春の伝承 10
(竈門炭治郎視点)鬼殺隊は政府公認の組織ではないため、刀を持ち歩くことは本来許されていない。
物騒な輩だと思われてしまう。
鬼というものは、お伽話としか捉えられていないことが多く、それを退治するために刀を持ち歩いていると言われても桃太郎じゃないのだから、と言われるのがせいぜいだ。
下手したら警官を呼ばれるし、警官に捕まれば刀を取り上げられるうえ、なんらかの罰が下ったりするだろう。そうなっては任務に行くこともできないし、いざという時に鬼と戦えない。
善逸にそう言われて普段街中を歩く時は羽織の内側や背中に隠して歩くことにしている。
俺は禰豆子を背負っているので少しおさまりが悪く、この日もうっかり落としてしまった。
「あ、はい、……ってこれ」
「ありが───あ」
「この重さ」
ガシャンという音がして足を止めると、すれ違いに歩いていた人が咄嗟に拾いあげてくれた。
制服姿の男性は穏やかそうで、なおかつ優しそうな笑顔を浮かべていたけど、すぐに手に持っていた刀に気づく。
「げっ、警官……!」
隣にいた善逸が小さく引きつった声を上げる。
重さで真剣だとわかるだろう。そうでなくともこの大きさの武器をもっている人間がいたら物騒だ。
逃げないと、ああその前に刀を奪い取って───。
「はい」
男性は、刀から俺と善逸と伊之助に視線をやったのち、俺の手に刀を握らせた。
へ、と声をあげて彼を見上げる。彼は周囲をきょろりとみやった。そういえば他にも警官がいるかもしれない、と考えながらも、なぜ警官である彼が俺に刀を返したのか不思議でならない。
「おつとめ、ごくろうさまです」
そうっと身を寄せた彼は俺たちの耳元で囁いたかと思えば、すぐに離れて敬礼した。
ふわりと香ったのは、草と果実のような甘く爽やかな彼自身の匂いと、慈しむような応援するような感情の匂い。
「ありがとう……ござい、ます」
「むこうで警備をしているのが数名いる。念のため避けて行きなさい」
人差し指で方向を示した後に内緒だよというように口元に立てる。そして俺たちをおいやるように肩を押して背を向けた。
俺たちは三人とも立ち止まって、彼が雑踏に消えるのを待ってしまう。
「鬼殺隊を知っている人だったみたいだな、……制服着ててよかった」
「そっか、そういうことか、うん」
「あいつ、タダ者じゃねえ……!!」
彼はたしかに、俺の格好を見てああと気づいたみたいだったし、善逸が安堵して言ってることはわかる。
「コラー!お前ほんとバカ!!せっかく逃してくれたのに何向かってこうとしてるんだよ!!」
「うるせえ離せ!あいつなんかスゲェやつだぞ!!戦う!」
「わ、伊之助、さすがに今ここで騒ぎを起こしちゃ駄目だ!」
「スゲェのはわかるって!」
善逸と俺は必死に、伊之助が走っていこうとするのを引き止めた。
たしかに、あの一瞬の所作、言葉、眼差しだけで何かを感じた。
殺気でもない、香り、優しさ、見目でもない。なにか、強く、うつくしいものを見たような気がした。
本当は離れるのは惜しい。けれど引き止めてしまうのも恐れ多い。迷惑をかけるにちがいない。だから俺と善逸は伊之助をなんとか引っ張ってその場を離れようとした。
ところが、鎹鴉がばさりと飛んできて言った。
───『桃太郎』を丁重に、本部へお連れせよ、と。
その内容に、俺たちは再びぽかんと立ち尽くす。
伝令は、警官の格好をした二十代半ばくらいの男、と特徴を連ねる。容姿に目立ったことはないので服装と年齢と性別になってしまうが、先ほど俺たちとすれ違った不思議な彼のことだとすぐにわかる。
『桃太郎』───それは、子供でも知っているお伽話の、英雄の呼称だ。
おそらく最も有名な、鬼退治の英雄。それはどう考えても、俺たちが相手にしている鬼とは別物の話で、架空の人物だと思われていた。
鱗滝さんによれば、本来は鬼殺隊の中で流れていた噂話が民衆に広まり、お伽話として定着したとのことだった。
川から流れて来た桃から生まれるとか、犬と猿とキジをきびだんごで部下にしてつれてるとか、日本一の幟を立てて日の丸のハチマキをして、陣羽織の戦装束を召している、というのはほとんど曲折した噂であって、実のところ「特徴のない平凡な男で、すれ違ったとしても見逃す」だそうで。
そもそもなぜ鱗滝さんがそんなにも詳しいのかというと、旧知の仲だからだった。
けれど桃太郎は大昔からあったお伽話だし、どう考えても鱗滝さんと知人ではありえない。もしやそちらは後から桃太郎という異称がついたのではないかなと、その時は疑問に思うことなく聞いていた。
「さっきのが桃太郎ってこと……?いや、でも……たしかにそうかもしれないけど!!ど、どうすんの!?向こう行っちゃったぞ」
「捕まえていいんだな!?捕まえていいんだろ!!行くぞ!」
バタバタと走りだす二人につられて俺も翔ける。
「おい、桃太郎っていう名前なのかさっきのやつは!」
「そうかもしれないけど!そうだとしたら、ほんっとやばいって!!」
「な、なんで!?」
人混みの中で、さっきの、───もうほとんど顔も覚えてない人を探す。でも匂いなら、気配ならわかるはずだ。
「桃太郎っていうのは、もう500年以上前から存在すると言われてる、人外の隊士なんだよ!!」
「えぇ!?」
「どうりで人間じゃねえと思った!」
そう言われると、そんな気がして来てしまうのだから不思議だ。
さっきの男性は確かに人ならざる気配をしていた。けして鬼ではない、人に近いけど、もっと儚くも高貴な存在だと思った。
「あ、いた」
「ギャァアァアア!!!」
不意に、肩に手を置かれた善逸はひどい声あげながら、瞬時に涙や鼻水を垂らして手の主の腰にしがみついた。
「見つけたァァ!!!!」
「うわぁ!!」
「え、……っと」
伊之助までもが飛びつくから巻き込まれて、間に挟まれる。まだ小柄とはいえ三人の男が勢いよくぶつかったにもかかわらず、その人は一歩足を後ろに出して踏ん張る程度で持ちこたえた。
ふわりと先ほど以上の匂いが俺を包んだ。草木や花、土に小川、太陽の匂いだろうか。あとは、甘い桃の匂い。とにかく自然に包まれたみたいな匂いがした。
感触はさほど大きくもなく厚くもない体躯だというのに、温かくて懐かしくて安堵する。
「からすが言ってた子だよね?」
なぜか善逸は抱きついたまま泣きじゃくっているし、伊之助は猪頭を懐に埋めたまま動かなくなっている。俺は微笑む彼を見上げて、後頭部を胸につけた。
彼の肩には確かに鴉が止まっていた。
俺たちに伝令をしたのとは違う、本部の鎹鴉だ。
「輝哉が呼んでいるとか───って、あの、だいじょうぶ?」
どうしようもない郷愁にかられて、俺まで泣いていた。
困ったような、けれど笑いの混じった顔を眺めながら滲む視界で捉えたのは、ひたいにある印。
そういえば鱗滝さんは、唯一の特徴としてひたいにひし形の痣があるけれど、滅多に見えることはなく探すときの足しにならないとか言っていた。
俺たちが掴んで泣いていても、彼は警官の格好をしているので迷子の保護だと思われたみたいだった。同僚らしき人物にも声をかけ、送ってくると断りをいれていた。
そして程なくして隠しの人たちがすごい焦った様子でやって来て、『桃太郎』と俺たちを本部へと運んだ。
産屋敷邸に来たのは、禰豆子とともに柱合会議の前に連れてこられた時以来だ。
綺麗な庭に降ろされた俺たちはまたも、『桃太郎』と離れがたく服の裾を握ろうとしてしまう。
彼の懐の安堵感もあるだろうけれど、縁側をあがって開け放たれた広い一室には、お館様と奥方様、それからお子様と全柱が集合して、こちらを見ているという壮観に、少しだけ驚いたせいもある。
「お久しぶりです、───おじいちゃま」
お館様が深々と頭を下げ、柱の皆さんも一斉に倣う。
「あ、ひさしぶ……ん?」
俺たちを一応支えようとしてくれていた『桃太郎』は、朗らかに応えようとしてから首を傾げていた。
「ん?」
「おじ……?」
「あ?」
おじいちゃま、ということは。
柱の皆さんは固まり、俺と善逸と伊之助は思わず疑問の声を上げる。
「ま、そうか、うん。ひさしぶりだね、大きくなったなあ」
「上からの挨拶で申し訳ありません」
「気にしないで、迎えをありがとう」
「とんでもございません。炭治郎、善逸、伊之助、よくお連れしてくれた」
「は!はい!」
結局朗らかに会話を続ける二人にあっけにとられていたけど、俺たちは慌てて跪いて頭を下げた。伊之助は善逸と俺が引っ張った。
『桃太郎』だけは物怖じすることもなく懐から鈴のようなものを出してぽとりと地面におとす。その瞬間、犬と猿とキジが現れて、それぞれが俺たちの膝下へやってくる。
「少しそこで待っていられるね?」
「はい……」
善逸が呆然と、『桃太郎』に返事をし、俺のそばに侍ってくれた犬も同時にワンと返事をした。
...
警官のお兄さんが、炭治郎たちの鬼殺隊の制服を見て敬礼する話が書きたかった。それが一番最初に思いついたネタでこのシーン書くまでに設定考えて過去の出会い作ってたら十話もかかったの(戦慄)
June. 2019
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