03
エイジがある日、大金を一括で相手に渡すにはどうしたら良いかと尋ねて来た。
担当編集である雄二郎は、唐突な話題に何も考えること無く、振込では駄目なのかと返す。一日の振込上限額は銀行によって多少変動はあるがおよそ百万円だ。
「格好良く、一千万円くらい渡したいんですケド」
「いっ、せんまん?一回で?誰に!?」
ようやく、雄二郎はことの重大さとエイジが本気だということに気がついて、拾っていた原稿をばさばさと落とした。今までただの緩いやり取りだと思っていた福田と中井も、思わずペンを止めている。
動きを止めていないのは、エイジのみだ。彼はやっぱり原稿から目を離さないし、ペンを置かない。
「どぎゃーん!……家族、というか弟にあげるんです」
「なんだ実家か……いやでも、毎月仕送りもしてるじゃないか」
「おいおい、新妻くん、だからって一千万も弟にやるってどういうことだよ」
雄二郎は取り敢えず、エイジが詐欺に引っかかっていないと分かってほっとした。一方福田は冷静に、エイジが弟と言ったことを指摘した。
「その方が格好良いじゃないですか、しゅぴーん」
「理由を聞いてるんだって!いきなり一千万円渡しても格好良い前に変人だろ」
あ、そうか、なんて言ってエイジは描き終えた原稿を床に置いて、ようやく手を止めた。そして、スウェットに刺さっている羽ぼうきを摘み出して、羽を指先でなぞる。
「病気を治してあげるんです」
「!!……それってまさか、心臓?」
雄二郎は思い当たって、呟いた。何故かと言うと、弟をモデルにしているLITTLE CROWには心臓が無いからだ。
福田も中井も、アシスタントをしているのだから話の内容は知っている。今まさに、LITTLE CROWの心臓を取り戻す為にCROWが戦っている。
その事実と、エイジの気持ちに、雄二郎は不覚にも泣きそうになった。
そして福田はもう既に泣いていた。
つまり、エイジは物語の中でCROWがLITTLE CROWを救うと同時に、弟を格好良く救いたいということなのだ。
そんなやり取りをしてから、半年以上が経ったころ、エイジのマンションの前で雄二郎は一人の少年と出会った。
見覚えのあるその姿を、ついまじまじと見つめてしまい、少年は眉をひそめた。
「LITTLE CROW?……あっ、いや、すいません」
「よくいわれます」
表情の変化が乏しく、クールで、遠慮のないキャラクターであるLITTLE CROWと、彼は態度や風貌があまりにも似ていた。
ただし、LITTLE CROWは十歳前後の子供で、目の前に居た少年は高校生くらいの見た目だが。
「もしかして、弟くん?」
「……あ、担当さん?」
互いに、一度だけ顔を合わせていたことと、会話の内容を考えればそう行き着く。
雄二郎のことを思い出したらしいは、無愛想な表情からうってかわって、目元を和らげて微笑を浮かべた。作中で滅多に笑わないLITTLE CROWの貴重な笑顔を垣間見た気分で、どきっとする。
「いつも兄がお世話になってます」
「あ、いえいえこちらこそ」
「今日は原稿取りに来たんですか?」
挨拶をし合ったあと、エレベーターに一緒に乗り込むと、から先に声を掛けて来た。全くその通りであり肯定すると、少しエイジと会話をする余裕があるかと尋ねられた。エイジはかなりの速筆で、数日前に進行を見た限りでは忙しくない。
「大丈夫だよ!……あ、その、具合はどうだい?」
「おかげさまで、もうすっかり良くなりました」
子供みたいなエイジとは真逆で、はやけに大人びていて、雄二郎は少しくすぐったい。
たしかにLITTLE CROWもクールだったけれど、ここまできちんとしている印象は無かった。おそらくそれは、エイジがここ数年にまともに会っていないからと、の外面の所為だろう。
「お疲れ、新妻くんにお客さんだよ」
「お疲れさまです」
雄二郎はいつも通りエイジの居る部屋に入って行く。アシスタントの福田や中井もいつもの調子で挨拶をしたが、雄二郎の言葉と、ドアの傍で立っている人物に気づいて、手を止めた。
「お客さん?誰ですー」
エイジは家の中に居るとは思っておらず、顔を上げないし、手も止めない。
これはいつものことである。
はどうやらエイジに今日来ることを伝えていなかったらしい。
「エイジ、俺のヒーロー。—————心臓をありがとう」
は忙しなく手を動かし続けるエイジの背中に投げかけた。
紡がれたのは、LITTLE CROWが心臓を手に入れた時にCROWに言ったセリフだ。呼びかける部分はもちろんエイジではなくCROWとなっている。
雄二郎はそのセリフに鳥肌が立った。
作中でもこのシーンは感動的なものだったがLITTLE CROWであるが本当に言っているのだから言い知れぬ迫力がある。
「っ!」
エイジはペンを動かすのをやめて、勢い良く椅子から飛び降りてに駆け寄った。
そして、しがみつくように抱きついて、を押し倒した。
「いだっ」
「うぅー!」
板の間に腰を打ち付けたは思い切り痛がったが、エイジは気にとめずにの肩に顔を埋めている。
「病み上がりの人間になんてことすんの……」
クールに呆れて見せただったが、エイジを引きはがす様子は無く、背中を優しく撫でていた。
雄二郎はの体調を心配してエイジを引っ張ったが、離れそうにない。
「新妻くん、そろそろ離れて」
「雄二郎さんそれは無粋っすよ!新妻くん格好わりーけど最高に格好良いーぜ!」
相変わらず情に厚い福田は、感動して雄二郎を止めた。もちろん雄二郎だって、エイジの気持ちも分からなくもない。CROWがLITTLE CROWの為に戦う姿を見て来たのだから。
「すいません仕事の邪魔をして」
「いや、大丈夫だけど」
エイジにされるがままのは、雄二郎たちを見上げて律儀に謝罪するが、とりに来た原稿は出来上がっているので問題はないのだ。
「エイジ、ヒーローは格好良く握手してくれるんじゃないの?」
作中ではCROWとLITTLE CROWは手を取り合って笑い合うだけだったことをは言っているのだろう。
の首筋でエイジの頭がもぞりと動き、ゆっくりと離れた。そしての上から退いて少しインクに汚れた手を差し出す。は満足そうに笑ってその手に掴まって立ち上がった。
書きたいシーンや設定をもうほとんど書いてしまった。
Dec.2013