春の蕾 20
信介がレギュラーユニフォームをもって帰ると、おばあちゃんはとても喜んでいた。もちろん、昨年俺がレギュラーになったときもだ。
神さんにお礼を言いにいかないと、とお供え物を準備しはじめたので、夜道が心配だったことと夕飯の支度があることから俺と信介でその役目を引き受けた。
外に出るとすっかり暗くて、人気もなかった。
街灯が離れた場所にぽつぽつ佇み僅かばかりの範囲を照らす。
「おばあちゃん、今日の夕飯なんて言ってたっけ」
「聞きそびれた……腹へっとるんか」
「へった。……だって今カレーのにおいしなかった?」
「ああ、ほんま……これは腹へるわ」
神社のふもとまでやってくるところで、ついお腹が減る。近所の家からしてくるカレーのにおいは本当に卑怯だと思います。
「夕飯カレーやろか」
「多分……ちゃうやろ」
「そうだよなあ、カレーだったらもう家に着いた時点でわかるもん」
長い階段を上っていくモチベーションが、帰ったらあるカレーではないのが惜しい。
でもおばあちゃんのごはん美味しいから完全にやる気がないわけでもなかった。
階段を上がりきったら、わずかに身体が温まる。
ふう、と一息ついたところで俺はスマホに連絡が入ってることに気づいてポケットを探る。信介はそれに気づかなかったか、気にしてないのか、御手水に行った。
遅れて俺も手を濯ぎ、お供え物は宮司さんに預けて神さんにお礼を言いに行く。
ついでに受験のことも、お願いするというわけではないが触れておいた。
「さっき、スマホ見てたけど兄さんから?」
「よーわかるな」
「いや、笑てたから」
スマホ見てぷっと噴き出して、すぐしまったのを信介は見てたらしい。
お察しの通り、俺のことが大好きな文麿くんである。彼は定期的におかしなメールを送ってくるのでこういう反応になる上に返信を後回しにすることが多い。
「信介がレギュラーの、しかも主将になったって報告したー」
「そうなん」
「おめでとさんって言ってたよ」
「それだけで笑う?」
思い出してはうくくっと笑う俺に、信介は首を傾げる。
「いや……あの人メールの文末には大概、信介へのおかしな指令があるので笑てる」
「指令って」
「インターハイ優勝したら認めてやらんくもない、みたいな。まだこんなこと言ってる」
「そうやったんか」
単なる嫌味みたいな、不貞腐れただけみたいな。
これを信介が達成できなかったとして、どうということもない。
俺的には激励でもあるのではと思ってるが、今まで信介にこのことを伝えてこなかった。
「まあ、兄さんはどうあがいてもずっと、認めんって言いそうやな」
「そうそう」
文麿くんのメッセージ画面を見せると信介も笑っていた。
「前、俺たちの未来のこともまだあんまり想像つかへん、ていうたやろ」
「ん」
お参りは済ませたけどまだ家に帰りたくなくて二人で境内の中をぶらついた。
池の周りの杭柵をいくつか通り過ぎたところで足を止めて、そこに肘を置いた。
「バレーは高校で終わりやし、その先の進路も考えて、も医者になるために頑張るんやろなて思ったけど、そっから先のことがやっぱりよくわからんのや」
「ふうん」
「せやけど、のいない未来なんて考えられへんよ」
それだけは確かで、変わってないと信介は言う。
「バレーで結果を出す───それは毎日の練習の先に起こることやと思うけど。……との毎日に結果があるとしたらそれは、死ぬ時しかないやろなあって」
「はい……うん?」
「幸せやったなあ、って思うほかないやろ」
信介はどうしてこう、感情を遠回りに分析してしまうのだろ……。
アランの突っ込みが欲しいような、いや、ここに居られたら困るんだが。
ほんのり、今日の帰り道のことを思い浮かべる。
「───俺、信介がレギュラーのユニフォームもらって泣いたとき、嬉しかったけど……ほんとはちょっと、嫉妬した」
「が嫉妬?……何に?」
人目も気にしなくていいので手を取って繋ぎあう。
すり、と親指で信介の手の甲を撫でると、向こうも少し戯れるように俺の手を握った。
そういえばあの時監督に引きはがされたけど、まだ足りてないことを思い出した。信介もあとでなって言ってたし。
「バレーに、かなあ」
へらっと笑いかけると、信介の真ん丸の目に少し月明りが映り込むのが見えた。
そういえば今日は満月で、池にもぽっかり浮いてたっけ。
「信介が毎日打ち込んだバレー。それを見てた人、認めてくれた人……うれしくて泣いた信介を誰にも見せたくなかった」
僅かに風が吹いていたから、水面も少し揺蕩い、月がおぼろに踊っていた。
それからふと、自分が握りしめていた手に目をやって、口元に近づける。
「俺のことあげるっていったけど、信介のこと俺にもちょうだいな」
「うん、ええよ……」
手の甲の筋張ったところに触れながら信介を見ると、俺の手の甲に同じように顔を近づけた。
温かい吐息が湿らせて、風がそれを冷やそうとするのも追いつかないくらいに、俺たちは熱を帯びていた。
その後、俺は無事志望大学に合格が決まり、信介は春高で優勝を逃すも満足して青春をかけたバレーボールを辞めた。
悔いはないというが、少しの寂しさはあったみたいだ。
何事にも節目や終わりがあるもので、俺たちはそれぞれ高校を卒業した。
そして数年もすれば普段見る顔もがらりと変わる。
治の開いたお店、『おにぎり宮』でバレー部の同級生や後輩など、懐かしい顔ぶれに再会したのはオリンピックが開催された年だった。
「北さん、春野さん!ご無沙汰してます」
「おお、信介焼けとんなあ……───は白!……日ぃ当たっとるか?」
いましもテレビでバレーの試合が始まるというところで、ようやく銀島、赤木、大耳が店にやってきた。
治は遅いですよ!と咎め、大耳が苦笑しながら謝る。
「白いか……?」
「うん白いな」
信介と腕を並べてみると、たしかに一目瞭然かも知れない。
っていうかここ数年で、信介が逞しくなりつつある所為で余計に差を感じるのかも。
「腕つかんだら折れそうや」
「折らんといて、手術できなくなるから……」
「うん、気を付けるわ」
もそもそと話をしていると、治が応援用にユニフォーム姿になっていた。ほぼ侑やないかい。
テレビの向こうの侑と治が並び、そのあとアランが突っ込みに来ていたので懐かしい光景に目が行く。
お客さんのおばちゃんたちに、仲間の誇らしさを語っている信介とか、賑わうみんなの声の中で、青春の日々を思い出す。
郷愁、懐古に導かれて胸躍るも、今こうしてテレビを見ている瞬間だって、かけがえのない日なのだとかみしめた。
end.
オリンピックの開会式が行われたから合わせて更新したわけでもないんですけど、けども。
そもそも19話までは更新停滞前に書いてて20話は何度か書き直してようやく……という感じです。
主人公と信介は実のところもう高校はいる前くらいから両想いだし多分付き合ってる認識ではいたので、改めて好き好きいうこともないんかなあ……と思ったり。
でももうちょっと進展というか、触れ合う描写を書きたいような……でもなんの変哲もない時々とてもやさしい毎日というものを書きたいなと思いました。
それはそうとして、におわせは楽しい。
ハイキュー界にもっとぐりぐり入れたかったので、いつか小話書きたいです。
July 2021