Sakura-zensen


春は龍の玉 小噺 -鱗-

ある日、温泉に行こうと誘ったら、鳥たちに断られてしまった。

「悪いがもうわしらは共にいけない」
「命が惜しいのでな」

用事があるとかではなくて、命が惜しいとは……。俺は訳が分からず首を傾げた。
「どうして?もう遊んでくれないの?」
今までだってよく温泉に行ってたし、酒とか、花見とか、月見とか、ちょっとしたことを楽しむのはだいたい鳥たちだったのに。
そう思いながら二羽を見つめると、ぐうっと喉を締め付けるような音を出す。
「めそめそするでないっ、別に遊んでやらぬとは言うておらん」
「そうじゃ!だいたい玉霰、おまえがもっとちゃんと───」
「これ尾黒!」
「ちゃんとってなに?俺がお前たちの命を危険に晒してるってこと?」
「「……」」
鳥たちは嘴を羽で塞ぎ、のろりと視線を逸らした。
そして尾羽をプリプリ振りながら後ずさって距離をとり、ばっと飛び立っていってしまった。


なんだよ。いいもん。一人でいくもん。
不貞腐れた俺は飯嶋家の屋根の上で、台所から持ち出したお酒を勝手に飲む。普段そんな悪い子みたいなことはしないのだけど、鳥たちが律に疑われてしまえ、なんて。
でも多分、俺は朝一番に律に謝りに行くんだと思う……。
「一人酒にしては豪快だな」
「ああ……青嵐……」
そこへ現れた青嵐に気づいて顔を上げる。
もう人間は眠る時間だから、孝弘おじさんの身体を抜け出したのだろう。……布団に寝かせているといいんだけど。
「何を拗ねてるんだ」
「別に拗ねてない……飲む?」
指摘されると否定したくなり、持っていた分の酒を飲み干した。そして空になった盃を青嵐に渡すと、酒を注がれるのを待つように差し出された。
「今日ね、鳥たちに今度温泉に行こうって誘ったの」
瓶を傾け、とくとくと注ぎながら、俺は結局青嵐に何があったのかを話していた。
一方、青嵐は無言のまま、酒を注ぎ終わった盃に口を付ける。
相槌も表情変化も豊かではないけれど、そんなことはもう慣れてしまったので滔々と話を続けた。
「───だから今度ね、一人で行ってみようと思う」
その時、青嵐の頭が、かくんっと落ちた。
そしてため息を吐きながら、額のあたりを抑える。もう酔いが回ったかしら。
「お前という奴は……」
「?」
「ほかに誘うという発想はないのか」
「だって人間が行くところじゃないし───青嵐だって、温泉とか好きじゃないだろ」
「なぜだ」
うんうん、と頷きながら最後の砦でもある青嵐の様子を窺うと、本人は不思議そうにしている。
あれ?温泉なんてくだらん、みたいな感じで跳ね除けてくると思っていたが。
「勝手にそう思ってたけど、……温泉好きだった?」
「好きもなにも、入ったことがない」
「えー、うそー……」
青嵐の表情はなんとも読みにくい。
でもこの口ぶりからするに、頼めば連れていってくれるという事かもしれない。
ちょっと、ドキドキしながら口を開く。
「じゃあ今度一緒に行く?」
「ああ、行こう」
「ええっいいの?やったー!」
緊張も一瞬のことで、青嵐があまりにもあっさり応じてくれたので歓喜の声を上げた。
なんだ、もっと早く誘っておけばよかった。



俺と青嵐が本当に温泉に来たのは、それから数日後のことだった。
人が寝静まった時刻、龍の背に乗って飛んでいき、目的の場所へはすぐだった。
俺は感動のまま、わーいと湯けむりの中に突っ込んでいく。
「お、ここがいいな。───ほら、青嵐もおいで」
「……ああ」
温度がちょうど良い場所を見つけ、少し離れた所で俺を眺めていた青嵐に、手を差し出す。
俺は着物を脱いで長襦袢の姿で入っていて、青嵐も同じように薄い着物になった。そして俺の手に触れて湯に浸かる。
隣に座りながら、温泉はどうかと問えば、悪くない、と返ってきた。
青嵐が湯に浸かって"心地よい"という感覚になるのかは正直わからないから、その答えで十分だった。
「青嵐が嫌じゃないなら、また誘おうかな」
「はあ……お前はいい加減、自覚を持て」
手に掬い上げたお湯をただ零して戯れていると、青嵐がため息を吐きながら俺の肩に指を突きさす。
なんのことやら、と次の言葉を待つと、今度は腕を掴まれ引っぱられた。
「そもそもその肌を気安く見せるな、私以外に」
そして、青嵐は俺の首の後ろに手を回して長襦袢を肩からおろす。
「えっ、なになになに」
「ここには、私の鱗が浮き彫りになっているんだぞ」
剥き出しになったそこを押されて、背中を青嵐に向けさせられたと思えば、ひたりと掌が張り付き下りていく。
「そ、そんなの知らな───ぅひ」
逃げよう立ち上がる俺に、青嵐の腕が巻きついてきた。
そして追いかけるように俺の腰、背骨を舐めあげ、最後は項に噛みつく。
慌てて動く俺のせいで湯がばしゃばしゃと跳ね上がるが、その中でもちゅっちゅっと肌を吸う音がやけに耳についた。
「こんな風に、身体が火照った時にしか浮かばないらしいな」
とうとう岩にしがみつくように追い込まれ、首筋で低い声に囁かれる。
青嵐の言っていることが本当なら、俺の背中には青嵐の鱗があって、それは火照った時にしか見えない。───ということは、
「もしかして、鳥たちが……?」
「ああ、私の鱗を見て言っていた。お前の身体にもある、と」
「え……っ~~~~」
途端に俺は羞恥心でいっぱいになる。
鱗がある事実もそうだが、それを鳥たちが見ていたこと、そして青嵐に伝えたこと。なにより、今まさに、青嵐に見られていることが、耐えがたい。
「なるほど、これは絶景だ」
青嵐は喉の奥を震わせて笑い、指先で優しく俺の背中を撫でた。
微弱な電気のような何かが、触れた所から周囲に広がり、身体の表面を走る。
それは多分青嵐の感情や力を感じているからだろう。
「ふ……っ」
思わず声が出るのは、痺れるような刺激がむず痒いからだ。
感覚が敏感になっているのか、青嵐から垂れた水が肌を伝うのすら分かった。
そのゾクゾクする感じがもうたまらなくて、岩を押し返して身をよじった。すると今度は、青嵐を見上げることになり、切れ目の奥底の視線と絡み合う。

瞬間、青嵐は舌なめずりをした。

俺はおもむろに腕を回し、その濡れた身体に抱き着いて、顔に頬摺りをする。
───これは、青嵐が俺に口付けをねだる時の真似。









「そういえば青嵐殿、ご存じであったか」
「玉霰にも立派な鱗があってのう」
青嵐は最初、鳥たちの話になんのことやら、と首を傾げた。
そもそもさっきまでほとんど話を聞いていなかったが、妻の名前が出てきた途端にようやく耳に入ってきたので、どういう経緯でそうなったのかはわからない。
「あれに鱗などあるか」
少し考えても玉霰は桜の木の化身であり、魂は人間だったはずだから、鱗など生えているはずがない。青嵐はそう思って笑い飛ばした。
ところが鳥たちは「でも!」と身を乗り出してくる。
「確かに見たのですぞ!身体が火照ると、鱗の模様がその肌に浮き上がるのを!」
「……火照る?」
「そうですぞ、湯に浸かると玉霰は肌をすぐに紅色に染めてしまいますからな」
「湯に浸かる───……ほう」
面白いことを聞いた、と同時に、面白くないとも感じる。
鳥たちが得意げに、青嵐の知らない妻の話をするからだろうか。
玉霰が夫よりも先に、鳥たちを誘って温泉に行くからだろうか。
色々と考えたが、とりあえず青嵐は二羽を締め上げて、玉霰と温泉へ行くことを禁じた。

その後若干思い通りにいかなくなりかけたが、無事青嵐と玉霰は二人で温泉へとやってきた。
そこで目にしたのは、薄着で湯に浸かる、妻の煽情的な姿である。

桜色の髪が湯の中を蠢いたり、水面を這う光景は花びらの絨毯のように美しかった。
白い着物が濡れて身体に張り付き肌を透かす様は、ただ肌が露わになるよりも艶めかしかった。
顎を伝って垂れそうになる、ひとつの雫さえ、極上の甘露のように見えた。
そして湯に浸るのが心地良いとばかりに、蕩けた顔で頬や唇を無防備に赤く膨らませている姿は、どこか淫らだ。
───何より、火照った身体にある鱗の存在は絶景だった。
元の白い肌の色が浮彫りとなって線を作り、紅くなった部分が鱗模様となって濡れた背中を彩っていた。

熱に溶けてしまう霰に、冷めれば消えてしまう鱗という、対極の性質でありながら似た儚さをもつ二つ。
隠して誰にも見せず、秘めておきたいと考えるのは当然のことだ。

やっぱ、帰ったら鳥たちは殺そ。
青嵐はそう無表情で考えてから、鱗の形をなぞるように指で触れた。そして絶景を目で味わうことから始めた。
だがふいに、震える玉霰が身をよじり、青嵐の手から逃れようとした。とはいえ逃げられるはずもないので、振り向くことを許した。
見下ろしながら、さてどうしてくれようと、そんな気持ちで舌なめずりをする。
これから青嵐は、この肌を愛でるか、鈍感で無防備なことを叱るか、どこまで鱗があるのか隅々まで確かめるか、と悩んでいたのだ。

だが、玉霰は目が合うなり青嵐にすり寄って来た。
青嵐はさっきまで考えていたことがどうでも良くなって、腰を抱き寄せた。
そして玉霰を湯に浸しながら、覆いかぶさって唇に吸いつく。
肌も布も髪も、濡れているせいで余計に絡み合うのが興奮を煽った。
ちゃぷ、ちゃぷ、と揺れる水の音が止まらないせいか、舌を交わす音や甘い声も、徐々に抑えず漏れ出していく。
時折水中で身体が浮くのが怖いのか、玉霰が首と腰に手足を巻き付けてくるのも面白くなり、遠慮なく口付けを繰り返した。


これまで、青嵐は風呂など好きではなかった。
人間として生活するうえでの面倒事の一つだ。
だがこの日、玉霰が火照り溺れるのは湯にだけではないと分かったので、温泉が実に良いものだと思った。



end.


発想は、身体が火照るときだけ見える刺青があると聞いて。
主人公は龍の姿の時に夫がちゅうをねだってくるのをわかるようになったので、人の姿の時は自分からせず同じようにしてちゅうをねだる。
人の姿の時に自分からしちゃったら、龍になってねだってくれなくなっちゃうから。確信犯。
青嵐が温泉好きでも嫌いでもない感じでしらばっくれてるのは、妻と温泉に行くための嘘です。でももう温泉(に浮かれる妻)が好きなので嘘じゃないです。
書いてて楽しかったのは鳥ちゃんたち。逃げて。
Jan 2024

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