Ashputtel 08
リンはナルと同じく結構な無表情だったが、荒々しい感情を持っている。というか、日本人が嫌いで子供が苦手で大人げない。一応そういうのは滅多に公言はしていないとけど、人に対する素っ気なさはナル以上だ。
麻衣に背中から抱きつかれて負んぶ状態になっている様子を見ながら、リンがどのくらい我慢できるか若干はらはらした。
俺の時は子供だったとはいえ、無邪気に振り回したことはないから大丈夫だったが、今の麻衣は本当に子供で、甘えん坊だからリンが耐えられるとは思えない。
「ケンジ」
リンにしがみついているケンジの背中をぽんぽん叩いてなんとか気をそらそうとする。一応ケンジは俺の事をちゃんと見てくれた。同時にリンが縋るように俺を見る。
「お父さんにケンジのお気に入り教えてあげよう」
「お気に入り?」
ケンジはずりずりと背中から降りたので、リンはスーツを整えながら疲労の浮かぶ顔で首を傾げた。
「お気に入りの本があるんですよ……それくらいなら付き合えますよね?」
結局付き合わなければならない事に肩をおとしたが、相手をさせられるわけではないことにほっとしたように溜め息をついた。
走っていったケンジは、絵本を持ってすぐに俺たちの所に戻って来た。本を読むときはいつも俺の膝に座っていたけど、今回は迷わずリンの膝に座られて、やっぱり俺のお姉ちゃん株は大暴落していた。
「ケンジ、それじゃあ私が読んであげられないよ」
俺が読んだらケンジに絵が見えないし、ケンジが見てたら俺が読めない。絵本をつつきながら知らせると、ケンジはきょとんとしてからにこにこ笑って、リンの反対側の膝を叩いた。いくらリンが大きくて俺と麻衣が小柄とはいえ年頃の女の子二人を乗せられる程リンは我慢強くない。
「……しょうがないなあ、ちょっとすいませんね」
「えっ」
もちろんリンが可哀相なので足の上に乗る事はしない。リンにぴったりとくっついて座り、ケンジを半分俺の体の上に乗せた。そして絵本を開いて反対側のページをリンに持たせる。
「英語の絵本、ですか」
「ケンジは読めないから、私に一度持って来た事があって」
英語と日本語どっちもで読み聞かせてあげたら、ケンジが喜んで英語の本を持ってくるようになったというわけである。
そんな事を説明すると、リンは少しだけ興味を持ったように俺を見た。
「読めるんですか?」
「……もともとの言語はこっち」
俺は以前日本人として生活していたから、喋っている分には日本人だと思われる程に日本人の振りは上手いと思う。
しかしよく見れば、外国人であることはたしかだ。顔の作りは変えられないので、黒髪と茶色の瞳でなんとか衝撃を和らげてはいるが、やはり日本人とは違う顔の作りをしている。リンもそれに気づいたのか納得したように頷いた。不躾にじっくり見るような真似はしなかったが、以前の俺と似ていることには気づいたかもしれない。
ケンジが急かすので、俺は絵本の読み聞かせを始めた。絵本を読んでいる途中で周りに他の子供達も来ていて、読み終わった頃にはリンも俺も絵を覗き込む子供に囲まれていた。
ぱたん、と絵本を閉じると、もう一冊と強請る子や、外に遊びに行こうと言う子もいた。でも俺は今日ケンジとリンから目を離せないので適当にあしらうしかない。
今まで俺とリンの間で大人しくしていたケンジは、すぐにぱっと立上がってリンの手を掴んだ。匂いを嗅いでいるそぶりがあったので、おそらくケーキの香りを嗅ぎ付けたのだ。
「いいにおいがするね、ケンジ。キッチンに行ってみようか」
走って行こうとするケンジをやんわり引き止めて反対の手を繋ぐ。ケンジはこくこくと頷き、俺とリンを少し引っ張りながらキッチンに向かった。
滝川とジョンも何かあったときの対処係として、後ろを一緒についてくる。
「しかしまあ、見慣れてくるといい親子じゃないの」
「……私は何に見えるんでしょうね」
滝川の呟きに振り向いてから、リンをちらりと見る。俺は麻衣より小さくて、実年齢も子供だから、どちらなのだろうと純粋に疑問だった。
私には分かりかねます、とリンは顔を背けてしまう。
「そりゃ、お前さんがお母さん。リンがお父さん。んで、嬢ちゃん……じゃなくてケンジが子供」
「リンさんの奥さん?」
リンがびくっとした。お母さんではなく奥さんとリンに向けて言い直したのはちょっとした嫌がらせだった。でもこれ以上言うとリンのストレスが爆発しそうなので滝川の笑い声をBGMに黙って歩くことにした。
キッチンへいくと、真砂子と綾子がおばさんのケーキ作りを手伝ってくれていた。
「すみません、手伝わせてしまって」
「いいんですのよ……麻衣さんとケンジくんを見ていただいてるんですから」
真砂子は淑やかに笑い、綾子もいいわよと笑った。
「ケーキ屋さんだなあ」
滝川が子供向けな感想を漏らし、ケンジはそれを聞きながら目を輝かせた。
ケーキを包む作業を子供と俺たちで手伝う事になって、俺は勿論ケンジとリンと一緒に作業をする。
リンはケンジからやり直しをくらったり、キラキラした笑顔で見られることに辟易しており、終わった頃にはもうぴりぴりしまくっていた。
「後片付けはやっておくから遊びに行って良いぞー」
滝川がそう言うと、子供達は一斉に部屋の外に飛び出して行って、ケンジもリンの腕を引きながら走ろうとする。その時リンはとうとうケンジの手を振り払った。
「いい加減にしてください!」
我慢の限界がきちゃったらしい。これ以上リンが何かを言う前に、背中に飛びつき口を抑えた。リンが慌てて言葉にならない声を上げる。唇に掌を密着させてやればこれ以上口を開けない。下手したら俺の手が口の中に入ってしまうからだ。
「落ち着いて、我慢して、頼むから」
耳元で静かに嗜めた。
「何をやってるんだ?」
そのとき、ドアから入って来たのはナルだ。俺がリンの背中に飛びついて口を抑えている光景に顔を顰めた。
「我慢の限界のようです」
「とりあえず手を放してやれ」
「怒鳴らない?」
ナルと、リンに問う。リンは小さく頷いたので、俺は手を放して、背中から降りた。
「ケンジがショックを受けて隠れてしまったら……どうするつもりだったんですか?」
「大人げない」
俺とナルの二人でちくちくリンを刺すと、リンは口を噤んで黙り込んだ。
すぐ後ろにジーンも居たらしく、麻衣は遠慮がちに彼の後ろに隠れてリンの様子を窺う。
ケンジはあの頃に戻りたい。そして、見つけてほしい。そう思っているから隠れる。
ジーンとナルが説明しているとリンも段々冷静になって行く。訳もわからず子供の相手をさせられるより、早めにリンが居る事の理由をちゃんと説明してあげるべきだった。そのくらい察してくれても良いと思うけど、リンは人見知りだから無理だったのだろう。
一種の同情と、大人げなく怒りそうになった後悔を感じたのか、リンは静かにケンジを見下ろした。ケンジはおずおずとやって来てリンの手を繋いだが、リンはそれを振り払わなかった。
「ケンジくん」
ジーンが優しく呼びかける。
「彼は君のお父さんじゃない。君のお父さんは、天国に居る」
今度は、寂しそうな声色だった。
「君は、どこにいる?」
静かな低い声が、ケンジに問う。ケンジは最初は意味が分からないと言う顔をしていたが、次第に落ち着いて来る。そして、リンと俺の手を引いて、外に連れ出した。ナルもジーンも、他のSPRの人達も続いてやってくる。
教会から出て、外観を見上げたケンジは、すっと指を差した。遥か高い場所にある、石像の隅に、小さな髑髏が見えた。声にならない言葉が吐息と共に零れた。他の皆も見つけたようで、皆一様に神妙な顔つきをしていた。
ケンジは、リンの顔をじっとみてから、手を放した。すると俺の方にすり寄ってぎゅっと抱きしめる。リンがお父さんではないと理解したのだろう。
「ケンジ?」
「おね、ちゃ……」
温かい頬に手を当てる。俺の手はちょっと冷たいけれど、ケンジはそれを避けなかった。
「今まで見つけてあげられなくてごめんねケンジ」
ふるふると首を振る。
「上では本当のお父さんが待っているから、今度こそ一杯甘えておいで」
俺の手を、ケンジがきゅっと握る。
もしかして、俺との別れも惜しんでくれているのだろうか。
「いつか、ケンジとお父さんに会いに行くから……そしたらまた本を読もうね」
ちょっとだけ背伸びして、麻衣の額にキスをした。俺が元々男だとか、麻衣の身体だとかは別に気にしていなくて、ただケンジに別れのキスをと思ったのだ。
ケンジはこくんと頷いて笑う。それから、ナルとジーンにも目をむけてからありがとうと言って、麻衣は意識を失った。
滝川に抱きとめられた麻衣を見てから、ジーンが見ている上を向く。やっぱり俺には霊は見えないけど、きっとのぼって行けたんだろうなと思う事にした。
その後俺はミサの手伝いに戻り、眠ったままの麻衣にはリンがついていることになった。
まあミサの手伝いするよりは良いだろう。
ミサ中に少し抜け出して、紅茶を入れる。ポットとカップを二つもって麻衣の眠る部屋を訪れれば、まだ麻衣は眠っていた。
「お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
カップに紅茶を入れてリンに渡す。すやすや眠る麻衣を見下ろして、髪の毛を少し撫でると、麻衣は気持ち良さそうに唇を食む。
「飲まれないのですか?」
「え?ああ、これは麻衣ので……でも眠ってるから飲んじゃおうかな」
珍しくリンが声をかけてきたので、椅子をベッドの傍に引き寄せて座った。
しかしリンの言葉はそれ以上続く事は無く、暫く静かに紅茶を飲んだ。すると、もぞもぞと麻衣が目を覚ましたので、俺は紅茶を飲み干して椅子から立上がる。麻衣の分のお茶を持って来るというと、麻衣は大丈夫だよと断った。
「ケンジくん、クリスマスに間に合ったんだ」
窓ガラスに写る、麻衣の寂し気な顔を後ろから眺めた。リンも同意するように小さく微笑している。
「この親子も見納めかあ」
帰り際、滝川がふざけて笑うと、リンは誰とも視線を合わせないようにそっぽむいた。麻衣はあんまり意味が分かっていないようで何だと首を傾げている。
「つれないダーリンでした」
表情を変えずに言うと、滝川が笑った。ジーンも笑うかと思っていたんだけどナルと同じように微妙な顔をしてリンを見ている。
リンは細々とした声でやめてくださいと嘆き、俺は追い打ちをかけるようにハニーってよんでもいいんですよとからかう。今日一日、リンの我慢レベルが子供並な所為で大変だったのだから最後くらい目一杯おちょくらせてもらった。
「私は実家に帰らせてもらいますからね……お元気でさようなら」
もう実家の前だけど、と後付けすると滝川が噛みしめるように笑いを堪える。
「上手いな嬢ちゃん!そーだ、お前さんもクリスマスパーチーに来いよ」
「え」
「今日一日働き詰めだったんでしょ?夜くらい自由にしてもいいんじゃない?」
綾子も滝川に続いて貰い物のケーキを掲げて笑う。
「もおいでよ!」
「賛成!」
加えて、ジーンと麻衣が言った。
ナルはご勝手にと言っているし、他は歓迎ムードである。
「家族と過ごすから……ごめんなさい」
その和やかな雰囲気と、歓迎ムードを取り払うように俺は断った。
一様に残念そうな、けれど納得したような顔をして、彼らは笑う。俺が普段一人で暮らしている事も、教会が実家なこともわかっているからだ。
Dec.2014