Sakura-zensen


春にふれて 15

夏の大会を終えた征十郎さんは、あっさりしていた。俺の時はすごいお祝いムードだったんだけどなあと思ってたけど、どうも対戦相手に切磋琢磨してきた仲間がいなかったから味気ない結末に終わり、喜ぶ意味はないみたいだった。だとしても、一番になったのを祝わないでどうするって思って、おばあちゃんにしてもらったみたいに、ご飯に誘った。
俺のお祝いしたい気持ちを受け取ってくれるようで、笑って頷いてくれた。けど、お父さんとご飯とかいかないのかなあ。

冬にも大きな大会があるらしく、今度こそ同級生たちが揃って出場すると聞いた。
一度中学校に顔を出した時に見た人たちはそう多くはなかったけど、きっと仲が良かったんだろう。
「欲しいものがあるんだ」
「欲しいもの」
同級生たちにこそ勝ちたい、ってことだろうか。栄光的な、と思いながら首をかしげる。
たしか、征十郎さんはバスケ界では有名だ。キセキの世代と言われていて、中学のチームメイトがとてつもなく強かったと。それで中学は負けなしだったというから、高校がバラバラになった今は力が分散されて対戦結果がわからないことになってる、と俺は勝手に推測してるんだけど。だから夏の大会はつまらなかったんだろうなって。
ご飯をもぐもぐしながらふーんとうなずく。聞き返すつもりはなくて、征十郎さんも答えるつもりはないみたい。
「手に入れたら変われる気がするんだ」
「征十郎さんが?」
二人だけのときはわからないけど、よその人といる時に、普段とは違う片鱗を見たことがある。ただ俺にしてみたらあれは他人に対する興味関心の差とか自己防衛による壁みたいなもので、征十郎さんと俺の間に変化が見られないのでよくわかんないのが本音だ。
もちろん、征十郎さん自身が変化を感じ、また変化を求めているのも否定しないけど。
「がんばってくださいね。でも俺にはずっとそのままでいて欲しいなあ」
「そのままって、どういう風に?さんにとって赤司征十郎とはどんな人だと思う?」
……征十郎さんは俺にとって。たずねられて、目線をあげた。そこに答えが書いてあるわけではない。
素直に言葉にするなら、俺のかわいひと、だろうか。こんなの、男子高校生に言うには失礼で、あまりに甘ったるい。
口元を撫でて、ごはんつぶが付いてないかをさりげなく確認してから、征十郎さんの方に視線を戻した。
食事の手を止めて、俺の答えを待っている。
「うーんどんな人といわれましてもね。まあ、征十郎さんが元気ならそれが一番です」
えへっと笑ったら征十郎さんは少しつまらなそうにした。
「求めてた答えとちがう?」
「いや、さんらしいかな」
水を飲んでグラスを置くと、小さく微笑んだ。どんな人だと思う、と言われても答えられないのだからしょうがない。変わらないことを望んでも、多分俺は彼の変化を感じることもないだろう。そもそも、俺が変わらないのだ。ずっと、ずっと。


金木犀の匂いがどこからともなくしてくる夜道を、二人でゆっくり歩いた。
石畳の細い小路に車は不釣り合いで、今日は電車と徒歩でここへやってきたのだ。
当初近くに車を停めるか送迎を頼もうか迷っていたけど、過ごしやすい季節の時間ができた夜だから、野暮なことをせずにゆっくりと過ごそうというのが、言葉の裏にある俺たちの思惑だった。
「冬の大会が終わったら、またご飯いきましょーね」
「ああ、温かいものを食べにいこう」
小路は暗く、遠くにぽつりぽつりと控えめな灯があって、もっと先に行けば街灯がある。向こうは大通りがあるので、道路を走る車や賑わう街中の灯がこっちに差し込んでいた。けれど俺たちにはまだ届かない。目に見える光の世界とは切り離された、古風で静謐なところには二人だけ。
この暗闇でも隣にある気配を見失うわけがないのに、こいしく、手を取った。戸惑う気配が感じられたので歩みをゆるめて顔を伺う。表情はかろうじて見えるけど、どういう感情を抱いているかはわからない。
「いやでしたか?」
「いやなものか」
握り返され、さらには指を絡めると、胸が満たされた。
お互いが小さかったころ、あとどのくらい手を繋ぐ機会があるんだろうと思ってた。今でもずっと手を繋いでいられる保証はないんだけど。
誰にも見られず、憚らず、指を絡めて、暗闇の中で顔がなんとか見えるこの瞬間が、どれだけ儚いのか、俺は問わない。
「目をとじて」
「はい」
むかし、征十郎さんにそう言われた時から、俺は胸を弾ませていたっけ。あの時はゴミを取ってもらうために顔を寄せたのだ。
小さくてあったかい指が、俺のまつげを撫でた感触を今でも覚えてる。なんだかまるで、キスするみたい、なんて思ってた。もちろんありえないと思ってて、ゴミを取りやすいようにぴったり目を瞑って、小さな彼に合わせてうんと腰を曲げた。
今は、頷いたくせにぎりぎりまで目を瞑らないまま顔を近づけた。小さい手ではなくて柔らかい唇が、俺の瞼ではなく同じ唇に、優しく馴染んでいく。そしてようやく、ゆっくり目を瞑った。


繋いでいた手もはなし、明るいところを歩いて電車に乗って家に帰った。
またと約束して別れ、そう頻繁ではないけれど連絡をとりあう日常が続く。
IH優勝校はウィンターカップへの出場が既に決まっているので予選は免除らしい。大会に向けて、勝利に向けて、余念無く練習が行われているそうだ。
欲しいものって結局なんだったんだろう。
最初は深く考えずに優勝かなーなんて思ってたけど、それならそうと言うだろうし。変われる気がする、と前向きな様子で言っていたのが気がかりだ。
結局、何もわからないまま大会は始まった。そして彼は順調に勝ち続けて行った。

決勝戦の日は観戦するつもりでバイトも入れなかった。試合が夜だったので当日に移動して一泊するホテルをとっておく。試合が終わった後に京都に帰るのはちょっと大変だから。
会場に着いたら連絡するように言われてたので征十郎さんに連絡すると、居場所を聞かれる。答えたらわずか数分で本人がやって来た。
「あれ、前髪切った?」
「ああ」
おでこが見える〜と笑うと、微笑だけが返ってくる。
「試合前に会っててよかったんですか?練習とかは?」
「いけない?」
「わかんないから聞いてるんだけど……余裕があるってことかな、よかった」
「余裕。どうだろうな」
腕を組んだ征十郎さんに、少なからず驚く。
「余裕があったから会いに来たんじゃない」
「そうなの」
「会いたかったからに決まってるだろう」
その言葉に思わずふへっと笑って肩をすくめる。
それは素直に嬉しい。
「応援しています」
「うん」
短い会話をして、征十郎さんは悪いがこれでと去っていった。本当は会う余裕あんまりなかったんじゃん、と思いつつもさっきの言葉を思い出してかみしめる。会いたかったと言われたのは、初めてかもしれない。
そしてよくよく考えたら、征十郎さんの試合をみたのも初めてだった。
相手の誠凛高校はキセキの世代の一人がいる、創部二年目の新設校だそうだ。
試合が進むにつれて周囲の解説や盛り上がる声が聞こえなくなった。俺は征十郎さんだけをみてた。彼がバスケットをやっているところを、詩織さんや旦那様の代わりに。なにより、俺が彼の姿をたくさん焼き付けたいがために。


試合が終わった後しばらくして、メールが来ていたのでホテルの前で待ち合わせた。俺がとったホテルと、征十郎さんが宿泊してるホテルはすぐ近くだったから、数分でたどりついた。
「初めて観にきた試合なのに、負けたところを見せてしまったね」
ラウンジに来て早々、征十郎さんは申し訳なさそうに言った。そんなこと言うために呼び出したんだろうか。征十郎さんらしくない。
「俺は、征十郎さんが勝つところを見たかったわけじゃありませんから」
「そう」
「ああでも、残念でしたよね、こんなこと言ってごめんなさい」
「いいよ、次は勝つから」
優しい微笑みにほっとする。
「まえに言っていた、欲しいものって」
「ああ、ーーー敗北が欲しかったんだ」
「え」
まさか負けたいと思ってるとは思わず、今度はぎょっとする。
俺の声がちょっと大きく響いたので周囲をあわてて見た。夜も深い時間なので人はほとんどいないけど、立ち上がった征十郎さんは、テラスへ俺を導いた。自然に手を繋いでいたけど誰も見てないから離さないでいいかな。外、寒いし。
「どうして負けたかったの」
「一度も、何においても、負けたことがなかったから」
「え、まじですか!?」
またしてもびっくりさせられた。外に出たことは正解だったようだ。
いつも上を目指してたのは知ってたけど、叶わなかった事がないとは思わなかった。
「でもやっぱり、負けたのは悔しい」
「そうでしょうとも」
背中を撫でると、胸に入り込んで来るので抱きしめた。お風呂に入った後なんだろう、シャンプーの匂いがした。
「初めての感情に戸惑うかもしれませんね、でも大丈夫、次は勝つとさっきいってたじゃないですか」
とんとん、とあやすように背中を叩くと、微かな声が相槌をうった。
冷たくなった耳たぶに唇をよせて温める。
「俺はどんな征十郎さんでもいいと思う」
俺が見てたのは全部征十郎さんの素直な姿だった。
試合をみたこともなく、チームメイトとの仲も、中学時代の友達のことも、今まで負けたことがなかったことも、俺は知らなかった。それでも俺の知っている彼はたくさんあって、変わることはない。
「征十郎さんが変わっても、俺が変われないんです。小さいころから、ずっと変わらず」
「……オレのことが好き?」
目を伏せて、ゆっくりと顔が離れていく。けれどすぐにこっちを見た。
試すような求めるような、瞳と声に促されて、自然と笑みがこぼれる。
寒さに震えて、胸が痛いくらいに酸素を吸い込んだ。
「死ぬほど」
たくさん吸い込んだせいで、たくさん息を吐き出した。
言葉は短かく、笑い声が混ざるけど、通じただろう。
寒いと言いながら今度は俺がぎゅうっと抱きしめた。
オレもだ、と言いながら背中を撫でた征十郎さんは、肌に触れるととても熱かった。




end

ねえやと坊っちゃまが書きたかったけど、前の更新で解決してしまったので燃え尽き症候群気味でした。しかしBがLする話にしないとっていう妙な使命感を持ってるのでここまで書きました。
お父さんとの確執だか誤解だか和解だかを書こうとすると長くなりそうだし、永遠の愛を誓うところまで書かねばってなりそうだったので、この後はご想像におまかせ……。
白馬にのって迎えにいくのも(冗談)ヤックルにのって京都へいくのも(?)桜の花が咲いたら見に行こうねっていうのも、全てすっぽかす赤司くんを生み出したことを陳謝するとともに、ここまで読んでくださった皆様に最大の感謝を。
June 2017

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