Sakura-zensen


春の雫 05

旅館の部屋に辿り着くと、律は窓際のソファに深く腰掛けて、ゆったり身を投げ出している。
細い腕を伸ばして障子をあけ、薄曇りの外から差し込む光をぼんやりと浴びて、深く息を吐いた。
「疲れたでしょ、やっぱり」
「うん……」
「ゆっくりしてな」
「うん……玉霰」
律の荷物は入り口のそばに置き去りにされていて、俺もすぐに鞄を開く気になれず同じように放置した。そしてすっかり気力を失ってる律に近づくと、ゆるやかに手招きをされる。
「なあに」
「おいで」
それだけ言って腕を開く。
俺は上着を脱ぎながら、人間の姿からいつもの姿に変わった。身体が小さくなり、律の懐に入り込むので更に視線が下がっていく。
俺の背中と後頭部をおさえて抱きしめた律は、やがて後頭部の手をするすると動かしながら、俺の髪を梳き始めた。……リラックスタイムだ。
途中で落ち着く体勢を探すためにもぞもぞと動き回り、最終的に膝の上に横向きに座って窓の外を眺めることにした。
寄りかかったら額の部分が律の顎にぺたりと触れて、肌を馴染ませる。
こうした触れ合いのたびに律を感じ、俺を感じさせてきた。ちらりと視線をやると、俺の動きに気づいた律が目だけで用を問う。
だけど話をする必要はなくて、静かに力を抜いて身体を預けた。律はその間もずっと、俺の髪に指を絡ませて撫でていた。



「───食べ過ぎた……」
「今日は結構、間食もしちゃったもんね」
夕食を旅館のレストランでとった後、律がそういうので腹ごなしのために庭を散策することにした。
浴衣とセットの上着を羽織っているとはいえ夜は冷えるだろうに、律は奥へと足を進める。
「後でもう一度部屋のお風呂に入りなよー」
「うん、そうする」
掴んだ指先は冷たかったので、やっぱり冷えているんだろう。
律は笑って俺の手を握り返す。
吐く息は白いし、鼻の先や頬がほのかに赤い。じっと観察していたら、律はそんな俺に気づかず話し出す。
「開さんに聞いたけど、バイトしたのって、何か欲しいものがあったんじゃないのか」
「欲しいもの?……───ああ、あったな」
「それは買えたの?今日の旅行だって、それなりにしただろ」
旅費は律の分も俺が出した。最初は自分で出すと言っていたけど、せっかくだから出させて欲しくて律を言いくるめたんだった。だから余計に、俺の欲しいものが気になっているんだろう。
「まだ選んでなくて、買ってないんだよね」
「選んでない……?」
「指輪。今度、律が選んでくれる?」
律は驚いて言葉を失う。
繋いでいた手が丁度律の左手だったので、持ち上げて薬指を絡めとった。
「ここに印があれば、俺がいない時でも、みんな律が誰のものなのかわかるだろ?それに、俺も律を辿りやすくなるんじゃないかと思って」
この結婚のきっかけとなった妖魔が勝手につけた印はとうに消え、律の手はまっさら綺麗だ。───けど、今度はそこに俺の印を残したい。
「……それなら、僕も玉霰の指輪を買う」
ようやく口を開いた律は、今度は俺の薬指を握る。
俺、指のサイズって安定しないと思うんだけど大丈夫かな。いや、律がくれたなら、絶対に外れないようにするけどさ。
なんて───喜びも束の間、周囲でパタパタと落下音がし始めた。
「ん?雨か……」
「ほんとだ」
言いながら、羽織を脱いで律と自分の頭の上に掛けた。
少し身を屈めた律が寄り添ってくる。
「強くなる前に部屋に」
戻ろう、と言いかけた言葉は出てこなかった。
律が俺の手首を掴んで引き留めたからだ。そしてゆっくり近づいてきて、冷たい鼻先が俺の顔に触れた。
柔らかく合わさった唇から温もりが零れてきて、もっとそれが欲しくなる。
だけどこんな羽織程度で雨や寒さが凌げるとは思えなくて、身体を離した。
「律、濡れちゃう」
「こうしてれば平気だ、寒くもない」
少し強引に腰を引き寄せられて、こつんと額が当たる。
確かに律の言う通りで、俺たちの周りだけはまるで切り離された世界みたいに、寒くもなければ雨の雫も届かない。
それどころか律の身体の熱が浴衣越しにじわじわと伝わってくる。
「───だからもっとちょうだい、玉霰」
律の、笑って細まった瞳は暗闇の中で、俺と同じ緑色に光っていた。
それさえも、俺がほしくてたまらない、と言ってるみたいで。
自然と口が開いてしまうと、律はそこに吸い付いてきた。
一瞬息が止まったので、呼吸の仕方を変えて首を傾ける。
唇を愛撫する動きにされるがままになりながら、俺は羽織をおさえていた手を解き律の輪郭や首筋、胸を撫でた。動きや鼓動が伝わってきてより律を身近に感じられる。
段々律と俺の熱が高まっていくのも感じた。それはきっと互いにわかっていただろう。
舌を絡めとられて強く吸われると、背中や腰がぞくぞくと震えた。
そして息を整えるわずかな時間、俺たちはまだ全然足りないとばかりに、互いの目を見つめ合う。
だけど雨は、いつしか雪に変わり視界をチラチラと過っていく。
「……律、部屋に戻って温まろう」
両手で頬をそっと包み込むと、さっきまで冷たかったはずの肌は、すっかり湯上りのように火照っていた。
これは、お風呂に入り直さなくてもよさそうなくらいだ。
「わかってる、けど」
「今日は二人きりだ」
「っ」
渋る律の視線がうろうろと彷徨っていたのが、俺の言葉を受けて定まる。
今までは比較的短い時間の逢瀬しか重ねてこなかったけど、この旅行はそういった日々に報うものでありたいと思った。
「さっき俺に、ちょうだいって言っただろう」
「う、ん」
「この熱も、この夜も、望むものぜんぶを律に」
自分の胸をぐっと押して、はにかんで律を見た。
律のごくりと嚥下した喉に笑って、そこに口づけたい衝動をひっそりと抑える。
───せめて部屋に、つくまでは。と。




(オマケ・律視点)


朝日の眩しさにぼんやりと目を覚ます。
まどろみのなかで、旅館特有の匂いのするリネンに顔をうずめてゆっくり息をすると、微かに自分のシャンプーの匂いを感じた。
そして僕は、はっとして身体を起こす。
「玉霰……?」
昨晩一緒に布団に入った玉霰の姿がないことに気が付いた。
隣の布団にもいないし、部屋を見渡しても、誰もいない。
立ち上がる時にほんの少しよろめいたけど、思っていたより身体は疲れを感じない。
素足のまま部屋を歩いて、洗面所へと向かう。玉霰は外に出たのだろうか、それとも身支度を整えているのかも、と考えながらドアを開ければそこには誰も居なかった。
「───え?」
その時、鏡に映る僕が目に入り、違和感を感じる。そして顔を近づけてよく見てみるとその違和感の正体は『瞳』だった。
黒とかこげ茶の色をしていたはずの僕の目は、翡翠に染まっている。

「玉霰───?」

その瞳の色は玉霰と同じだ。
「呼んだ?」
「!?」
思い当たる名前を口にした途端、浴室のドアが開いて玉霰が出てきた。
熱気と共に、温泉とか石鹸の香りが押し寄せる。
「え、お風呂入ってたの?」
「うん、せっかく泊ったんだし。朝風呂って好きだな、俺」
突然の登場に驚いても叫び声まではあげなかったけど、次にはその行動に驚いた。
こうして時々、普通の感性出してくるんだから……。
「言い忘れてた、おはよう」
「……おはよ」
にっこり笑った玉霰は、濡れた長い髪の毛はひとまとめにして緩く指先でとかす。
これを乾かすなら大変な作業になるんじゃ、と見ていると、腕ですべての髪を舞い上げる。
空気をたくさん含むように踊り、最後腰に垂れてきたときにはもう、いつもの滑らかで艶やかな髪の毛に戻っていた。
「えー……!手品みたい」
「あはははは」
僕の反応を見て、玉霰は大口を開けて笑った。
そしてすっかり身支度を整え終わった玉霰に、僕は改めて自分の目の色が変わっている気がすることを相談した。
するとあまりにも簡単に、「そりゃそうだ」と言われた。
まなじりを撫で僕の目を見つめる玉霰はどこか嬉しそう。
今、僕もその目の色をしているのかと思うと、じわじわと身体が熱くなって、しばらくその目が見られなかった。



end.



ちょっと書き直しました!
情事をにおわす感じにしましたが大丈夫やろうか。新婚旅行書いたからには初夜を……ネ。
オマケは目の色に気づく律なんですが、よりによって朝チュン後に気づいたので本人からすると「キスマーク」みたいな感じがしちゃってはじゅかち。
でも大丈夫、生きてる人間には気づかれないから。(妖魔は気づく)

作中の補足なんですが、主人公が部屋に戻って温まろうって言ってるのは正しく「お誘い」です。この旅行もまあまあそのつもりがあったので。
そして起き抜けの律があまり疲れてないと言ってるのは人間じゃないものと一線超えた感じ出したくて……。(本来なら生気吸われてそうなとこだけど、主人公なら逆にたっぷり与えてそうやん……)
あと律と主人公のやりとり「ちょうだい」について、律は妖魔と取引をしないよう心掛けているけど、主人公は妖魔じゃない(?)し伴侶なので取引は成立しないというか、結婚が一番デカイ取引だからもはや手遅れみたいなとこあるなって。わはは。
July. 2023

PAGE TOP