Sakura-zensen


春をいだく 06

飯嶋さんがだれかを呼んだ。

途端に、冷たいけれど凍えるほどではない綺麗な空気がすっと通っていった。清涼感っていうのかな。清く、涼しい空気だった。
「リビングへ行きます」
飯嶋さんはそう言って迷いなく部屋を出て行く。

リビングは、井戸の穴が開いたばかりだった。
ついさっきのことなのに、また手を出して大丈夫なのかな。ぼーさんに小さい声で聞くと、本当はよくないって言われた。
リビングに置かれたカメラはまだ稼働中で、入って来た飯嶋さんを映し出す。
「これ……」
飯嶋さんのそばに、幼い体格をした子供がいた。
でも夢で見た娘じゃない。着物で、同じくらいの背格好だけど、長い髪をした、きれいなこ。顔は見えないんだけど、漠然とそう思った。
ふいにその姿がゆらりと歪む。
それとともにリビングの温度は下がった。飯嶋さんは落ち着いた声で「大島ひろさん」と呼びかけた。
井戸の底からゆらりと、何かが出てくる。
「きゃっ……」
目の前で見てるわけじゃないのに、思わず悲鳴が上がって口を押さえる。綾子もあたしに身を寄せたので、お互いに抱き合っちゃった。
「おい、これ」
ぼーさんがモニタを指差した。そこにはさっきまで長い髪の毛をした子がいたけれど、いつのまにかおかっぱ頭の少女に変わっていた。
上品で綺麗な着物も、普段着っぽくて動きやすい少し裾の短いものになった。
「富子さんをお連れしましたよ」
拾われた音声が、ベースに流れてくる。
飯嶋さんが少女の肩をぽんとたたくと、その子は大島ひろに向かって歩いていった。
危ない、と思ったけれど大島ひろは呆然とし、そしてみるみるうちに表情を変えていく。
近づいてくる娘に合わせてかがみ、膝をついて涙をこぼした。

鬼みたいな顔をしていると思った大島ひろは、もう母親の顔をしていた。
涙で濡れる頬を、少女の小さな手が包み込む。
柔らかく、母親は笑った。そして光にとろけて行く。
その様子は天に昇るみたいで、───いや、まさしく、昇っていったんだろう。
その光につられて、多くの人魂が白く光り昇っていくのまでが、カメラに写っていた。
……あとで聞いた話だけど、記録には残ってないらしい。


飯嶋さんは程なくしてベースに戻って来て、ミニーを礼美ちゃんに返した。
「ミニー、もういないの?」
「ああ、……もう役目を果たしてしまったからね」
持った瞬間にわかったらしい礼美ちゃんは、少し驚いた顔でミニーの顔を見た。
夢が醒めてしまったような、魔法が解けてしまったような、ものがなしさが残る。

「なんだか可哀想な気分」
「なんでよ」
飯嶋さんが典子さんたちに話をしている間、あたしたちは撤収作業をしていた。
小さな呟きに、隣にいた綾子が顔を上げた。案外付き合い良いみたいで、コードを巻いてくれてる。
「だって礼美ちゃんはミニーのこと大好きみたいだったのに」
綾子に加えてぼーさんも手を止めた。
「ミニーもさ、なんかすごく優しい感じがしたの」
「でも元々は飯嶋さんの式神なんだろ?本当の主人のところに戻るのはしょうがねーの」
「そうよ。だいたい、おチビちゃんはもう狙われていなんだし、いつまでも人ではないものがそばにいるもんじゃないわよ」
「え?」
二人の言葉に今度はあたしの手が止まってしまう。
「これからもずっと、人ではないものを見続けることになってしまうかもしれないのよ」
「そーそー。今回はこの家にいて、たまたま見ちまっただけなんだから」
普通に過ごす中でミニーと一緒に居続けたら、見なくてよかったものまで見えて、それが当たり前のことになってしまうのかもしれない。
それを聞いたらさすがに、そばにいさせてあげたらいいのに、とは言えなくなった。
「そうならないために、飯嶋さんもあえて口にしたんだろう、ミニーはもういないってさ」
ふと、ミニーが礼美ちゃんに言い聞かせていたことを思い出す。
───生きた人間を信じるんだ。
───だれだかわからないと思った人には近づいてはいけないよ。
至極まっとうな注意は、今後も礼美ちゃんの心のなかに生き続けるんだろう。そしてもうミニーと会えない代わりに、きっと怖いものも見なくなる。そんな未来を示唆するような会話だった。

帰り際、飯嶋さんが一足先に家を出ようとしているところだったので、つい声をかけてしまった。
「ミニーは……あの人形は持って帰らないんですか?」
「え?ああ、あれは仁さんが選んで買ってきたものなので、最初から僕のじゃないんですよ」
「え、亡くなった娘さんのって」
「僕の手から渡して、名前をつけて欲しかったんでね」
あははっと笑った飯嶋さんに、なるほどと思う。
ミニーがもういない、と認識した礼美ちゃんは人形をミニーと呼ぶことはなくなった。そうして、契約が切れるってことになるみたい。
「あの、ミニーちゃんは神様なんですか?」
あたしは改めて飯嶋さんに聞いてみた。もうミニーって名前じゃないんだろうけど。
綾子は神様っていうけど、あたしたちが普通に考える神様じゃなくて守護神とか護法神というものらしくて、ちょっと違うみたい。まだゴーストハント歴3ヶ月ちょっと、調査の回数2回のあたしにはわからない。ええい、聞いちゃえ!って思ったわけ。
「うーん、神と呼ばれるものは色々とあるけど、まあそうですね」
飯嶋さんは真面目に答えてくれるみたいで、顎を撫でて言葉を選びながら肯定した。
「不動産会社にお勤めしながら霊能者やってるんですか?」
「ええ。この業界はそういうの多いですから」
「確かに」
あたしの質問に答えてくれる飯嶋さんに、興味を持ったのかぼーさんがいつのまにかそばにいて頷いていた。
「……でも、飯嶋なんて名前聞いたことないな」
「またそれぇ?」
ゆるく首をひねるぼーさんに眉をしかめた。
綾子とぼーさんは初対面の時もそういう話してたじゃん。
おまえらそこまで顔広いのかっつーの。
「滝川さん、おいくつですか?」
「……25。それが?」
笑みを絶やさない飯嶋さんに、ちょっと警戒しつつもぼーさんは答えた。
「いえ、僕は君が生まれるよりも前に、とある心霊現象に巻き込まれて、長いこと意識不明だったんですよ。現世に戻って来たのは数ヶ月前だから、名が売れてないのもご勘弁願います」
ひえ〜。
さあっと血の気が失せる。
「ではこれで。今後もしお会いすることがありましたらよろしく」
飯嶋さんは言葉も出ないあたしたちなど素知らぬ顔で、会釈して森下家を後にした。

「ねえ、現世に戻ってきた……ってことは、それまでずっと意識が」
「いうな……麻衣」
「霊能者ってそんなに危険と隣り合わせなの?」
ぼーさんと綾子は顔を背けた。
あ、あたし、ナルの言うことはよおく聞こう……。



end

主人公は変化ができるという設定で。
富子の姿は開さんも主人公もわかってたという設定で()
次はかけたら湯浅か美山やりたいです。開さん行方不明時期突入して、甥姪たちを出せたら良いなあと思ってます。
April 2018

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