Sakura-zensen


春のさと 05

今朝会った美人はどうやら国を傾けた妖婦、妲己だったらしい。
請求書送るから……と言っていた言葉が脳裏にぐわんぐわん響いた。
鬼灯さん曰く、妲己が経営しているのはぼったくり妓楼だ。
「美酒と美女ですかんぴんだ」
お香さんの膝にごろんしている白澤様を蹴り飛ばしたくなった。酒で火照った顔を両手で覆いどんどん冷めていくのを感じる。
「あ、あ、呆れました……」
「やっとですか」
予算予算、と帳簿のことを思い浮かべる。
正直白澤様が路頭に迷うことはないだろうし、俺だって天国の住民なのでどこでだって過ごせるわけだが。……お店で暮らすの楽しかったんだけどなあ。
「転職先を見つけないと……いっそシロたちのように地獄で……?うーん」
地獄が嫌いというわけではないが、性に合わなそうという理由で思い切れない。
鬼灯さんは紹介しますよ、と言ってくれるのでおそらく良いところへ就かせてはくれそうだ。
白澤様はお香さんのお膝からがばっと起き上がってこっちへ這いずってくる。地獄への転職は大反対らしい。
「だって白澤様破産するんでしょ」
「二人で一から頑張ろうよー」
「なんで俺まで」
俺の膝まではたどり着かず、床で力尽きている白澤様はそれでも手を伸ばす。
「普通なら一回で全財産なくなりはしないだろうけど、店主の妲己本人を家に連れ込んで一晩と、相手は白澤様だってこともわかってるだろうから……どのくらいふっかけてくるか怖いな」
白澤様もぎくっと体を強張らせた。
おずおず伸びてくる手を一応掴むと、白澤様はゆっくり顔を上げる。
「請求額、想像つきます?」
「だ、だいたい……?」
「それによって今後の身の振りを考えます」
俺はにっこり微笑んだ。
さあ言え、おいくら万円なのか言え。


一向に口を割らない白澤様はまた酒を飲み始めてしまい、話せる状態ではなくなった。
とりあえず俺も今日は飲もう……。
しばらくするとぽわぽわしてきて、自分が酔い始めたことに気づく。
鬼灯さんは相変わらず涼しい顔で飲み続けていて、いろんなお酒飲んでみたい俺にもちょっと分けてくれたりする。
「ところでいつからタオタローと呼ばれるようになったんですか?」
「気づいたら呼ばれてました。多分あだ名?」
さっき絡まれたときに気づいたんだろう。鬼灯さんは思い出したようにこぼして首をかしげた。
「桃太郎だってあだ名なんだけどなあ」
「本名知らないんじゃないですか」
「え、そんなことあります?だって紹介状……」
思い返してみれば桃太郎が来ると聞いていたらしい白澤様に、俺は名前を名乗っていない。地獄でも俺は桃太郎さんで話が通っていたし、俺が本当の桃太郎であるならそれでいっかと肯定していた。
「鬼灯さんは俺の名前知ってます?」
「はい。シロさんたちがよく口にしていますので」
「ああ……そっか……」
鬼灯さんと話しながらだとぐぴぐぴ飲みそうになって危ない。グラスを置いてつまみを口にする。
周囲は酔っ払いたちの笑い声に溢れ、閻魔大王の陽気な発言が聞こえた。
「あ〜〜飲み明かすのって日本の伝統って感じするな〜〜」
「因習ですよ。ホラホラ空気なんて読まなくていいですから帰りたい人は帰りなさい」
鬼灯さんは部下たちに声をかけている。
今帰らないと大王の自伝語りが始まるそうで、そのひと声で大勢の部下たちが逃げていった。
「あなたもあれに付き合わずに帰りたくなったら帰った方がいいですよ」
「ははは」
でも一緒に来たのに置いて帰るわけにもな。
言葉を濁し、グラスに口をつける。あ、また飲んじゃった。
はあでもお酒美味しいなあ。酔うには酔うんだが、生きた人間でもないので、今は酔いが冷めるのが早い。もうちょっと飲めそうな気がする。
「おひやを」
もうちょっといいかなーと口をつけていると、そっとグラスを取られた。そして通りすがりの店員に鬼灯さんが注文する。
「ありがとうございます」
邪魔をするなというほどでもないので、気遣いには素直にお礼を言っておく。
「……叫喚地獄の亡者どもと同じですよこれじゃあ」
「叫喚地獄?」
「まあ平たくいうと酒乱の堕ちる地獄です」
すぐに持って来てもらえたおひやは鬼灯さんに渡され、俺に回ってきた。もう一度お礼を言って飲むと、なんだかすぐに体内のアルコールが薄まっていく。
叫喚地獄は酒乱の巣窟で、と鬼灯さんが説明しようとしてくれているところで、飲み屋に獄卒が勢い良く入って来て鬼灯さんと閻魔大王を見て声を上げた。
どうやら叫喚地獄の亡者たちが雑用係・八岐大蛇の持っていた酒を奪ったらしい。
え、雑用?八岐大蛇?と目をシロクロさせていると鬼灯さんが急いで飛び出していく。閻魔大王は目立つし邪魔だという理由で置いていかれ、手伝いを申し出た俺も危ないからと断られた。
せっかくの好意を無駄にしたのはいつのまにかそばにいた白澤様である。
いくよーと手を引かれて、俺は叫喚地獄まで一緒に来てしまっていた。

叫喚地獄は酔っ払いがひしめき合い、むせかえるようなアルコール臭が押し寄せて来た。タクシーらしい朧車に乗っちゃうやつ、脱いじゃうやつ、そこらへんで寝ちゃうやつ、木の上に登っちゃうやつなど様々な酔っ払い行動があちらこちらで目に入る。
「……だからついて来るなと言ったでしょう」
「酒くさ〜」
あまりの異臭に鼻をつまむ。
「ここの亡者の罪自体は飲酒による悪業なのですが……本人に記憶がなくて反省しないものが多いのが、ここの嫌な特徴なんです」
「あー……」
俺は納得の声を上げる。
アルコールアルコール、うえーいうえーいと声を上げる酔っ払い集団に混じるとなんかはぐれそうだったので隣の白澤様の服を掴んだ。一番このあたりの地理に詳しい鬼灯さんだ遠くてむりだ。

なんとか人混みから抜けて八岐大蛇のいるところまでいくと、めっちゃでっかい蛇が鬼灯さんに叱られていた。
「なんというか……残念な……」
酒類持ち込み厳禁のところへ酒を持ち込んでしまうわ、亡者に奪われとんでもない事態になってしまうわで、日本神話の結構な大物がヘマをやらかす場面を見てしまい、ちょっとしたがっかり感を味わっていた。
そういえば伝説の神獣、大妖怪の白澤様もへべれけ酒飲み女好き、朝から休みたい休みたいと駄々をこねてた二日酔い男だった。となりをチラッと見ると、俺の視線に気づいてへらっと笑った。
「残念な……」
「僕を見て言った?今」
「いえ」
そっと顔をそらし、暴動に巻き込まれないように岩の後ろに隠れた。
そろーっと覗き込みながら、白澤様が描いてくれた八岐大蛇の図を見たが、なんか精神的にクる絵柄だったのであんまり絵の方は見ないようにした。毎年生贄を欲するとか、山と谷をまたぐほどでかい、とかいう注釈だけ見る。
「目は……赤カガチって?」
「真っ赤なホオズキのことだよ。蛇もホオズキも古称はカガチっていうんだ」
「へーかっこいい」
「どこが?」
低い声がした。ごめんて。
名前がです名前が。

それにしてもこの事態はどう収めるんだろう。
お酒を飲み干すのを待つほど優しくはないだろうし、取り戻すと騒ぎが大きくなる。ただ見守るしかない俺と違って白澤様は鬼灯さんの次の手がわかったみたいでふふんと笑った。
「あのさああのさあ、僕の私有地に養老の滝があるぜ、レンタルするよ」
「……そうでしたね、いくら欲しいんですか」
「とりあえず早急に50万、借り続けるなら月極めで」
「わかりました」
二人のやりとりでようやく、理解した。
押してダメなら引いてみろ作戦のついでに、妲己への支払いもクリアしたようでほっと一安心だ。


「一応考えてたんですね」
「あはは、まあね」
そういうわけでこれからも頼むよーと言われて肩をすくめる。
甘やかしすぎでは、と鬼灯さんに言われたのはこれで許してしまうからなのかもしれない。
「払えれたらやめないなんて言ってませんけどね」
「え」
ちょっと憎たらしいので、ちくっとさす。
「な、な、なんで」
「一晩で50万円必要なほど遊んだという事実は変わりませんし」
え、え、とどもりながら俺にしがみつこうとするので、一歩距離をとって両腕を組み拒絶のポーズをとる。
そもそも全部白澤様の財産なわけで、俺に賃金が支払われている限りどうこう口出しするつもりはない。生活態度を改めろというのは違う気がするんだよな。あくまで雇い主だし。
ただ、そういう上司のもとでこれからも働くかどうかは俺に委ねられていくわけだ。
正直本音を言うとやめたくはない、が許してばかりいたらダメならたまには叱ってやらないといけないというわけで、人差し指を一本立てた。おろおろしていた白澤様はぽかんとした顔で動きを止めた。
「罰として一週間、飲みにいかずに毎晩俺とご飯食べてください」
「タオタローくんとご飯?」
俺は本来お腹が空かないので適当に酒のつまみを食うか、桃を食うかだった。その時白澤様は夕食を外で食べて来る。ついでに夜遊びして来てしまう。
ならば夕食を家でとっていただこう、っていうのがぼくの考えたさいきょーに平和で真面目な罰だ。
「女の人と夜遊びしないで、俺とご飯です」
「うん」
「それ一週間続けられますか?」
「うん」
呆然としたままこくこく頷くので、ほんとーにわかってんのかな……と不安にはなる。
今まで毎晩のように歩き回ってたのを一週間禁止してみれば、ちょっとは懲らしめられるだろう。
「やくそくですよ」
ほくほくして、白澤様の手を掴みぺちぺち叩いて、もう一度頷いてもらった。
鬼灯さん、俺やったよ。そんな感じで鬼灯さんを見たら、微妙に眉を顰めている。
「あなた、そういうとこですよ」
甘かった、だと?
「でも毎日飲み歩いてたので」
「なら一人で食事をさせなさい」
「俺とご飯も罰のうちですよ。俺じゃないなら鬼灯さんくらいしか思い浮かばなくて」
「いやです」
「いやだ!」
白澤様も勢い良く首をふった。罰なので白澤様の意見はどうでも良いとして、鬼灯さんに迷惑かけるわけにはいかないので、最終的に一番迷惑かからない、一緒にいても嬉しくないだろう男と考えて俺となったわけだ。
でも鬼灯さんはちょっと呆れた顔してたし、白澤様はうきうき帰ろうと言い出したので、俺はやっぱり今後もうちょっと厳しい考えを持った方が良い気がした。
今度、鬼灯さんに相談しようかな。キツい答えしか返ってこないだろうけど。



...

主人公はぶっちゃけ、好きにすればいいんじゃないかなって思ってます。女遊びはほどほどにしてほしいけど、自分には関係ないしって。でもそれが甘やかしてると言われたら、そうなのか?と少し気を引き締める。一応雇い主なわけで、雇い主が間違ったことをしていれば口を出すのも役目か??みたいな。
ただ、今までもがんばって引き止めた方だったんです。その引き止め方も甘やかしていたけど。
April 2018

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