Sakura-zensen


春惑う 06

玉龍寺に警察が駆け込んでくるまえに、俺がいた事は内緒で、と告げてコナンくんと和葉ちゃんに後を任せた。きっと服部くんが頑張った、ということにしてくれるだろう。
そして何食わぬ顔して実家に戻り、お風呂から出たところで丁度綾小路さんから電話が入った。
内容は犯人は無事捕まえた報告と、今晩玉龍寺にいたかの確認だ。
コナンくんたちは知らないと言ってくれたようだが、俺が倒した西条さんの弟子たちは「春野サクラにやられた」と言ったそうなので。
俺が服部くんと見間違えたのだとスッとぼけたところ、綾小路さんは俺がそこまで戦えるとは思っていないので納得してくれた。


綾小路さんがやっと俺を迎えに来たのは翌日の朝だった。
だがそこですぐに話をするというわけではなく、毛利さんたちの見送りのために京都駅へと連れてこられた。
どうやら彼らは今日東京に帰ってしまうらしく、その前に毛利さんが俺に謝りたいと言っていたらしい。千賀鈴さんも俺も、全然気にしていなかったけれど。
とにかく謝罪を受け入れ、和やかに見送りをした後は服部くんと和葉ちゃん、千賀鈴さんがホームに残された。だが綾小路さんが俺を連れ出すので、彼らには挨拶もそこそこにして再び車に戻ってくる。
「そんなに急いで、お仕事まだあるんですか?」
「後のことは部下に任せてます、早う家に帰りましょう」
「……はい」
家に帰るということは、とうとう、話をするときが来たようだと決意する。

おばさまからの提案、そしておじいちゃまが俺を男だと知っていることで、二人との話は進んでいて、───もう、ほぼ決まっている。
綾小路さんはまた、俺を突然許嫁だと言って押し付けられたように、最後に話を聞くことになるのだ。

「───なんて言いました?」

案の定、綾小路さんはぽかんとした顔をしてた。
あの日のように、聞き間違いかも、という希望を抱いて聞き返される。
「ですから、許嫁は解消です。俺は男なので」
「…………っお、……おとこ……!?サクラさんが……?」
綾小路さんはすでに座っているのだが、身体を起こしていられないとばかりに身体がふらつき、テーブルに手をついた。
「本当の名前は春野っていいます」
さん……」
おうむ返しにぽつりと名前を呼ばれたが、俺はその後もう一度名乗り直すことにした。
「でも、綾小路さんさえ良ければ、綾小路になります」
「!?!?せやけど入籍は……」
「おばさまが、養子にならないかと言ってくれたんです。俺は、それでもいいかなって」
目を白黒させてる綾小路さんが、落ち着くのを待つ。
俺と綾小路さんの許嫁関係は、おじいちゃまやおばさまの『夢』だっただけだが、それが叶うことはないのが現実だ。そこでおばさまが、綾小路の家に入らないかと言ったのがつい先日のこと。
おじいちゃまにもちゃんと話をする、と言ってたけれど、当のおじいちゃまは俺が男であると分かっていたので話は簡単で、二人はかなり乗り気になって俺を養子に向かえる準備をしてくれている。ちなみに海外出張の多いおじさまは空気だ。
「そしたら、俺は綾小路さんの家族になれる……文麿さんって、呼べるけど」
「───あれは、そういう意味で」
「でも、もう顔も見たくないのでしたら、この家を出て行きます」
「誰がそんなこと言うかっ」
「……俺が男で、嫌になったり」
「嫌になんてなるわけ、あらしません」
綾小路さんは勢いよく声を上げ、テーブルの上で震える拳を握った。
男だと分かった今、綾小路さんが俺を拒否する可能性も考えていたので、その答えには安堵した。
もちろん女の子だと思ってて、許嫁という関係性が無くなったら、『ふりだし』に戻るわけだけど。俺にとってはやっと、スタートラインに立ったという気持ちである。
「よかった。じゃあ俺、綾小路になってもいい?」
「は、はい」
「そしたら、文麿さんって、呼んでもいい?」
「……そらもちろん。せやけど、あんさんこそいいんですか?……私がずっと、サクラさんに惚れてたことはわかってはりますやろ。そんな男と家族になるゆうことですよ」
少しずつ許可を取り、にこにこ笑っていると文麿さんは照れ臭そうに口を尖らせた。
文麿さんの気持ちは重々わかっていたが、俺はその感情は『女』と『許嫁』という土台の上に成り立っていると思う。

「だってもう、俺が男だってわかってるでしょ」

首を傾げて聞き返すと、文麿さんはぐっと言葉を飲み込んだ。
確かにまだ割り切れないことはあるだろう。姿かたちは何の変化もないのだし。
だが一度知ってしまえば、もう俺を女として見ることは出来ないはずだ。
───だからこそ、いいのだ。

「俺は文麿さんのこと、家族になりたいくらい好きだよ」
「好、……お、おーきに」
好きという言葉に動揺しているのだろうと見て取れた。
テーブルの上でぎこちなく動いていた手を取り、握り込んで顔の近くに持ってくる。
そして自分の頬を掌に摺り寄せた。
「これからはゆっくり、本当の俺のことを知ってほしい。それで、心から家族になりたいって思ってもらえるように俺も努力します」
「───……」
驚いていた目が揺れた後、悲しげに細められた。
返事がくるまでに時間はかかったけれど、やがて文麿さんは自発的に俺の頬から手を引いた。
「私もさんを家族と思えるよう、努力します……」
そして言葉と共に、今度は俺が手を握られた。

その努力が俺の望み通りになるといいな───と、握手を交わした。




それから二か月ほどが経ち、あの頃咲いてた美しい桜の花はすっかり散り、見る影もなくなった初夏───俺は両親の一周忌の為に一度東京へ帰った。
俺にはほとんど親戚というものが存在しないため、一周忌の法要は文麿さんに付き添ってもらっている。

「そういえば、中野家の墓は京都なんだよね」

両親の墓を前に二人で手を合わせながら、思い出したように呟いた。
俺や母なんかよりよっぽど綾小路のおじいちゃまが世話をしてくれているのは聞いているが、京都にいるのに全然お参りをした覚えがないので悪いなと思えてきた。
「京都に帰ったら、一緒に行ってくれる?」
「もちろん、おじいさまにもちゃんと挨拶せんといけませんなァ」
今日は両親へと手を合わせてくれた文麿さんに微かに笑う。
そういえば俺は、死んだら春野の墓にはいるのだろうか。綾小路の家に入ったといえあの先祖代々の墓に入るのはとても気が引ける……。
「───仏さんに三度までで頼まんと」
しょうもない考え事をしていると不意に、文麿さんが言った。
思わず失笑してしまう。
「ふっ……おじいちゃまに聞いたの?」
「えぇ、聞きました。うちの家系は三代もあんさんとこの家系に惚れるとか……まったく難儀なもんや」
「それ───"綾小路"に限ったことではないんだよね」
「どういう事です?」
自嘲気味に笑った文麿さんは、俺の言葉にきょとんと首を傾げる。
おじいちゃまやおばさまは一方的に叶わなかったという。それをまるで、片思いみたいに感じているようだけれど。
「おじいちゃまは、祖父の信也から読み方を変えて娘に『のぶ子』、おばさまはうちの母の斐から文という字をとって『文麿』にしたんだって」
「ええ、そうですね」
「でもうちの祖父だって娘には「あや」と名付けたし、母は俺に髪を伸ばさせたんだから、何も思ってなかったわけではないと思う」
「───……、」

東京に来て覚えのある街並みを見てから、少しずつ幼いころの記憶というものが蘇って来た。
俺は気が付いた時から長髪だったが、それは幼いころ母に言われていたからだ。───いつか誰かさんの『お嫁さん』になれたらいいな、という願いを込められて。
きっと母は文麿さんのことを知っていたのだろう、俺より十一年早く生まれているし。
会ったことのない相手だとか、本当に嫁になれるわけがないとか、そういうのを抜きにしてただ『夢』を見ていた。
祖父も、母も、綾小路のおじいちゃまやおばさまもだけれど、きっと過去の俺でさえも。
「……夢だけなんて、勿体無いよ……」
「え」
「なんでもない。もう行こうか、コナンくんとこ行くって言ってあるんだ」
何気なく呟いた言葉を聞き返す文麿さんに、はぐらかす様にして手を伸ばしてと引っ張った。

何を言うでもなくついてくる足音を聞きながら、初夏の風が俺を追い抜く。
すると、短くなった髪の毛先が項や頬をくすぐった。

───髪を切ってよかった、と思う。

もう、口約束や思い出に縋って抱く夢に、惑わされることはない。







さんが男であると性別を知って、ショックを受けなかったゆうたら嘘になる。
せやけど、おじいさんとお母さんから、三代にわたってうちのもんは春野───否、中野の家系に惚れとると聞いた時、もはや責める気ぃも起こらんようになった。
今までの感情が、無駄で、みじめで、報われんもんなのかと思うていたけど、きっと私は初めから男としてさんが目の前に現れても同じように好きゆう感情を抱いてたはずやと。

だけど、それはそうとして、どないしよ。
養子になることに賛成したんは、気持ちを切り替えるためやった。せやけど心のどっかで、同じ苗字になってくれることに歓喜してたんも自覚しとる。
さんにしてみれば、私が兄になったゆうことは、そういう目ぇで見ないゆうことになって、安心もしたはず。
せやから───口が裂けても、好きやなんて言われへん。
「家族になりたいくらい好き」というてくれた、あの人に対して。




「うちのお父さんが本当にすみません」
「いえいえ~。蘭ちゃんたちは帰れる?タクシー、一緒に乗る?」
「ウッなんか気持ち悪い」
「おじさん大丈夫~……?」

タクシーの座席に押し込まれて、さんたちの声を聞く。
今日はさんのご両親の一周忌で東京に来てて、ついでに毛利さんとこのコナンくんに会いたいゆうのに付き合ったら夕食を誘われて。
そしたら、事件に巻き込まれてやっとこさ夕食が食べられるようになって、毛利さんに付き合って酒を飲んだんやった。

蘭さんが謝り、さんが応え、コナンくんが毛利さんの背中をさすっている光景を眺めてると、そのうちさんは運転手にホテルを告げる。
どうやら私は悪酔いしたみたいで、身体が重く、起きてるのもしんどいようになっていた。
いつしかホテルについたんで、カードを渡して支払いを任して自力でタクシーから出る。
外の空気を吸うたら、少し気が晴れるかと思たけど、まったく体調が回復する兆しもない。

一刻も早く横に横になりたくて、さんに身体を支えらながらホテルの部屋にやってくると、いよいよ気ぃ抜けて身体の力が入らんようになった。
「今日はお風呂はやめとこうね」
「ん……」
ベッドに座らしてもらった後、のろのろ上着を脱いでるとさんの手がそれを助けた。
いつやったか、疲労困憊だった私をさんが介抱してくれたことを思い出して、その手つきを眺める。
「……全部脱がしていいの?」
「あァ自分で着替えます……さんはシャワーでも行ってきぃ」
ぼんやりしてたせいで、さんがいたずらっぽく笑うまでされるがままやった。
さすがに全部着替えさせられるのはいたたまれん……。
手を振ってそっぽ向いたら、さんはそれを察して素直に私に背を向けた。
せやけどその姿がシャワールームへ消えてった途端、ベッドに横になる。

もう全部朝でええ───、と沈んでいく意識によって、力が抜けて思考力も落ちていく。
どこかのドアが開いたような気もするし、話しかけられてるような気もするけど、返事をする余裕もなくほとんど無視するように、顔を背けた。

───「少し脱がすよ」
───「水飲める?」
───「……文麿さん……」

ふいに、ぎしりとベッドが軋む音と揺れを感じて、目を開けた。
さんが私の身体を跨いで見下ろしてはった。
控えめな照明が顔をうっすらと照らしてて、唇の動きがやけに目につく。
「よかったら、飲ましてあげようか……」
「……」
その発言に、思わず何も入ってない喉が嚥下する。
答えない私にを急かすように、ペットボトルの口を開ける音がした。
さんは横目で私を見下ろしながら、水を煽り口に含む。そしたら顔の横に手をついて、覆いかぶさるように近づいてきはった。

「、ぁ……ぁかん」

やっとのことで絞り出したのは、理性が勝った言葉やった。
さんは水を飲み込んだ後、私の身体の上から退くように、両手に体重をかけた。
一瞬顔が少し近うなって、鼻先が肌に触れて───、

「───いつか、いいって言ってね」

と、囁いた吐息が頬を湿らせた。

え?


「───……、」
気づいたら朝、ホテルのベッドでそのまんまの態勢で目を覚ました。
昨日のことが都合の良い夢なんか、それとも本当にそう言うてはったのかはわからんまま。

とにかく頭をはっきりさせるべく、シャワールームへ行くために重たい身体を叱咤した。



end.



男として好きになって『いい』って言って欲しい主人公VS弟を好きになったら『あかん』ので必死に耐える綾小路文麿ファイッ。
この後コナン世界の恋愛事情(?)に則って長いこと結ばれないと面白い……けど早く結ばれてほしさもある。
養子縁組はつまり結婚ってことなので、既に外堀を埋めていたのは主人公の方……。告白はちゃんと告白だったということです。
主人公と綾小路の家族捏造はごめんなさいやで。ガチ恋なのかクソデカ感情なのか淡い初恋なのかビッグラブなのかは決めてません。
May. 2024

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