51
(滝川視点)
綾子とリンとジョンと一緒に、笹倉家へ乗り込むことになった。
夜も闌、笹倉家のインターホンを押してみたが返事は無い。
「を呼ぶかい?リン」
「いえ」
家の中を見て来てもらおうかと冗談まじりにリンに問うが、そっけなく断られた。自身は俺たちが家を出る前、必要だったら呼べと言っていたが、リンも、勿論俺もあいつを呼ぶ気はなかった。たとえ瞬間移動で家の中に入れたとしても、危険な事には変わりない。俺たちの中で一番若く、貧弱な十四歳の少年に、そんなことはさせられない。多少被害があれど、窓ガラスを割って俺たちが入った方が得策だ。
「あんたホント、こういうことだけ思い切りがいいわね」
俺の後ろで綾子が静かに呆れた。
「竹を割ったよーな性格と言われてます」
軽口を叩きながら、割ったガラスの間に腕を突っ込み、鍵を開ける。すると勝手口のドアが開き、ジョンは溜め息まじりに十字を切ってから中に一歩入った。
家の中は腐臭が充満しており、あまりの荒廃ぶりに俺たちはあぜんとした。
本当にこんなところで生活していたのかと問いたい。いや、長らく霊に憑かれていたというならば、ある意味納得できる生活ぶりだ。
足の踏み場もないほどに色々な物が散乱しているなか、俺の目に付いたのはビニールシートや大量のゴミ袋。そして、投げ出されたいくつもの鑿や鋸、ロープにシャベル。
廊下に出る襖を乱暴に開くと綾子が恐る恐る制止をかけてきた。しかし嫌な予感がして、それどころではない。笹倉家の連中が居るなら、俺に気づいても良い。いっそそうであってくれ。
しかし二階にも誰も居らず、俺は慌てて階下の三人に声を上げる。
「隣に戻れ!」
「どういうことよ!」
転がる勢いで階段を下り、脱衣所を確認するとビニールシートやバット、鋸が散乱している。
「連中は翠さんちに行ったんだ」
「まさか」
「夜逃げであるよう、祈ってろ」
「の携帯が不通です……!」
リンは察しがついたのかすぐにに連絡を入れたようだが、リンの携帯の向こうから聞こえる、電源が入っていないという機械的な音声が俺たちの耳にも届いた。互いに何かがあったら連絡すると約束しているため、が故意に電源を切っている訳が無い。ましてや充電切れを起こすような愚か者でも無い。
しかし、何故俺たちを呼びにはやって来ないのか。奴の瞬間移動であれば誰にも会わずにこの家の中に入ることも出来なくはない。やってこないならば、襲われているかもしれないということだ。
裏庭に飛び降りると、リンもすぐさま続いた。
「ちょっと、ねえ、どういうこと」
窓から顔を出し狼狽する綾子に、警察を呼んで来いといいつけ、俺とリンとジョンは先を急いだ。
駆けつけた俺の目に映ったのは、青白い稲妻だった。
バチン、と何かが弾ける音がして、稲妻は上半身が裸の男にあたった。
意識を失う程ではなかったが、衝撃が堪えたようで咽せている。
「!」
リンが焦った声をあげ、男——おそらく笹倉剛——とは逆の方向を見ている。そこにはリンの言う通りが立っていた。腕を前に出しているポーズは、以前ナルが気功を撃ったときと似ている。しかし、ナルとは違い、は目に見えて、稲妻を身体にまとっていた。
その光は前も見た事があった。が霊を剥がそうと藻掻いたときだ。
まるで人間電磁砲だと思いながら、笹倉に近づこうとした所で、が寄るなと声をあげた。
「リン、玄関でナルと広田さんが息子を抑えてる」
「はい」
リンはの足元に転がり動かなくなっている笹倉夫人を一瞥し、玄関に回った。
よく見たら夫人は縛られている。
「ジョン、先にこの人を」
「はいです!」
「滝川さん離れてて」
の周りに青い火花が散り、白い肌を青く照らしている。場違いにも、綺麗だと思ってしまった。
そして、俺の返事を待たずにはその場から姿を消した。俺が首を動かしたときには既には倒れた笹倉の背中に手をついて座っていた。
やっぱ、潔癖性とかじゃあねえな。もともと信憑性はなかったが。
「ジョン、先にナル達を見て来てくれる」
「あのー、さっきから俺何もしてないんだけど」
笹倉夫人への祈祷が終わったジョンに次の指示をしたは、俺には何も声をかけてこない。
「滝川さんは俺がもし倒されちゃった時にこの人抑えてもらえれば良いから」
確かに俺は憑き物を落とす事は出来ない。腕っ節だけならよりは強いが、おそらく今に近づくのは足手まといだろう。
「……それはどうやってんだ?」
「筋肉に電気を流して、全身に力が入れられないようにしてる」
「夫人には?」
「スタンガン」
片手の親指と人差し指をだして、その間に電気を流して見せた。つまりその手がスタンガンと言う訳か。
ジョンが戻って来るまで、俺はからどういう経緯でこうなったのか聞くことにした。
———曰く、まずが外の様子を見て、三人の配置を確認。その後夫人の後ろをとり感電させて気絶させた後に攫って縛り放置。ナルと広田には玄関で待ち伏せをしている潤の相手を頼んで、一番力の強いであろう笹倉を迎え撃ったという流れだった。
「久しぶりにが凄い格好良く見えたわ」
「どうも」
まるで女王様のようにふんぞり返り笹倉の上に座っているに、がくりと肩を落とした。しかしあのナルと広田がに笹倉を任せるだろうかと疑問に思っているところで、ナルが勢い良くやってきた。
「メル!騙したな!」
「あ、お帰り」
ジョンは後ろから苦笑しながらついて来ており、リンと広田は居ない。おそらく縛っているのだろう。しかし俺は麻衣の存在にもちょっと驚いた。
「麻衣、なんだってお前さんまで居るんだ」
「あはは、ちょっとナル達が心配で……」
「ジョン、この人もお願い」
「しばらくそのままで居ておくれやす」
俺が麻衣を叱っている最中に、は飄々とした顔でナルを無視してジョンに声をかけた。
確かに笹倉のことが先決だ。あまりにがあっさり片付けてくれたもんで、俺たちはなんもする事が無く、ジョンとを見守った。
ジョンに霊を落とされぐったりと力を抜いて、あまつさえ寝息まで立てているらしい笹倉を見下ろし、俺はに手を差し出す。
「お疲れさん」
「いい」
ほんの少し驚いてから、俺の手を断りは自力で立上がった。まあ、あんな力を使っていたなら、こいつはきっと俺たちに触るのを遠慮するだろう。だから、いつもゴム手袋をしていたのだろうか。
しかしそんなと俺の静かな空気をよそに、ナルがの頬をぐっと引っ張った。
「うー!」
「弁明があるなら聞いてやるが?」
「おえんああい」
「何て言ってるのかわからないな」
多分ごめんなさいと言っているのはイントネーションで分かるのだがナルはしらばっくれて頬をつねり続けていた。
「に何かだまされたのか?ナルちゃんや」
「……」
怒っているようで答えてくれない。
後で麻衣に聞いた話では、は玄関に居るのは剛だったから一番腕力のある広田に頼み、ナルもそのサポートに行かせたのだという。ナルがに一人で行かせたのは邪魔になる事が分かっていたからだろう。戦力的に見てもおそらくの指示で正しかったのだろうが、ナルには弟に嘘をつかれ、気を使われたことに腹を立てた。プライドが高いだけある。
「ナル、コソリが来る……」
もう憑かれる心配は無いだろうが念のために笹倉も縛っていたところ、麻衣がはっとして呟いた。廊下の奥の姿見を装ったドアは外へ向かって開かれており、麻衣はじっとそちらを見ている。
濃厚な血の匂いと、冷たい空気がそこから流れ込んで来た。
「……なんだ?」
広田が傍で声を漏らした。きっと土を踏む足音が広田の耳にも届いたのだろう。
開け放たれた裏口から姿を現したのは、鉈を持った男の姿だった。笹倉のように上半身は裸でベルトに包丁を挟んでいる。相好の判断もつかない程血に濡れており、その正体は分からない。ただ、人間ではないのは、分かった。
ぎしり、と音を立てて男は裏庭から廊下へ上がり込んで来る。酷く重たい足音だった。
「オンキリキリバザラバジリホラマンダマンダウンハッタ」
俺が呟き印を結ぶと、男は一度音を立てて立ち止まったが、すぐに足を踏み出した。冷気をあび、白い吐息を自覚しながらも、動かず、睨め付け、読経した。鉈が振り上げられたと同時に、指を解き片手を上げる。
「臨兵闘者皆陳烈在前───ナウマクサンマンダバザラダンカン!」
最後に言葉を強めて、男に法力をあてると、赤い光が廊下と男を貫いた。
それを受けてよろめいた男の腕から鉈が音も無く落ちた。なおも一歩踏み出そうとしたが、膝が折れる。又一歩膝立ちのまま前に進もうとしたようだが、その場に倒れ伏して、次第に薄れて消えて行く。
跡形も無くなったところで、ふうと一息ついて終わりを感じる。
「よし、終わった。───帰ろーぜ」
傍に居たの後頭部をぽすんと叩いて笑いかけると、珍しく、いや、初めて俺に向けて優しく笑った。
警察の事情聴取が終わり解放されたが、俺たちにはまだ後片付けと撤収作業が残っていた。綾子が駄々をこねたが、結局立ち上がる。しかしナルはそれを制した。
黙り込んだ空間に、子供の足音が聞こえる。
そしてチャイムが鳴った。ドアの脇の明かり取りのガラスが割れており、普段ならばチャイムを鳴らしている人物が見えるはずなのだが、そこに人影はない。二度、三度、チャイムが鳴っているにも関わらずナルは出ようとはしなかった。
「……おい……」
広田が呟いたが、ナルはそれを目線で黙らせ、再び視線を玄関に向ける。
チャイムが鳴り止んでから少しの間をおいて鍵穴が回る音と、ドアが開いて閉まった。俺も覗いていたが、ドアが開いたときも、閉まったときも、人は居ない。しかしいつのまにか三和土には小柄な女の子が立っていた。
「——ただいま」
少女は家の中をうかがうように声をかけた。目の前に居る俺たちの姿はまるで見えていないようだった。
「おかあさん、帰ったよ」
誰もが口を開けない。
少女は不安そうに荷物をおろした。その荷物には、貯金箱やらお茶の包みやらが入っている。おそらく、家族へのお土産だろう。
この嬢ちゃんが、に憑いていたのか。
おかあさん、と再度呼びかけるが、返事があるはずもなく、少女は泣きそうな声をあげながら家に上がった。
入って来るなと言いたかった。しかしそれは叶わない。
廊下を奥へ進んで行ったきり、俺たちには姿が見えなくなった。足音だけが聞こえていたが、すぐにそれも止んだ。
「……おかえり」
微かに呟いたのは、だった。それに次いで、ナルが静かに口を開いた。
「これが彼女の悪夢だった」
自分が死んだことよりも、帰って来た家で誰も迎えてくれる者がいなかったことが何倍も忘れ難かったのだろう。
だからあの時、それをダイレクトに感じたは、玄関で崩れ泣きながらナルを求めていたのだ。
十歳のときに自らの意志で家族からはなれ、四年もの間一人で暮らしていた。当初は東條神父や子供達が居たと言うが、きっと寂しかっただろう。今回は霊に憑かれていた所為かもしれないが、は一人で過ごしたあの頃本当にナルを求めて泣いたのではないだろうか。ジーンの名を呼び手を伸ばしたのではないだろうか。いや、自分は家族を求めては行けないと思って一人になったやつだから、泣きもせずに一人で耐えたに違いない。
きっと、あの美しい稲妻で、実の母とジーンを傷つけてしまった事の方が、辛かったのだ。
入院したときに聞いてもはぐらかされた理由は今ならよくわかる。そりゃ、言いたくないわ。
そんな力がなけりゃあ、は母親と暮らしていられたのだろう。ナルとジーンには出逢えず、ジーンは事故死していたかもしれないし、坂内もあのまま自殺していたかもしれない。それでもは何も知らずにただの子供として生きてこられた。だが選べたとしても、母親と決別し、一人きりで暮らす日々があるこの人生をは歩むに違いない。そんな奴だと俺は思う。
がイギリスに帰る日、俺たちは空港に見送りに行った。
「ばいばいみんな」
ひらひらと無表情で手を振りゲートをくぐって行ってしまったの背中をほんの少し皆で見ていたが、奴は一回も振り向きやしないのですぐに視線を他へやった。
の送別会ということでナルとリンも無理矢理連れて飯は食ったので、あとは帰るだけだった。
「んじゃ、帰りますか」
声をかけると異論のある者は居らず駐車場に向かって歩き出したが、珍しくナルが口を開いた。
「よかったのか」
「ん?」
何の事だか分からず、俺は首を傾げる。前を歩いていた麻衣や綾子も訝し気に俺たちを振り向く。
「メルの能力。ぼーさんなら、何かしら聞いて来ると思っていたが」
「あ〜一度はぐらかされてるしなあ」
首をかきながら溜め息を零すと、ナルがシニカルに笑った。
「俺はをつつける自信がねえ」
「どーゆーコト?」
麻衣がこてんと首を傾げた。
「いろいろあったんだろ。それを本人に話させたかぁないのよ、おじさんは」
「今更どの口が言ってんのよ」
綾子が呆れていたが、それはいわないでえとふざけておく。
には秘密がいっぱい詰まってる。その中身はきっと悲しいものや辛いものばかりだ。はそれを、平気な顔して言うか、はぐらかすのだろう。俺はそんなことをさせたくない。そして秘密を暴いてしまったら、がどんどん小さくなって消えてしまいそうで怖いってのもある。奴は秘密を纏って生きているのだ。
「しかしなあ、原理が気になるから博士の講義が聞きたいなあ〜、なんて」
手を合わせてすり寄ると、ナルはふんっと鼻で笑った。
あんまり話す気は無さそうだ。俺に話を振っておいてそれは酷いと思う。
また他愛ない話をしながら歩き始めた前の連中をぼんやり見ながら、ぽつりとナルを呼ぶ。今度は麻衣達が気づかないくらい静かに。
「霊の所為なのかもしれんが……が泣いて縋ったとき、お前さんが居て本当に良かったと俺は思うよ」
「———」
ナルはほんの少し目を見開いた。
ナルとジーンは、に大事にされていて、に求められていて、多分、すっげえ愛されてる。それはなんだか、すごく羨ましいものだった。
「だからまあ、俺たちはちっとばかし寂しいが……さっさと研究終わらせて家族の所に帰ってやんな」
ナルはお気遣いどうも、と素っ気なく返しながら一足前を歩いて行ったが、いつもよりほんの少し柔らかい声だったような気がしなくもない。
「早く帰らないとが日本の高校に入学してしまいますよ」
どんな顔をしてるのかのぞいてやろうと思ったのだが、付け加えられたリンのリアルな予報に笑ってしまい、俺が見たときにはナルの顔はすっかり呆れた表情に変わってしまっていた。
Oct.2014