Sakura-zensen


春の妻問い 04

俺の人間だったころの名前はという。
そして、春野サクラともいう。
漫画のキャラクターの名前で、女装をしていた時の偽名といえど、俺にとってはサクラも俺を呼ぶ名前だ。

───「さくら……?」
初めてあったとき、律はそういって首を傾げた。
一瞬俺は自分の名前を呼ばれたのかと思ったほどだ。名前を呼ぶときのイントネーションではなかったけど、本質を見透かされたような、好きなものを言い当てられたような。
胸が、踊るようだった。

開さんから聞いてはいたけど、律は『目』が良い。
誰も俺の桜色の髪や翡翠の瞳を話題にあげないし、おそらく見えていないけれど、律はきっと気づいてる。でなければ、俺を見て一番に桜を連想することはないだろう。
開さんだって、初めてあった時に山にいる子供かと聞いてきた。それは生きてるか生きていないかを置いておいて、人間だと思ったということだ。
もちろん俺は人間で間違いはないし、神だの木の精霊だの桜の木そのものだの、色々といわれているがどれもしっくりはこない。
ただ、律が俺を見て桜を連想したとき、初めて今の自分を受け入れられたような気がした。
人から離れつつあった俺を人に戻して、思い出させてくれたのが開さんなら、俺は俺のままで良いと思わせてくれた人が律だ。
「玉霰は開さんの式のままだろう?僕は」
「律は人間のまま」
結婚したからといって、異界につれこみ律に人間をやめさせるとか、俺が開さんの式をやめるとか、そういうのは考えていなかった。
律は人として生きてほしいし、その苦楽を俺は共にしたい。律を通してならそれができる気がする。
開さんは危ないことにすぐ手を出すから放っておけないし、人としての魂を守ってやりたいと思うので式としての自分も重要な立場だと思ってる。
だから、生活が激変することもないだろうし、婚姻の儀式というものを順当にふんだわけではないので、どの時点で結婚したと言えるのか定かではない。
でも俺の中では律が俺に返事をした段階で既に、もう結婚は確固たるものとなっていた。
今は、神前での宣言や周囲への報告と認識に伴い力を増してる状態だ。
「シミ、だいぶ消えてきた」
残すところ、左手の薬指だけになった律への求婚の執念……もはやただの呪いだと称してもいいだろうそれは、俺たちの縁がより強くなったことで薄れている。
布団の中から引っ張り出した手を暗闇の中で眺め、あと少し、何が足りないのか思いを馳せる。
律もそれが不安だから、俺に聞いたのだろう。いつ、結婚したことになるか、なんて。

尾黒と尾白は祝福してくれて、律の家族は許してくれて、神様の前で誓った。
結婚が明確になっていないのは、律が自覚できていないから。そして俺もまた、それを口にできていないからだろう。
その時ふいに、お粗末な求婚の主の気配が夜に混じるのがわかった。
あれを退けてからじゃないと、結婚したと言い切れないのだろうか。
神社で誓ったとき、それを身に強く封じておけばよかったかな。
「たま───、」
気配に起き上がろうとした律の黒い目をおさえて見下ろす。
少し、俺自身気後れしていたのかもしれない。でも他のものに取られるくらいなら、もっとはやくこうしていればよかった。
律の開きかけた唇を塞ぎ、熱と呼吸と体液を合わせる。
目を塞ぐ手を離して、もうひとくち頂く。俺よりも体温が高くて、触れると気持ちが良い。
戸惑いながら開かれた律の瞳は今度こそ、俺を映していた。



しまった、律の左手を確認しそびれた。
窓から出てきた俺は庭に着地するときに思い至る。
なんだったら、さっきので俺と律は結ばれて、妖魔は飛び散るしかないかもしれない。

蠢く黒い塊は、俺の思った通り苦しんでいた。
それは悔しくて身悶えているだけで、ある意味では危険な状態になったと言っても良いだろう。
だから、人間では律の結婚相手は務まらないと思われたんだ。
「おい」
人とは思えない声───ああ、人じゃなかった───をあげてるそれに、声をかける。
「おまえが娶れるものはここにいないぞ。もう、俺の妻だからな」
かろうじて手足のようなものが見える。獣のようでも虫のようでもなく、靄みたいで、正直どちらが手足なのかはわからないけど。
「ァアアァ……ア……邪魔を…!…するな……ッ」
「邪魔?それはお前の方だって」
びゅうびゅうと何かが伸びてきて、俺を攻撃するのを避けた。
「私が先に……目をつけたのに!」
「ちがうね。───絶対、俺のが先だった」
いなすのではなく掴み、ねじり上げる。それからぶん回して地面に叩きつけた。
聞くに耐えない声がこだまするので、人間じゃないやつらは起き出してきそうだ。そもそも大半が夜行性で睡眠を必要としないやつらなので元から起きてるか。


汚れを払うように手を叩いてると走ってくる足音が聞こえた。
大した力のないやつだったけど、律にとってはやっぱり危ないので来て欲しくなかったな。
「玉霰!」
「こら、なんで来たんだ」
「若!危のうございますぞ」
「我々がお守りいたしまする!」
庭の桜守りたちは当然起きていて、見ていた。そして俺の応援を隅っこでしていたので、すかさず律を守るために飛び出した。
まあ妖魔は俺に打ちのめされて律に襲いかかる力はないようだったけど。
「ぶたれてなかった?」
「え?ないない」
俺が投げた妖魔は尾黒と尾白がこぞって甚振り始めたので、ほどほどに、いや好きにしちゃって、と任せ、駆け寄って来た律に両手を広げてみせた。
俺の顔をそっと包み、目を凝らすようにして無事を確認する。
「もう、心配性だなあ、なんのために俺が名乗り上げたと思ってんの」
「───このためだけっていうなら、怒るぞ」
「うそ」
俺の顔をぐっと抑える手をとって、一応左手を確認する。もうシミひとつない、いつもの律の手だ。
「僕だって守ってもらうためだけに頷いたわけじゃない」
「うん」

尾黒と尾白にはダメにした妖魔の片付けをさせることにした。
どこかにちぎって捨てるとかしてくるだろう。
あれが律に求婚することはもうないし、他のどんな妖魔だってできなくなったに違いない。それくらい、律には俺が浸透したはずだ。
「さて、ようやく何の心配事もなくなった……寝よっかー」
「……いや、うん……寝るけど」
「あ、興奮して眠れない?」
「こ……!?いや、そうかも」
やらしい意味で言ったつもりはないと、律もすぐ気づいたみたいで頷いた。
律は大して動いてないとしても、俺が庭でドッタンバッタンやったのはきっと心配だっただろう。
落ち着くためにもお茶をふたりぶん準備してから部屋に戻った。

「あ、ここだ」
「へ?」
お茶を飲んで、もう一度寝支度を整えていると、律の手が伸びて来た。
「上から見てて、髪が変な風に跳ねたからぶたれたと思ったんだ」
「あ、ほんとだ」
「もったいない……綺麗な髪なのに」
耳のそばの髪が一部切れているみたいで、律は他の長い髪と一緒にとって親指でさする。
それから髪がこぼれ落ち、律の手はうなじから耳たぶ、顎をなぞった。少しくすぐったい。
「り、りつ、」
やがて指ではなくて律の唇が俺の輪郭を優しく滑ったりはねたりしはじめた。
首筋に息があたるせいか、体が熱くなって汗ばみそうだ。
後頭部をおさえる律の手がゆっくり俺の髪をまとめて掴み、踏ませないようにしながら体を布団の上に横たえた。
律は掴んでいた桜色の髪に口付けて笑う。
「とけそうなくらい柔らかい」
「そうかもね」
子供のような髪質なので、確かに柔らかいかもしれない。そんな髪を体に置くようにして律の手は肩から胸に向かって撫でた。
「さっきの妖魔って結局なんだったの?」
「さあ、俺にもわからないけど、もう二度と現れることはないだろ」
のしかかるようにしていた律は疲れたのか隣に寝そべり、俺たちは顔を近づけささやき合う。
「じゃあなんの憂いもなくなったんだ」
「そう、結婚おめでとう」
「おめでとう」
他人事のような言い方だけど、互いに祝い合う。
「律、このさき、楽に死ねると思わないように」
「なに、その殺し文句」
律は目を細めて笑ってから、いいよと答えた。
今、人間を逸脱させるつもりはないけれど。
たとえば律が年老いて、とうとう寿命が尽きた時、俺が律の全てをもらうだろう。
いつのまにか神様と結婚していた開さんの魂を守ってやると言ったけど、彼のようにはしてやれない。
主人と妻は違うし、開さんには式でありながら人としての情を、律には人として心から思い、妖怪のごとく理不尽な愛を抱いてる。
───うん、やっぱり俺って人間じゃないかも。



end.

私はね、初対面から実は落ちてたっていうパターンがね、好きなんですよ。
求婚した妖魔は性別も姿も経緯も、設定まったく考えてないです。(にっこり)
あと西洋の結婚式で誓いのキスをするのは、誓いを身に封じるためという説がありましてな。だからより強力に結婚したことを体に染み込ませるためにキッスは必要だったんです。
April 2019

PAGE TOP