夜が来ただけ
看板娘として働いてる甘味屋で、ある日突然やってきたコワモテのお兄さんは俺を見て固まった。いらっしゃいませえ、の後何秒も返答がないので、ダイジョブかな?とおずおず顔を見る。
「あ、あァ」
ぶっきらぼうに答えたお客さんは、俺をまじまじと見ながらも、何か言って来ることもなく席の案内に応じた。
白い髪や傷だらけの顔や身体を、怪しい人と思わんでもないが、ここには意外と色々な人がいるらしいのだ。
「、悪いが布巾が足りなくなってねえ、持って来てくれないかい」
「はあい、おかみさん」
お茶を出して、注文決まったら呼んでくださいねとお客さんから離れたところで、おかみさんから頼まれて、店から母屋の方へ行った。
俺が戻って来る頃にはそのお客さんは注文を決めていて、他の人がそのおはぎを運んでいたので、わざわざ俺から、あの動揺の理由を聞くのもなんだかなあ……と思ったので特に話しかけなかった。
知り合いだったならきっと言ってくれるだろうし、そうしないってことは例えば誰かに似てたとか、知り合いでもたいした関係ではなかったとかだろう。
それが俺の覚えている彼との出会いで、今じゃ立派な常連さんだ。
顔に似合わず甘いものが好きみたいで、おはぎをよく食べている。
他にもたくさん常連客はいるんだけど、初来店から覚えて入られた人はあの人が初めてで、他の常連客と同じようにお話ができたらいいなあと思う。
ある日の俺はお世話になってる家の人にたのまれて、遠くまで薬を買いに出かけていた。
列車をつかって遠出して、帰ってきたらすっかり暗くなってしまっていた。
夜は暗いなあ、と当たり前のことを思う。建ち並ぶ家の光はあったけれど、賑わう町でもないのでどこか心もとない。
「はやく帰ろう、腹減ったし……」
ぽつりとつぶやき、腹を撫でる。
「アァ、そうだなあ、腹減ったなあ」
何かが俺のつぶやきに同意した。神経がぞわりと粟立つ。
むせ返るような腐臭と、血の匂い。声と匂いの先を探ると、屋根の上に這いつくばる、獣みたいな何かがいた。
俺の勘が、あれは人間ではないと訴えていた。
「だれ?なに?」
瞬間、それは飛び上がって、月を背に影を作ったあと、目の前に着地した。
声をかけられるまで油断していたとはいえ、向き合った時から警戒はしていたので、着地した途端に噛み付いてこようとした顔も、鋭利な爪のついた腕も避けて飛び退く。
「チッ避けやがって……逃げても無駄だぜ、すぐ追いつくからなァ!」
会話する意思がなさそうだし、逃げようと走り出した俺を追いかけて来る風の音がすごい。
分かってたけどこれは人間じゃない。このまま家に帰ったって強盗よりもタチが悪いのでおそらく世話になってる人を巻き込むことになる。
でもこれ、撒いたとして、違う家に入らないとも限らない。
オレ人間クウみたいなこと言ってるんだもの。
家に帰るわけにもいかず、人気のないところまで走って来てしまった。
あちらは俺を追い詰めたぜ、と得意げだが俺だって暴れてやるぜと思っているわけでして。
得物は我が拳のみ……と覇者のような顔をしようとしたところで、ものすごい勢いで風が吹いた。
「テメェ、……何してやがるッ!!!」
白い髪の常連さんが風のようにやって来て、俺を襲ってこようとしていた暴漢を一瞬で斬首した。
え、斬った……。今の世の中は確か普通に刀を持っていてはいけないハズ……。
混乱している間に、首を斬られた暴漢は闇の中で塵となった。
「就也!」
「……え、あ、……」
「……、怪我ねえかよ……」
「あの、えと、助けていただきありがとうございます」
「怪我ァ」
「ないです」
顔こわ。と思いながらもう一度ありがとうと伝えた。
心配してくれていたみたいだから。
「あれ、なんだったんですかねえ」
「……鬼っつーバケモンだ」
「鬼───?」
「……人を食う。日光に当たると死ぬ、特殊な刀で首斬らねえと死なねえ」
常連さんは簡潔に説明した。
ここはどうやら、鬼っつーバケモンが存在する世界で、彼はきっと専門職なんだろうから深くは問わない。なぜなら木の葉の里で忍者をやっていた俺だからです。
「俺のここに、傷があるでしょう?それをつけたのも鬼なんでしょうか」
「あ?───」
走りまわってよれていた衿を開いて、首にある傷を見せた。
彼は人の傷を見ても驚かないだろうし、俺が男であることをわかっているみたいだし、良いだろうと思ったのだが、なぜだかひどく瞳が揺れて、それで、苦しそうな顔をしたので不自然じゃない程度に隠してぽむちっと襟を叩いた。
「正直、その時のことは覚えていなくて」
「覚えてない?」
「もう何年も前になるけど、この町の北の方にある川辺で拾われたんです。その時ここが抉れてたみたいで。普通だったら水に入ってなくても失血死だったくらい大きな怪我」
自分が自分であることを思い出した衝撃と、この傷を負った衝撃が合致して、今までのことがほとんどわからなかった。起きたら知らない天井というやつ。
「よく……生きてたなぁ」
「俺ちっこいけど、すごい頑丈なんです」
「ああ、そりゃいい」
常連さんはふっと笑った。この人結構笑うんだよね、怖い顔の時もあるけど、たまに可愛く笑うの。
常連さんは俺を家まで送り、カラスが運んできた匂い袋をくれた。
藤の花の匂いを鬼が嫌うんだという説明をそっちのけで有能なカラスにうっかり興味がいってしまったが、何それという質問を呑み込む。
「実弥さん!またお店に来てくださいね、お礼しますから」
名前を聞き出したので不死川さんかあ、かっこいい苗字!と思って呼んだら呼ばれ慣れてないということから下の名前で呼ぶことにした。
実弥さんは背中を向けたまま手を挙げて去って行って、それからも時々店に来てくれては匂い袋やお香をどしどしくれた。
*
兄貴は頑なに、俺を弟と認めてくれなかった。
おふくろが鬼になって兄弟を死なせちまって、それで、兄貴が守ってくれた時、俺があんなことを言ったからだ。
俺が弱いから。呼吸もまともに使えない奴だから。
仕方がないと思ってた。
町中で、兄貴と一緒に───俺のすぐ下の、死んだと思っていた弟が、笑ってた。
「就也!!!に、にいちゃん、しゅ」
口を強く叩かれて、再度弟の名を呼ぶことはかなわなかった。
「こいつはだ。俺の行きつけの店の店員」
いつも以上に血走った目が俺を見た。
兄と呼んでも即座に否定していた兄貴が、それもしないほどに、伝えたいことだったんだ。
「就也って、実弥さんも呼んだよね。それ、俺の名前?」
この人物は、就也ではないのだと。
俺たちの兄弟は皆死んだ。その中でも就也は、血を流したまま助けを呼ぶためか、俺たちを探すためか、家を出て歩き回り、川に落ちたようだった。
道に残された血の量と、水に落ちたことできっと生きてはいないだろうと思っていた。
だが就也は奇跡的に助かっていた。記憶はすべてなくなっていたけど。
それでもよかった。名前を呼べないことくらいどうってことない。
兄貴が俺を弟じゃないって言うのとは全然違う、店に行けば笑顔で俺たちを出迎えてくれる。
時々兄貴とそこで会っても、その時だけは俺たちは兄弟に戻れた。
ただ、就也───だけは、俺たちだけを兄弟だと認識していたが。
「玄弥さんも実弥さんと同じお仕事してるの?」
一度───いや、二度目に鬼に襲われたのを兄貴が助けたようで、は鬼と鬼殺隊の存在を知っていた。
鬼除けの藤の香を兄貴と俺が交代で差し入れてるのも受け取ってくれている。
「あ、ああ……俺は全然弱くて、……兄ちゃんには怒られてるけどな」
「そっか、その傷も?」
「うん」
店に行くとは俺や兄ちゃんと休憩時間を合わせることがあって、今日も俺と外の椅子に座って団子を食べる。
「俺たちの暮らしを守ってくれてありがとうございます」
深々と頭を下げられて、俺は思わず否定した。だって、自分は呼吸もろくに使えないで才能がなくて弱い。
「兄ちゃんは強ぇんだ、でも俺は全然……兄ちゃんに言ってくれ」
「もちろん言ってるよ!」
「そ、そうか、───あぁ……そうかぁ」
涙が出た。
は慌てて布巾を顔に当ててくるけど、そんなんじゃ足りないくらいあふれた。
「にいちゃんに、ありがとうって、いってくれたのか……」
「え、なになになに」
───俺は人殺しっていっちまったからさあ。
「兄……ちゃん……、ご、……めん」
身体が半分になっても、俺はかろうじて絶命しなかった。
でも出血がひどくて食った鬼の力はもうほとんどなくて、このまま死ぬことが分かった。
せっかく、炭治郎が教えてくれて、兄貴が『守ってやる』って『弟だ』って言ってくれたけど。
鬼殺隊を辞めろっていって俺を遠ざけたのも、全部、みたいに生きてほしかったからなんだろう。
実際俺も、がそうして生きててくれることが、俺の救いであり覚悟にもなった。
「兄ちゃんが、……俺とを、……守ろうと……してくれた……ように……───俺も、兄ちゃん……と、を……守り……たかった」
同じ気持ちなんだ、と伝えたかった。
俺たち兄弟だから、どんな辛くても兄弟が大好きで、兄弟のためなら頑張れた。
は俺たちが兄弟だと知ったらどう思うだろう───。
以前店の客たちに、俺と兄ちゃんのどちらとくっつくんだってからかわれた時、互いに兄弟みたいに思ってるって言い合った。
あの時の気持ちで、いてくれるかな。
「幸せに……兄ちゃんも、……死なないで……ほしい……」
言いながら意識がもうろうとしてくる。
「もつらい……思いしたから、俺たちのこと……忘れてていい……でも……兄ちゃんと俺のこと……兄みたい……いってた……から……また……兄ちゃんに……なって……やってよ」
本当の兄弟だったこと、他の兄弟が死んじまったこと、おふくろが鬼になったこと、ぜんぶ思い出さなくたっていいから、兄ちゃんを兄ちゃんだって思いながらこれから先の人生過ごしてほしい。そしたら兄ちゃんもきっと幸せだから。
「あり……が……とう……兄……ちゃん…………」
守ってくれてありがとう、守らせてくれてありがとう。
ほろほろと消えていくのがわかった。
もう頭もないし、感覚もないけど、最期に思い出したのは兄ちゃんとが二人で並んで笑っている姿だった。
ああ───幸せだなあ。
end.
しれっと就也成り代わりですが記憶なしです。
救い(?)が欲しかったんじゃ……という供述。
不死川家とうちゃんと実弥の頑丈な体、かあちゃんの小柄プリティーフェイス(?)を併せ持った子はそうサクラちゃんしかない(断言)。
題名を春の縛りしてないのはどうしてもしっくりこなかったからです。
主人公にとっては『夜が来ただけ』のことにしたかった。
それがお兄ちゃん2人の悲願なので。
Dec 2021