harujion

Last Memento

月光クレイジー

バイトから帰宅した午後十時半。俺の部屋の前で佇む人影に、眉を顰めた。足を進めるにつれて、段々と人物像がはっきりしてくる。
「や「ちょっとそこどいてください」あ、すまない」
にこやかに挨拶しようとした人物の言葉を遮って手を振ると、素直に謝って身体を退かす。どいてもらえなかったらどうしようかと思ったので、内心ほっとしながらドアの鍵を開けた。
「部屋間違えてると思いますよ」
「え」
そう一言告げて部屋に入るが、ドア抑えられて阻まれた。畜生。
「忘れちゃったかな、この間電車内で痴漢を捕まえただろう?」
「ああ、釈放されたんですか、よかったですね」
「それは僕じゃない!」
なるべく目を合わせないように、ぐいぐいとドアを引っ張り攻防を繰り返す。
「一緒に捕まえた方だ。君が僕の弟に似てるって話をしたじゃないか」
「聖書なら間に合ってます」
「宗教勧誘じゃないから……!」
ガタガタと古いドアが揺れる。
他人のフリをし尽くしても引き下がりそうにない人物、夜神月の顔をようやく一瞥して腕の力を緩める。
「たしか、夜神なんとかさんだっけ」
「思い出してくれたかい?」
「うん。じゃあさようなら」
ガチャン
ほっとして月も手を放したので、その隙にドアを閉めた。
ああっ!そんな!という悲痛な声が外で上がる。軽くドアを叩きながら、お土産のケーキがあるんだと言われて仕方なくドアを開けた。
「入る?」
「!ああ」
嬉しそうに笑った月はいそいそと部屋に入って来た。
お土産のケーキは意外にも一つだけだったので首を傾げる。
「いっこなんだ」
「君一人暮らしだったろ?食も細そうだったし」
このアパートはワンルームだから、と展開される推理を、ケーキを食べながら聞き流した。
俺は身の上話は勿論、住んでいる場所も教えてない。事情聴取された時に身元証明したり住所を書いたから、おそらく調書を見たのだろう。職権乱用ともいうし、立派なストーカーともいう。
「ショートケーキは好きだったかい?チョコレートにするか迷ったんだけど」
「どっちもすき」
「そうか」
今日の晩ご飯代が浮くなあと思いながら口の周りを拭うと、満足そうに月は微笑んだ。
俺がケーキを食べている間中、月はにこにこしながら見守ったり、時々話しかけて来たりしていたが、結局何の用があってここに来たのだろう。
ケーキの入っていた箱を崩して畳み、フォークを流しで軽く洗い終わっても、用件らしき用件は果たされない。
「で、何の用?俺もうお風呂入って寝たいから手短に」
「もう寝る?夕ご飯食べたのか?」
「えーケーキ食べて程よく満たされたからいっそこのまま……」
「成長期の子供がそんな不摂生な生活をするんじゃない」
「いいじゃん一日くらい。食費浮かせられてラッキー。早く帰ってね」
仕方ないので自分から話を振る事にしたが違う所に食いつかれて話がそれた。真面目男にここまで言うんじゃなかったと後悔したがもう遅い。
「奢るから食事しなさい」
「……やだ」
「なぜ!」
「奢ってもらう理由ないし」
オーバーリアクションをする三十七歳を冷めた瞳で見返す。
「住所勝手に調べて、夜遅くに、アポ無しで、押し掛けて来たからケーキは食べたんだ。……用件はなんだ」
かつかつ、と爪でテーブルを叩きながら迷惑な点を羅列して尋ねた。
「す、すまない。いや、用件は特にないんだ……君にまた会いたくて」
確かに俺に会いに来る理由は俺に会いたかった意外は考えられないが、それを素直に言うとか実行するとか本当この人ストーカーの才能があるのかもしれない。
「弟に似てるから?」
「……そう、だが……気を悪くさせたかな」
「気を悪くするほどあんたに執着してないって。ただ、不毛だなって思っただけ」
「完全にを弟の身代わりにしているつもりはない、それにあの子はもっと可愛気あったし」
勝手に呼び捨てにされているのはこの際置いておこう。
実際昔よりも素直に毒吐くことが多くなった自覚はあるので、反論は飲み込んだ。
「僕は純粋に、みたいなタイプの子が好きなんだ」
「……」
弟と混同しているわけではないと力説している所悪いが、それはそれで危ない発言だ。
十年もあれば人は変わるが、こんな風になってしまったのか。頭痛がして来た。
「俺と援助交際したいの?」
「ひ、人聞きが悪いことをいうな」
「だってそういうことじゃん……性行為が伴わなくてもこういうのは援助交際っていうんでしょお巡りさん」
月はうっと言葉に詰まる。
だって奈南川に……いや上司だったか?しかし最初からバイトをしていたわけじゃ……」
ぶつぶつと随分昔の話を考察しているのは聞き流す。東條とは全く関係のない話だ。
頭の回転が速くて、優秀な割に変な所で馬鹿なのは変わっていないらしい。
色々考えてみたようだが、月はふっと笑い出してしまった。どうしたのかと問えば、しばらく喋りづらそうに笑ってから教えてくれた。
「馬鹿みたいだなって思ったのさ」
自嘲気味な笑みではなく、子供っぽい笑みだった。
「ああやっと気づいたの」
「あのなあ……ははっ、いや、僕をこんな風に振り回すのは弟や、くらいだ」
瞳は昔のまま、澄んでいる。キラにならなかった、夜神月の顔だ。
思わず俺も笑みがこぼれた。

それから月は、金銭を渡す訳ではないので援助交際ではないとこじつけて俺にご飯を奢った。
引き下がってはくれないだろうと諦めた俺は月に付き合う事にした。

月は仕事の合間をぬってうちに通って来た。俺が料理できると知ってからは食材を買ってきたし、時々食事に連れ出した。
学校で心霊現象が起こってマスコミに騒がれていたときも心配して毎晩のように電話してきて、学校の送り迎えしようかと自分の仕事のことを全く考えてない提案をしだした。勿論、丁重にお断りした。

忙しい職業に就いている月は、俺の手料理が食べたいと恋人気取りな事を宣いながら二週間ぶりに俺の部屋に来た。
「そういえばその後、学校の騒ぎはどうだ?怪我の調子は?」
「騒ぎは解決したかな。怪我も、もう抜糸は済んだから大丈夫」
傷はしっかりと残っているが、ガーゼとネットでくるんでいる腕を少しあげてみせる。月は優しい手つきでその腕をとり、手の甲をするりと撫でた。
「色白だな」
「弟は焼けてた?」
「いや、白い方だった……でも程じゃないかな」
白人ってやつだしなあ、と思いながら月が俺の手を撫でるのを見下ろす。
「そっくりそのままって訳じゃないさ」
続いた言葉に思わず笑みがこぼれる。過ごして来た環境が違うから、前の俺と今の俺は少なからず違う所がある。好みや性格はかわらなくとも言動に変化は出て来る。同じ人間でも違いというものがあるのだから、俺そっくりな人間なんてこの世に居ないのだ。俺の中でも夜神という立ち位置は存在しない為、月に家族の様には接しない。
夜神だったら撫でている指をつかんでみるのだけど、俺はもう弟ではないからそっと腕を放した。

は、……嫌じゃないか?」
「?」
ネクタイを少しだけ緩めた後、俺の出したコーヒーをじっと見つめながら月は口を開いた。
俺が首を傾げたままでいるのを一瞥してから、コーヒーカップを手にとり、ふっと息を吹きかけ少し冷ます。
「弟と重ねられてるの」
「ああ……」
「前は、重ねられてても僕にさほど興味は無いから平気だと言っていたけど、今はそうじゃないと思いたいな」
軽く笑ってから、コーヒーを啜った。俺は未だにふうふうと息を吹きかけ湯気を飛ばしながら何を言おうか考えてみた。前の俺と重ねられても別に嫉妬もむなしさも見当たらない。夜神が死んだことを俺が一番理解しているからだ。
「今更弟の存在はなかったことになんかならないし、弟が居なかったら俺に会いに来ることもなかったし、どうあってももう弟は戻って来ないでしょ」
「そうだな」
「どっちにしろ今の夜神さんは俺が必要。違う?」
「違わない」
ほんの少し目配せをして、コーヒーを飲む。
「でも俺、今週末には実家帰るから暫く会えない」
「教会か?都内だから近いじゃないか」
「教会じゃなくて、両親のところ。イギリス」
「孤児じゃなかったのか?それも、イギリスだと?」
「養父母」
「初耳だぞ」
大学も行かないことになったよと言うと、急な話に月は戸惑う。俺だって急な話なのだ。
俺は不法入国者なので近々イギリスに強制送還の予定である。戸籍上十八歳の日本人と言う事になっているが実際には十三歳のイギリス人だ。
「つまり、十歳の頃に日本に旅行に来てなんらかの拍子に記憶喪失になったと?」
「うん」
「本当はイギリス人?」
「国籍はね。生まれはアメリカだけど」
「で、十三歳」
「もうすぐ十四歳」
がくりと肩を落とす。教会に引き取られた孤児だという話以上はしていなかったから、ちょっと説教をされた。
「東條の戸籍は削除することになって、VISAがとっくに切れてる俺は強制送還」
「次はいつ日本に来られるんだ?いや、すぐは無理か……そうだ、、僕の養子にならないか」
がしっと肩をつかまれ、真っすぐと見つめられる。
「養父母が好きなら、イギリスで僕と結婚しよう」
俺は無表情のまま月の頭を叩いた。
「俺十三歳だから」
「三年待とう」
「ごめんそもそもそう言う問題じゃなかったね、結婚しません」
「苦労はさせない」

救いようが無い。

昔から俺の事になると頭おかしかったし、最近悪化してるとは思ったが、まさかここまでとは。
「俺女の子が好きだよ」
「僕だってそうだよ、別にを抱きたいと思ってない。キスは出来るけど」
「出来なくて結構」
俺は近づいて来た顔をぐっと押し退けた。





Aug 2014