harujion

Mel

Mellow
(坂内視点)

夏休みは補習授業尽くしだった。お盆中とほんの数日ばかりの休みがあるばかりで、僕の高校一年生の夏は終わろうとしていた。
勉強詰めな毎日からようやく解放されて、残りわずかな夏休みをどう過ごそうかと考えていた。昨日は友人達と久々に遊び、明日は家族とでかける予定だった。

———そうだ、海へ行こう。
無難な提案だけれど、それも良いと思った。

千葉の海は、お世辞にも美しいとは言えないものだったけれど、海水浴場は賑わい活気づいていた。海の家や屋台などがいくつか出ていて、静かな海も見たいが、こういう騒がしい所も見納めだと思い感じておく事にした。
昼を少しすぎた時間ではあったが人は途切れる事無く海の家に並び、銘々に食べたい物を頼んでいる。僕も小腹がすいたので、その列にぼんやりと並んだ。前に並んでいたのは大学生くらいの男性三人組で、後ろに並んで来たのは親子連れだ。
「ご注文はお決まりですか?」
スムーズに客をさばくためか、列に並んでいる客に既に店員は注文を聞いていた。ちょうど前の男の人達が聞かれていたので視線を向けると、店員である少女の、まぶしいくらいのプラチナブロンドが目に入った。日本人離れした顔立ちと肌色をしていた為に、髪色が天然のものだとすぐに分かった。
「お姉さん、外人さん?」
「そうですよ」
「へー、日本語うま!」
「ありがとうございます」
礼儀正しく控えめではあったが、尻込みしたような感じは無く、淀みない喋り方。男三人に軽く絡まれても、業務用と思しき微かな笑顔を絶やすことはなかった。
その後、彼女は僕の所へやって来た。先ほど前の客にかけたのと何ら変わりない問いかけをして、僕を見ているのだが、僕はついぼうっと彼女を眺めてしまった。
「あの?」
「あ、えと、まだ決まってません」
「そうでしたか、こちらがメニューです」
慌てて取り繕ったはいいけれど、まだ僕はメニューを決めていなかった。すると、少女はラミネートされたメニューを僕に差し出す。
そして後ろに並んでいた家族連れにも同じ物を渡して、時間をおいてまた来ますと去って行った。
そのとき彼女のピアスがきらりと光ったのが見えた。

後ほど来たのは別の店員で、僕はあの物珍しい少女が見られないのがなんだか残念に思った。
座席の方で働いている彼女は、離れた所からでも目立った。それは勿論、髪色の所為だろう。すれ違った人の中には、外人の店員が居たと話題に出している人もいて、良い客寄せとなっていることを理解した。

日が沈むに連れて、海は人がまばらになった。
僕は砂浜からは離れた場所の木陰に座り、ずっと波や空の様子を眺めていて、ほとんど何もせずに過ごした。けれど退屈ということはなかった。自分の考えに浸り、重たい気持ちを凪いでゆけるきがした。
それでも僕の現状はどうにもならないのだろう。
「ここ、いいですか?」
「え」
不意にかけられた声に、顔を上げる。長い事ぼうっとしていた所為で、近くに人が来ていることに気がつかなかった。
「あ、どう、ぞ……」
「どうも。いいね、ここ……涼しくって」
僕を見下ろしていたのは、海の家で働いていた少女だった。先ほどは黒地に白で店名の書かれたTシャツ姿だったが、今はベージュのカットソーを着ていた。多分、シフトが終わったのだろう。
ふう、と小さく息を吐きながら傍に座った彼女は思いのほか小柄だった。
「お店の残り物貰ったんだけど、飲む?」
「え」
「もう長い事一人で居るでしょう、具合悪いとかじゃないんだよね」
灰色の眸が、僕をじっと見ていた。
接客中とは違いあまり表情がないけれど、僕を気にかけてくれていたことはその言葉の端から窺えた。
渡された缶ジュースを、つい受け取ってしまったので、視線をそちらに向ける。
「具合……悪い訳じゃないです」
「でも、海水浴場に来るような顔じゃないよね」
小さく笑った彼女は自分の缶ジュースを開けていた。炭酸のようで、しゅわしゅわと音を立てる。
皆水着や薄着で、楽しそうにメニューを選んでいくなか、僕だけはどこか雰囲気が違ったらしい。確かに僕の格好は海を楽しみに来た格好でもない。スニーカーだったことが一番目を引いたのかもしれない。足元を見下ろすと、同時の彼女のビーチサンダルを履いた小さな足が目に入る。本当に小さくて、真っ白だ。
「てっきり、死にに来たのかと思った」
「……!」
持っていた缶ジュースがちゃぽん、と音を立てた。
今すぐ死のうと思った訳ではなかったけれど、概ね彼女の言葉は当たっていた。
彼女の細い喉は、嚥下の度に揺れる。
静かな声に言い当てられて、僕はこんなにも動揺していたのに、彼女はふうんと僕の様子を横目で見るだけだ。
「失恋とか?」
「!違います!」
なんだか、ちっぽけな物の様に扱われて、急いで返事をする。彼女はごめんと小さく笑った。
「見送ってほしい?慰めてほしい?聞いてほしい?」
一夏のアバンチュールってことで、と何の気なしな声は優しく囁いた。彼女は天使なのか悪魔なのかわからないけれど、甘美な響きを孕んでいるそれに僕はあっさりとすがりついた。
「……助けてほしいです」
「辛かったんだね」
いいよと言いそうだと思っていたが、無責任に頷く真似はしなかった。けれど、すぐに僕を見て、微笑んだ。先ほどまでよく零した笑みや、接客のときのほんの少し明るい笑顔とは違う。目がとろけるように弧を描いて、眸の奥に優しさが揺れている。

「嫌な学校だな……」
話し終えたあとに、彼女はぽつりと呟いた。
べこべこ、と缶を潰して弄ぶ、その表情は変わらない。
どことなく淡白な印象を受けるし、親身になってくれているのかはよくわからない。何故、僕はこんなところで彼女に泣き言を漏らしていたのだろう。でも彼女は僕を見つけてくれたから、そうしたかったのかもしれない。
「高校なんて辞めたらいいのに」
「……頑張って入った学校、だし……親も期待してたし」
「頑張って入ったのは死ぬため?親は学校に行かないなら死ねと言ったの?」
ぐっとおしだまると、彼女はとても深く息を吐いた。
「そんなわけないのは、わかってるよ。それでも学校が嫌で死ぬ子供が居るのは、死ぬ方が楽だからだし、闘えと言われても困るからだね」
また、言い当てられてしまった。
僕は学校が嫌で死ぬのではなくて、人を殺す程の覚悟を持って死ぬつもりだった。あの男を殺す手立てを考え、見て楽しむ為に、死ぬつもりだ。でも彼女に説明しようとして出て来た言葉は、ただの弱音だけだった。
それはたぶん、僕があの男を殺すことを言えなかったからだ。
助けてほしいと言った癖に、生きようと思えない。ただ、今は彼女に隣に座っていてもらいたかった。

「そういえば名前は?」
「へ」

今までしていた重たい話が嘘みたいに、けろっとした顔で尋ねられた。
彼女は東條さんというらしく、東京に住む高校三年生だった。僕よりも二つも年上だということに驚いたが、態度は大人びていたため納得した。
僕も緑陵高校に通っている一年生だと答えれば、近隣でも進学校として有名だった為にああと納得された。
「助けてほしい時……そうだな、死のうと思った時がいいかな」
立上がりながら、東條さんは僕を見下ろした。
ふわりと髪の毛が風に舞う。

「死ぬ前に電話入れて」

そう言って東條さんは僕に一方的に連絡先を押し付けた。メチャクチャな人だったなと思ったけれど、僕はなんとなくその連絡先を携帯に登録した。
九月に入って、僕は呪殺の準備に取りかかった。所属する美術部と、同級生たちに流すとたちまち僕の発案したヲリキリ様は校内に広がる。真ん中に憎きある男の名前が入っている事など、誰も気がつきはしない。みんな挙ってあの男を呪う儀式をして、殺すために神社の下へ隠しに行った。
これでいつか、あの男、松山は死ぬのだろう。僕の心をずたずたに引き裂いて、踏みにじった松山が、むごたらしく死んで行く。そう思うと嬉しくてたまらなかった。
霊の蟲毒が完成されるのを、霊になって見てやろう。いっそのこと、僕が呪い殺してやろう。そのくらいの意気込みで、夜まで学校に隠れていた。屋上でぼんやりと日が暮れるのを待ち、夕暮れを見ていると、あの海で出逢った彼女の事を思い出した。
東條さんはちっとも相談には乗らなかった。勿論僕もそれを望んでいたわけじゃない。助けてと縋ったって、僕は死ぬつもりで居たのだから彼女にはどうすることも出来ないに決まっていた。それでも、不思議な雰囲気の少女が最後に残した言葉が気がかりだった。
学校にはすっかり人が居なくなり、星や月が出て来るくらいに空は真っ暗になった。携帯で時刻を確認すれば、もう八時をすぎている。
指先は勝手に携帯を操作していて、アドレス帳を開いていた。
『もしもし?』
そして、気がついたら僕は東條さんに電話をしていた。彼女は思いのほかすぐに電話をとった。
初めて電話をしたから、彼女の携帯に僕の名前が記載されることはないはずだが、誰だろうと思う間もなく出たのだろうか。
「東條さん?」
『……坂内?……今何処に居るの?』
少し考えてから僕の名前を言い当てて、すぐに僕の居場所を聞いた。
死ぬ前に電話を入れてって言ったのは、もしかしたら止めてくれるつもりだったのかもしれない。でも、僕はもう屋上に居るし、電話を切ったら死ぬつもりで居た。
東條さんに電話をした理由は、よくわからない。話しをした理由もそもそもよくわからないのだから、死ぬ前に声を聞きたかったという理由も、深く考えない方が良い気がした。
「学校の屋上です。助けてくださいって言ったのは……気にしないでくださいね」
『でも』
「あなたに会えて良かった」
ぽろりと言葉が零れた。
電話の向こうの彼女は無言だ。
彼女の存在に救われた訳ではなかったが、彼女と出逢えたことは奇跡で、死ぬ前の良い思い出になった。
一目惚れだったのかもしれない。でも、それを口にはしない。だって僕はもう死ぬから。
「ありがとう、さようなら」
最後に聞く声が、東條さんの声で良かった。
僕は返事を待たず、電話を切った。鞄と、携帯を地面に置いてフェンスを登る。何の遮りも無い高い場所に立つと、高揚感が沸いた。それから、ほんのわずかに怖じ気づく。
靴を脱いで、揃えて置いた途端、もう一つローファーが目に入った。そこからは、黒い足が伸びている。
えっと思いながら顔を上げると、セーラー服を着た東條さんが僕と同じ場所に立っていた。
プラチナブロンドを夜風に靡かせ、薄く微笑しながら、僕を見下ろしているのだ。
「な、んで」
「助けに来たよ」
腕を掴まれたと思ったら、ぱちんと何かが弾けるような音がした。そして内臓が掻き混ぜられたような気持ちの悪さと、浮遊感。落ちている、と思った。

どぽんっ、と音がした。

水の中に落ち、大量に水を呑み込んだ。塩辛いそれは、海水だろう。
何故、どうして、どうやって。夢を見ているみたいだ。
気がついたら、必死で誰かにしがみついて、呼吸していた。言わずもがな、僕がしがみついていたのは東條さんである。
「はぁ、はぁ、はっ、ごほ」
「げほっ、うえ……しょっぱいね」
学校の屋上から、どうやって海に来たのか全くわからない。けれど、僕は確かに今海水に浸かっていて、しっかり水を飲んでいるので気分も悪い。ひんやりと冷たい水も、波がたぷたぷと揺れる音も、リアルだ。
東條さんも多少咽せてはいたが、僕よりも水を飲んでいないようで平静を取り戻すのは早い。ならば、彼女が此処に連れて来たのだろうか。だから、海に落ちる事も分かっていて、今も軽く笑っている。
「頭、冷えた?」
未だに声を出す元気は無い。
それでも僕は、浜に向かって、生きる為に、歩いていた。
学校で死ななければ意味がないとか、東條さんを連れたまま死ねないとか、そんな理由も無く、生きる為に身体は動く。
首までたっぷり浸かっていた海水が、お腹まで下がって来たあたりで、ようやく東條さんの方を冷静に見る。
華奢な体躯と、わずかに膨らんだ胸、細いウエストの形がよくわかる。髪の毛はぺったりと身体に巻き付いていて、ぽたぽたと垂れる滴は月の光を反射して輝く。
恥ずかしさに目をそらすことなく、綺麗だと眺めてしまった。
「どうして、ここに?」
そもそも、どうやって学校に来たのかわからなかったが、言葉短く彼女に問う。
「助けてほしかったんでしょ?」
「それは……そうだけど……今自殺を辞めたって、僕は助からない」
「じゃ、どうしてほしい?言ってみて」
「……わからないんです」
「なら死ぬ前に毎回電話をしたらいいよ、こんな風に海に突き落としてあげるからさ」
「そういうことじゃないです!」
海の中で、足を止めた彼女と同様に僕もまだ海の中だ。
東條さんは呆れたように呟いて髪の毛を掻き揚げた。月みたいに光ってる綺麗な髪の毛を、ほんの少しうっとりと眺める。
「あのさ、なんで助けてほしいのに死ぬの?」
「僕は……本当は、助けてほしいわけじゃない」
既に乾いて来た顔に濡れた手で触れる。
「人を恨んでるんです。その人を呪い殺す為に死のうと思っています」
「まつやま、だっけ?」
僕は項垂れるように頷いた。
「それこそ、生きて見届けないと。相手が不幸になって行く様を見て喜べるのは人間だけだよ」
「霊になって……」
「霊になっても幸福感は得られない。満足感もない。だって死んでるんだから」
不意に零した僕の願望を訝しむ事無く、東條さんは否定した。
「どうして、そこまで僕を止めるんですか?……たかだか一度会っただけで……確かに僕は助けてと言ったけれど」
「私が死にたくないから」
「え?」
東條さんは首に張り付く髪の毛を指でよけながら、苦笑した。
「生きたい。だから、生きていてほしいんだよ」
濡れた手が、僕の頬に触れた。ひんやりとした小さな手だった。
「たった一度でも、会って話した人が死にたいと言ってたら心が痛む。それくらい、生きることは、素晴らしいことだと私は思ってる」
坂内も死にたいと思っていなかったらそうだと思う、と彼女は付け加えた。
また、東條さんは微笑む。
とくん、とくん、と胸が弾んだ。
僕は彼女の前だと、こんなにも生きる事に積極的になれる。
———好きだからだ。
たった一度会っただけの僕を助けようとしてくれたように、僕はたった一度会っただけの彼女が好きだ。
東條さんがたとえ僕を好きではなくても、僕が死んだら悲しむのなら、僕はもう自分の命を絶てない。
もう後戻りができない。
呪いも、彼女への思いも、止まる事は無い。
涙がぽろぽろ零れて来た。すると、東條さんは僕を抱きしめてくれた。
僕は小さくて柔らかい少女に縋り付くように抱きついて、嗚咽を漏らした。
好きですと言ったら、彼女は傍に居てくれるかもしれない。けれどそれは彼女を殺す事になりそうだからやめた。

東條さんは瞬間移動能力を持っていた。僕は超心理学分野が好きだったからすごく興奮したし、彼女の家にまで一瞬で連れて行かれたときはもっと驚いた。現に学校や海に連れて行かれていたけれど事前に知っていたのと知っていないのでは感動が違う。
着替えを済ませてから東條さんはわざわざ僕の鞄と靴をとってきてくれて、携帯電話を渡された。家族には今日は友人の家に泊まると言えと言われて、僕は思わず瞠目する。
「なに」
僕の動揺に、東條さんは首を傾げた。
「え、と、泊まるって」
「さすがに送ってく元気ないし……泊まりなようちに」
「ええ!?」
東條さんは一人暮らしらしい。だから親の目を気にする事は無いと言った。
一人暮らしの女の子の部屋に泊まるなんてと、僕は尻込みした。でも、僕が帰ると言ったら彼女は心配するし、無理にでも送ろうとするだろうから、家には嘘をついた。自殺以上に後ろめたくて、電話を持つ手が震えた。

その夜僕らは、沢山話をした。呪いのことを深くは言わなかったけれど僕が超心理学に興味があることや、ゴーストハンターになりたいという夢の事。東條さんは馬鹿にせず聞いてくれた。一方で東條さんは、自分が孤児で今までは教会に世話になっていたことや学校の話をしてくれる。
不意に、これからどうしようか、と彼女は呟いた。僕を見捨てるという選択肢はないらしく、一緒に考えてくれる東條さんがとても愛おしく思えた。
「最終目標は学校を辞めることだけど、その前にご両親にちゃんと言わないとね」
「……」
タオルケットを、きゅっと握る。
ちゃんと洗濯されている、僕の家とは全く違う洗剤の香りが鼻孔をくすぐった。
「死ぬ事程容易く得られる救いはないよ」
黙っていた僕に、東條さんは口を開く。
驚いた事に、死ぬ事を救いといった。逃避ではなく。
「だから死を選ぶ人は絶えないんだろうね」
まるで自分が自殺をしようとしたことがあるみたいな言い方だった。僕はそこを突き詰めて聞く事はできない。
彼女が泡になって消えてしまいそうだったからだ。

付き合いの浅い彼女に救いを求めるのも、一番残酷である死を選ぶのも簡単なことなのに、身近な信頼する両親に弱音を吐くことは容易ではなかった。けれど僕の泣きはらした目と、東條さんの真摯な説得を聞いて、両親は僕を抱きしめてくれた。
二人に抱きしめられている中、背中にあてられた東條さんの手はとても優しかった。







ひとなつの……
Dec.2014