春は龍の玉 小噺 -金婚式-
飯嶋の本家には鳴の物心ついた時から祖父の従兄弟が一人で暮らしている。だけどその家には人間以外の物がたくさんいて、小さい頃は親戚の集まりであの家に行くのがとても恐ろしかった。
家の裏にある雑木林の奥は妙な気配が漂っていて未知の領域だったし、時折家族以外の誰かの内緒話が聞こえてきたし、床下から話しかけられたりするし、喋る鳥が台所から酒を運んで行って縁側で飲んでいたりするし。
「───あっこら、鳥!!」
「ややっ!……坊、見逃してくだされ!!」
「どうかどうかー!」
今日も今日とて、鳥たちがこっそり一升瓶を抱え上げて運んでいたのを目撃して叱り飛ばした。
だが奴らは逃げるようにして飛び去っていく。
「おまえら、誰のおかげでこの家の木に棲めてると思ってるんだ!おじいちゃんに言ってやるからな!!」
あの鳥たちめ。
鳴は憤慨しながら、家主の元へと足を運んだ。
しかし家主───律にその話をすると、彼は大笑いをしていた。
いつもなら呆れたり、鳴の代わりに叱り飛ばしてくれるのだが、この日はいつもと様子が違う。
「まあ今日は許してやろう、めでたい席があるから」
「めでたい席?」
その言葉に首を傾げる。
親戚が集まっていたのは鳴の成人祝いでもあったけれど、鳥たちも祝うのだろうか。
───しかし宴会に鳥たちが参加している様子はなかった。
その後鳴は客間に泊まることになり、風呂を借りたり布団を運んだりで家を歩き回った。
ふいに通りすがった部屋の戸が開いていて、何気なくのぞいた部屋の奥に、きらりと光る何かが見えた。
なんだろうと入っていくと、誰もいない部屋の文机の上に置かれた青い盃に気がついた。
高窓から差し込む月明かりが反射したのは、その盃に走る金の筋だ。
「きれい……」
思わずつぶやいたのは、青と金の組み合わせとか、稲妻のように鮮烈な筋の入り方に目を奪われてのことだった。
触れるのも億劫な、けれど手に取って光に当ててみたくなるような物。
鳴は指先にじわりと意識が行くのを感じた。だが鳴が動く前に、突如、背後から伸びてきた手がその盃をとった。
反射的に振り返ると、そこには和服姿の男がいた。
細い切れ目から覗く眼光はやけに鋭く、鳴は恐ろしくなる。こんな親戚は飯嶋の家にはいなかった。
「まったく、大事なものを置き去りにしおって」
「こ、れ、あんたの……?」
だが男は鳴のことなど歯牙にもかけない様子で、「触れるなよ」と言うと部屋から出て行った。
触れてねーし、まだ。と暫く茫然としてしまう。
だが今度は気を取り直して部屋を出ようとすると、戸の前に和服姿の少女が現れた。
「うわ!」
「ああ、驚かせてごめん」
飯嶋の家ってこれだから……。
そう思いながら、鳴はなんとか平静を取り戻す。
少女はさっきの男よりは、随分優しそうだった。
鳴とすれ違って部屋に入って奥へ行き、そして「───鳴」と呼ぶ。なぜ鳴の名前を知っているか、などと考える間もなく少女は問う。
「ここに、青い盃を見なかった?」
「ああ───あれ」
そして問われた言葉に、思わず息を呑む。
鳴の反応を見た少女は畳みかけるようにもう一度、「見たね」と確かめた。
「さっきここにあったんだけど」
「触れた?」
優しそう、と思っていた少女の鳴を見る瞳は、人間離れした美しさと光を放つ。
「お、男の人がきて、持って行ったんだよ!僕は触ってない!」
「ああ……糸目の?」
妖しげな凄みに耐えながらも必死で答えると、すっかり彼女の恐ろしさも美しさも潜められた。そして今度はふざけた様子で、目じりを指先で吊り上げて糸目を表現する。
あれに糸目などと可愛い表現がつり合うかどうかはともかく、鳴は何度も頷いた。とにかく自分が触っていないこと、誰かが持っていったことをわかってほしい一心で。
「ああよかった、叱られてしまうところだった」
少女は鳴の言葉に納得して胸をなでおろす。そこで鳴も安堵した。触らなくてよかった、と。
ちなみにあの男は盃を置き去りにしていたことを怒っていたようだから、少女は叱られるような気がするが───鳴のせいではないので知ったことではない。
鳴はようやく不可解な遭遇の連鎖から逃れて、床に就いた。
だが深夜「坊、───起きなされ坊!」と甲高い声に起こされる。
目を覚ませばそこには酒泥棒の鳥がいた。思わず顔を鷲掴みにして起こされた不満をぶつけるのは、仕方のない事である。
「なんだよ人をこんな真夜中に叩き起こして!」
「ああ~っ、これは主の命なのです!!」
「主って……おじいちゃん?」
「そうでござりまする!」
いつの間にか二羽そろっていたらしく、鳴を取り囲みピイピイと言い訳をする。
鳥たちはこの家の木を棲家とし、律に仕える妖魔だ。
律は人の生活に妖魔が介入することを良しとはせず、一族の中でもよく見えてしまう鳴には時折あれらとの付き合い方を教えたが、『見て見ぬふり』と『約束はしない』と口を酸っぱくして言うばかり。
そんな律が妖魔に命じて鳴を呼ぶとは何事だろう。
さすがに鳥たちが勝手なことをしているとは思えないし。
───「めでたい席があるんだ」
鳴の頭を占拠する疑問の中で、ふいにその言葉がよみがえる。
「今日は金婚式なのじゃ」
「坊もぜひにと!玉霰は幼少期、坊のことをおんぶして子守をしておりましたのでな」
「玉霰……?」
「まあ、もうその名ではありませんがな」
寝ぼけた頭の中で鳴は断片的な情報から推測する。
律が言っていためでたい席というのは『玉霰』の『金婚式』であるらしい。
鳴は朧気だった小さいころの記憶の中で玉霰の名を聞いたことがある気がして、つい鳥たちに連れていかれるがまま、部屋の外に出た。
暗闇の中、鳥たちの羽音や声だけを頼りに歩くと、記憶にかかっていた靄が晴れてくる。
幼少期は本家にくると、この鳥たちと、玉霰という人がよく鳴の面倒を見ていた。
鳥たちは完全にオモチャにしていたような気がするが、玉霰は夜中に家が怖いと泣く鳴を一晩中あやしたし、昼間に庭でボール投げもしてくれた。
こんな風に忘れてしまったのはきっと人ではないからで、そして朝が来たらまた忘れてしまう事なのかもしれない。
それでも鳴は、急に懐かしい存在になった玉霰に会えるとドキドキしながら、遠くにぽつりと光ったその空間に向かって歩いた。
「なんだ鳴、おまえもきたのか」
「げ、あんた……!」
だがそこにいたのは青い盃を持って行った男で、鳴を見るなり肩をすくめた。
名前が知られていたのはこの際仕方がないということにしても、玉霰ではないはずだ。だがこの男にもどこかで会ったことがあるような気がする。
そして玉霰の存在に霞んでいた記憶まで思いだした。
この男───たしか玉霰とよく一緒にいて、鳴の面倒を見ていた。正確に言うと鳴の面倒を見る玉霰を見ていただけで、鳴の世話をしたという意味ではない。意地悪ならされた。
「思い出したっ、青嵐だ!」
言い当てようと口に出すと、男はわずかに目を見開いた。だがすぐに目を細めてにたりと笑う。
「もうその名ではない」
「は?なに?どういうことだよ……!」
「ああもう、うるさいやつだな。おまえは黙ってそこらにいろ、邪魔をしたらただではおかんぞ」
「わあっ」
鳴は首根っこを掴まれて、雑においやられた。
周囲が真っ暗闇だったので驚いてしまい、思わず叫び声をあげると、側で足音と笑い声がした。
「───また鳴に意地悪をしてる?」
見上げると、少女がいた。盃を探していたこの子が玉霰だと、鳴はすぐにわかった。
「!た、たま───」
「来たな、妻よ」
「はい、旦那様」
「!?!?」
鳴は歓喜のまま見上げたが、青嵐が妻と言い、玉霰が応えたことに気をとられて、言葉を失ってしまった。
玉霰は青と金色の色打掛の姿で現れて、その横には付き添うように律がいた。
そして青嵐のもとへ引き渡される───なんだか、まるで嫁入りのような光景。
鳴は何とも言えない雰囲気に圧倒されて、黙って見ているしかなかった。
一つの青い盃を前に二人が並んで座り、鳥が注ぐ酒を二人で飲み干す。
あれは鳴が見かけた盃と酒で、この儀式に使うための物だったらしい。
その後酒は律や鳴にも振舞われ、宴会のような席が設けられる。
「これって金婚式って言ってなかったけ」
鳴がようやく零した疑問に、律も苦笑する。
金婚式といえば五十年目をあらわす記念日で、それなら熟年夫婦なのでは、と思った。
だが二人の姿が若く、特に玉霰など少女の姿をしているので、初々しい結婚式にしか見えない。
それに、既に結婚している二人なのであれば、もっと略式的なもので良いのでは、と鳴は思う。
「二人にとってはようやくこれから、なんだよ」
妖魔のことはよくわからないな、と鳴は口を閉ざした。
「だから二度目の祝言も許してやろう」
「いや一度やってんのかよ!!!」
だが思わず突っ込みを入れた。
その時青嵐がうるさいぞ、と注意してくるので鳴はべっと舌を出す。
玉霰は酒が好きなのか、鳥たちと盃を傾けて笑っていた。
「さて、宴もたけなわでござますが、月が雲る前にゆかねばなりませんな」
白い方の鳥、尾白が唐突に言った。
その時、月、と思い天井を見ると暗闇だったそこには尾白の言う通り月が浮かんでいた。
鳴はここへきて初めて、空の下にいたことを認識した。
「───名残惜しいが仕方あるまい」
今度は尾黒がそういうと、さわりと風が吹き金の芒がざわめく野原へと場所を変えた。
「なに、これ」
「「律」」
戸惑う鳴を他所に、律は二人に呼ばれて近づく。
そして何を言うでもなく、頷き合った。
途端に強い風が吹き、鳴は芒に顔をぶたれて背けた。ようやく視界を取り戻した時には、目前に龍の姿があり、玉霰がその龍に口づけをするところだった。
二人の擦り寄る光景に、ああ───夫婦なんだな、と不思議と腑に落ちる。
そして鳴が再会に浸る間もなく、二人は旅立ってしまった。
月に向かって昇る龍の影が小さくなるまで、律も鳥たちも、鳴も、しばらくその場から動かなかった。
起きたら全て忘れているかもしれないが───それでも良いと思った。
なぜなら少しだけ、寂しかったから。
end.
金継ぎの話を書いた時もう一回祝言あげたいなと思っていたのですが、金婚式にあやかって軽率に五十年後にしました。
鳴は潮の孫で、あの潮から律並みの子が生まれても面白いかと思って。潮だっておじいちゃんは蝸牛だもの(?)
律のおじいちゃん呼びは広い意味でおじいちゃん。
鳴の名前はナルトからとりましたが全く因果はない。
飯嶋家は順当に亡くなっていて、青嵐もそうだけど玉霰も開の死後は律をはじめとする飯嶋家を見守りつつ暮らしていたが、律がそろそろ自由になっては?鳴も成人するし、というので旅立ちました。ちなみに開の嫁()は力を付けた玉霰が力づくで処理している。力こそパワ~。
現世に思い入れがないので冥界にいくかもしれないが、用があったら現世に戻ってきそうなので永遠の別れではない。気分は長めの新婚旅行。
鳴はあとで律に二人の名前が結局何なのかを聞くけど、律は妖魔の名前なんて聞くもんじゃないとはぐらかす。
~名前が変わっても玉霰と青嵐ゎ律のズッ友だょ~
Jan 2024