春をのせて 05
夜よりも暗い校舎内には、一人の少年の後ろ姿があった。月明かりのように白い肌以外は全て黒い彼の本当の名前は知らない。渋谷さんの兄弟だろうから、渋谷さんと同じように呼んでいる。呼びかけたら俺の方を振り向いて、ああ、とほんの少し口を開いた。
「学校の中にいても平気なの?喰われない?」
「うん、僕は」
周囲を見渡す。
もうほとんどが融合されていたので、あたりを漂う人魂は少ない。
学校の中を見回り、渋谷さんにちょこちょこ呪詛について教えてもらっていると、谷山さんが布団を抜け出したことに気がついた。校舎内を一人で歩き、どこかへ向かおうとしている。その先にあるのは、いわゆる『蟲』がいる印刷室だ。
まさか、と思い至ったのは俺だけではない。
「お願いします、麻衣を!」
「すぐいく」
渋谷さんと別れると、俺はすぐに律を叩き起こす。え?え?なに?と驚いてる律だけど、俺の顔と周囲の寝息にすぐ現状を察しておし黙る。ひっつかんで連れて行き、印刷室の前まで来ると開いたドアの向こうに谷山さんの怖気付く背中があった。
谷山さんが無茶をして一晩あけた。
助けに行った時に全員顔を合わせたし、せっかくなので人の姿でみんなの目にうつったまま、起きて来たみんなに挨拶をする。俺がおはようって声をかけると全員びっくりするんだけど、昨晩のは夢じゃありません、実在します。
「今日、するんだよね」
「だろうな。早くやるに越したことはねーし」
コンビニのパンをむぐむぐする谷山さんは、心なし沈んだ面持ちで問いかけた。
ちなみに俺は松崎さんのチョイスで梅とゆかりのおむすびです。おそなえかな?本当は明太子がいちばんすき……。
「こめつぶついてる」
律に指摘されて、照れながら手の甲で口の周りをごしごしした。
「あの、お茶どうぞです」
「ありがとう」
お茶の紙パックにストローをさしてくれたブラウンさんは、受け取った俺を心配そうに見守る。なんだ、吸えるか心配か?そんなに時代錯誤な妖怪じゃないんだぞ。コーヒーだって飲めるんだから。
律とブラウンさんに介護されている俺を、滝川さんがなんか言いたげな顔で見た後、がくりと肩を落とす。小さい声でなんだかなあって呟いてるけどなんなんですか。
「あのう……玉霰さんでも、除霊はできないんですか?」
「呪いは除霊するものじゃないから」
「神様でも?」
「麻衣!」
松崎さんが咎めるように名前を呼んだ。谷山さんのすがるように俺を見る瞳に揺らぎはない。
昨日から見てたけど、谷山さんはとても同情しいだ。人として、子供として、その心意気は良いと思うけど。
「神様でも」
「……っ」
神様ならなんでもできると思っちゃいけない。
まあ、俺はみんなが想像するような神様じゃないけどな。
「あまり気に病まないで」
しょぼんとした谷山さんの背中をぽんぽんと叩く。
「だって、……人が傷つくってわかってて、なんにもできないの……あたしたち」
「時にはどうしようもないことだってな、うんとあるんだぜ、麻衣」
滝川さんが谷山さんを慰める。飲み込め、耐えろ、というような趣旨なので慰めになってない気もするが、谷山さんは俺の言葉よりも滝川さんとか松崎さんの言葉に安堵するらしい。慕ってるんだろうな。
渋谷さんはいつのまにか帰ってきていた。リンさんは会議室でことにあたるらしく、みんなが覗きにいく。
邪魔をされると思ったらしい渋谷さんは冷たい態度でみんなを追い払い、谷山さんはなおも食い下がっていたけど追い出された。
俺は挨拶しようと思ってたんだが、そんなことしてる場合じゃないなって思ったので律の後ろに隠れてた。はわわ。
谷山さんや律に司ちゃん、他の霊能者たちも呪詛返しで生徒の身に何かが起こることを察して、それぞれ沈痛な面持ちで耐える。
空気があれなので、俺はもう一人の渋谷さんの気配を見つけて会いにいくことにした。
渋谷さんは俺に会うなり、体育館内に連れてった。そこには生徒全員の分と思われるヒトガタが並べられていて、知識がそんなにないさすがの俺でも、渋谷さんの意図は汲めた。
思わずあはっと笑い声をこぼして、くふっと噛み殺す。笑っちゃダメだよな。でも渋谷さんはいたずらが成功した子供みたいに笑ってる。
「準備ってこれだったんだ。みんなに言ってあげればいいのに」
「ナルって、結果が出るまで言わないタイプで……」
「なんだそりゃ」
やがて呪詛返しは行われ、呪いは全てヒトガタが引き受けた。
明るい世界に足を踏み入れると、すぐに律の姿を見つけた。
なぜか荷物の運搬を手伝っているらしく、車の荷台にどさりとおく。俺はその丸まった背中に、後ろから覆いかぶさる様にしてのっかった。
さらりと長い髪の毛が落ち、律を通り越して垂れる。
「わ、……玉霰」
すっかり人の姿を解いたので、多分誰も見えないだろう。
「もう帰るの?」
「帰るよ」
「司ちゃんはどこ?」
「先輩のところ」
顔を寄せてぼそぼそ会話する。
体を起こした律に腕を回してぶら下がったまま、あたりを見回せば司ちゃんが離れたところで松崎さんと立っていた。
「渋谷さんとリンさんに挨拶しそびれた」
「別にいいでしょ」
律はあっけからんと言いながら、司ちゃんたちの方へ歩いていく。
司ちゃんはすぐに律に気づいた様で、松崎さんから視線を外してこちらによこした。
「あ、律。玉ちゃん帰ってきた?」
「うん。僕らもそろそろ発とう」
実家の車の方を指差す律に、司ちゃんも頷きあっさりみんなに別れを告げる。
滝川さんやブラウンさんが俺たちが帰る様子に気づいて手をあげたりぺこりと頭を下げる中、渋谷さんとリンさんはほんの一瞥くらい。会釈というよりも了承するように頷いただけだった。
律たちの後をついて行きながら振り向いて、みんなにゆらゆらと手を振った。
もうみんなに、俺の姿は見えないだろうけど。
end
律の坂内くんは後悔していないようです、という発言は特に意味はないというか、あの時点で坂内くんを見ての律が抱いた印象だと思ってください。
ナルに会うのは次回に持ち越します。
次は晶ちゃんか青嵐リベンジです。元気があれば両方出したいですけど。
May 2018