harujion

Last Memento

memory

ある休日、リビングに顔を出すと母と粧裕がアルバムを広げていた。
首を傾げながら低いテーブルを見下ろすと、少しだけ色褪せた古い写真が目に入る。
おむつ一枚の赤ん坊の写真や、幼稚園の制服を着た月、動物園に行った時にウサギを抱っこした粧裕、小学校の入学式の日の俺と母のツーショット等、様々な年代の写真が散らばっていた。
「アルバム落とした時に写真がはみ出ちゃったの」
「ねえ、これお兄ちゃんと くんどっちかな」
「これは粧裕」
母の奥で粧裕が乳幼児の写真を掲げて尋ねる。
「え、私!?男の子かと思ってた」
「赤ちゃんの頃は粧裕が一番凛々しい顔してたわね」
「なんかそれやだぁ」
「女の子はそういうもんよ」
二人のやり取りに小さく笑いながら、母の隣に腰掛ける。
「あ、これ。俺と月だ」
目に付いた写真に指を乗せてテーブルを滑らせ、手に取った。
リビングで幼児が赤ん坊を抱いている。たしか、生まれて初めて月に抱っこされた時の写真だ。二歳になったばかりの幼児に抱かれるのがちょっと怖かったのを覚えている。お腹と足の上に乗っているから落っこちてもそう被害は無いけど心配だったのだ。その証拠に写真に写る俺は月をじっと見ていた。
「かわいー、 くんとお兄ちゃん見つめ合ってる」
兄二人の赤ん坊時代の写真をこうもきゃあきゃあ見られるもんなのかと若干引き気味に、母が年代別にアルバムを探して写真を差し込んで行くのを見送った。

散らばった写真はしまい終えたがは、思い出話に花を咲かせた二人はアルバムを捲った。俺も母の隣でじっとそれを見ていたけれど、粧裕があれっと声を上げたので視線をはずした。
「この時、なにかあったんだっけ?」
アルバムを俺たちの向きにひっくり返しながら、一枚の写真を指差す。
昔、遊園地へ行った写真だ。
俺を挟んだきょうだい三人。粧裕はちょっと泣きべそをかいて俺にしがみついている。



:::



五月のある日、家族全員で遊園地に来ていた。粧裕は父の総一郎に抱かれており、月ははぐれないようにと母の幸子と手を繋いでいた。弟の は月と手を繋いでいる筈だった。しかし、人混みに差し掛かった時に幸子とも とも手を放してしまった。
月は、なんとか人混みから抜け出て両親を見つけた為駆け寄った。
『お母さんと の手を放さないこと』と約束していた為にすぐに追いつき幸子の手を握ったが、もう一人、手を繋ぐべき の姿は見当たらない。
「月、 は?」
「……いない、僕……手を放しちゃった」
今まで の手を握っていた筈の左手は、ほんのりと汗をかいていて、吹き抜ける風が掌を冷やした。
隣には頭一つ分小さな弟がいるはずで、少しはぐれただけだと分かってるのに、何故だかとても切なく思えた。
は口べただから、周りの大人に助けを求められるか心配だ。
「お父さん、お母さん……ごめんなさい」
両親は、責任と心配で押しつぶされそうな月を見て緩く笑った。
勿論迷子になった のことも心配したが、騒いでも仕方の無い事だ。
総一郎も幸子も、 は反応が薄いけれど根は月に負けず劣らずしっかりした子供だと理解していたため、 の不在に動揺した月と、泣き出しそうな粧裕のフォローにまわった。
しかしそのフォローも 本人がいなければ虚しいだけで、粧裕は二度と会えないかのように慟哭した。総一郎は苦笑しながら粧裕の背中を数回叩き、幸子に預けた。
を迎えに行ってくる。戻って来るまで、粧裕とお母さんのことを頼むぞ月」
「うんっ」
粧裕に釣られて泣きそうになっていた月は、総一郎に言いつけられて涙を引っ込ませた。


は遊園地に来てそれなりに遊具にのって楽しんでいた。如何せんアトラクションに乗るための身長が足りず、メリーゴーランドやコーヒーカップ、観覧車等のゆったりと回るだけのアトラクションしか乗っていないが十分楽しかった。
月の手を放さないとの言い付けをしっかり守っていたが、途中遠足に来ていたと思われる小学生の集団に鉢合わせてしまい人にぶつからないように通り抜けるため兄との手を放した。
兄よりもほんの少し大きな少年少女をなんとか避けていたつもりだったが、小さな身体は思うように行かずようやく通り抜けたと思ったころには周りに家族の姿が見えなかった。
まずった……と思わず英語で呟いた。
生まれて五年程、つまり日本語の勉強歴は五年。なまじ英語をしゃべれるだけに、通常の五歳児よりも日本語が下手だ。
しかし迷子になったときは動かないのが一番。人に尋ねるまでもない。 の不在に気づいた両親が迎えにくるか、放送をかけるかするだろうと結論づけた。
理不尽に怒る両親ではないが、はぐれたという結果的にはうしろめたさがあった。
この小さな身体がいけないんだと自分の身体を見下ろしてから、あたりをぐるりと見渡し、大人しく座っていられそうなベンチを見つけて近寄る。
大人サイズに作られたそれに乗る為に少し勢いをつけて座り、腕の力でずりずりと身体を引き摺って定位置に落ち着いた。通りすがる人が何人か を見ては小声で何事か喋っているが、おそらく迷子か否かだろう。普通の迷子であれば泣きそうな顔して狼狽えているが、 はまるでここで待ってろと言われたかのように大人しく座っていたため声をかける人物は現れなかった。勿論本人もそれで良いと思っている。
どうせ両親とはそんなに離れていない筈だからすぐに見つけられる。
それから五分程すれば想像通り、総一郎が辺りを見回しながら歩いて来る様子が目に入った。 はベンチからとすんと降りて駆け寄る。
「とうさん」
「! ……」
自然な動作で総一郎は駆け寄って来た を抱き上げた。
は少し驚いたが身を任せ、総一郎と視線を合わせる。
「ててが」
「ああ、人いっぱい居たからな。放してしまったんだろう」
「ん」
月と粧裕の大げさな反応と の淡白な反応を比べて総一郎は緩く笑った。どうして彼らはあそこまで が心配で、どうして はここまで冷静なのか。足して二で割ってくれればいいのだがと思ったが、この極端な様子は見ていて面白い。
肩を揺らす総一郎に は何かと首を傾げたが、何故笑っていたのか教えてもらう事は無かった。

:::

が迷子になったときの写真じゃないか」
ひょっこりとリビングに顔を出した月は、粧裕が指差す写真を見て笑った。
「人混みにまぎれて僕と繋いでいた手を放しちゃったんだ」
「なんで私泣いてるの?」
母も月も覚えているらしいが粧裕は記憶に無いらしく首を傾げている。
がいないからって泣いちゃったのよ」
「え、それだけで!?」
「父さんが探しに行ったら五分で見つかったけどな。粧裕は大変だった」
「月だって泣きそうだったのよ……当事者の は全くいつも通りだったけど」
「やーいお兄ちゃんのブラコン」
月はちょくちょく粧裕にこうして馬鹿にされる。そして粧裕は頭を小突かれて、その様子をみて俺は笑う。

母は洗濯物を取り込みに行くとソファーから立ち上がり、アルバムを戻しておいてねと言い残してリビングを出て行った。
「僕はこのことから、 と手を繋いでいるときは何があっても放さないようにしたんだ」
「普段は粧裕を間に挟むことが多いけどね」
「そういえば写真とかでも私が真ん中だ」
「まあ、粧裕が一番小さかったし……今思うと僕が真ん中に居た方が効率がよかっただろうな」
「なんで?」
俺と粧裕は揃って首を傾げた。
「お前達二人とも考え無しにどこかへ行くからだ」
そういわれて、粧裕と俺は顔を見合わせ、月の顰めた顔を眺める。

「俺たちそんなにふらふらしてた?」
「してた」

こくん、と月は頷き過去を懐かしむように遠くを見つめた。






日本語の拙い幼児時代がね、あったんですよ。
Aug 2014