹がプレゼントしたシルバーのブレスレットだった。は大層気に入っていて、死んだ時まで身につけていた。
「実際には人を手ずから殺してはいませんが、至上最も人を死に至らしめた殺人犯です。最後には自分も心臓麻痺で死にました。ですから、無理にとは言いません」
酷い時にはあたかも自分が体験したようになると聞き、無理はさせられない。は人を手にかけてはいないが、自分は最後に死んでいるのだ。
白い手が、テーブルの上に置かれたブレスレットをとった。
「ナル……」
「大丈夫だ」
ユージンの時同様にメルはあまり良い顔をせず、オリヴァーの腕に触れた。
オリヴァーは俯いたまま小さく答えてから目を伏せた。ぼんやりと光を失ったその眸には、が見えるのだろうか。だとしたら少し、うらやましいとさえ思った。
かしゃん、とブレスレットがテーブルの上に落ち、視線を上げた先では額に汗を滲ませたオリヴァーが嘆息を漏らした。
「ナル、大丈夫……?」
おずおずと、ユージンがオリヴァーの背中を撫で、メルは腕を握ったまま静かにオリヴァーの顔を覗き込む。オリヴァーはすぐに冷めた声で大丈夫だと答え、居住まいを正した。
「夜神は……普通の人間です……兄を庇って死んだだけの、普通の人間でした」
その回答に、私は少しだけほっとした。
魅力的なのも確かで、不思議な力を持っていたことも確かなのだろう。けれど彼は人間だった。
「普通ではありえないことですが、は本当に、本棚の中に不思議な本を見つけ、未来を知り、その通りの行動をした」
断片的にだったが、の記憶はきちんと見られたらしい。の自供とオリヴァーの語る話は噛み合っていた。
「・は」
オリヴァーは、言いかけて一度口を閉じた。
私はあえての名を出さなかった。オリヴァーを信用していないわけではないが、彼がの情報を読み取れるのか試したかったから。
それも、この名前がでたことにより確定した。
「は……彼の、一番最初の名前です」
それ以外は分からなかったと言われ、結局真意は分からなかった。
「真名とか?」
メルは隣で首を傾げた。
東洋では古くから身体の名前の他に真名という魂の名前をもっているとされていた。それは本人さえも分からない名前であり、その名を知られることは魂を握られるのと同じ。または、キリストでの洗礼名、言い方を変えると聖名。
真名がどういったものか想像もつかないが、どうみても日本人らしくない名前であるため不可解ではあった。
「いや……ジーンたちが言っていた通り、転生者なのかもしれない。それも、高度で、明瞭な記憶をもった」
「ふぅん。転生する前のことは、見えたりしないの?」
メルが私の聞きたかったことを代弁するように、オリヴァーに尋ねる。
「たいてい見えない」
「本人の身体に触れるとどうなりますか?」
「……あるんですか?」
「いえ、これは別に触れていただきたい訳ではなく私の知的好奇心です」
夜神はもう荼毘にふされているため遺体や遺髪等があるわけではなかった。
「生きていて、強く思っていることだったら或は。ですが、前世の記憶というのは大抵不明瞭で無意識ですから、のように自分の最初の名前まで理解しているものは少ないでしょう」
がもし転生していたとしてそれを見つける事は不可能、とオリヴァーは言った。
そして、の謎も全て解けることはないだろうと結論づけた。もちろん当の本人が居ないのだから仕方の無い事だ。
は死んだ。私の腕の中で、息を引き取った。
その時、に通じる全ての扉は閉ざされただけでなく崩れ落ちてしまったのだ。
「…………貴重なお話をありがとうございました」
一歩進めた気がしたが、目指すべき扉はもう無い。
暗闇の中で光を探して歩き続けている気分だった。