Sakura-zensen


春は龍の玉 おまけ

青嵐は、もう三ヶ月も玉霰の姿を見ていない。一緒に暮らしていないとはいえ、たびたび夜に顔を合わせていたというのに。
主人の開が仕事で出かけていて顔を出さないせいもあるのだが、開の家にも玉霰の気配がなかった。

そんなある日、ようやく開が一度実家に顔を出したと思えば、玉霰は遠出しているというのだから青嵐は首を傾げた。
───夫に何も言わず、遠出だと。
「とうとう愛想つかされたんじゃないの、青嵐」
律が得意げになってそう言ってくる。
ム、と顔をしかめたのは律の父親である孝弘の顔だったが、青嵐は言い返さずに身体を抜けた。
おいっと慌てふためく声がしたが、そんなのを無視して空に飛び立つ。

玉霰と結婚をした直後も、律は負け犬の遠吠えのごとく、「お前なんか、いつか絶対愛想つかされるんだからな」と言っていた。
騙し討ちのように結婚したからだろう。
当の玉霰は最初、じたばたと暴れて青嵐を楽しませてくれるのだろうと思っていたが、思いのほか気長で青嵐のことが嫌ではないようだった。

だからそんなはずは、ない。ぜったいに。
青嵐は憂さ晴らしのために空をぐるりと旋回した。
そして、かすかにわかる玉霰の気配を辿ってみることにした。
三ヶ月前の最後に会った日、玉霰と青嵐は互いの血を飲み合っている。盃が割れて結婚の証を壊したかわりに、互いの血を交換してより強く縁を結んだので、遠くにいようと番のいる方向はわかるのだ。

あの時───盃が割れたら玉霰を喰うと言った青嵐は、結局そうはしなかった。
そもそも青嵐が喰うと言ったのは、玉霰が逃げ出すと思ったからだ。そして二度と青嵐の元へは戻ってこない、と。
だが玉霰は逃げなかった。それどころか萎れた様子で青嵐のところへ戻ってきて、口づけまでした。

だから玉霰と青嵐はまだ夫婦である。だというのに、三ヶ月も夫の前に姿を見せないなど、どういう了見であろう。
イライラしながら、どんどん近づいてくる玉霰の気配に、青嵐は不機嫌そうに喉を鳴らした。
そして開けた地に降り立ったところで、向こうから玉霰が駆け寄ってくるのが見えた。
恐らく玉霰にも、青嵐が近づいてきていることが分かっていたのだ。
「あおあらしー!」
なんて暢気な顔だろ……と、青嵐は拍子抜けした。
青嵐の想像とは違い、玉霰は何故か嬉しそうな顔をしているのだ。
「俺のこと、迎えに来てくれたの?」
にぱっと笑った顔があまりに無邪気で、毒気を抜かれた。
「───何の話だ」
「あれ、聞いてない?開さんには帰る日取りを伝えておいたし、青嵐にもよろしくと言ったんだけどな」
「??」
思い返してみると、開が玉霰が出かけている話をしたときに『そろそろ帰る頃』とかなんとか言っていた気がする。青嵐が話をよく聞かなかったのもあるし、開は青嵐のことを心から信じてはいないので、玉霰の言った通りのことをそのまま告げるはずがなかったのだ。
「そもそも、なぜ私に何も言わずにこんな離れた所にいるんだ。探し回ったではないか!」
「うふふ。青嵐がすぐには居場所が分からないようにしないといけなかったからな」
「悪だくみか」
ふんっと鼻息を強く吐くと、その風にあおられて玉霰の前髪が浮いた。
白い額が露わになって、間抜けな顔がよく見える。
ふっふっふ、と思わせぶりに笑った玉霰は背負っていた風呂敷の結び目を解いた。
そして草の生い茂る地面も気にせず座って、膝の上に荷物を広げる。
「これを、直していたんだよ」
何重にも布で包まれたものを開くと、最後には青い盃が現れた。
割れていくつかに分かれてしまっていたはずだが、今は一つとなり、その境目を継ぐのは金だった。
青に走る金の稲妻のようなそれは、情緒の乏しい青嵐から見ても美しいと思った。
「金継ぎか」
「うん。道具もないし、やり方がいまいちわからなかったから、職人のところに通っていたんだ」
人目につかぬように忍び込んで道具を拝借していたのか、もしくは人に化けて習っていたのかは定かではない。
しかし玉霰は自らの手で直したかった、と青嵐に告げる。
誰にも触らせるなと言ったから、いう通りにしたのだろう。
「同じものには戻らないけど、せっかくの品物だ……永く使い続けたいもの」
「───……」
青嵐は言葉を失った。
そしておもむろに、玉霰の頭に、自分の頭を摺り寄せた。
「なあに、もう」
不機嫌だった気分はいっきに上機嫌になった。だが、しかし、どうにも物足りない。
けらけらと笑う玉霰は、まるで飯嶋の家の庭に出入りする猫のアカを撫でるのと同じ手つきで、ひげや鼻の頭を撫でる。
───違う、前はもっと……、と思いを馳せたその時、玉霰の手は離れていった。
「青嵐」
「ん」
「そろそろ帰ろうか」
「……」
その言葉を聞いて青嵐はまた機嫌が急降下した。
玉霰にもそのことが分かり、あれ、と声を出す。
青嵐はどしんっとその地に体躯を擲ち、まるで不貞寝をするように転がった。
「おうい、どうしたんだよ」
わしゃわしゃ、と玉霰が鬣を撫でるが、機嫌は変わらない。
青嵐は玉霰を連れ戻しに来たけれど、そうではないのだ。
「……盃が気に入らなかった?金なら青嵐の髭の色だから良いと思ったんだけど」
玉霰は青嵐の顔のそばに横になる。
不機嫌の理由はそんなことではないので、青嵐はじろりと横目に見てため息を吐く。
「久々に会った夫に、それだけなのか」
「へ」
「妻を迎えに来た夫に口づけの一つもよこさんのか」
ぱち、と目を見開いた玉霰は固まった。
そして青嵐はまたため息を吐く。
「く、口づけ……って」
「前はしたではないか。あれは違うのか」
実のところ青嵐はずっとずっと待っていた。なのにこの嫁と来たら、龍の姿でいるから早く飛んで帰りたいのだろうな、と頓珍漢なことを考えていたのだ。
否、わかるわけがない。青嵐が、前にしたのが龍の時だったからあえてそうしていたことなど。
「え、じゃあ……するよ?」
「ん」
少し照れたような玉霰が、髪の毛を耳に掛けながら顔を寄せてくるのを青嵐は待つ。
小さな唇が窄められて、大きな青嵐の口の際にくっついて、ぷるりと離れた。
「ちべたい……これでいいのか……?」
その後、自分の唇に指をつけて温度を振り返る玉霰。
以前と雰囲気が違うが、それは当たり前である。あの時は衝動的に、青嵐に口付けたい一心でしたので。
「まあいい、次は私の番だな」
「えっ」
不思議そうな玉霰をよそに、青嵐は人の姿になり、玉霰の腕を掴んで地面に押し倒した。
金色の髪が顔にかかるのも構わず、薄い唇を艶めかしく開き、玉霰の無防備な唇を食む。
「っ、」
角度を合わせて隙間を埋め、感触を確かめるように挟んだあと、ちうっと吸った。
反射的に呼吸を止めた玉霰だったが、続く、絶え間なく繰り返される愛撫に、やがて必死に息をしはじめる。
「はっ、は……っ」
乱れた息を浴びた青嵐は、元々細く弧を描いていた切れ長の目を、にたりとゆがめて笑った。
玉霰の余裕のない顔に、征服欲と満足感が刺激されるのだ。
無理やり結婚してどう逃げるかを見てるより、よほど良い、と思った。


「なんなんだよ……」
「盃は気に入った」
ひとしきり口を吸われた玉霰は、ぜいぜい呼吸をしながら顔を背けた。
一方で青嵐は素知らぬ顔して、かみ合わない問いの答えを告げた。
青を金で継いだ選択も、自分の手で直した健気さも、青嵐には何も言わないで驚かせたことも、青嵐にとっては全部面白くて、愛しい。
「かわいい妻に褒美をやらんとな、何でも言ってみろ」
青嵐は気分が良い様子で、玉霰の顎をすりすりと撫でながら問いかけた。
褒美といっても、青嵐はもう大抵のことは玉霰が望むならしてやるつもりなのだが。
「褒美……」
玉霰は一瞬ぼうっとして考えた。
だが再び上にのしかかる青嵐を見つめて、腕を伸ばす。
「───まだ、帰りたくない」
首に腕を回しながらかすかに微笑んだ。
そして少し引き寄せる重みに、青嵐は気をよくして顔を寄せる。
「ああ、そうしよう」



end.


嫁にちゅうされたくて龍の姿でいる青嵐が書きたかったおまけです。
青嵐は人の営みを知っているけど、人の心がわからないので、自分がちゅうするときは人の姿でするけど、嫁がちゅうするのは龍の姿がいいのだと思っている。
つまり、龍の姿でいる時=嫁にちゅうされたい時、という方程式が出来上がるので、誰もこの誤解を解いてはならぬ。
この夫婦は互いに、相手が自分のことを好きっぽいところを見るときゅーんとしちゃう。つまり両想いだ。
あと凄い今更だけど、青嵐の髪(ひげやたてがみ)は金色ということでよろしくおねがいします。
Jan 2024

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